『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P247~
一行が西ドイツのドルトムント駅に到着すると駅には、西ドイツ各地に住んでいる日系の婦人メンバーが何百キロメートルもの距離を、ものともせず、駆けつけ、大歓迎してくれた。
ドイツでは欧州総会と初の欧州文化祭が、フランクフルトで開催されることになっていた。日本から来た青年たちは、この総会までは、メンバーの家に分宿させてもらい、総会の準備にあたることになっていたのである。
佐田は、諸岡から炭坑の受け入れ先がないと聞かされ、自分を責めた。だが、悔やんでも、何も開けるわけではないと、諸岡に真剣に唱題して、できる限りの炭坑をあたろうと言った。
8月29日、フランクフルトのホールで欧州総会並びに文化祭が晴れやかに行われた。西ドイツ、イギリス、フランス、イタリアなどから500人のメンバーが参加し、会場は新たな出発の息吹に満ちあふれていた。
佐田と諸岡の心は、晴れなかった。まだ、青年たちの受け入れ先が決まっていなかったからである。ところが、なんとこの日になって、連絡が入り、彼が頼み込んでいたデュイスブルクのハンボーンの炭鉱が皆を雇ってくれることになった。二人は、手を取り合って喜んだ。
当面は、男は炭坑の寮で共同生活をすることになるため、佐田も、諸岡も、新妻と、別れて暮らすことになったのである。彼女たちは、しばらく、ドイツの婦人部の家に、それぞれ、寄宿させてもらうことになった。二人の新妻にとっては、あまりにも心細く、悲しい“新婚生活”のスタートであった。
夫を思えば、溜め息が出る。日本を思えば、涙があふれる。だから、ただ、ただ、前を見つめた。
総会の3日後から炭坑での生活が始まった。地下約1千メートルの採炭現場での作業は、青年たちにとって、想像以上に過酷な仕事であった。皆、しばらくは疲労困憊して、食事も喉を通らない日が続いた。手袋をしても、手はマメだらけになり、飛び散る石などで、生傷も絶えなかった。落盤も珍しくなかった。
彼らは、慣れぬ重労働に耐えかね、何もかも投げ出して、日本に帰りたいと思うこともあった。しかし、そんな時には、“俺は広宣流布のために、自ら願ってここに来た。くじけるものか!”と自分に言い聞かせた。
仕事が終わり、地上に出ると、“今日も勝ったぞ”という喜びに満たされた。そして、炭塵で真っ黒になった顔に、白い歯を浮かべて、「地下から出てくる俺たちこそ、まさに地涌の菩薩だ」と、互いに肩を叩き合い、大笑いした。
皆で、給料を1カ所に集め、そこから必要なものを購入していった。彼らが最初に買ったものは、学会活動のための車であった。
一念は大宇宙を動かす。「因果具時」であるがゆえに、今の一念に、いっさいの結果は収まっている。口先だけの「決意」などありえない。「決意」には、真剣な祈りがある。ほとばしる気迫がある。懸命な行動がある。そして、必ずや輝ける勝利がある。
妙法流布のためには、いかなる苦労も引き受けようと決意し、青年たちが西ドイツに渡った瞬間に、既にドイツの広宣流布の大前進は、決定づけられたといってよい。
山本会長一行が、22日に西ドイツ入りするという、待ちに待っていた朗報が彼らのもとに届いた。
「到着まで、期間は短いが、ここまで広布を推進しましたと、胸を張って言える結果をもって、先生をお迎えしようじゃないか!」誰もが同じ思いであった。
今、立ち上がてこそ、未来の勝利がある。今日を切り開いてこそ、明日の栄光がある。
山本伸一は、佐田幸一郎に言った。「若鷲たちが飛び立ったね。本当にうれしい。・・・だが、ひとたび飛び立ったからには、途中で翼を休めるわけにはいかない。飛翔に失敗すれば、落下するしかない。負けるわけにはいかないんだ。特に、この1年が勝負になる。『今』が大事だ。新しいドイツ広布の流れを開くのは『今』だよ」
そして、佐田にドイツ方面の本部長、諸岡には 副本部長に任命した。
太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋
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