『新・人間革命』第18巻 師恩の章 101P~

<師恩の章 開始>

師の雄叫びを聞くや、瞬時にして奮い立つ弟子ーーこの師弟の呼吸が合致し、師弟の大精神が貫かせてこそ、広宣流布は永遠なる大河の流れとなるのである。

"必要なのは真正の弟子だ。学会精神が全身に脈打つ、後継の人材を育てねばならぬ!"伸一は、そう固く決意し、1973年(昭和48年)の夏期講習会を迎えた。

8月3日、伸一は、白糸研修所で行われた「白糸会」の集いに出席した。
「白糸会」の淵源は1968年の夏期講習会にさかのぼる。講習会参加者のなかから、各総合本部で一人ずつ、役職は隊長で、年齢は25歳以下という条件で代表メンバーを人選してもらい、55人が研修所に集ったのだ。

一緒に釣りをしたり、ボートに乗ったり、キャンプファイアーをしながら懇談した。伸一は、4年後の第7の鐘が始まる年に、支部幹部等になって活躍している人には 記念撮影した写真の裏に私が署名をすると約束した。この時、全国から集った55人の青年たちの胸深く、飛翔の原点が刻まれたのだ。

4年後、メンバーが再開を待ち望んでいることを聞いた山本伸一は、「この4年間は、激動の歳月だった。言論問題もあった。政治権力が躍起になって学会を攻撃し、一部のマスコミもそれに同調した。批判を恐れ、学会を離れていった人もいた。そのなかで、誓いを忘れずにいてくれたことが嬉しいね。」

「人間の真価は、嵐がなければわからない。大聖人も『賢聖は罵詈して試みるべし』と仰せだもの。私は、試練を乗り越えて、私のもとに集おうとする青年の心意気を大切にしたいんだ。」

この4年の間に、学会の組織はタテ線からヨコ線のブロック組織に移行していたが、かつての支部幹部に相当する、総ブロック幹部以上の立場で活躍している人は、36人に上った。

人間には目標が必要である。「曖昧な的に向かって放たれた矢が当たるわけはない」とは、牧口初代会長の箴言である。

この二回目の集いで、伸一は、メンバーを「白糸会」と命名した。また、彼の詩集『青年の譜』を全員に贈り、白糸会の会合のたびごとに、伸一の印を押すようにし、前進の歩みの刻印としていきたいと語ったのである。

伸一は、この1972年の懇談の折、土井晩翠作詞の中等唱歌「ウオーターロー(ワーテルロー)」の歌を、皆で歌うよう提案した。この歌は、ナポレオンがワーテルローの戦いで敗北を喫し、世界の歴史が変わった瞬間のフランス軍とイギリス・プロイセン連合軍との壮絶な戦いをうたったものである。

伸一は「二番の歌詞の最後に『運命非なり ああ仏蘭西』とあるが、学会は、断じて破れるわけにはいかない。もしも、将来、学会が窮地に立ち至ったならば、その時こそ、諸君が立ち上がり、必ず活路を開くのだ。それが『白糸会』の使命だ。いかなる事態になっても、最後まで戦い抜き、学会を守り抜いてほしい。これは私の遺言です。頼むぞ!」厳粛な語らいであった。

結成5周年記念総会が白糸研修所で開催され、キャンプファイヤーの薪が焚かれた。「燃え盛る炎は君たちの闘魂の象徴だ。今は皆、真剣だろうし、広宣流布への情熱を燃え上がらせているにちがいない。大事なことは、一生涯、灰になって燃え尽きる時まで、自信を完全燃焼させていくことだ。」

「幹部になり、慣れてくると、学会のことも、仏法のこともわかったような気になって、"こんなものか"と思い込んでしまう場合がある。それは求道心が乏しく、慢心になってしまったということなんです。たとえば、朝顔の花を見ても、・・朝顔から生命の不可思議さをも知り、自分は、まだまだ何もわかっていないのだと感じるはずです。」



太字は 『新・人間革命』第18巻より 抜粋

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