『新・人間革命』第12巻 新緑の章 P~78

ウォールトン・ビオレはナチス・ドイツによってフランスが占領された時、夫とともにレジスタン運動に身を投じた。その夫は、ゲシュタポに捕らえられ、非業の死を遂げている。それだけに、彼女は、生命の底から、平和を希求していた。

そして、平和は与えられるものではなく、権力の魔性、人間の魔性と戦い、打ち勝たなければ、手に入らないものであることを痛感していた。

だから、何事にも真剣であった。遊び半分であったり、曖昧さやいい加減さのある、中途半端な活動を、彼女は許さなかった。そのウォーレン・ビオレに触発され、入瀬真知子は、信心を学び、弘教の炎を燃え上がらせていったのである。

人を育む力は、信心の年数の長さによって決定づけられるものではない。燃え盛る薪が、他の薪を燃え上がらせていくように、断じて広宣流布を成し遂げようとする情熱こそが、後輩の心に燃え移り、人間を育てていくのである。

伸一は、イギリスから参加した4人のメンバーにも笑顔を向け、この日、ロンドン支部の支部長になったエイコ・リッチに声をかけた。「いよいよ、イギリスの新出発だね。この『いよいよ』という決意が大事なんです。大聖人は『いよいよ強盛の信力をいたし給え』と仰せです。

人間は最初は決意に燃えていても、いつしか惰性に陥ってしまうものです。それを打ち破っていくのが、『いよいよ、これからだ!』『いよいよ、今日からだ』という、挑戦の心です。いつまでもみずみずしい、新緑のような信心を貫いてください」

ヨーロッパにも何人もの、新しい女子部員の笑顔があった。1年ほどの間に西ドイツに渡って来たメンバーである。そのほとんどが、看護婦などとして、病院勤務していた。彼女たちも、世界広布に生きようと、西ドイツに来たメンバーである。

西ドイツに渡った女子部員たちは、まず、必死になってドイツ語に取り組んだ。通勤途中も、ベッドのなかでも、辞書を離さず、死に物狂いでドイツ語学んでいったのである。皆学会活動にも懸命に取り組んだ。

私たちが歴史を変えるのだ。さあ、行動を起こそうーーそれが彼女たちの誓いであった。

5月23日には、山本伸一の一行はイタリアのローマに移った。留学生の小島寿美子の弟保夫と話ができたのは、ホテルのエレベーターのなかであった。いかに多忙でも、人に会おうとする一念があれば、必ず時間をつくり出すことはできる。また、会える時間は短くとも、一言一言に込められた凝縮した祈り、真心、真剣さは、相手の胸に深く染みわたっていくものだ。

25日の午後には、スイスのチューリヒに到着。出迎えてくれた高山光次郎の母は、スイス人と結婚して、スイスの組織の中心者として活動に励んでいた。

彼は、3か月前に日本からスイスに来たばかりであった。彼は、日本で就職した時、人間関係に行き詰った時、入会したが、積極的に活動はしていなかった。それを知った、母親のサチは、猛然と祈り始めた。そんな時、夫が息子を呼んで一緒に暮らしてはどうかと提案された。

光次郎も同意してスイスにやってきたが、言葉もわからず、義父との接し方もわからず、不安と焦りから、精神的に追い詰められノイローゼ気味になってしまう。

サチは、題目をあげ、"これは、息子が信心できるチャンスなんだ!いよいよ転機が来たんだ"と「今こそ信心でたつのよ。信心で勝つのよ!」と訴えた。

サチの言葉に素直に信心に励み始めた。わが子の幸せを願い、信心をさせたいという母の一念は、必ず通じていくものだ。それには、絶対に願いを成就させるのだと決めて、弛まず、決してあきらめずに、真剣に唱題し抜いていくことである。


太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋