『新・人間革命』第19巻 宝塔の章 297P~
<宝塔の章 開始>
1974年(昭和49年)の4月28日、伸一は、北陸広布20周年を祝す記念総会に出席していた。「大聖人がこの世に広めようとされたものは、端的に申し上げれば『本尊』であります。では、その『本尊』の内容とは何か」
「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以て本尊と為す可し』とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」「つまり、大聖人の仏法は『一切の根源は"生命"それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは、まさに"人間生命"そのものである』という哲理であり、思想なのであります」明快な話であった。
日蓮大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せになっている。仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、湧現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
人間の生命に「仏」が具わり、"本尊"であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根本といってよい。その生命の哲理を、人類の共有財産として世界に伝え、平和を実現していくことこそ、自身の使命であると、伸一は決意していたのである。
「この仏法という生命の法理を原点として、あらためて人間とは何かを問い直し、新しき『人間の復興』をめざしているのが、私たちの広宣流布の大運動なのであります」そして、学会が、人間の復興のために、地域に根ざした広範な文化活動を展開し、社会の建設に取り組んでいることを訴えていった。
北陸は、浄土信仰が深く根を下ろしてきた地域である。その念仏の哀音と思想は、心の"なぐさめ"になったとしても、社会を変革・創造し、未来を切り開く理念とはなりえなかった。そうした仏教に慣らされてきた人びとにとっては、「生命の尊厳」の哲理を根本に、人間の復権をめざす創価学会の仏法運動は、衝撃的でさえあったようだ。
山本伸一の行動に休息はなかった。未来というゴールで勝つには、「今」が勝負である。この一瞬一瞬に勝たねばならない。
1972年(昭和47年)11月に開催された、第35回本部総会での山本会長の講演で、訴えたのである「世界のあらゆる国の民衆が、生きる権利をもっている。その生存の権利に目覚めた民衆運動が、今ほど必要な時はないのであります。私は、その運動を青年部に期待したい」
第二代戸田城聖は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と断じて、「原水爆禁止宣言」を発表したのである。
伸一は、戸田の弟子として、仏法者として、この思想を世界に弘めようと、東奔西走重ねてきた。そして、人類の生存の権利を守ろうとの思いから、さまざまな識者との対話も推進してきた。さらに、平和のための提言も行ってきた。この生存の権利を守る戦いを、彼は青年たちに委ね、未来に流れる、人間復権運動の大河を開こうとしていたのである。
伸一の講演を受けて、青年部では真剣に検討を重ねた。そして、翌1973年に行われた第21回男子部総会で、「生存の権利を守る青年部アピール」が採択されたのである。そこでは、戦争の廃絶や公害の絶滅
、生命軽視の風潮や暴力などとの戦いが掲げられていた。
青年部では、この方針をもとに、各地で、具体的な取り組みについて、協議が重ねられていった。
<宝塔の章 開始>
1974年(昭和49年)の4月28日、伸一は、北陸広布20周年を祝す記念総会に出席していた。「大聖人がこの世に広めようとされたものは、端的に申し上げれば『本尊』であります。では、その『本尊』の内容とは何か」
「それは、『御本尊七箇相承』に『汝等が身を以て本尊と為す可し』とある通り、あえて誤解を恐れずに申し上げれば、総じては『人間の生命をもって本尊とせよ』ということであります」「つまり、大聖人の仏法は『一切の根源は"生命"それ自体である。根本として大切にして尊敬を払っていくべきものは、まさに"人間生命"そのものである』という哲理であり、思想なのであります」明快な話であった。
日蓮大聖人は、「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せになっている。仏は、遠い彼方の世界にいるのではない。わが生命が本来、尊極無上の仏であり、南無妙法蓮華経の当体なのである。
ゆえに、自身の生命こそ、根本尊敬、すなわち本尊となるのである。そして、その自身の南無妙法蓮華経の生命を映し出し、湧現させるための「明鏡」こそが、大聖人が曼荼羅として顕された御本尊なのである。
人間の生命に「仏」が具わり、"本尊"であると説く、この仏法の哲理こそ、生命尊厳の確固不動の基盤であり、平和思想、人間主義の根本といってよい。その生命の哲理を、人類の共有財産として世界に伝え、平和を実現していくことこそ、自身の使命であると、伸一は決意していたのである。
「この仏法という生命の法理を原点として、あらためて人間とは何かを問い直し、新しき『人間の復興』をめざしているのが、私たちの広宣流布の大運動なのであります」そして、学会が、人間の復興のために、地域に根ざした広範な文化活動を展開し、社会の建設に取り組んでいることを訴えていった。
北陸は、浄土信仰が深く根を下ろしてきた地域である。その念仏の哀音と思想は、心の"なぐさめ"になったとしても、社会を変革・創造し、未来を切り開く理念とはなりえなかった。そうした仏教に慣らされてきた人びとにとっては、「生命の尊厳」の哲理を根本に、人間の復権をめざす創価学会の仏法運動は、衝撃的でさえあったようだ。
山本伸一の行動に休息はなかった。未来というゴールで勝つには、「今」が勝負である。この一瞬一瞬に勝たねばならない。
1972年(昭和47年)11月に開催された、第35回本部総会での山本会長の講演で、訴えたのである「世界のあらゆる国の民衆が、生きる権利をもっている。その生存の権利に目覚めた民衆運動が、今ほど必要な時はないのであります。私は、その運動を青年部に期待したい」
第二代戸田城聖は、「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」と断じて、「原水爆禁止宣言」を発表したのである。
伸一は、戸田の弟子として、仏法者として、この思想を世界に弘めようと、東奔西走重ねてきた。そして、人類の生存の権利を守ろうとの思いから、さまざまな識者との対話も推進してきた。さらに、平和のための提言も行ってきた。この生存の権利を守る戦いを、彼は青年たちに委ね、未来に流れる、人間復権運動の大河を開こうとしていたのである。
伸一の講演を受けて、青年部では真剣に検討を重ねた。そして、翌1973年に行われた第21回男子部総会で、「生存の権利を守る青年部アピール」が採択されたのである。そこでは、戦争の廃絶や公害の絶滅
、生命軽視の風潮や暴力などとの戦いが掲げられていた。
青年部では、この方針をもとに、各地で、具体的な取り組みについて、協議が重ねられていった。
太字は 『新・人間革命』第19巻より 抜粋