『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 381p

「持てる北」「持たざる南」という色分けは経済発展度によるものであり、それが文化の領域全般の優越性を示すものではないと指摘。逆に発展途上の国であっても、世界に誇るなんらかの文化的財産を保有していると力説した。

伸一は、経済至上主義の世界の在り方、人間汚考え方を断じて変えねばならないと思っていた。
次いで伸一は、ソ連こそ、東西、南北にわたる文化交流の橋渡しの役割を担っているとして、その特質をあげた。

そして、彼は、願いを託すように訴えた。「アジアの心も、ヨーロッパの心も、そして、『北』の心も、『南』の心も、ソ連には理解できるに相違ない。だからこそ、東西文化交流に、そしてまた、南北文化交流に、ソ連が寄与すべき任務は多々あると、私は信じたいのであります」

歓声と拍手が雷鳴となって場内を包んだ。拍手は、いつまでも鳴りやまなかった。歓声をあげながら聴衆が立った。そして、盛大な拍手で、伸一を見送った。

通訳をしたストリジャック主任講師が駆け寄ってきた。感無量の表情で、伸一の手を握り締めた。その目が潤んでいた。ストリジャックは前夜徹夜までして、講演原稿の翻訳に万全を期したのである。

伸一は、かつて、戸田城聖が「戸田大学」で個人教授をしながら、語った言葉が、思い出された。「世界のいかなる大学者、大指導者とも、いかなる問題であれ、自由自在に論じられる力をつけるように、鍛えておくからな」

来る日も、来る日も、自身の一切の学識と経験と智慧とを伝えてくれた。伸一は、恩師を思うと、ありがたさに身が打ち震えるのであった。

山本伸一たちは、モスクワ大学に移動し、同大学と創価大学の学術交流に関する協定書の調印式に臨んだ。翌28日も、ぎっしりと行事が詰まっていた。伸一は体調を崩し、熱もあった。しかし、そんな素振りさえ見せずに、彼は精力的に動いた。

一行はソ連平和委員会を訪問した。N・S・チーホノウフ議長とS・S・スミルノフ副議長、ソ連科学アカデミー会員でノーベル物理学賞を受賞したP・A・チェレンコフ博士など、主要メンバーが迎えてくれた。

チーホノフ議長らは、これまでの伸一の平和提言や、青年部が行った核廃絶1千万署名など、学会の平和運動を高く評価した。「世界の平和を真剣に考えるなら、会長の提言に耳を傾けざるをえません」

伸一は、学会の平和運動についての考えを明らかにした。「創価学会は、軍部政府の弾圧と戦い、初代会長は獄死、第二代会長も二年間の獄中生活を送っています。だが、大多数の教団、団体は、戦時中、軍部政府に協力してきました。そのことに本当の反省もなく、戦後の弾圧のない平和な時代になってから、『平和、平和』と叫ぶ。そうした運動については、その真偽を厳しく見極めていきたいと思っております。」

「平和」と言えば、否定したり、反対したりする人は、まずいない。それをいいことに宗教団体や政治団体などが、「平和」を自分たちの宣伝の道具として利用するケースが、あまりにも多いのである。

本当に平和を推進するには、いかにして平和を実現するかという哲学、理念が不可欠である。また、命をなげうつことも辞さぬ覚悟がなくてはならない。

「私ども創価学会の平和運動は、まず、生命尊厳の仏法哲理を学び合うことから始まります。」「戦争の根本要因は、相手を信じられないという相互不信、人間不信にあります。各人がそれを打ち破る人間革命の実践に励み、観念ではなく、現実の社会のなかに、人間共和の縮図をつくり上げ、それを、イデオロギー、民族、国境を超えて、世界に広げようというのが、私たちの運動です」


平和は叫びぬかなければ、その輪が広がることはない。だから、伸一は、平和への道を語り抜いたのである。

太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋