『新・人間革命』第12巻 栄光の章 P2の章 P290~
<栄光の章 開始>
1968年(昭和43年)「栄光の年」は、山本伸一の詩「栄光への門出に」からスタートした。
伸一は、この「栄光の年」が、今後の広宣流布の流れを決するうえで、いかに重要であるかを痛感していた。学会は、待望の正本堂が完成する72年に、いっさいの活動の焦点を合わせて進んでいた。その正本堂の建設が始まるこの年こそ、向こう5年間の大勝利の軌道をつくり上げねばならぬ、最も重要な年であり、決して敗北の許されない1年であった。
詩の冒頭、彼は来るべき21世紀を「生命の世紀」と謳った。戦争と殺戮の20世紀から、平和と生命の尊厳の21世紀へと転換しゆくことこそ、学会が成し遂げようとする、広宣流布の目的である。彼は、それこそが、自身の人生の使命であると決めていた。皆、この詩を聖教新聞で読み、自らの使命の深さを、あらためて確信し、弾む心で「栄光の年」の新しき出発を開始したのだ。
山本伸一は、少年の頃から、詩が大好きであった。年齢を重ね、人の心が殺伐としていく世相を目にするにつれ、この"詩心"ともいうべき豊かな精神の世界を、人間は取り戻さなければならないと、思うようになっていった。
人びとの胸に、豊かなる精神の世界を築き上げる「詩心の復権」は、彼にとって、年ごとに、切実な課題となっていたのである。伸一は、「宇宙即我」「我即宇宙」と教え、一念三千という人間生命の大法則を説く、仏法こそ、汲めども尽きぬ、深く広大な精神の泉であり、詩心の源泉であると確信していた。そして、その仏法を弘める広宣流布の運動は、詩心を復権させる、人間精神の開拓作業であるというのが、彼の一つの結論であった。
ゆえに、彼は、人間性の勝利のために戦う詩人として、詩「栄光への門出に」の筆をとったのである。ここから、伸一の生涯にわたる怒涛のごとき詩作の戦いが、本格的に開始されたのだ。
まさに、詩作は、「生命の世紀」の創造のための、彼の言論戦となるのである。
4月8日、東京・小平市の創価学園(中学校・高等学校)で、第1回入学式が、晴れやかに行われたのである。生徒は、沖縄、から北海道まで、全国から集まっていた。
副校長の諸谷文孝が、「開会のことば」を述べ、校長の小山田隆があいさつに立った。中学生217名、高校生321名の新入生を迎えての開校である。校長は、創立者の山本伸一から頂いた、5つの指針を述べ、指針を胸に有意義な学園生活を送っていただきたいと話した。
山本伸一は、聖教新聞に掲載された談話のなかで、創価学園の開校の目的について、語った。「創価学園は、創価学会のために設立したのではない。創価学園においては、宗教教育は行わないし、生徒のなかには、学会員以外の子弟が多数含まれている。創価学園は、あくまでも、日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とするものであり、それ以外になにものもないことを断言しておきたい。」
創価学園は、教師も、生徒も、生徒の父母も一体となって、理想の教育の実現に地道な努力を続け、教育界の道標となりゆくことを期待し、次の言葉で話を結んでいる。「この学窓より、凛々しい幾多の新世紀建設の英才を輩出して、日本、世界の繁栄と平和のために寄与することができるならば、これにすぎる喜びはない」
伸一は、学園の運営は校長、理事長が中心で行うべきものであるとの原則を明らかにするためにも、入学式にも、開校祝賀会にも出席を見合わせ、終了後に学園を訪問して、教職員を励ましたのであった。
太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋
<栄光の章 開始>
1968年(昭和43年)「栄光の年」は、山本伸一の詩「栄光への門出に」からスタートした。
伸一は、この「栄光の年」が、今後の広宣流布の流れを決するうえで、いかに重要であるかを痛感していた。学会は、待望の正本堂が完成する72年に、いっさいの活動の焦点を合わせて進んでいた。その正本堂の建設が始まるこの年こそ、向こう5年間の大勝利の軌道をつくり上げねばならぬ、最も重要な年であり、決して敗北の許されない1年であった。
詩の冒頭、彼は来るべき21世紀を「生命の世紀」と謳った。戦争と殺戮の20世紀から、平和と生命の尊厳の21世紀へと転換しゆくことこそ、学会が成し遂げようとする、広宣流布の目的である。彼は、それこそが、自身の人生の使命であると決めていた。皆、この詩を聖教新聞で読み、自らの使命の深さを、あらためて確信し、弾む心で「栄光の年」の新しき出発を開始したのだ。
山本伸一は、少年の頃から、詩が大好きであった。年齢を重ね、人の心が殺伐としていく世相を目にするにつれ、この"詩心"ともいうべき豊かな精神の世界を、人間は取り戻さなければならないと、思うようになっていった。
人びとの胸に、豊かなる精神の世界を築き上げる「詩心の復権」は、彼にとって、年ごとに、切実な課題となっていたのである。伸一は、「宇宙即我」「我即宇宙」と教え、一念三千という人間生命の大法則を説く、仏法こそ、汲めども尽きぬ、深く広大な精神の泉であり、詩心の源泉であると確信していた。そして、その仏法を弘める広宣流布の運動は、詩心を復権させる、人間精神の開拓作業であるというのが、彼の一つの結論であった。
ゆえに、彼は、人間性の勝利のために戦う詩人として、詩「栄光への門出に」の筆をとったのである。ここから、伸一の生涯にわたる怒涛のごとき詩作の戦いが、本格的に開始されたのだ。
まさに、詩作は、「生命の世紀」の創造のための、彼の言論戦となるのである。
4月8日、東京・小平市の創価学園(中学校・高等学校)で、第1回入学式が、晴れやかに行われたのである。生徒は、沖縄、から北海道まで、全国から集まっていた。
副校長の諸谷文孝が、「開会のことば」を述べ、校長の小山田隆があいさつに立った。中学生217名、高校生321名の新入生を迎えての開校である。校長は、創立者の山本伸一から頂いた、5つの指針を述べ、指針を胸に有意義な学園生活を送っていただきたいと話した。
山本伸一は、聖教新聞に掲載された談話のなかで、創価学園の開校の目的について、語った。「創価学園は、創価学会のために設立したのではない。創価学園においては、宗教教育は行わないし、生徒のなかには、学会員以外の子弟が多数含まれている。創価学園は、あくまでも、日本の未来を担い、世界の文化に貢献する、有為の人材を輩出することを理想とするものであり、それ以外になにものもないことを断言しておきたい。」
創価学園は、教師も、生徒も、生徒の父母も一体となって、理想の教育の実現に地道な努力を続け、教育界の道標となりゆくことを期待し、次の言葉で話を結んでいる。「この学窓より、凛々しい幾多の新世紀建設の英才を輩出して、日本、世界の繁栄と平和のために寄与することができるならば、これにすぎる喜びはない」
伸一は、学園の運営は校長、理事長が中心で行うべきものであるとの原則を明らかにするためにも、入学式にも、開校祝賀会にも出席を見合わせ、終了後に学園を訪問して、教職員を励ましたのであった。
太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋