『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P334~
沖縄では、兵士による住民への暴行事件なども頻発していた。戦地に送られる恐怖から、兵士たちの心は荒んでいたのである。米軍基地に苦しむ沖縄の住民の怒りは、ますます激しさを増した。そして、反戦反基地の運動が盛り上がるにつれて、住民の米軍兵士への憎悪はつのり、両者の関係は悪化していった。
学会員も、基地の撤去を強く念願していたが、米軍の兵士だからといって、憎悪するようなことはなかった。メンバーの兵士と接触していた学会員の住民たちの目には、抽象化された"米軍"ではなく、「個」としての人間の実像が写っていたのだ。
まさに、住民と米軍という対立を超えて、学会員は互いに友情の絆に結ばれていたのだ。分断は、不信と反目を深めていく。なんでもないことのようだが、こうした人間と人間の交流こそが、平和建設の重要な基盤にほかならない。
マーシー地区は、世界広布の人材を育む、「信心のトレーニンググラウンド(訓練場)」としての役割を担っていったのであった。
伸一が沖縄本部にいることを知った会員が、続々と集まってきた。集まった会員と一緒に勤行をし、「時代は、沖縄の本土復帰に向かって動き出しています。ただ、大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。皆さん方が"私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にして見せる"との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。」と激励した。
「依正は不二です。自分自身の生命の変革からすべては変わっていくんです。運命を呪い、歴史を呪い、他人を恨んでも、何も問題は解決しません。未来に向かい、何があっても挫けずに、生命力をたぎらせ、知恵を湧現しながら、前へ、前へ、前へと力強く進んでいくんです。」
「皆さんの存在こそが、沖縄の柱です。建設の原動力です。」短時間ではあったが、全生命を傾けての指導であった。
午後、沖縄発の芸術祭が行われた。第二部は、演劇「青年尚巴志」であった。これは、15世紀に琉球を統一した名将・尚巴志の史実をもとに創作した劇で、総勢100名の出演者による1時間半にわたる舞台となった。
シナリオを担当したのは、音楽家で音楽雑誌の編集にも携わってきた、山木厚雄であった。彼は、尚巴志が、父の志を受け継ぎ、民の苦しみを救うために立ち上がる姿と、戦時中から今まで、沖縄の民衆がなめてきた辛酸の歴史が、酷似していると思った。
"師に広宣流布を誓う、弟子の姿に通じるかもしれない。生命の尊厳の哲理をもって世界を結び、人類の恒久平和を実現していく使命がある。その使命に生き抜く師への誓いを、この演劇で示そう"また、皆が力を合わせて、首里城を建設するシーンでは、団結をもって沖縄の新時代を開かんとする、同志の決意を表現しようと思った。「青年尚巴志」は大成功であった。
伸一は、「本土に復帰したあともさまざまな苦労があるでしょう。問題は一朝一夕には解決しないかもしれない。しかし、わが同志がいる限り、みんなの、この心意気がある限り、心配はありません。すべては、人間の一年の姿勢です。意欲です。活力です。」伸一は、片時の休みもなく、同志の激励に奔走したのである。
芸術祭のあと、琉球大学、沖縄大学、国際大学の大学会の結成式に出席し、「戦争の悲惨さを最も知り、過酷な運命と戦い、苦しみ抜いてきた沖縄の出身者が、21世紀のリーダーになっていかなければならない」と期待を寄せた。
2部学生の質問に「全部やると決めて、挑戦していくことです。人生はある意味で死闘といえる。」悩み抜いていくところに成長があり、人間形成があり、それこそが、生涯の財産になると激励した。
沖縄では、兵士による住民への暴行事件なども頻発していた。戦地に送られる恐怖から、兵士たちの心は荒んでいたのである。米軍基地に苦しむ沖縄の住民の怒りは、ますます激しさを増した。そして、反戦反基地の運動が盛り上がるにつれて、住民の米軍兵士への憎悪はつのり、両者の関係は悪化していった。
学会員も、基地の撤去を強く念願していたが、米軍の兵士だからといって、憎悪するようなことはなかった。メンバーの兵士と接触していた学会員の住民たちの目には、抽象化された"米軍"ではなく、「個」としての人間の実像が写っていたのだ。
まさに、住民と米軍という対立を超えて、学会員は互いに友情の絆に結ばれていたのだ。分断は、不信と反目を深めていく。なんでもないことのようだが、こうした人間と人間の交流こそが、平和建設の重要な基盤にほかならない。
マーシー地区は、世界広布の人材を育む、「信心のトレーニンググラウンド(訓練場)」としての役割を担っていったのであった。
伸一が沖縄本部にいることを知った会員が、続々と集まってきた。集まった会員と一緒に勤行をし、「時代は、沖縄の本土復帰に向かって動き出しています。ただ、大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。皆さん方が"私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にして見せる"との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。」と激励した。
「依正は不二です。自分自身の生命の変革からすべては変わっていくんです。運命を呪い、歴史を呪い、他人を恨んでも、何も問題は解決しません。未来に向かい、何があっても挫けずに、生命力をたぎらせ、知恵を湧現しながら、前へ、前へ、前へと力強く進んでいくんです。」
「皆さんの存在こそが、沖縄の柱です。建設の原動力です。」短時間ではあったが、全生命を傾けての指導であった。
午後、沖縄発の芸術祭が行われた。第二部は、演劇「青年尚巴志」であった。これは、15世紀に琉球を統一した名将・尚巴志の史実をもとに創作した劇で、総勢100名の出演者による1時間半にわたる舞台となった。
シナリオを担当したのは、音楽家で音楽雑誌の編集にも携わってきた、山木厚雄であった。彼は、尚巴志が、父の志を受け継ぎ、民の苦しみを救うために立ち上がる姿と、戦時中から今まで、沖縄の民衆がなめてきた辛酸の歴史が、酷似していると思った。
"師に広宣流布を誓う、弟子の姿に通じるかもしれない。生命の尊厳の哲理をもって世界を結び、人類の恒久平和を実現していく使命がある。その使命に生き抜く師への誓いを、この演劇で示そう"また、皆が力を合わせて、首里城を建設するシーンでは、団結をもって沖縄の新時代を開かんとする、同志の決意を表現しようと思った。「青年尚巴志」は大成功であった。
伸一は、「本土に復帰したあともさまざまな苦労があるでしょう。問題は一朝一夕には解決しないかもしれない。しかし、わが同志がいる限り、みんなの、この心意気がある限り、心配はありません。すべては、人間の一年の姿勢です。意欲です。活力です。」伸一は、片時の休みもなく、同志の激励に奔走したのである。
芸術祭のあと、琉球大学、沖縄大学、国際大学の大学会の結成式に出席し、「戦争の悲惨さを最も知り、過酷な運命と戦い、苦しみ抜いてきた沖縄の出身者が、21世紀のリーダーになっていかなければならない」と期待を寄せた。
2部学生の質問に「全部やると決めて、挑戦していくことです。人生はある意味で死闘といえる。」悩み抜いていくところに成長があり、人間形成があり、それこそが、生涯の財産になると激励した。
太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋