『新・人間革命』第14巻 大河の章 P343~
1972年(昭和47年)未来会の代表などで、21世紀会が結成された。伸一は、中核のなかの中核をつくり、彼自身が、直接21世紀のリーダーを、手塩にかけて育て上げていこうと考えていたのである。
彼は、各地の未来会の会合などでは、学会の真実の歴史を、ありのままに語るように心がけた。また、伸一は、人生の哲学も語った。伸一は、メンバーと相撲も取った。ともに、バレーボールに興じたこともあった。まさに、体当たりでメンバーの育成に取り組んでいったといってよい。
21世紀のために、後継の人材を必死になって育てようとする伸一の一念を、若い魂はびんびんと感じ取っていった。
1972年(昭和47年)未来会の代表などで、21世紀会が結成された。伸一は、中核のなかの中核をつくり、彼自身が、直接21世紀のリーダーを、手塩にかけて育て上げていこうと考えていたのである。
彼は、各地の未来会の会合などでは、学会の真実の歴史を、ありのままに語るように心がけた。また、伸一は、人生の哲学も語った。伸一は、メンバーと相撲も取った。ともに、バレーボールに興じたこともあった。まさに、体当たりでメンバーの育成に取り組んでいったといってよい。
21世紀のために、後継の人材を必死になって育てようとする伸一の一念を、若い魂はびんびんと感じ取っていった。
東京未来会第二期のメンバー福田朝子は、結成式で皆が蚊に食われないようにと、蚊取り線香の煙を、盛んに団扇で扇いで送ってくれる山本会長の姿が、深く心に焼き付いて離れなかった。彼女の家族は信心に積極的ではなかったが、叔母に励まされ、勤行をするようになると、幾つもの体験をつかみ、その感動や喜びを、うれしくて友達に語った。
すると、それが親たちの間で噂になり、言いもしないことまで、言ったことにされた。"大人たちは、こうやって嘘をつくのか・・・"いたたまれぬ気持だった。その時、婦人部の幹部が、「悔しいでしょう。でも、今は勉強で実証を示すしかないわ」と励ましてくれた。
彼女は猛勉強に励み、お茶の水女子大に進み、卒業後、女子部書記長を経て、婦人部の書記長に就任し、青春の誓いを胸に「女性の新世紀」のニューリーダーとして羽ばたいたのである。
谷山春樹も、若き日に、山本伸一の指導に奮い立った一人である。大きな期待を痛いほど感じ、この師の期待を、絶対に裏切るまいと思った。彼は東大に進み、あえて商社マンとなってから本部職員となり、学生部長、男子部長、青年部長などを歴任。新世紀のニューリーダーとして、新しき勝利の歴史を築いていくことになる。
九州未来会1期の柳井武志は、医師となり大学病院に勤め、博士号取得を目指していたが、次第に活動から遠ざかっていた。研究も行き詰っていた。広宣流布という人生の根本の軌道を外れれば、待っているのは空転でしかない。
山本伸一は 広島を訪問した折、彼を招き、柳井は役員として陰の仕事の手伝いを頼んだ。この若い医師に、民衆のために働き、奉仕する気高き学会の精神を、思い起こしてほしかったのだ。医学の心も、広宣流布の精神も、そこにあるからだ。
柳井は、汗まみれになって、必死に会員を励ます伸一の姿に、自分の生き方を恥じた。"先生との誓いを忘れていたんだ!"帰り際、伸一は「負けてはいけないよ」と言った。その言葉に、自身を取り戻した柳井は、もう一度信心で立とうと思った。そして、博士号を取ることができ、人間医学のパイオニアとしての道を歩きはじめるのである。
伸一は、未来会のメンバーのことを忘れた時はなかった。若き苗が、使命の大樹へと育ちゆくには、身悶えするような苦闘と精進の歳月が不可欠である。いくたびもの、風雪と嵐を経なければならない。伸一は、未来会のメンバーに、常に、そのことを訴え続けてきた。
研修所に新しい道をつくるため、ともに、石拾いや草むしりの作業に励んだ。疲れを訴える小学生には、「道をつくることは、重労働だ。でも、道ができれば、みんながそこを歩けるようになる。ぼくは君たちのために、懸命に道を開いておくよ。君たちは、さらに、その先の、未来への道を開いていくんだよ。それが指定の大道だ」
ある時は、厳しい口調で訴えた。「甘えてはいけない。君が山本伸一なんだ。君が会長なんだ。私の分身なんだ。自分がいる限り大丈夫だといえるようになっていきなさい」
毎回、毎回、真剣勝負の育成だった。その情熱が、その一念が、その祈りが、若き魂を揺り動かした。父から子へ、21世紀へ、創価の精神は、厳然と受け継がれていったのである。
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋
すると、それが親たちの間で噂になり、言いもしないことまで、言ったことにされた。"大人たちは、こうやって嘘をつくのか・・・"いたたまれぬ気持だった。その時、婦人部の幹部が、「悔しいでしょう。でも、今は勉強で実証を示すしかないわ」と励ましてくれた。
彼女は猛勉強に励み、お茶の水女子大に進み、卒業後、女子部書記長を経て、婦人部の書記長に就任し、青春の誓いを胸に「女性の新世紀」のニューリーダーとして羽ばたいたのである。
谷山春樹も、若き日に、山本伸一の指導に奮い立った一人である。大きな期待を痛いほど感じ、この師の期待を、絶対に裏切るまいと思った。彼は東大に進み、あえて商社マンとなってから本部職員となり、学生部長、男子部長、青年部長などを歴任。新世紀のニューリーダーとして、新しき勝利の歴史を築いていくことになる。
九州未来会1期の柳井武志は、医師となり大学病院に勤め、博士号取得を目指していたが、次第に活動から遠ざかっていた。研究も行き詰っていた。広宣流布という人生の根本の軌道を外れれば、待っているのは空転でしかない。
山本伸一は 広島を訪問した折、彼を招き、柳井は役員として陰の仕事の手伝いを頼んだ。この若い医師に、民衆のために働き、奉仕する気高き学会の精神を、思い起こしてほしかったのだ。医学の心も、広宣流布の精神も、そこにあるからだ。
柳井は、汗まみれになって、必死に会員を励ます伸一の姿に、自分の生き方を恥じた。"先生との誓いを忘れていたんだ!"帰り際、伸一は「負けてはいけないよ」と言った。その言葉に、自身を取り戻した柳井は、もう一度信心で立とうと思った。そして、博士号を取ることができ、人間医学のパイオニアとしての道を歩きはじめるのである。
伸一は、未来会のメンバーのことを忘れた時はなかった。若き苗が、使命の大樹へと育ちゆくには、身悶えするような苦闘と精進の歳月が不可欠である。いくたびもの、風雪と嵐を経なければならない。伸一は、未来会のメンバーに、常に、そのことを訴え続けてきた。
研修所に新しい道をつくるため、ともに、石拾いや草むしりの作業に励んだ。疲れを訴える小学生には、「道をつくることは、重労働だ。でも、道ができれば、みんながそこを歩けるようになる。ぼくは君たちのために、懸命に道を開いておくよ。君たちは、さらに、その先の、未来への道を開いていくんだよ。それが指定の大道だ」
ある時は、厳しい口調で訴えた。「甘えてはいけない。君が山本伸一なんだ。君が会長なんだ。私の分身なんだ。自分がいる限り大丈夫だといえるようになっていきなさい」
毎回、毎回、真剣勝負の育成だった。その情熱が、その一念が、その祈りが、若き魂を揺り動かした。父から子へ、21世紀へ、創価の精神は、厳然と受け継がれていったのである。
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋