『新・人間革命』第29巻 源流の章 424p~
どんなに豊かそうに見えても、その陰で虐げられ、飢え、苦しむ人のいる社会の繁栄は虚構にすぎない。皆が等しく幸せを享受してこそ、本当の繁栄といえよう。
伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし世界に紹介したいと思ってやってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわたる真理を説いた釈尊の思想です」この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示されていた。
二人は、死刑制度の是非などについて論じ合い、多くの点で意見の一致をみた。対談を終えた伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立った。インド初訪問以来、18年ぶりである。伸一は、戸田城聖の生誕の日に、恩師が広布旅を夢見たインドの、ガンジス河畔に立っていることが不思議な気がした。戸田と並んで月を仰いでいるように感じられた。
また、広宣流布の険路をひたすら歩み続けた一つの到達点に、今、立ったようにも思えるのだ。戸田の後を継いで第三代会長に就任してからの19年、さまざまな事態に遭遇してきた。いつも戸田は彼の心にいた。そして、厳愛の叱咤を響かせた。
“大難は怒涛のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。恐れるな。戸田の弟子ではないか!地涌の菩薩ではないか!おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか!立て!師子ならば立て!人間勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!”
釈尊の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊の仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大聖人が出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南無妙法蓮華経であることを明らかにされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。
日蓮大聖人は「観心本尊抄」において、その出現の具体的な様相について、「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」と述べられている。
地涌の菩薩が末法において「折伏」を行ずる時には、「賢王」すなわち在家の賢明なる指導者となって、荒れ狂う激動の社会に出現するのだ。「愚王を誡責」するとは、社会に君臨し、民衆を不幸にしている権威、権力の誤りを正していくことである。
主権在民の今日では、各界の指導者をはじめ、全民衆の胸中に正法を打ち立て、仏法の生命尊厳の哲理、慈悲の精神を根底にした社会の改革、建設に取り組むことを意味していよう。つまり、立正安国の実現である。弘教という広宣流布の活動は、立正安国をもって完結する。
個人の内面の変革に始まり、現実の苦悩から人びとを解放し幸福社会を築き上げていくことに折伏の目的もある。しかし、それは困難極まりない労作業といえよう。伸一は、末法の仏法流布を実現しゆく創価学会の重大な使命を、深く、強く、自覚していた。
どんなに豊かそうに見えても、その陰で虐げられ、飢え、苦しむ人のいる社会の繁栄は虚構にすぎない。皆が等しく幸せを享受してこそ、本当の繁栄といえよう。
伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし世界に紹介したいと思ってやってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわたる真理を説いた釈尊の思想です」この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示されていた。
二人は、死刑制度の是非などについて論じ合い、多くの点で意見の一致をみた。対談を終えた伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立った。インド初訪問以来、18年ぶりである。伸一は、戸田城聖の生誕の日に、恩師が広布旅を夢見たインドの、ガンジス河畔に立っていることが不思議な気がした。戸田と並んで月を仰いでいるように感じられた。
また、広宣流布の険路をひたすら歩み続けた一つの到達点に、今、立ったようにも思えるのだ。戸田の後を継いで第三代会長に就任してからの19年、さまざまな事態に遭遇してきた。いつも戸田は彼の心にいた。そして、厳愛の叱咤を響かせた。
“大難は怒涛のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。恐れるな。戸田の弟子ではないか!地涌の菩薩ではないか!おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか!立て!師子ならば立て!人間勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!”
釈尊の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊の仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大聖人が出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南無妙法蓮華経であることを明らかにされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。
日蓮大聖人は「観心本尊抄」において、その出現の具体的な様相について、「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」と述べられている。
地涌の菩薩が末法において「折伏」を行ずる時には、「賢王」すなわち在家の賢明なる指導者となって、荒れ狂う激動の社会に出現するのだ。「愚王を誡責」するとは、社会に君臨し、民衆を不幸にしている権威、権力の誤りを正していくことである。
主権在民の今日では、各界の指導者をはじめ、全民衆の胸中に正法を打ち立て、仏法の生命尊厳の哲理、慈悲の精神を根底にした社会の改革、建設に取り組むことを意味していよう。つまり、立正安国の実現である。弘教という広宣流布の活動は、立正安国をもって完結する。
個人の内面の変革に始まり、現実の苦悩から人びとを解放し幸福社会を築き上げていくことに折伏の目的もある。しかし、それは困難極まりない労作業といえよう。伸一は、末法の仏法流布を実現しゆく創価学会の重大な使命を、深く、強く、自覚していた。
戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した。そこには、濁世末法に出現し、現実の社会にあって、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開いていく学会の尊き大使命が示されている。
伸一の眼に、東洋広布を願い続けた恩師・戸田城聖の顔が浮かび、月の姿と重なった。彼は、心で叫んでいた。“先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください”
インド滞在も8日目を迎えた。ホテルに、ビハール州パトナ区のG・S・グレワル長官が山本伸一を尋ねてきた。午後、空路、インド最後の訪問地となるカルカッタへ向かったのである。
伸一の眼に、東洋広布を願い続けた恩師・戸田城聖の顔が浮かび、月の姿と重なった。彼は、心で叫んでいた。“先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください”
インド滞在も8日目を迎えた。ホテルに、ビハール州パトナ区のG・S・グレワル長官が山本伸一を尋ねてきた。午後、空路、インド最後の訪問地となるカルカッタへ向かったのである。
太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋