『新・人間革命』第23巻 未来の章 18p
大事業は、一朝一夕に成就するものではない。二代がかり、三代がかりの作業となることもある。師弟が一体となっての、不二の奮闘なくして、大業の成就はない。山本伸一は、先師、恩師の教育構想を、一つ一つ実現してきた。
教育事業をもって、世界平和を実現する多くの逸材を世に送り出すことこそ、軍部政府の弾圧と戦い抜いた、先師・牧口常三郎と恩師・戸田城聖に報いる「弟子の道」であると、伸一は確信していたのである。
伸一は、幼児教育の重要性を感じていた。子どもは、4歳ぐらいから自己主張が強くなる一方、他者の存在も意識するようになり、人とのコミュニケーションも取れるようになる。子どもの社会生活の基盤がつくられる時といってよい。それだけに、就学前の、この時期の教育が、子どもにとって、極めて大事になるというのが、伸一の結論であった。
彼は三歳の時に父を亡くし、館野家の養子となったが、今度は養父が病で急逝。養母は彼を連れ再婚するが、養母の希望で「館野」姓を名乗る。近所の子どもからいじめられることもあった。就職する時、初めて、自分が養子で実母と思っていた人が養母であると知り、自暴自棄になる。死んでしまいたいと思ったが、養母と養父が必死になって「生きておくれ」と彼を説得した。
館野はこの時、父母から、全精魂を込めて愛情を注げば、心は、必ず通じ合う事を学んだのだ。彼は、炭鉱で働きながら定時制高校へ通い、卒業後は、働きながら北海道学芸大学を卒業し、念願の教師となる。
妻の母が信心を始め、入会した妻から、「宿命転換の仏法」と聞き、山本伸一が自分と同い年で、世界平和と人類の幸福を実現しようとしていることを知り、驚嘆し、入会した。
特別支援学級を受け持つが、保護者から創価学会員であることを理由に無視されるが、祈りと、誠実な対話で、保護者全員から高評価を受ける。
中学校に特別支援学級が開設されることになり、強く請われて赴任するが、彼の献身的な教育への情熱を、札幌創価幼稚園の設立準備委員会の関係者らも、よく知っていて、彼を園長にと名前があがった。
彼は、自分の複雑な生い立ちも、小学校、中学校での教師経験も、すべて、ここで活かしていくための財産であったと思った。この時、館野は、自分の「宿命」は、ことごとく「使命」として開花したことを実感した。彼は、決意した。"私は、山本先生の教育構想のために、この身を捧げよう!"
幼稚園のモットー「つよく ただしく のびのびと」が決まった。開園祝賀会が行われた。広い園庭、明るい園舎、安全を考慮した整った設備に、来賓は目を見張った。その一つ一つに創価の教育思想が光っていた。すべて、子どもへの配慮であった。
工事に携わった人や見学に来た地域の人たちからも、「ぜひ、この幼稚園に子どもを通わせたい」との感想が、数多く寄せられた。
伸一は、言葉をかみしめるように語った。「この幼稚園を、日本一、世界一にしたいね。日本一、世界一、ということの根本要件は、何よりも、この幼稚園からは、一人も不幸な人間を出さないということです。札幌創価幼稚園は、創価教育の出発点となります。目標は、21世紀の人間主義の指導者を育てることです」
園児との関わり方についての質問が出た。「まずは、子どもたちから好かれることです。好かれるようになるためにも、明るく、朗らかでなければならない。そして、子どもを尊重し、思いやりの心をもつことです。子どもであるからといって、あなどってはいけません。子どもは、大人以上に鋭い感性をもっています。また、子ども"大人の心"があるんです」
「どうか、先生方は、対等な人格と考えて接していってください。教育というのは、人格と人格の触れ合いです。その触発のなかで子どもは成長するんです」
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋