『新・人間革命』第21巻 宝冠の章 377p
かつて東西交流の架け橋といわれたシルクロードに触れ、その存在が、世界の諸文化に甚大な影響をもたらし、ユーラシア大陸の文化が遠く日本まで、シルクロードを通して伝播している事実を紹介したあと、こう聴衆に呼びかけた。
「では、文化が、かくも広範に伝播、交流をなした要因は、どこにあったのでしょうか」伸一は、講演といっても、話を一方通行に終わらせたくなかったのである。皆に声をかけ、心を通わせ合うなかで、共感と理解は深まるからだ。
伸一の独自の文化論が展開されていった。「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた弦に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。
この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります。したがって、人間性の共鳴を基調とする文化の性格というものは調和であり、まさに、武力とは対極点にたつものであります」
伸一は、ここで、武力と文化を対比させながら、その特質を論じていった。「軍事、武力が、外的な抑圧によって、人間を脅かし、支配しようとするのに対し、文化は、内面から人間自身を開花、解放させるものであります」
「また、武力は、軍事的、また経済的な強大国が弱小国を侵略するという、力の論理に貫かれているが、文化交流は、摂取という、受け入れ側の主体的な姿勢が前提となる。さらに、武力の基底に宿るものが破壊であるのに対して、文化の基底に宿るものは創造であります」
「いわば、文化は、調和性、主体性、創造性を骨格とした、強靭な人間生命の産物であるといえましょう。そして、その開花こそが、武力、権力に抗しうる人間解放の道を開く唯一の方途であると、私は考える次第です」
講演は本題に入っていった。世界の心ある識者、指導者は、東西文化交流の早期実現を強く念願していると述べ、こう力説した。「民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり、人間と人間との心をつなぐ『精神のシルクロード』が、今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります」
「民衆同志の自然的意思の高まりによる文化交流こそ、『不信』を『信頼』に変え、『反目』を『理解』に変え、この世界から戦争という名の怪物を駆逐し、真実の永続的な平和の達成を可能にすると思うからであります。」
「民衆同士の連帯を欠いた単なる政府間協定が、一夜にして崩れ去り、武力衝突の悲劇へと逆転した歴史を、われわれ人類は何回となく経験してきたのであります。同じ過ちを繰り返してはなりません」
ここで彼は、歴史のうえで長年培われてきた「民族的敵意」の問題に触れた。そして、「民族的敵意などというものは、正体のない幻である」と断言したのである。
「いかに抜きがたい歴史的対立の背景が存しようとも、現代に生きる民衆が過去の憎悪を背負う義務は全くないのであります。相手の中に"人間"を発見した時こそ、お互いの間に立ちふさがる一切の障壁は瞬くうちに瓦解するでしょう。」
大事なことは、過去に縛られるのではなく、同じ人間として未来に向かって生きることなのだ。いかに解決しがたい問題
かつて東西交流の架け橋といわれたシルクロードに触れ、その存在が、世界の諸文化に甚大な影響をもたらし、ユーラシア大陸の文化が遠く日本まで、シルクロードを通して伝播している事実を紹介したあと、こう聴衆に呼びかけた。
「では、文化が、かくも広範に伝播、交流をなした要因は、どこにあったのでしょうか」伸一は、講演といっても、話を一方通行に終わらせたくなかったのである。皆に声をかけ、心を通わせ合うなかで、共感と理解は深まるからだ。
伸一の独自の文化論が展開されていった。「本来、文化の骨髄は、最も普遍的な人間生命の躍動する息吹にほかなりません。それゆえ、人間歓喜の高鳴る調べが、あたかも人びとの胸中に張られた弦に波動し、共鳴音を奏でるように、文化は人間本来の営みとして、あらゆる隔たりを超えて、誰人の心をもとらえるのであります。
この人間と人間との共鳴にこそ、文化交流の原点があると、私は考えるのであります。したがって、人間性の共鳴を基調とする文化の性格というものは調和であり、まさに、武力とは対極点にたつものであります」
伸一は、ここで、武力と文化を対比させながら、その特質を論じていった。「軍事、武力が、外的な抑圧によって、人間を脅かし、支配しようとするのに対し、文化は、内面から人間自身を開花、解放させるものであります」
「また、武力は、軍事的、また経済的な強大国が弱小国を侵略するという、力の論理に貫かれているが、文化交流は、摂取という、受け入れ側の主体的な姿勢が前提となる。さらに、武力の基底に宿るものが破壊であるのに対して、文化の基底に宿るものは創造であります」
「いわば、文化は、調和性、主体性、創造性を骨格とした、強靭な人間生命の産物であるといえましょう。そして、その開花こそが、武力、権力に抗しうる人間解放の道を開く唯一の方途であると、私は考える次第です」
講演は本題に入っていった。世界の心ある識者、指導者は、東西文化交流の早期実現を強く念願していると述べ、こう力説した。「民族、体制、イデオロギーの壁を超えて、文化の全領域にわたる民衆という底流からの交わり、つまり、人間と人間との心をつなぐ『精神のシルクロード』が、今ほど要請されている時代はないと、私は訴えたいのであります」
「民衆同志の自然的意思の高まりによる文化交流こそ、『不信』を『信頼』に変え、『反目』を『理解』に変え、この世界から戦争という名の怪物を駆逐し、真実の永続的な平和の達成を可能にすると思うからであります。」
「民衆同士の連帯を欠いた単なる政府間協定が、一夜にして崩れ去り、武力衝突の悲劇へと逆転した歴史を、われわれ人類は何回となく経験してきたのであります。同じ過ちを繰り返してはなりません」
ここで彼は、歴史のうえで長年培われてきた「民族的敵意」の問題に触れた。そして、「民族的敵意などというものは、正体のない幻である」と断言したのである。
「いかに抜きがたい歴史的対立の背景が存しようとも、現代に生きる民衆が過去の憎悪を背負う義務は全くないのであります。相手の中に"人間"を発見した時こそ、お互いの間に立ちふさがる一切の障壁は瞬くうちに瓦解するでしょう。」
大事なことは、過去に縛られるのではなく、同じ人間として未来に向かって生きることなのだ。いかに解決しがたい問題
に見えようとも、人間という次元から光を照射してみるならば、そこには必ず、武力抗争によらない平和的手段が浮かび上がってくる。
人間と人間を対立させ、煽り立てる権利は、いかなる地位の人間にも断じてないーーそれが山本伸一の確信であり、信念であった。
ここで伸一は、東洋文化圏と西洋文化圏の交流だけでなく、先進国といわれる「持てる北の諸国」と発展途上にある「持たざる南の諸国」の関係、いわゆる「南北」の交流にも言及していった。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋
人間と人間を対立させ、煽り立てる権利は、いかなる地位の人間にも断じてないーーそれが山本伸一の確信であり、信念であった。
ここで伸一は、東洋文化圏と西洋文化圏の交流だけでなく、先進国といわれる「持てる北の諸国」と発展途上にある「持たざる南の諸国」の関係、いわゆる「南北」の交流にも言及していった。
太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋