『新・人間革命』第10巻 桂冠の章 P355~
引き続き、ハワイ総支部の新人事が 発表され、ワイキキとオアフの2支部の結成が発表され、これで、ハワイは、1総支部4支部の布陣で、スタートすることになったのである。
人事発表に続いて、再び、伸一は指導に立った。ここで、彼は、次々と未来構想を発表していった。常に希望あふれる、新しき目標を示しゆくこともまた、大事な指導者の責任といえよう。
このあと、会館の庭で、参加者全員が山本伸一と一緒に、記念の写真に納まることになっていた。撮影が終わるたびに、友の輪のなかに入り、一人ひとりに声をかけ、握手を交わし、念珠など、記念の品を渡していった。
一瞬一瞬が真剣勝負であり、全魂を傾けてての激励・指導であった。
同志のために献身する伸一の激闘を、役員として、目の当たりにしてきたのが、あの「パイナップル部隊」の青年たちであった。
彼らは、その姿に大きな感動を覚え、山本会長とともに、生涯、広宣流布に生き抜こうと、誓いを新たにするのであった。
深夜に聖教新聞の記者が 会館へやってくると、男子部が山本会長の安全を守るために、警備をしていた。彼らは、誰に言われたわけでもなく、夜通し、警備をしようと決め、交代で、会館の車庫のなかにいたのである。
記者たちの驚きは大きかった。そこには、人生の「師」を求め、仕え、守ろうとする「弟子」の姿があったからだ。「師」と「弟子」という関係は、文化的な風土や伝統から見て、日本人でなければ理解できないのではないかと、記者たちは考えていた。だが、それは自分たちの思い上がりにすぎなかったことを、彼らは痛感したのであった。
いかなる道であれ、それを深めようとする時、教えを受け、指標とし、模範となる人の存在は不可欠である。それが「師」である。そして、その「師」に応えんとする時、そこに、おのずから「弟子」の道が生まれる。まさに、それは、求道に生きる人間の、必然的な帰結といえよう。
ハワイの青年たちは山本会長に直接指導を受けることが願いであったが、山本会長がお疲れだろうと、それを口にできず、必死になって願いが叶うよう唱題した。交流団と勤行した伸一は、庭の芝生の上で正座して、待機するハワイの青年たちを見た。
伸一は、手を振りながら庭に出て行く。青年たちは、伸一への最高の敬意を、表すため、正座したままで膝を崩そうとしなかった。伸一は、「仏法も学会も、自由なんです。堅苦しいまねをすることは、かえって周囲の人に仏法を誤解させることにもなりかねません」というとようやく膝をくずした。
メンバーは、日系人以外の人がほとんどであった。質問を受けると、教学の研鑽に、懸命に励んでいることを感じさせる質問や、どれも広宣流布への息吹あふれる、前向きな質問ばかりであった。
伸一は、ハワイに、後継の青年たちが、すくすくと育っていることが、たまらなく嬉しかった。「みんなの力で、ハワイに広宣流布の模範をつくってください。」伸一の渾身の指導に、青年たちの心は決まった。
帰国する交流団のメンバーも、この話を聞いていた。伸一は、交流団を見て、険しい表情で語った。「ハワイの青年たちは真剣だ。この真剣さが大事なんだ。広宣流布は障魔との戦いなんだから、遊び半分であったり、油断があれば、魔にやられてしまう。これを忘れてはならない」
だが、交流団のなかで、この伸一の指導を、今の自分のこととして受け止めたメンバーは、ほとんどいなかった。
交流団のメンバーは各部を代表する幹部である。しかし、限られた滞在時間のなかで、ハワイの大発展の流れを開こうと、獅子奮迅の戦いをしている伸一とは、大きな一念の隔たりが生じていたのである。
やがて交流団は会館を後にし、空港へ向かった。
太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋
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