『新・人間革命』第18巻 飛躍の章 290P~
<飛躍の章 開始>
学会が「社会の年」と定めた1974年(昭和49年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。
この年の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、「仏法即社会」の原理のうえから、社会で勝利の実証を打ち立て、貢献していくことを誓うとともに、世界平和への深い祈りを捧げる集いとなった。
山本伸一は、「減劫御書」の一節を拝した。「大悪は大善の来るべき瑞相なり」「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同志打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります」
「筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信しいよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
「大悪」を「大善」に転じ、広宣流布を実現していくには"如設修行"すなわち、仏の教え通りに修行し、信心に励むことの大切さを訴えねばならないと思った。
"如説修行"の信心を貫くということは、形式をまねればよいということではないし、観念でもない。破邪顕正を深く心に誓い、正義の叫びを放ち、祈ることである。つまり、身・口・意の三業をもって、実践してこそ"如説修行"といえるのである。たとえ、信心強盛そうに見せかけても、身・口・意をもって、本気で信心を全うし抜かなければ、謗法と等しく、一生成仏はありえないのだ。伸一は訴えた。
「この"如説修行"こそ、私どもが夢にも忘れてはならない、創価学会の根本精神なのであります。」「それは、いつ、いかなる時代になっても、絶対に変わることがあってはならない。むしろ、仏法を社会に開いていけばいくほど、その精神を深めていかなければならない」信心という原点を互いに確認し合い、新しき年の出発を飾ったのである。
学会は、この年、"ヒューマン・プラザ"すなわち"人間広場"運動を推進していた。その具体的な実践の場を座談会とし、「人間的成長をはかる座談会を開こう」を活動方針として掲げ、前進を開始したのであった。座談会を大成功させるために、あらゆる角度からアドバイスを重ねていった。
座談会を開催する前後の家庭指導、個人指導の重要性についても語り合われた。さらに、座談会のあとの励ましが大事である。また、座談会の成功は団結にあることを確認し、中心幹部だけでなく、全員が主体者として立つことを訴えた。
座談会では、皆が中心者の自覚で、信心の喜びや仏法のすばらしさを叫びぬくのだ。「明るく、希望に燃えた座談会を開く秘訣はあるんでしょうか」と尋ねる壮年に、「特別な秘訣というのはありません。しかし、どれだけの人が功徳の体験を語れるかが勝負です。功徳の体験を披露できる人は、歓喜しているし、生命が躍動している。リーダーとして大事なことは、一人ひとりに功徳を受けさせようという、強い一念と行動です。」
「これが遠回りのように見えても、座談会に根本的な活力をもたらす直道なんです」「まず、あなた自身がしっかりと唱題し、学会活動に励んで、功徳の体験を積んでください。そして、それを生き生きと語っていくんです。さらに新しい人材が育っているかどうかです。」
「ともあれ、マンネリを打破するには、受け身であってはならない。自らが勇んで行動し、戦いを起こすことです」
この年、山本伸一は、年頭から作家の有吉佐和子、評論家の加藤周一の各氏らと意欲的に対談も重ねた。仏法を社会に開くために、各界の第一人者と対話を重ねていくことの大切さを、彼は痛感していたのである。
また、慶応大学会、東京大学会、女子大学会の総会や懇談会にも次々と出席した。彼は、21世紀の社会を担う、一騎当千のリーダーを育てることに必死であったのだ。
そして19日には、九州指導のため福岡に飛んだのである。今度は、九州で創価学会としての青年部総会、本部幹部会が行われるのである。各方面・県は、伸一の構想通りに、自立した力をもつようになり、これまで主に東京で行ってきた大行事を開催できるまでになっていたのである。
太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋
<飛躍の章 開始>
学会が「社会の年」と定めた1974年(昭和49年)は、第四次中東戦争、石油危機に始まった世界経済の激動のなかで幕を開けた。
この年の勤行会は「世界平和祈願広布勤行会」を兼ねて行われ、「仏法即社会」の原理のうえから、社会で勝利の実証を打ち立て、貢献していくことを誓うとともに、世界平和への深い祈りを捧げる集いとなった。
山本伸一は、「減劫御書」の一節を拝した。「大悪は大善の来るべき瑞相なり」「大聖人御在世当時、社会は、大地震や同志打ち、また、蒙古襲来と、乱れに乱れ、激動しておりました。しかし、大聖人は『決して、悲観すべきではない。むしろ、こういう時代こそ、仏法の広宣流布という大善が到来するのである』と宣言されているのであります」
「筆舌に尽くしがたい困難もあるでしょう。だが、どんな障害があろうが、『大悪は大善の来るべき瑞相』であると、強く、強く確信しいよいよ意気盛んに大飛躍を遂げてまいろうではありませんか!」
「大悪」を「大善」に転じ、広宣流布を実現していくには"如設修行"すなわち、仏の教え通りに修行し、信心に励むことの大切さを訴えねばならないと思った。
"如説修行"の信心を貫くということは、形式をまねればよいということではないし、観念でもない。破邪顕正を深く心に誓い、正義の叫びを放ち、祈ることである。つまり、身・口・意の三業をもって、実践してこそ"如説修行"といえるのである。たとえ、信心強盛そうに見せかけても、身・口・意をもって、本気で信心を全うし抜かなければ、謗法と等しく、一生成仏はありえないのだ。伸一は訴えた。
「この"如説修行"こそ、私どもが夢にも忘れてはならない、創価学会の根本精神なのであります。」「それは、いつ、いかなる時代になっても、絶対に変わることがあってはならない。むしろ、仏法を社会に開いていけばいくほど、その精神を深めていかなければならない」信心という原点を互いに確認し合い、新しき年の出発を飾ったのである。
学会は、この年、"ヒューマン・プラザ"すなわち"人間広場"運動を推進していた。その具体的な実践の場を座談会とし、「人間的成長をはかる座談会を開こう」を活動方針として掲げ、前進を開始したのであった。座談会を大成功させるために、あらゆる角度からアドバイスを重ねていった。
座談会を開催する前後の家庭指導、個人指導の重要性についても語り合われた。さらに、座談会のあとの励ましが大事である。また、座談会の成功は団結にあることを確認し、中心幹部だけでなく、全員が主体者として立つことを訴えた。
座談会では、皆が中心者の自覚で、信心の喜びや仏法のすばらしさを叫びぬくのだ。「明るく、希望に燃えた座談会を開く秘訣はあるんでしょうか」と尋ねる壮年に、「特別な秘訣というのはありません。しかし、どれだけの人が功徳の体験を語れるかが勝負です。功徳の体験を披露できる人は、歓喜しているし、生命が躍動している。リーダーとして大事なことは、一人ひとりに功徳を受けさせようという、強い一念と行動です。」
「これが遠回りのように見えても、座談会に根本的な活力をもたらす直道なんです」「まず、あなた自身がしっかりと唱題し、学会活動に励んで、功徳の体験を積んでください。そして、それを生き生きと語っていくんです。さらに新しい人材が育っているかどうかです。」
「ともあれ、マンネリを打破するには、受け身であってはならない。自らが勇んで行動し、戦いを起こすことです」
この年、山本伸一は、年頭から作家の有吉佐和子、評論家の加藤周一の各氏らと意欲的に対談も重ねた。仏法を社会に開くために、各界の第一人者と対話を重ねていくことの大切さを、彼は痛感していたのである。
また、慶応大学会、東京大学会、女子大学会の総会や懇談会にも次々と出席した。彼は、21世紀の社会を担う、一騎当千のリーダーを育てることに必死であったのだ。
そして19日には、九州指導のため福岡に飛んだのである。今度は、九州で創価学会としての青年部総会、本部幹部会が行われるのである。各方面・県は、伸一の構想通りに、自立した力をもつようになり、これまで主に東京で行ってきた大行事を開催できるまでになっていたのである。
太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋