小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

July 2021

青森・秋田への指導

『新・人間革命』第29巻 清新の章 283p~

青森・秋田合同の代表幹部会は、1月14日の午後1時半から青森文化会館で開催された。参加者は、降りしきる雪のなか、頬を紅潮させ、喜々として集って来た。

伸一は、皆の日ごろの苦労が吹き飛び、体が軽くなるような、楽しく、愉快な、人間味あふれる会合にしたかったのである。形式に則ることは、もちろん必要である。しかし、形式だけに寄りかかってしまうと、型通りにやっていればよいという考えに陥ってしまい、工夫も怠り、マンネリ化が始まる。生き生きと広宣流布の運動を進めていくには、日々絶えざる確信が必要である。

伸一は、この日、「信心」と「実践」の関係について語っていった。「正しい仏道修行には、『信』と『行』の両方が、正しく備わっていなければなりません。その実践は、大聖人が『行学は信心よりをこるべく候』と仰せのように、『行』も『学』すなわち教学の研鑽も、御本尊への強い『信』から出発するものでなければならない。『信』なき実践は、一生懸命に動いていても、形式的なものになり、惰性化し、次第に歓喜も失われていってしまいます。

ともあれ、純粋にして強き信心は、おのずから、果敢にして忍耐強い実践につながっていく。『我もいたし人をも教化候へ』の御請訓のごとく、自行化他にわたる実践を展開し、この東北の天地から、新しい広布の光を放っていただきたいのであります」

伸一は、代表幹部会に続いて、秋田県の代表との懇談会や弘前大学会のメンバーと記念撮影に臨み、さらに、青森文化会館のある地元・大野支部の激励会に出席した。支部長の中沢正太郎と支部婦人部長で彼の妻である美代子が、声をそろえてあいさつした。

二人は7年間にわたって、この大野支部の支部長婦人部長を務めてきた。「支部長も、婦人部長も、いつ行っても唱題していますね」と評判になった。「何かあると一緒に悩んでくれる」ーーそれが学会の世界である。支部のメンバーも、夫妻の個性や性格をよく理解し、力を合わせ、支え合って、支部の建設に取り組んできた。一人を大切にするリーダーの祈りと行動、皆の団結が、模範の支部とつくり上げてきたのだ。

青森支部の初代支部長の金森夫妻は、自分たちのことよりも、常に同志のことを第一に考える人であった。諸会合の会場として自宅を提供するため、皆が集まりやすいようにと、わざわざ駅の近くに家を構えた。困っている人がいると聞けば、すぐに飛んでいって励ました。

”歩いた分だけ、広宣流布の道が広がる。人を励ました数だけ、人材の花が咲く、動いた分だけ、福運となる”と自分に言い聞かせながら、青森の大地に、広布開拓のクワを振るい続けたのである。

伸一は、深い感慨を込めて語った。「青森支部の誕生から、既に満20年が過ぎた。その間の青森広布の伸展は目覚ましいものがある。それは、金木夫妻のように、ただただ広宣流布のために、一切をなげうつ思いで、懸命に走り抜いてきた方々がいるからだ。

その決意と実践がなければ、広宣流布の前進はない。いよいよ学会は、これから広宣流布の総仕上げの時代に入っていく。それは東北の時代が到来したということだ。地道に、何があっても信念を曲げない、青森の“じょっぱり魂”が光輝く時代だよ」

「青森の青は、“青年の青”だ!青森の森は、“人材の森”だ!どうか青森青年部は、広宣流布を担い立つ人材の森に育ってほしい。21世紀の学会の柱は、青森の君たちだよ」

創価学会の信心は、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の御本尊への絶対の確信から始まる。そして、地涌の菩薩の使命を自覚し、死身弘法の決意に立って、日蓮大聖人の民衆救済の大法を広宣流布していく、仏意仏勅の団体が創価学会である。

ゆえに、もしも、御本尊への大確信を失うならば、創価の信心の火は消え失せてしまう。また、折伏・弘教の実践がなくなれば、学会の魂は絶え果てる。したがって、この二つを受け継ぐなかにこそ、創価の師弟があり、後継の正道があるのだ。

あの宗門が、戦時中、権力に迎合する一方で、権威の維持に汲々とし、不敗堕落していったのも、御本尊への絶対の確信なきゆえであり、宗開両祖の精神である。広宣流布の大願に生きることを忘れたからである。

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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10年前の約束

『新・人間革命』第29巻 清新の章 267p~



津浪ですべてを失い、漁業の再開を断念した人もいた。しかし、村川は、学会員の自分が、
集落の復興の先頭に立とうと決意し、共同での養殖作業を進め、震災の翌々年1月に
新しい漁船を購入した。彼は、地域復興の推進力となっていったのだ。


自ら歴史を創ろうとする人は、いかなる試練にもたじろぐことはない。苦境を舞台に、人生の
壮大なドラマを作り上げていく。東日本大震災では、会館への被災者受け入れは、42会館役5千人
となった。学会の災害対策本部として提供した主な支援物資は、飲料、食料品、医薬品、衣類、
寝具など、約64万2千点。動員したボランティアは、延べ2万5百人に上った。


東北の同志は立正安国の法理に照らし、「結句は勝負を決せざらん外は此の災難止み難かるべし」
との御文を噛み締め、広宣流布への決意を新たにするのであった。


山本伸一の広布旅は続いた。新しい未来を開くために。皆をねぎらい、青森へ向かった。
岩手飯岡駅を通過する時、十数人の人たちがホームで盛んに手を振っているのが見えた。
「学会員だね。寒いのに見送りに来てくれて本当に申し訳ないな。


どんな組織でもそうだが、物事を企画、立案し、指導していく幹部が、最前線で活動する
現場の人たちの気持ちや実態がわからなければ、計画は机上の空論となり、現実に即さないものに
なってしまう。そうなれば、既に官僚主義なんだ。


だから学会のリーダーは、絶えず第一線に身を置き、皆の現実と、苦闘、努力を肌で感じ、
共有していくことだ。そして、号令や命令で人を動かすのではなく、自らの率先垂範の行動と対話で、
皆を啓発していくんだよ。それが、広宣流布の指導者だ」


青森県に入り、八戸、三沢を経たあと、長いトンネルに入った。闇を抜けた時、息をのんだ。
一面の冬景色であった。伸一は、同行メンバーに呼びかけた。「みんなで詩を作ろう。
詩歌を詠むには、“発見”が必要だ。つまり、それによって、洞察力を磨いていくこともできる」
皆、慌てて詩や歌作りに取り組んだ。彼は、皆が詩歌を作ることを通して、風雪のなかで
戦い生きる同志の苦闘を、わが苦とする決意を固めてほしかったのである。


青森文化会館に着くと「さあ、ここから青森の新しい歴史の幕を開こう!」そして、
休む間もなく懇談会に臨んだ。


10年前、下北半島の大湊で行われた中等部員会に集った3,40人のメンバーが 写真と、
決意文が、伸一のもとへ郵送されてきた。伸一は、激励の本に、10年後に必ず会おうと認めて
贈った。その代表の青年たちと、当時の中等部の担当者であった婦人が訪ねてきたのである。


木森正志は、創価大学に学び、4月から東京の大手企業に就職することが決まっていた。家が
経済的に大変ななか、下北地方で初の創大生となった。土木工事等、アルバイトをしながらの
学生生活であった。だが、“伸一のもとに集う10年後”をめざして、木森は、歯を
食いしばりながら、自身への挑戦を続けてきたのだ。勝利者とは、自分に打ち勝つ、忍耐の人である。
自らの誓いを果たし抜いた人である。


メンバーは、それぞれが伸一との誓いを胸に、各地で人生の勝利劇を演じていった。始まりは、
一葉の写真である。誰かに言われたからではなく、皆が誓いを込めて、あの写真を撮り、自主的に
伸一に送った。決して、激励を期待してのことではない。既に一葉の写真を送った時から、
メンバーは、己心の伸一と共に、勝利の大海原に船出していたのだ。


師弟とは物理的な触れ合いのなかにあるのではない。心に師をいだき、その師に誓い、
それを成就しようとする、必死の精進と闘争のなかにこそある。そこに人生の開花もある。

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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東日本大震災での献身

『新・人間革命』第29巻 清新の章 242p~

2011年3月11日、大地震、大津波が発生した当時、元藤は、学会にあって、大槌、釜石、大船渡、陸前高田など被害の激しかった地域の県長であった。

自宅も、家族も無事であった。御本尊に、ひたすら感謝した。しかし、安堵に浸る間もなく、妻の福代と共に、会員の安否確認に回るため、家を出た。街は一変していた。一面、瓦礫に埋まり、廃墟と化し、市街地に向かう道もなくなっていた。

でも、なんとしても同志に会わなければならない。山中を歩いた。藪が生い茂る獣道を進んだ。市の対策本部に着いた。各避難所の収容者名簿を見て、学会員の名前を確認し、避難所に向かった。何人もの学会員と会うことができた。元藤は、過酷すぎる現実に言葉を失った。ただ、手を握り、共に涙することしかできなかった。

被災者でありながら人びとの面倒をみて、忙しく立ち働く学会員もいた。避難所を後にした元藤は、地域の消防団の活動に入った。救援物資の運搬など、身を粉にして働いた。たくさんの同志が津波で家を流された。だが、そのなかで学会員は、避難所の清掃作業や炊き出しなど、人びとのために勇んで献身していった。

人の幸福を願って行動するなかに、自分の幸せもあるという、仏法の共生の哲学が脈動していたのだ。こうした同志のなかには、元藤に限らず、1979年(昭和54年)1月、水沢文化会館で山本伸一と出会いを結んだ人たちが少なくなかったのである。

伸一は、甚大な被害であったことを知ると、胸を痛めながら被災地の友に伝言した。「大切な大切な皆様方に、仏天の加護が厳然と現れるよう、妻と強盛に題目を送り続けております。日蓮大聖人は『妙とは蘇生の義なり』と御断言であります。今こそ不屈の信力、行力を奮い起こし、偉大なる仏力、法力を湧き出だしながら、この苦難を、断じて乗り越えていこうではありませんか」

3月16日の「聖教新聞」には、被災地の同志に送った、山本伸一のメッセージが掲載された。「御書には、災害に遭っても『心を破る能わず』と厳然と示されています。『心の財』だけは絶対に壊されません。いかなる苦難も、永遠に幸福になるための試練であります。

すべてを断固と『変毒為薬』できるのが、この仏法であり、信心であります。(中略)断じて負けるな!勇気を持て!希望を持て!」

岩手に限らず、宮城、福島など、各被災地での学会員の奮闘、また、阪神・淡路大震災を乗り越えてきた兵庫など関西をはじめ、全国の同志の支援は、人間の強き絆の証明として永遠不滅の光を放つものとなろう。

東北の青年たちは、各地で「自転車レスQ隊」「片付け隊」「かたし隊」などを結成。清掃や後片付け、物資の配達などを買って出た。調理師や理容師、美容師などの技術を生かし、ボランティアとして貢献した壮年、婦人もいる。皆、自らも被災者である。

津波によって瓦礫に覆われた宮城県石巻では、男子部員が、“なんとしても、皆を元気づけたい。生きる勇気を送りたい”と決意した。そして「がんばろう!石巻」という立て1.8メートル、横10.8メートルの大看板を作った。彼は、自分の家も流され、雪の降るなか、松の木にしがみついて一夜を明かして、生き抜いた青年である。この看板は、やがて東北復興のシンボルとなった。

“負けてたまっか”ーーこの心意気が学会魂だ!苦難の嵐が猛れば猛るほど、勇敢に、忍耐強く、挑み戦うのが創価の師子だ!

被害の大きかった岩手県大船渡市にある県立大船渡病院に一人の臨床研修医がいた。27歳の塩田健夫である。必死で診療にあたった。疲労は限界に達していた。しかし、自分に言い聞かせた。“この時にめぐり合わせたことは、決して偶然ではない。このために、ぼくはいる!今、頑張らずして、どこで頑張るというのだ!”人生には、正念場がある。その時に、最高の力を発揮できる人こそが勝利者となる。

高田市で養殖漁業を営んできた村川良彦は、ローンで購入した最新設備の漁船を津波で失った。彼には、震災の日の早朝、収穫した1トンのワカメがあった。普段の何倍もの高値がつく。ところが彼らは、そのワカメを惜しげもなく近隣に配り始めた。人は食べれば元気がでる。今大事なのは、みんなが元気になることだーーと考えての決断だった。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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水沢文化会館記念自由勤行会

『新・人間革命』第29巻 清新の章 242p~

「幹部は、組織を自分のものであるかのように考え、会員の方々を部下のように思っては絶対にならないという
ことです。“学会員は御本仏からお預かりした仏子である”と決めて仕えていこう、尽くしていこうとの思いで接することです。

いよいよ、『地方の時代』に入り、草創期から地域の中心となって頑張り、地域の事情や人間関係に精通した幹部の存在が、ますます大事になってきます。しかし、心しなければならないのは、長い間、地域のリーダーを務めていると、気づかぬうちに、そこの“主”のようになってしまうことです。

自分中心から広宣流布中心へと、常に自らを戒め、狭い境涯の殻を破っていくんです。そして、新たにリーダーとなった人たちは、地域に根差した草創からの諸先輩の意見によく耳を傾け、力を借りていくんです。土着の力と、新しい力が結合していくことによって、岩手は大発展します」

岩手にも、宗門による迫害の吹雪が荒れ狂い、同志たちは歯を食いしばりながら、苦渋と忍耐の日々を過ごしてきた。二戸では息子が他の方面で宗門の寺の住職をしている壮年幹部が、同志を欺き、水面下で学会批判を重ね、純粋な学会員をたぶらかして、檀徒になるように促してきたのだ。赴任してきた住職は、この男と共謀し、学会員への陰湿な攻撃を繰り返した。

安房由光らは、日々、悔し涙をのみながら攻防戦を続けた。片時でも気を抜けば、大切な会員が魔の軍勢の餌食となった。安房の販売店の配達員からも、宗門の圧力に屈して、学会を去る人が出始めた。彼は、“負けるものか!”と、自分を奮い立たせた。

代表幹部会は、ほのぼのとした雰囲気に包まれるなか、伸一の指導となった。「人間を強くするのは人間の激励であり、触発です。励ましがあってこそ、勇気をもてる。ゆえに組織が必要なんです。

広宣流布の前進を阻む壁が、どんなに厚かろうとも、異体同心の団結をもって、堅実な信行学の実践を積み重ね、粘り強い前進をお願いしたい。たとえ、一歩でも半歩でもよい。執念をもって、前へ、前へ、前へと進んでいってこそ、道を開くことができる。

広布の道こそ、宿命転換の道です。幸福と勝利の大道です。“何があっても、負けない、挫けない、あきらめない”と心に決めて、題目第一で、私と共に進みましょう!」

自由勤行会の打ち合わせに入った。「ほぼ、同時刻に大挙して会員の皆さんが訪れた場合、どうすればスムーズに会場の出入りができるかがポイントです。特に混乱するのが玄関だ。また、履物の間違いがないように対策を考えよう。学会の会館に喜んでやって来て、自分の靴を間違えて履かれていかれたりしたら、歓喜も一瞬にして冷めてしまいます。

会館の建物の中に入りきれない方々の待機場所をどうするかです。あと、近隣はもとより駅にもしかるべき幹部があいさつに行きなさい。普段の何倍もの乗降客になるので、切符だって足りなくなってしまうかもしれないからね」伸一は、矢継ぎ早に指示していった。

水沢文化会館の開館を記念する自由勤行会は、結局、夕方までに数回にわたって開催された。そして、伸一は、そのつど、さまざまな角度から、信心の在り方について訴えていった。皆の幸せを願う伸一の必死の呼びかけに、岩手の同志の生命は燃え上がった。

11日、12日と、2日間にわたった行事には、久慈、宮古、釜石、大船渡、陸前高田など三陸からも、多数の同志が参加した。釜石から駆けつけた26歳の男子部元藤祐司がいた。会社の経営状況は思わしくなく、肉体労働で腰も痛めていた。未来に希望を見いだせず、暗澹としていた。しかし、勤行会に参加し、自身の使命に目覚めた。

元藤は、釜石の、そして、三陸の広宣流布を心に描いた。ひたすら三陸の広宣流布に走ってきた。「“地域の柱“に」との伸一の言葉が耳から離れなかった。

2011年3月11日、あの東日本大震災が起こった。三陸は大地震、大津波に襲われた。元藤の住む釜石でも、多くの地域が街ごと流された。マンションの4階まで津波にのまれた。この苦難の大波に、彼は身悶えしながらも挑み続けた。信心ある限り、光はある。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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清新の出発

『新・人間革命』第29巻 清新の章 235p~
< 清新の章 開始 >

1979年(昭和54年)元日付の「聖教新聞」に、「希望の暁鐘」と題する一文を寄稿した。この79年は、いよいよ「7つの鐘」の総仕上げの年となる。学会は、1930年の創立を起点に、7年ごとに前身の節を刻んできた。以来49年、目標としてきた第7の鐘が鳴り終わり、さらに新しい出発を期す時が来たのだ。

伸一は、その清新の出発にあたり、強情なる信心の力によって、無限の「希望」と「歓喜」とを胸中にみなぎらせ、不撓不屈の大前進を開始するように呼びかけたのである。そして、「7つの鐘」の終了の本年を、再び広宣流布への偉大なる起点にしたいとし、力を込めて訴えた。

「私どもには信心がある。信心とは勇気であります。幾多の大偉業も、すべて、この勇気という一点から実現したことを決して忘れてはならない。勇気のなかに真実の信仰があり、無限の希望と成長があり、時代の変革と新世紀への前進があるのであります」

勇気は、人間を人間たらしめる力である。勇気なくしては、正義も、勝利もない。この年も、伸一の執筆活動はとどまることを知らなかった。

1月9日、伸一の姿は、厳冬の東北・宮城県仙台市の東北平和会館にあった。体調は決して良好とはいえなかった。しかし、最も寒い季節に行かなければ寒冷の地で暮らす人びとの苦労も、気持ちもわからない。また、宗門の問題で辛い思いをしてきたひとたちと、より早く会って、励まさなければならないと、彼は思っていた。

宮城県に「町村地域指導長」制の設置が決定をみた。これは、地域こそが広宣流布の本舞台であるとの認識に立ち、各町村の特色に合わせて、広布の運動を展開していくための態勢である。

伸一は、『大白蓮華』2月号に「『地方の時代』と広宣流布」と題する巻頭言を書いた。そのなかで、それぞれの地方にも特色があり、東北には東北の特色があることを述べた。そして、法を弘めるうえでは、各地域の生活様式や文化的伝統をふまえて、押しつけではなく、生命を内より薫発していくことが
肝要であると強調した。

さらに、「『地方の時代』といっても、結局は、その地域を支えゆく一人ひとりの人間である」として、皆が主体性と愛着と誇りをもち、郷土の繁栄のために、着実な努力を重ねていくことの大切さを訴えた。「町村地域指導長」制は、これらをふまえて、それぞれの地域の広宣流布を推進する布陣であった。

1月11日、山本伸一は、岩手県の水沢の地を踏んだ。「岩手は、ますます強くなってほしい。断じて勝ってほしい。そのために何が大切か。まず、“自分たちは一生懸命やってきたんだから、これ以上は無理だろう。もう、できないだろう”という、あきらめの心を打ち破っていくことです。いかに困難であるかということばかりに目がゆき、現状に甘んじて良しとしてしまう。それは、戦わずして心の魔に敗れてしまっていることになる。

背伸びをする必要はありません。焦る必要もありません。しかし、必ず、このように広宣流布の道を切り開いていくという未来図を描き、目標を決めて、成就していくんです。時代は変わります。いや、変えることができるんです。

最初にお題目を唱えられたのは、日蓮大聖人ただお一人だったではありませんか。そこから一切が広がっていった。“岩手を必ず広宣流布の模範の県にしよう。断じて勝とう”と心を決めるんです。そして、祈るんです。必死に祈るんです。知恵を湧現しながら、果敢に行動するんです。動いた分だけ、友情も、同志の連帯も、広宣流布も広がっていきます。そこに勝利がある。


心を定め、祈って、動くーーそれを粘り強く、歓喜をもって実践する。単純なことのようだが、これが、活動にあっても、人生にあっても、勝利への不変の方程式なんです」


「岩手での活動の大変さは、よくわかります。県の面積としては日本一広い。交通の便もいいとはいえない。冬は長く寒い。旧習も深い。だから、その岩手が変われば、日本が変わる。“大変”ななかで、“大変革”の波を起こすのが、私たちの広宣流布の戦いです。

今日は、岩手の大飛躍のために、ともすれば幹部が陥りがちな問題について、あえて厳しく語っておきます」



太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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