『新・人間革命』第14巻 大河の章 P294~
<大河の章 開始>
人類の幸福と平和の大海原をめざす創価の流れは、いよいよ「渓流」から、「大河」の時代へと入った。
1970年(昭和45年)5月3日。山本伸一の会長就任10周年となる第33回本部総会が、行われた。伸一は、10周年の意義に触れ、これからの10年は、「創業の時代」「建設の時代」を終え、「完成期」に入ったとして、社会での一人ひとりの活躍が、最も望まれることを訴えた。
そこから、彼の話は、広宣流布観へと移った。「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。大聖人の仏法は本因妙の仏法であり、常に未来に広がっていく正法であります。」
「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります。」広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。
さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは"妙法の大地に展開する大文化運動"であると定義づけたのである。そして、「いっさいの人びとを包容しつつ、民衆の幸福と勝利のための雄大な文化建設をなしゆく使命と実践の団体が創価学会である」と語り、こう呼びかけた。
「私どもは『社会に信頼され、親しまれる学会』をモットーに、再び、さっそうと忍耐強く進んでいきたいと思いますが、皆さん、いかがでありましょうか!」参加者は、崇高な社会建設の使命を、一段と深く自覚したのである。
伸一は、あの「言論・出版問題」に言及していった。「今度の問題は、学会のことを『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思います。ゆえに、"言論妨害"というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動がすべて"言論妨害"と受け取られ、関係者の方に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳なく、残念でなりません。」
「名誉を守るためとはいえ、私どもはこれまで、批判に対して神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります」伸一は、頭を下げた。
"先生が、なぜ謝らなければならないのだ!"ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。"私たちは、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ"
言論の自由の尊さを述べた伸一は、さらに、「本門の戒壇」は「国立戒壇」の必要などまったくないこと、政治進出は戒壇建立のための手段では絶対にないことを改めて確認したのである。
次いで、学会と公明党の関係についても明らかにしていった。学会は、公明党の支持団体として、党を支援するが、組織的には双方を明確に分離することを述べたのである。今後も、学会と党は一線を画し、社会的にも、分離のかたちが明らかになるように5点にわたる原則を発表したのである。
さらに、自分自身、宗教人として生き抜く決意であり、政界に出るようなことは決してないと、重ねて明確に語った。これまでにも、折に触れて、語ってきたことであった。しかし、謀略的な噂を打ち破るために、再度、その考えを明らかにしたのである。
ーーーーー
<一言コメント>
「大河の章」の連載中、「新・人間革命」執筆開始より10年となった2003年8月に
池田先生は「寄稿10周年」と題する随筆を発表した。
その中で、執筆に対する思いを記されている。
「私の胸には、言論の闘争の決意がたぎっている。広宣流布の大道は、今つくるしかないからだ」
「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる」と。
言論・出版問題は「広宣流布の流れは、渓流より大河の流れ」となり、
「広宣流布の波が広がり、人間主義に目覚めた民衆勢力が台頭し、時代の転換点を迎えた」
転換期に起こった、会長就任以来、初めての大試練だった。
しかし、池田先生は、
「最も理想的な社会の模範となる創価学会をつくろう」という決意を一段と強くし、
障魔の嵐を、「未来への新たな大飛躍台」としていったのだ。
逆風を追い風に転じるところに、「学会の強さがある」
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋
<大河の章 開始>
人類の幸福と平和の大海原をめざす創価の流れは、いよいよ「渓流」から、「大河」の時代へと入った。
1970年(昭和45年)5月3日。山本伸一の会長就任10周年となる第33回本部総会が、行われた。伸一は、10周年の意義に触れ、これからの10年は、「創業の時代」「建設の時代」を終え、「完成期」に入ったとして、社会での一人ひとりの活躍が、最も望まれることを訴えた。
そこから、彼の話は、広宣流布観へと移った。「広宣流布とは決してゴールではありません。何か特別な終着点のように考えるのは、仏法の根本義からしても、正しくないと思います。大聖人の仏法は本因妙の仏法であり、常に未来に広がっていく正法であります。」
「広宣流布は、流れの到達点ではなく、流れそれ自体であり、生きた仏法の、社会への脈動なのであります。」広宣流布が「流れそれ自体」ということは、間断なき永遠の闘争を意味する。ゆえに、広布に生きるとは永遠に戦い続けることだ。
さらに伸一は、「宗教は文化の土台であり、人間性の土壌である」と述べ、広宣流布とは"妙法の大地に展開する大文化運動"であると定義づけたのである。そして、「いっさいの人びとを包容しつつ、民衆の幸福と勝利のための雄大な文化建設をなしゆく使命と実践の団体が創価学会である」と語り、こう呼びかけた。
「私どもは『社会に信頼され、親しまれる学会』をモットーに、再び、さっそうと忍耐強く進んでいきたいと思いますが、皆さん、いかがでありましょうか!」参加者は、崇高な社会建設の使命を、一段と深く自覚したのである。
伸一は、あの「言論・出版問題」に言及していった。「今度の問題は、学会のことを『正しく理解してほしい』という、極めて単純な動機から発したものであり、個人の熱情からの交渉であったと思います。ゆえに、"言論妨害"というような陰険な意図は全くなかったのでありますが、結果として、これらの言動がすべて"言論妨害"と受け取られ、関係者の方に圧力を感じさせ、世間にも迷惑をおかけしてしまい、まことに申し訳なく、残念でなりません。」
「名誉を守るためとはいえ、私どもはこれまで、批判に対して神経過敏にすぎた体質があり、それが寛容さを欠き、わざわざ社会と断絶をつくってしまったことも認めなければならない。関係者をはじめ、国民の皆さんに、多大なご迷惑をおかけしたことを、率直にお詫び申し上げるものであります」伸一は、頭を下げた。
"先生が、なぜ謝らなければならないのだ!"ある人は、学会の会長として、すべて自分の責任ととらえ、真摯に謝罪する伸一の姿に、申し訳なさと感動を覚えながら、心に誓った。"私たちは、社会に迷惑をかけるようなことは絶対にしてはならない。それは、学会に迷惑をかけることになるのだ"
言論の自由の尊さを述べた伸一は、さらに、「本門の戒壇」は「国立戒壇」の必要などまったくないこと、政治進出は戒壇建立のための手段では絶対にないことを改めて確認したのである。
次いで、学会と公明党の関係についても明らかにしていった。学会は、公明党の支持団体として、党を支援するが、組織的には双方を明確に分離することを述べたのである。今後も、学会と党は一線を画し、社会的にも、分離のかたちが明らかになるように5点にわたる原則を発表したのである。
さらに、自分自身、宗教人として生き抜く決意であり、政界に出るようなことは決してないと、重ねて明確に語った。これまでにも、折に触れて、語ってきたことであった。しかし、謀略的な噂を打ち破るために、再度、その考えを明らかにしたのである。
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<一言コメント>
「大河の章」の連載中、「新・人間革命」執筆開始より10年となった2003年8月に
池田先生は「寄稿10周年」と題する随筆を発表した。
その中で、執筆に対する思いを記されている。
「私の胸には、言論の闘争の決意がたぎっている。広宣流布の大道は、今つくるしかないからだ」
「『真実』を明確に書き残すことが、未来の人びとの明鏡となる」と。
言論・出版問題は「広宣流布の流れは、渓流より大河の流れ」となり、
「広宣流布の波が広がり、人間主義に目覚めた民衆勢力が台頭し、時代の転換点を迎えた」
転換期に起こった、会長就任以来、初めての大試練だった。
しかし、池田先生は、
「最も理想的な社会の模範となる創価学会をつくろう」という決意を一段と強くし、
障魔の嵐を、「未来への新たな大飛躍台」としていったのだ。
逆風を追い風に転じるところに、「学会の強さがある」
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋