『新・人間革命』第18巻 師恩の章 122P~

「いくらでも学ぶことがある。しかし、朝顔を一つ見て、"これが朝顔か。もうわかった"と思う人もいる。それは、人間としてまだ浅いんです。同様に妙法蓮華経というのは、宇宙の根本法則であり、もっと難信難解の訪問なんです。それをわかったつもりになるというのは、"未だ得ざるを為れ得たり"と思う、増上慢の姿です」

伸一は、勤行の大切さをあらゆる角度から語っていった。「どんな険路でも、エンジンが協力で快調であれば、車は前進することができる。このエンジンに該当する、何ものにも負けない挑戦と創造の原動力が勤行なんです。勤行し、しっかりお題目を唱えている人は、最強のエンジンがフル回転しているようなものです。」

「人生には必ず悩みはある。大変だな、辛いなと思うことも、題目を唱え抜いていくならば、むしろ、成長のための養分とし、自身の跳躍台にすることができる。すべて善知識に変えていけるのが信心です」

彼らは一途に求道心を燃やし、仏法の師を求め抜いた。総会といえば、海外をはじめ、遠隔地からも駆けつけてきた。

宗門の悪僧によって、理不尽な学会攻撃が繰り返され、伸一が事態を収拾するために第三代会長を退き、名誉会長になった1979年。それは、弟子が師匠を求めて、「先生!」と言って慕っていくことさえ、嫉妬の坊主から圧迫されるという、異常な状況がつくりだされていた時期である。そのなかで「白糸会」の勇者たちは、5月3日を記念し、弟子の誓いを届けたのだ。

伸一は、玄関でメンバーを歓迎した。「みんな成長したな。今、本当の広宣流布の攻防戦が始まったんだ。これから面白くなるぞ!」毎年会うたびに、生命を揺さぶる思いで、入魂の指導を重ねた。

「白糸会」の結成30周年にあたる1998年8月、伸一は、約束した「白糸の碑」を、原点地である白糸研修道場に建てた。

今、「白糸会」は、結成から幾十星霜の年輪を刻み、既に他界した人もいる。後継の子どもたちの成長も目覚ましい。メンバーの大多数は、いわゆるエリートではない。むしろ、庶民の集いといってもよい。「白糸会」には、見栄も格好もかなぐり捨てた土着の強さがある。実はそれこそが、真の人材たる要件といえよう。

互いに連携を取り、励まし合い、切磋琢磨し合いながら、「青春時代の誓いを断じて果たそう」『山本先生の恩に報いよう』と、滝の如く撓まず、懸命に前進してきた。風雪を乗り越えて、遂に彼らは勝ったのだ。

伸一は、戸田の故郷・厚田村を訪れた。伸一の厚田訪問は、13年ぶり3度目であった。村の有志による「村民の集い」が行われることになっており、伸一は招待を受けていたのである。

伸一が初めて戸田と共に熱田を訪れた1954年の8月には、また、学会員は誕生していなかった。その翌年小樽から折伏に来た学会員の勧めで、山内夫妻ら数世帯が入会する。

小樽の幹部を招いての座談会では、猛吹雪で、遭難の危険さえあるなか、6、7時間をかけやってきた同志の熱い心に触れた。それこそ、「学会の心」であった。

厚田村は戸田の故郷ではあっても、当時は、決して創価学会への理解が進んでいるわけではなかった。

「厚田は、戸田先生の故郷ではないか。だからこそ、なんとしても、広宣流布の模範の天地にしてみせる!」厚田の同志は、そう誓い合い、歯を食いしばって戦い抜いた。


戸田の逝去の悲しみのなか、山本室長が、「7つの鐘」の指針を発表。厚田の同志は、深い悲しみの暗雲を破り心に燦たる一条の光が走るのを感じた。"山本室長は、厳然と立たれた!弟子が立ち上がり、戦う時代が来たのだ。戸田先生が亡くなった今、先生の故郷に生きる、厚田の私たちが立ち上がらなくてどうするのだ!"メンバーは誓いを新たにした。


太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

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