『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 321p

「鳳雛会」のメンバーは、若き大鳳に成長していた。全員が20代である。伸一は、全参加者に贈るために、初代会長・牧口常三郎が揮毫した「創価後継」の色紙を用意していた。四半世紀後に訪れる21世紀の、広宣流布を託す儀式にしようと、深く心に決めていたのだ。

広宣流布の勝負は、21世紀である。その時に、決然と困難の壁を打ち破り、勝利の旗を打ち立てる真正の弟子を、伸一は、生命を削る思いでつくろうとしていたのである。

「大聖人が『浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり』との一節を引かれて御指導されていることは、諸君もよく知っていると思う。これは、まさしく『鳳雛会』の諸君への指針といえます。自分の幸せのみを追い求める、安易な人生を送るのであれば、この御指導を心に刻む必要はありません。しかし、広宣流布という崇高な目的に生きるならば、何があろうが、『我は深きについて、我が道を征く』との決意で、この丈夫の心で、生涯、使命の大道を歩み抜いていただきたい」

「今日、創価学会は、世界的な大教団、大平和・文化団体に発展しました。それは、諸君のお父さん、お母さんたちが、私と共に、歯をくいしばり、血の涙を流しながら、必死になって戦い抜いてくださったからです。」

「今後は、諸君です。君たちが、この基盤の上に、10年、20年、30年と、さらに、学会を立派に育て上げていただきたい。人類の幸福のために、広宣流布の大拡大を成し遂げていくことが、諸君の久遠の使命であり、宿命なんです!」

「御聖訓に照らして、邪悪の徒によって、攪乱されるような事態を迎えるかもしれない。しかし、『鳳雛会』の諸君が、地中で竹が根を張り、深く結び合っているように、強く結合し、団結して立ち上がり、広宣流布を進めていっていただきたい。」

「もしも、今後、創価学会の前進が、一歩でも、二歩でも、後退するようなことがあったならば、その全責任は諸君にある。諸君が、だらしないからである!一切は、諸君の責任であることを、今日は、宣言しておきます」それは、伸一の魂の叫びであり、広宣流布の厳粛な付属の儀式を思わせた。

「諸君は、創価学会の真実の子どもです。本当の私の弟子であり、学会の王子ともいうべき存在です。まずは、次の10年をめざし、創価学会の一切を引き受け、全責任を担うとの精神で、雄々しく進んでいっていただきたい」

この大会に出席していた最高幹部たちは、ただ、驚いて、彼の指導を聞いていた。「鳳雛会」のメンバーは、この時、年齢的にも、役職的にも、まだ創価学会の全責任を担うような立場ではなかったからである。

しかし、伸一は、自身の体験のうえから、本気になって立ち上がるならば、年齢や立場に関係なく、彼らは、学会の全責任を担い得ると確信していたのである。

師の戸田城聖が、事業の破綻から、学会の理事長を退いた時、伸一は、ただ一人、厳然と師を守り、獅子奮迅の戦いで活路を開いていった。それが、22歳の時であった。

また、伸一が鎌田支部の支部幹事として折伏戦を展開し、当時としては未曽有の、一支部で201世帯の弘教を成し遂げたのは、24歳の時であった。

さらに伸一は、25歳で文京支部長代理となる。彼の奮闘は、低迷していた支部を、やがて第一級の支部へと発展させていく。伸一は、いまだ年も若く、全学会を率いる立場ではなかった。しかし、戸田の構想の実現を、わが使命と定め、組織の一角から、未聞の大勝利という烽火を上げ、広宣流布の突破口を開き続けてきたのである。

年が若いから、立場が与えらえていないから、権限がないから、時間がないから・・・など、力を発揮できない理由をあげれば、常に、枚挙にいとまがないものだ。広宣流布という仏意仏勅の使命と責任を果たしゆくには、年齢や立場など、問題ではない。

大宇宙を己心にいだく信心の世界、仏法の世界では、そんなことは、なんら障壁とはならない。それらを理由に、力が発揮できないという考えにとらわれた時、自らの無限の可能性を放棄してしまうのだ。それこそが、魔に敗れた姿である。

要は、師弟不二の自覚と祈りと実践があるかどうかである。それを実証してきたのが、ほかならぬ伸一であった。

太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋