『新・人間革命』第16巻 羽ばたきの章 P242~
伸一は、彼女が総ブロック委員をしていることを聞き、「同じ学会活動をしていても、自由なな立場で、気ままに動いている人もいるでし ょう。そうした人を見て"いいな"と思うこともあるかもしれないが、苦労した分だけ、すべて自らの功徳、福運になる。それが仏法の因果の理法であり、その事を確信できるかどうかです。」と語った。
伸一は、彼女が総ブロック委員をしていることを聞き、「同じ学会活動をしていても、自由なな立場で、気ままに動いている人もいるでし ょう。そうした人を見て"いいな"と思うこともあるかもしれないが、苦労した分だけ、すべて自らの功徳、福運になる。それが仏法の因果の理法であり、その事を確信できるかどうかです。」と語った。
一生成仏への道は、わが生命を磨くことであり、自行化他の題目、つまり広宣流布の活動のなかにこそ、自身の生命を磨き、絶対益幸福境涯を築く道がある。これが、日蓮仏法の教えなのである。
ゆえに、学会員は、そのご指導のままに、皆が「冥の照覧」を、そして、「陰徳あれば陽報あり」の御門を確信し、わが信念としてきたのだ。だから、世間的な利害や損得をかなぐり捨て、広宣流布のため、仏法のために、勇んで苦労を買ってでた。
そこにこそ、創価学会の強さがあり、清らかさがあり正義がある。しかし、この生命の因果の法則を見失い、「己心の外」に絶対的幸福の方法があるように錯覚し、権勢を求めたり、名聞名利や保身に走るならば、それは、仏法からの逸脱であり、浅ましき外道の姿である。
そうなれば、学会も、広宣流布も蝕まれ、崩壊していくことになる。それだけに、雪深い町で、総ブロック委員として、皆の幸福のために献身する大鳥スギに、彼は心から称賛を惜しまなかったのだ。
伸一が、去ると、今度は妻の峯子が大鳥に声をかけた。十分な時間がとれない伸一に代わって、話を聞くためである。峯子は多忙な伸一を、自分がどうすれば、支え、補うことができるか、常に心を砕いてきたのである。
伸一にとって、峯子は、共に広宣流布の大願に生きる、かけがえのない同志であり、会長の重責を担っていくうえで、必要不可欠な「戦友」でもあった。
7月11日、山本伸一は秋田に移動した。会館は、救援対策本部の観を呈した。記念撮影の対象で会ったメンバーへの激励大会がもたれていた。伸一は、会場の前方にくるとにこやかに語りかけた。
「大事なことは、ここから、どうしていくかです。長い人生には、災害だけでなく、倒産、失業、事故、愛する人との死など、さまざまな窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。むしろ、試練と苦難の明け暮れこそが人生であり、それが生きるということであると言っても、決して過言ではない。」
「では、どうすれば、苦難に負けずに、人生の真の勝利を飾れるか。仏法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです。信心によって、どんな最悪な事態も、功徳、幸福へと転じていけることを示した原理です。これを大確信することです。
「この原理は、見方を変えれば、成仏、幸福という『薬』を得るには、苦悩という『毒』を克服しなければならないことを示しています。いわば、苦悩は幸福の花を咲かせゆく種子なんです。だから、苦難を恐れてはなりません。敢然と立ち向かっていくことです。」
「もう一つ大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです。もし、災害に遭った同志の皆さんが、堂々と再起していくことができれば、変毒為薬の原理を明らかにし、仏法の偉大さを社会に示すことができる。実はそのための苦難なんです。」
記念撮影会が中止になったのは、信心に問題があるからなのかと質問した青年には、自然現象だから、どんなに信心強盛な人でも、台風や大雪にも遭う。しかし、それをいちいち信心に結び付けくよくよ悩む必要はない。結果にとらわれ、力が出ないのでは、信心の意味はない。次は、大成功させるぞと新たな気持ちでスタートすればよいと指導。
「どんな時も、未来へ未来へと、希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が、人生の勝利なんです。信心の証明なんです」と話した。
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋
ゆえに、学会員は、そのご指導のままに、皆が「冥の照覧」を、そして、「陰徳あれば陽報あり」の御門を確信し、わが信念としてきたのだ。だから、世間的な利害や損得をかなぐり捨て、広宣流布のため、仏法のために、勇んで苦労を買ってでた。
そこにこそ、創価学会の強さがあり、清らかさがあり正義がある。しかし、この生命の因果の法則を見失い、「己心の外」に絶対的幸福の方法があるように錯覚し、権勢を求めたり、名聞名利や保身に走るならば、それは、仏法からの逸脱であり、浅ましき外道の姿である。
そうなれば、学会も、広宣流布も蝕まれ、崩壊していくことになる。それだけに、雪深い町で、総ブロック委員として、皆の幸福のために献身する大鳥スギに、彼は心から称賛を惜しまなかったのだ。
伸一が、去ると、今度は妻の峯子が大鳥に声をかけた。十分な時間がとれない伸一に代わって、話を聞くためである。峯子は多忙な伸一を、自分がどうすれば、支え、補うことができるか、常に心を砕いてきたのである。
伸一にとって、峯子は、共に広宣流布の大願に生きる、かけがえのない同志であり、会長の重責を担っていくうえで、必要不可欠な「戦友」でもあった。
7月11日、山本伸一は秋田に移動した。会館は、救援対策本部の観を呈した。記念撮影の対象で会ったメンバーへの激励大会がもたれていた。伸一は、会場の前方にくるとにこやかに語りかけた。
「大事なことは、ここから、どうしていくかです。長い人生には、災害だけでなく、倒産、失業、事故、愛する人との死など、さまざまな窮地に立つことがある。順調なだけの人生などありえません。むしろ、試練と苦難の明け暮れこそが人生であり、それが生きるということであると言っても、決して過言ではない。」
「では、どうすれば、苦難に負けずに、人生の真の勝利を飾れるか。仏法には『変毒為薬』つまり『毒を変じて薬と為す』と説かれているんです。信心によって、どんな最悪な事態も、功徳、幸福へと転じていけることを示した原理です。これを大確信することです。
「この原理は、見方を変えれば、成仏、幸福という『薬』を得るには、苦悩という『毒』を克服しなければならないことを示しています。いわば、苦悩は幸福の花を咲かせゆく種子なんです。だから、苦難を恐れてはなりません。敢然と立ち向かっていくことです。」
「もう一つ大事なことは、自分が今、窮地に陥り、苦悩しているのはなんのためかという、深い意味を知ることです。もし、災害に遭った同志の皆さんが、堂々と再起していくことができれば、変毒為薬の原理を明らかにし、仏法の偉大さを社会に示すことができる。実はそのための苦難なんです。」
記念撮影会が中止になったのは、信心に問題があるからなのかと質問した青年には、自然現象だから、どんなに信心強盛な人でも、台風や大雪にも遭う。しかし、それをいちいち信心に結び付けくよくよ悩む必要はない。結果にとらわれ、力が出ないのでは、信心の意味はない。次は、大成功させるぞと新たな気持ちでスタートすればよいと指導。
「どんな時も、未来へ未来へと、希望を燃やし、力強く前進していくならば、それ自体が、人生の勝利なんです。信心の証明なんです」と話した。
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋