『新・人間革命』第12巻 天舞の章 P196~

<天舞の章 開始>

1967年(昭和42年)9月1日 東京・信濃町の学会本部に隣接して、創価文化会館が完成し、この日、待望の落成入仏式が行われたのである。

建物は荘厳であり、設備は時代の先端をゆくものであった。将来、世界の一流の舞台に躍り出ていく青年たちのために、一流のものを呼吸させておきたいというのが、山本伸一の願いであったのである。

「文化会館」という新鮮な響きの名称も、伸一の提案であった。文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。


この創価文化会館に引き続いて、関西文化会館が大阪・天王寺区に完成。9月10日には、山本伸一が出席して、盛大に落成入仏式が挙行された。その後、文化会館は、全国各地に、そして、世界各地に建設されていくことになる。それは、仏法を基調に平和と文化を推進する創価学会を、象徴するものとなったのである。

伸一は、関西文化会館の落成入仏式を終えると、四国・九州指導に向かった。そして、11日に高松で行われた四国の幹部大会の席上、四国のモットーとして、「楽土建設の革命児たれ」を発表したのである。彼は、この年を、全国を回りながら、広布の第二ラウンドの出発にあたり、活動の旗印として、各方面のモットーを示してきたのであった。


関西に対しては、再度、「常勝関西たれ」をモットーとして確認した。次いで、7月に入ると、9日の九州の幹部大会で「つねに先駆の九州たれ」を、10日の中部の幹部大会で「広布の堅塁・中部たれ」を、15日の東北の幹部大会では、「人材の牙城・東北たれ」を発表した。

さらに、8月には、21日の北海道の幹部大会で「新しき時代の開拓者たれ」を、26日の中国の幹部大会で「広布の新しき潮流たれ」を示してきた。伸一は、9月11日の四国に続いて、10月18日には、「全国の模範・東京たれ」とのモットーを、東京周辺の各県も含めた首都圏のメンバーに贈った。

これで日本国内の各方面のモットーが、すべて決まったのである。

前進には、具体的な目標とともに、使命、決意を端的に表現した合言葉が必要である。そのモットーを、常に確認し合うことで、原点に立ち返り、新しい心で出発することができる。また、使命と誇りを呼び起こしていくこともできる。彼が、各方面に示したこのモットーは、その後、各地の伝統精神となっていくのである。


1967年10月15日 東京・国立競技場で、世紀の大祭典・東京文化祭が、晴れやかに開催されたのである。出演者は人文字の4万2千人を含め6万2千人で、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった。

伸一は、聖教新聞紙上で訴えた「文化祭は、創価学会がいかに文化の向上に真剣であり、平和文化を愛好しているかということを示す縮図です。その姿を多数の来賓を招いて、見ていただこうではありませんか。これまでの文化祭を見た人たちは、学会に対する認識をあらためている人が多い。」

記事を見た首都圏のメンバーは、文化祭を楽しみにし、希望としながら活動を進めてきた。また、男女青年部の首脳幹部たちは「あらゆる面で、史上最高の文化祭にしていこう」と、決意し合ったのである。

さらに、文化祭の直前の10月12日に、正本堂建立発願式が行われることから、この文化祭は、世界平和の根本道場たる正本堂建立の、前夜祭と意義づけられたのだ。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋