『新・人間革命』第12巻 新緑の章 P7~

<新緑の章 開始>

朝は希望である。心に希望をもてる人は、新しい朝を迎えることが楽しい。新しき人生の出港の銅鑼を、力いっぱい、高らかに打ち鳴らせ!我らの尊き使命の偉大なる決戦の大航海が、今始まるのだ。

1967年5月3日(昭和42年)5月3日 山本会長就任7周年となる第30回本部総会が、晴れやかに開催された。

会場の日大講堂は、午前8時過ぎには、人また人で埋まった。どの顔も歓喜に燃え、どの頬も紅潮していた。皆、伸一と共に戦い、共に泣き、共に笑い、広宣流布に走り抜いてきた同志である。そして、そのなかで、人生の苦悩を乗り越え、宿命を転換し、自身を輝かせてきたのだ。それだけに、限りない感謝の念と、雀躍せんばかりの弾む心で、あの友も、この友も、集まってきたのである。

海外からの祝電が披露され、次々と、世界各地のメンバーの喜びと決意が伝えられた。広宣流布のこの広がりこそ、伸一が12回にわたって海外訪問を重ね、世界の5大州を駆け巡ってきた、奮闘の結実であった。

開会が宣言され、総務の十条潔が、伸一の会長就任以来の歩みを語り始めた。世帯数は、140万から625万世帯に、支部数は、61から、国内だけで3393と大躍進を遂げた。一方、民音設立、公明党の創立、創価中学・高校の開校、創価大学も開学に向かい準備が進んでいた。

伸一の講演が始まった。広布の第二ラウンドとなるこれからの7年が重要になると述べ、正本堂の完成が、第7の鐘の出発となる昭和47年に完成になることを発表し、世界的な建造物は、権力者の名によって建てられたが、正本堂は、人民の誠意と歓喜による建立であり、世界に誇るべき民衆の建立による本門の戒壇であると訴えた。

ここで、伸一は、現代社会に鋭い分析の眼を向け、人間疎外の問題について論じていった。文明の行き詰まり等の問題は、究極的には、人間性喪失、すなわち、人間疎外の問題について論じていった。

組織が膨大となり、人間一人ひとりは、その歯車にすぎなくなってしまい、そこで、組織それ自体が巨大なメカニズムとなり、個人の意思を超えて動き、個人は言い知れぬ無力感と虚無感に覆われている。さらに、マスメディアによって、情報、ニュースが、洪水のように流されるなかで、現代人の多くは、ただ、それを受け取るだけになっていると指摘。

そうした状態が続くうちに、自分から意欲的に主体性をもって働きかけるよりも、受け身的で消極的な、弱々しい精神構造になりつつあるといい、また、生き方、考え方の確固たる基準がないことから、理性的な判断に欠け、その場、その場で、衝動的、本能的に行動してしまう傾向が強くなってきていると述べた。

人類の未来のため、解決の糸口を示さなければならないと考え続けてきた伸一は、機械文明の力を自在に使いこなしていける、強い自己自身をつくっていくことが、肝要であり、そのためには、支柱となるべき、思想、宗教が不可欠であることを述べた。

最後に彼は、決意も深く、こう結んだ。「私どもは、生涯、いかなる嵐が吹き荒れようが、地を走る獅子王のごとく正々堂々と、天空を翔る鷲のごとく自在闊達に、思想界、宗教界の王者の自覚で、日蓮門下として、決して恥じない法戦を貫き通していこうではありませんか!」

皆、伸一の講演を聴くと、目から鱗が落ちる思いがした。多くの参加者は、それぞれ、生活苦や病、家庭不和などを信心によって克服してきた体験をもち、仏法への強い確信をいだいてはいた。

この講演によって、「人間疎外」という難問を解決していく唯一の道が、仏法にあることを知り、ますます確信を深めたのである。同時に、それは、ここに集った同志たちに、人類のかかえる難問題に挑み、解決していく、仏法者の使命と責任を深く促すものとなった。



太字は 『新・人間革命』第12巻より 抜粋