『新・人間革命』第9巻 新時代の章 P62~

フィリピンマニラ空港には、マニラ支部長の伊丹芳郎と貴久子が伸一に会いに来た。彼女は、マニラで懸命に学会活動に励んだ。しかし、カトリックの影響の強い国であり、文化の違いからか、大聖人の仏法を理解させることは、かなり難しかった。また、戦時中、日本軍の侵略を受けているだけに、反日感情も強かった。

彼女の顔には、疲労の色が滲んでいた。日々、悩みつつ、初めての国で頑張り続けてきたのであろう。伸一は 包み込むような優しい口調で言った。「あなたの苦労はわかります。でも、大変なところで、人びとに信心を教えていくことこそ、本当の仏道修行です。」

「また、地涌の菩薩はどこにでもいる。この国にだけは、出現しないなんていくことは絶対にないから大丈夫だよ。」

指導といっても、一様ではない。信心がわからぬ人には、仏法のなんたるかを、懇切に教えなくてはならない。また、怠惰に流されていれば、惰眠を覚ます、厳しい指導が必要な場合もある。そして、必死になって頑張っている人は、称え励まし、元気づけることだ。

柴山昭男に、フィリピンの男子部の責任者に任命しようと思うと話す伸一。男子部はほとんどいないという柴山に、一人立つ人がいれば、必ず広がっていくと広宣流布の原理を話す。

「広宣流布の道が険しいのは当然です。困難ばかりであると、覚悟を決めることです。弾圧下にある国もある。その中でも同志は必死になって命がけで頑張っている。私だって、大悪人のように言われ、国によっては入国するのだって、大変なこともあるんだよ」この伸一の言葉には、次のような背景があった。

前年の九月、アメリカの有名な雑誌が、日本を特集したなかで、その3分の1を使って学会を紹介したがその記事は、甚だしい誤解と偏見に基づく内容になっていた。学会は世界征服を狙う教団で、軍隊式組織を使って布教し、改宗を断れば、悲惨な結末と地獄が待っていると脅すというのである。

さらに、教団の指導者は独裁的で、その言葉は絶対であり、会員は 羊のように従っているとしていた。アメリカを代表する、この雑誌が、学会を激しく中傷していることから、英語圏を中心に各国のメディアが、これにならって、同じような見方で学会を取り上げ始めたのである。

その影響は、思いのほか、大きかった。各国のメンバーからは、人びとがそれらの報道を鵜呑みにして、学会への警戒心を強めているとの連絡も、頻繁に、入っていた。そして、本部の職員がビザを取るのにも、かなり難航するケースがあったのである。

伸一は、フィリピンのメンバーに言った。「何ごともにも平坦な道はない。しかし、苦労があるから強くなれる。苦難がまことの信仰を育む。労苦が魂を鍛える。嵐に向かい、怒涛に向かって進んでいくのが、広宣流布の開拓者だ。この三人が立ち上がり、真剣になれば、フィリピンの基礎は築ける。未来は安泰だ。私と同じ心で、同じ決意で前進しよう。」

語らいは数十分にすぎなかったが、三人のメンバーの心には、永遠の誓いの種子が植えられたのであった。

山本伸一の一行は、オーストラリアのシドニーへ飛んだ。空港には、オーストラリア国立大学に留学している廷野修らのメンバーが待っていた。廷野は、東京教育大学の大学院で修士課程を終え、2年前、医化学の研究のために、オーストラリアに渡ったのである。

彼の入会は、1957年。入会後、戸田城聖が、“学生部の半分は重役に、半分は博士に”と指導したことを聞いて、彼も奮起し、さらに、伸一の「青年は世界に知識を求めよ」との指導に触発され、留学したのである。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋