『新・人間革命』第17巻 民衆城の章 277P~
その時、伸一から、烈々たる決意のほとばしる葉書が、各班長に届いたのである。わずかな間に、何通もの激励の手紙をもらったメンバーもいた。
「山本部隊長は、あれほど多忙ななかで、手紙を書き、われわれの弱い心を打ち破ろうとしていてくださっている。戦おう!断じて勝利しよう!」同志は奮い立った。その息吹は、全部員に波動し、拡大への燎原の火のごとき、大前進が始まったのである。
さらに、第一部隊の臨時の決起大会が開かれ、参加者に1枚の印刷物が配られ、そこには、「わが親愛なる同志諸君に告ぐ」との伸一が自費で作った活版刷りの檄文の文字が躍っていた。
檄文では、青年部の歴史をたどり、このたびの部隊一千人結集の意義を述べたあと、自らの決意を託した歌が書かれていた。そして、広宣流布の使命を果たすうえで、4つの心構えが必要であると訴えていた。
班長たちは、決起大会に参加できなかった人には、その檄文を配って歩いた。伸一の心を伝え、全員が呼吸を合わせ、同じ一念で進もうと必死であった。そこに、鉄の団結が生まれていった。
男子部総会まで、二週間を切った日にも、再び伸一は、総結集を呼びかける檄文を送った。その文面には、"全部員を意義ある大総会に参加させたい。参加できずに、生涯、悔いを残させるようなことがあってはならない"との、情熱がほとばしっていた。
「残り13日、人生をかけた戦いをしよう!」「自分の新しい歴史をつくる挑戦をしよう!」
皆が発奮した。断じて勝つと心を定めた同志の力はすさまじかった。そして、男子部総会では、第一部隊は目標の千人を優に超える大結集を成し遂げたのである。
並田辰也の班は部員は20人ほどであり、メンバーは東京のほか、埼玉の羽生方面に点在していた。彼は、決意した。"石にかじりついても、班で百人の結集をしてみせる!これは山本部隊長との約束だ"並田は鉄鋼関係の工場に勤め、三交代の不規則勤務のなか、平日は都内の部員の激励にあたり、週末には、泊りがけで埼玉に出かけ、部員の指導や弘教に走った。
そして、遂に総会では、埼玉で50人、東京で50人を超える結集を成し遂げたのだ。埼玉のメンバーは、大型の貸し切りバスでやってきた。
伸一は、会場の前まで自らバスを誘導し、バスは、会場の前に横付けされた。その場にいた青年たちの大拍手に迎えられ、埼玉の同志は、勝ち誇ったように、学会歌を高らかに歌いながらバスを降りた。どの顔も輝いていた。どの顔も晴れやかであった。広宣流布のために戦い抜いた大歓喜の境涯こそ、人間としての勝利の証なのだ。
第一部隊の部員数は、当初の4倍近くまでに拡大した。また、第一部隊からは、広宣流布の多彩な人材が陸続と育っていったのである。
あの区にも、あの地にも、「広布第二章」の新出発の原点をつくりたいーー山本伸一は、固く、固く、決意していた。
4月29日、大田区のメンバーとの記念撮影会が行われた。それは、一年前、ヨーロッパ訪問の飛行機の中で、沢口幸雄という男子部ブロック長との約束を果たすためでもあった。以来、一年ぶりの再会であった。沢口は、一青年にすぎない自分との約束を果たしてくれた山本会長の誠実さに、深い感動を覚えた。
記念撮影会には、伊豆諸島の大島や八丈島、三宅島、新島、神津島、さらに小笠原諸島からもメンバー142人が集っていた。その報告を受けた伸一は、離島からの参加者に激励し、声を嗄らしながら訴えていった。沢口はその姿を目の当たりにして、伸一が自分の命を削って生命力を皆に分け与えているかのように思えた。
"この一日で、大田の同志をどこまで励まし、一人ひとりの胸中深く、発心の種子を植えることができるか"時間は限られている。彼は必死だった。
人の心を変えるには、必ずしも、長い時間が必要とは限らない。人の心が変化するのは"瞬間"である。一瞬に一念を凝縮し、真剣勝負で挑む時、触発と共感の電撃が発し、人の心を変えていくのだ。懸命こそが力である。
太字は 『新・人間革命』第17巻より 抜粋
その時、伸一から、烈々たる決意のほとばしる葉書が、各班長に届いたのである。わずかな間に、何通もの激励の手紙をもらったメンバーもいた。
「山本部隊長は、あれほど多忙ななかで、手紙を書き、われわれの弱い心を打ち破ろうとしていてくださっている。戦おう!断じて勝利しよう!」同志は奮い立った。その息吹は、全部員に波動し、拡大への燎原の火のごとき、大前進が始まったのである。
さらに、第一部隊の臨時の決起大会が開かれ、参加者に1枚の印刷物が配られ、そこには、「わが親愛なる同志諸君に告ぐ」との伸一が自費で作った活版刷りの檄文の文字が躍っていた。
檄文では、青年部の歴史をたどり、このたびの部隊一千人結集の意義を述べたあと、自らの決意を託した歌が書かれていた。そして、広宣流布の使命を果たすうえで、4つの心構えが必要であると訴えていた。
班長たちは、決起大会に参加できなかった人には、その檄文を配って歩いた。伸一の心を伝え、全員が呼吸を合わせ、同じ一念で進もうと必死であった。そこに、鉄の団結が生まれていった。
男子部総会まで、二週間を切った日にも、再び伸一は、総結集を呼びかける檄文を送った。その文面には、"全部員を意義ある大総会に参加させたい。参加できずに、生涯、悔いを残させるようなことがあってはならない"との、情熱がほとばしっていた。
「残り13日、人生をかけた戦いをしよう!」「自分の新しい歴史をつくる挑戦をしよう!」
皆が発奮した。断じて勝つと心を定めた同志の力はすさまじかった。そして、男子部総会では、第一部隊は目標の千人を優に超える大結集を成し遂げたのである。
並田辰也の班は部員は20人ほどであり、メンバーは東京のほか、埼玉の羽生方面に点在していた。彼は、決意した。"石にかじりついても、班で百人の結集をしてみせる!これは山本部隊長との約束だ"並田は鉄鋼関係の工場に勤め、三交代の不規則勤務のなか、平日は都内の部員の激励にあたり、週末には、泊りがけで埼玉に出かけ、部員の指導や弘教に走った。
そして、遂に総会では、埼玉で50人、東京で50人を超える結集を成し遂げたのだ。埼玉のメンバーは、大型の貸し切りバスでやってきた。
伸一は、会場の前まで自らバスを誘導し、バスは、会場の前に横付けされた。その場にいた青年たちの大拍手に迎えられ、埼玉の同志は、勝ち誇ったように、学会歌を高らかに歌いながらバスを降りた。どの顔も輝いていた。どの顔も晴れやかであった。広宣流布のために戦い抜いた大歓喜の境涯こそ、人間としての勝利の証なのだ。
第一部隊の部員数は、当初の4倍近くまでに拡大した。また、第一部隊からは、広宣流布の多彩な人材が陸続と育っていったのである。
あの区にも、あの地にも、「広布第二章」の新出発の原点をつくりたいーー山本伸一は、固く、固く、決意していた。
4月29日、大田区のメンバーとの記念撮影会が行われた。それは、一年前、ヨーロッパ訪問の飛行機の中で、沢口幸雄という男子部ブロック長との約束を果たすためでもあった。以来、一年ぶりの再会であった。沢口は、一青年にすぎない自分との約束を果たしてくれた山本会長の誠実さに、深い感動を覚えた。
記念撮影会には、伊豆諸島の大島や八丈島、三宅島、新島、神津島、さらに小笠原諸島からもメンバー142人が集っていた。その報告を受けた伸一は、離島からの参加者に激励し、声を嗄らしながら訴えていった。沢口はその姿を目の当たりにして、伸一が自分の命を削って生命力を皆に分け与えているかのように思えた。
"この一日で、大田の同志をどこまで励まし、一人ひとりの胸中深く、発心の種子を植えることができるか"時間は限られている。彼は必死だった。
人の心を変えるには、必ずしも、長い時間が必要とは限らない。人の心が変化するのは"瞬間"である。一瞬に一念を凝縮し、真剣勝負で挑む時、触発と共感の電撃が発し、人の心を変えていくのだ。懸命こそが力である。
太字は 『新・人間革命』第17巻より 抜粋