『新・人間革命』第11巻 躍進の章 P384~

兵士たちは、狂ったように経巻を踏みつけるなど、常軌を逸した光景が繰り広げられていた時、日蓮の大音声が響いた。「あらおもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをす」大獅子吼であった。

日蓮は、「佐渡流罪」を言い渡されたが、それは、表向きで、夜半に、日蓮は馬に乗せられ、密かに竜の口の刑場で斬首されることになった。

途中、日蓮は、八幡宮の前を通る時、八幡宮に向かって、「いかに八幡大菩薩はまことの神か」と叫び、法華経の行者を守護すると誓った諸天善人が、法華経の行者日蓮を守護しないならば、仏説が、虚妄となってしまうので、釈尊の責めをうけると、叱咤したのである。

日蓮は、四条金吾に使いを出し、法華経のために命を奉ることができる喜びを、語った。処刑の瞬間まで、弟子のために法を説き、指導し続けようとする師であった。殉難を恐れぬ日蓮の言葉に、四条金吾も、勇気を奮い起こした。

四条金吾は、日蓮の乗った馬の轡にすがるようにして、ともに歩み始めた。もし、この師が死ぬならば、自分も、ともに殉ずる覚悟で竜の口までついて行ったのである。


処刑されようと言う時、声をあげて泣く四条金吾に、日蓮は、毅然として「なんという不覚の殿方か!こんな喜びはないではないか。笑いなさい」と叱咤した。

処刑の準備が整い、日蓮は頸の座にすえられた。兵士が太刀を抜いて、頸を斬らんとした、まさにその時。江の島の方向から、漆黒の闇のなかを、月のように光る物が現れた。それは毬のようでもあった。そして、東南から北西の方角に光り渡った。

兵士たちの顔は、どの顔も恐怖に引きつっていた。太刀を手にしていた兵士は目がくらみ、その場で倒れ伏した。皆、怖じけづき、もはや頸を斬る気など、全く失せてしまった。

日蓮の声が響いた。「頸を斬るならば、早く斬れ!夜が明けてしまえば、見苦しかろうぞ!」だが、日蓮を斬ろうとする者は、誰もいなかった。

まさに法華経に説かれた「刀杖不加」「刀尋段段壊」の文の通りであった。それは、大宇宙に遍満する魔性の生命を打ち破り、本仏の生命が顕在化した証であった。この時、日蓮は、凡夫の生命から久遠元初の自受用報身如来、すなわち末法の本仏の命を顕したのである。発迹顕本の瞬間であった。

幕府では、日蓮の処置について意見がまとまらず、その間も、念仏者たちの仕組んだ罠で、殺人や放火が日蓮の弟子のせいだと噂され、投獄されたり、所領を取り上げられる弟子が後を絶たなかった。

結局、1か月以上もかかって、日蓮は佐渡に配流となったのである。

佐渡の冬の塚原は、極寒で、日蓮は衣は薄く、食は乏しく、寒さと飢えにさいなまれながらの毎日であった。島民も流人の日蓮に接する態度は荒々しかった。佐渡にあっても、念仏者の力は強く、彼らの憎しみは甚だしかった。

念仏を信ずる者のなかでも、ことのほか強情な信者の阿仏房は高齢であったが、塚原に乗り込んできた。しかし、日蓮が、念仏の誤りを経文に照らして、理路整然と語る、清廉さと威厳と、人格の輝きに、眼から鱗の落ちる思いで、その場で念仏を捨てて、日蓮に帰依したのである。

阿仏房は、妻の千日尼にも念仏を捨てさせ、以来、二人は、信心の誠を尽くして、日蓮を外護していくことになる。監視の目をくぐり抜け、食物をはじめ、紙など、必要な品々の供養も届け続けた。その紙を使って、日蓮は、この佐渡の地で、次々と重要な訪問を書き残していったのである。

佐渡の念仏、禅、律の僧らは、日蓮への憎悪を燃やし、いかに対処すべきか詮議を重ねていた。殺害計画も考えられたが、守護代の本間六郎左衛門が「法門で責めるべきだ」と、厳重に申し渡したことから、法論を行うことにしたのである。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋