『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P353~
教科書の無償配布についても、公政連の参議院議員がその推進に、懸命に力を注いできたのである。
だが、その道程は、限りなく険しかった。それは、国家の認識を、根底から覆す作業でもあったからだ。当時、義務教育の無償といっても、それは授業料に限られるというのが、政府をはじめ、大多数の人びとの認識であった。
しかし、清原も、関も、かつては教員をしていた経験のうえから、また、議員として、対話するなかで、教科書などの教育費の捻出に苦しむ声を耳にしてきた。教科書無償化を求める世論が起こり、法案は通過したが、予算の確保が不十分であり、実施は遅々として進まなかった。
文部省は、教科書代として70億円の予算を要求していたが、計上されたのは、27億円だった。清原は、昭和40年以降の無償配布計画を明らかにするよう総理に見解をもとめた。それに突き動かされるよう、政府の公式見解として、教科書無償配布の完全実施への計画が示された。
さらに、公政連では、教育費の実態調査を行った。調査なくして発言なしーーそれが、公政連の合言葉であった。公政連が積み上げてきた、さまざまな実績に対して、国民の評価は、年ごとに高まっていった。そして、学会員をはじめ、多くの支持者たちからは、一日も早く政党を結成し、衆議院にも進出してほしいという、強い要望がよせられるようになっていたのである。
公政連が政党となり、衆議院にも進出していくならば、「民衆不在」の日本の政治を、変えることができると確信していた。いや、"断じて、そうしなければならない"という、使命感に燃えていたのである。
男子部幹部会の席上、公政連は、公明党結成の時来ることを、内外に表明するとともに、秋の党結成に向けて本格的に走り出したのである。
山本伸一も、この決断を下すまでには、長い、長い呻吟があった。党を結成し、衆議院に進出するということは、政権をめざし、一国の政治を担っていくことにつながるからだ。また、もし、公明党に何か問題が生じれば、党を誕生させた母体である創価学会が、批判の矢面にさらされることも、覚悟せねばならなかったからである。
さらに、公明党が力を増せば増すほど、権力や既成政党は、学会に恐れをいだき、警戒の目を向けるに違いない。そして、さまざまな圧力をかけてくることも予測された。しかし、仏法者として、立正安国という民衆の幸福と平和を実現していくためには、日本の政治の改革を避けて通るわけにはいかなかった。日本の政治家には、何よりも、まず指導理念が欠落していた。
それゆえに、仏法の大哲理に基づく、「地球民族主義」という理念を掲げた政党の必要性を、伸一は、痛切に感じていたのである。「地球民族主義」はかつて、戸田城聖が提唱したものである。
ーー人類は、運命去同体であり、民衆や国家、あるいはイデオロギーなどの違いを超えて、地球民族として結ばれるべきであるとする考え方である。
公政連の「国連中心主義」の主張も、「地球民族主義」から導き出されたものであった。また、日本には、真実の大衆政党がなかった。民衆の手に政治を取り戻すためには、組織労働者だけでなく、さまざまな大衆を基盤とした、新たな政党の誕生が不可欠である。
多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないかーー山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意思を固め、あえて嵐に向かって船出しようとしていたのである。
また、公明党の議員については、誰よりも厳しく、自らを磨き鍛えて、成長し続けていくことを念願としていた。政治の改革とは、政治家自身の人間革命を離れてはありえないからである。
だが、その道程は、限りなく険しかった。それは、国家の認識を、根底から覆す作業でもあったからだ。当時、義務教育の無償といっても、それは授業料に限られるというのが、政府をはじめ、大多数の人びとの認識であった。
しかし、清原も、関も、かつては教員をしていた経験のうえから、また、議員として、対話するなかで、教科書などの教育費の捻出に苦しむ声を耳にしてきた。教科書無償化を求める世論が起こり、法案は通過したが、予算の確保が不十分であり、実施は遅々として進まなかった。
文部省は、教科書代として70億円の予算を要求していたが、計上されたのは、27億円だった。清原は、昭和40年以降の無償配布計画を明らかにするよう総理に見解をもとめた。それに突き動かされるよう、政府の公式見解として、教科書無償配布の完全実施への計画が示された。
さらに、公政連では、教育費の実態調査を行った。調査なくして発言なしーーそれが、公政連の合言葉であった。公政連が積み上げてきた、さまざまな実績に対して、国民の評価は、年ごとに高まっていった。そして、学会員をはじめ、多くの支持者たちからは、一日も早く政党を結成し、衆議院にも進出してほしいという、強い要望がよせられるようになっていたのである。
公政連が政党となり、衆議院にも進出していくならば、「民衆不在」の日本の政治を、変えることができると確信していた。いや、"断じて、そうしなければならない"という、使命感に燃えていたのである。
男子部幹部会の席上、公政連は、公明党結成の時来ることを、内外に表明するとともに、秋の党結成に向けて本格的に走り出したのである。
山本伸一も、この決断を下すまでには、長い、長い呻吟があった。党を結成し、衆議院に進出するということは、政権をめざし、一国の政治を担っていくことにつながるからだ。また、もし、公明党に何か問題が生じれば、党を誕生させた母体である創価学会が、批判の矢面にさらされることも、覚悟せねばならなかったからである。
さらに、公明党が力を増せば増すほど、権力や既成政党は、学会に恐れをいだき、警戒の目を向けるに違いない。そして、さまざまな圧力をかけてくることも予測された。しかし、仏法者として、立正安国という民衆の幸福と平和を実現していくためには、日本の政治の改革を避けて通るわけにはいかなかった。日本の政治家には、何よりも、まず指導理念が欠落していた。
それゆえに、仏法の大哲理に基づく、「地球民族主義」という理念を掲げた政党の必要性を、伸一は、痛切に感じていたのである。「地球民族主義」はかつて、戸田城聖が提唱したものである。
ーー人類は、運命去同体であり、民衆や国家、あるいはイデオロギーなどの違いを超えて、地球民族として結ばれるべきであるとする考え方である。
公政連の「国連中心主義」の主張も、「地球民族主義」から導き出されたものであった。また、日本には、真実の大衆政党がなかった。民衆の手に政治を取り戻すためには、組織労働者だけでなく、さまざまな大衆を基盤とした、新たな政党の誕生が不可欠である。
多様な大衆に深く根を下ろし、大衆の味方となり、仏法の慈悲の精神を政治に反映させゆく政党が、今こそ躍り出るべきであろう。それが衆望ではないかーー山本伸一は、こう結論したのである。彼は、日本の政治の現状を検証していくなかで、公明党の結成の意思を固め、あえて嵐に向かって船出しようとしていたのである。
また、公明党の議員については、誰よりも厳しく、自らを磨き鍛えて、成長し続けていくことを念願としていた。政治の改革とは、政治家自身の人間革命を離れてはありえないからである。
太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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