小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

July 2021

ガンジス川のほとりで恩師を思う

『新・人間革命』第29巻 源流の章 424p~

どんなに豊かそうに見えても、その陰で虐げられ、飢え、苦しむ人のいる社会の繁栄は虚構にすぎない。皆が等しく幸せを享受してこそ、本当の繁栄といえよう。

伸一は、「人類の平和のために、ナラヤン先生の思想をお聞きし世界に紹介したいと思ってやってまいりました」と会見の趣旨を伝えた。「私の思想など、決してそのような大それたものではありません。私が信じているのは永遠にわたる真理を説いた釈尊の思想です」この言葉には、インドに脈打つ精神の源流とは何かが、明確に示されていた。

二人は、死刑制度の是非などについて論じ合い、多くの点で意見の一致をみた。対談を終えた伸一は、夕刻、ガンジス川のほとりに立った。インド初訪問以来、18年ぶりである。伸一は、戸田城聖の生誕の日に、恩師が広布旅を夢見たインドの、ガンジス河畔に立っていることが不思議な気がした。戸田と並んで月を仰いでいるように感じられた。

また、広宣流布の険路をひたすら歩み続けた一つの到達点に、今、立ったようにも思えるのだ。戸田の後を継いで第三代会長に就任してからの19年、さまざまな事態に遭遇してきた。いつも戸田は彼の心にいた。そして、厳愛の叱咤を響かせた。

“大難は怒涛のごとく押し寄せてくる。それが広宣流布の道だ。恐れるな。戸田の弟子ではないか!地涌の菩薩ではないか!おまえが広布の旗を掲げずして誰が掲げるのか!立て!師子ならば立て!人間勝利の歴史を、広布の大ドラマを創るのだ!”

釈尊の教えの精髄は法華経として示されるが、末法の五濁の闇に釈尊の仏法が滅せんとする時、日本に日蓮大聖人が出現。法華経に説かれた、宇宙と生命に内在する根本の法こそ、南無妙法蓮華経であることを明らかにされた。そして、その大法を、御本仏の大生命を、末法の一切衆生のために、御本尊として御図顕されたのである。

日蓮大聖人は「観心本尊抄」において、その出現の具体的な様相について、「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し」と述べられている。

地涌の菩薩が末法において「折伏」を行ずる時には、「賢王」すなわち在家の賢明なる指導者となって、荒れ狂う激動の社会に出現するのだ。「愚王を誡責」するとは、社会に君臨し、民衆を不幸にしている権威、権力の誤りを正していくことである。

主権在民の今日では、各界の指導者をはじめ、全民衆の胸中に正法を打ち立て、仏法の生命尊厳の哲理、慈悲の精神を根底にした社会の改革、建設に取り組むことを意味していよう。つまり、立正安国の実現である。弘教という広宣流布の活動は、立正安国をもって完結する。

個人の内面の変革に始まり、現実の苦悩から人びとを解放し幸福社会を築き上げていくことに折伏の目的もある。しかし、それは困難極まりない労作業といえよう。伸一は、末法の仏法流布を実現しゆく創価学会の重大な使命を、深く、強く、自覚していた。

戸田は、学会を「創価学会仏」と表現した。そこには、濁世末法に出現し、現実の社会にあって、広宣流布即立正安国の戦いを勝ち開いていく学会の尊き大使命が示されている。

伸一の眼に、東洋広布を願い続けた恩師・戸田城聖の顔が浮かび、月の姿と重なった。彼は、心で叫んでいた。“先生!伸一は征きます。先生がおっしゃった、わが舞台である世界の広宣流布の大道を開き続けてまいります!弟子の敢闘をご覧ください”

インド滞在も8日目を迎えた。ホテルに、ビハール州パトナ区のG・S・グレワル長官が山本伸一を尋ねてきた。午後、空路、インド最後の訪問地となるカルカッタへ向かったのである。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

ネルー大学へ図書贈呈

『新・人間革命』第29巻 源流の章 407p~

伸一は、9日午後、ジャワハルラル・ネルー大学を訪問した。教育交流の一環として、図書を贈呈するためである。伸一は、この訪問でコチュリル・ラーマン・ナラヤナン副総長と語り合えることを、ことのほか楽しみにしていた。

インド社会には「不可触民」と呼ばれ、カースト制度の外に置かれて差別され続けた最下層の人たちがいた。副総長は、その出身だが、国家を担う逸材として期待されていたのである。カースト制度は、インドの近代化を推進するうえで、越えねばならない大きな障壁であった。既にカーストによる差別は禁じられていたが、慣習として根強く定着していた。

カースト制度は、都市部にあっては職業カーストとして細分化され、清掃一つとっても床とトイレとでは、行う人のカーストが違う。しかし、それによって、人びとの仕事が保証されているという現実もあった。それだけに、この制度の克服は容易ではなかった。

ナラヤナン副総長は、苦労に苦労を重ね、大学に進み、奨学金を得て、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学する。帰国に際して政治学者である同校のハロルド・ラスキ教授が、ネルー首相に紹介状を書いてくれた。このネルーとの出会いが、彼の人生を変える。外務省入りを勧められ、外交官として新しい一歩を踏み出すことになる。

彼の存在が、カーストによって差別する偏見を打ち破る先駆の力となった。人間の生き方こそが、社会の変革を促す。

ナラヤナンは、1997年7月、国会と州議会の議員による選挙で、有効投票数の95パーセントを得て大統領に就任。「不可触民」といわれ、差別されてきた最下層の出身者から、初めて大統領が誕生したのだ。新しき朝は来た。人間のつくった差別という歴史の闇を破るのは、人間の力である。

訪印団一行は、ネルー記念館を訪問した。午後8時から、インディアン・エクスプレス社のR・N・ゴエンカ会長が主催する訪印団一行の歓迎宴が、行われた。「インディアン・エクスプレス」は、インド屈指の日刊紙である。

インドが独立したあとも、イギリス政府による新聞への激しい圧迫の時代があった。しかし彼は、それに屈することなく、言論人としての主義主張を貫いていった。伸一が、その苦境を突き破ったバネは何かを尋ねると、会長は胸を張って答えた。「人びとに対する義務です!人びとに応えるために、私は支配者に屈服、服従することはできませんでした」

2月11日ーー恩師・戸田城聖の生誕の日である。山本伸一は今、その師に代わって平和旅を続け、師が最も広宣流布を願った仏教発祥の地インドで、紺青の空を仰いでいることに、深い感慨を覚えた。

命には限りがある。“だから、先生は不二の弟子として私を残されたのだ。先生に代わって、生きて生きて生き抜いて、東洋広布を、世界広布を進めるのだ!”と、彼は、何度も自分に言い聞かせてきた。
彼は、弟子の道に徹し抜いてきたことへの強い自負があった。この晴れ渡る空のように、心には一点の後悔もなかった。獅子の闘魂が、太陽のごとく燃え輝いていた。

この日の朝、伸一たち訪印団一行は、ニューデリーから、空路、ビハール州の州都パトナへと向かった。午後4時前、伸一は、ジャイプラカシ・ナラヤンの自宅を訪ねた。ナラヤンは、マハトマ・ガンジーの弟子で、76歳であった。“インドの良心”として、民衆から敬愛されているインドの精神的指導者である。

ガンジー亡きあと、彼は、師の思想を受け継ぎ、すべての階層の人びとの向上をめざす「サルボダヤ運動」を展開していった。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

インドの識者との対話

『新・人間革命』第29巻 源流の章 387p~

「21世紀になって、基盤が完成したら、本格的な広宣流布の流れを開いていくんだ。その時に、全面に躍り出るのは、今日、集った人たちの後輩や子どもさん世代になるだろう。しかし、万年にわたるインド広布の源流を開く大事な、誉れあるインド広布のパイオニアとして信心を貫き通してほしい。どこまでも後輩を育て守り、今後の団結を誇るインド創価学会を創り上げてほしい。インド広布の未来を思うと胸が躍るね」

「あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。20年、30年、50年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」
ガンジスの一滴にーーそれは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。

2月8日、山本伸一は、インド外務省に、アタル・ビハーリー・バジパイ外相を表敬訪問した。外相は、今回、訪印団の招聘元となったICCRの会長であり、詩人、作家でもある。

伸一は、国境紛争が続いている、インドと中国の関係について尋ねた。日本への要望を尋ねた。外相は雄弁家として知られる。雄弁と饒舌とは異なる。人びとの心をつかむ雄弁は、皆の思いの代弁であり、一人ひとりの意見を忍耐強く聴く努力から始まる。

熟慮と信念と情熱をもってする魂の叫びなのだ。外相は、詩人だが、観念の人ではなかった。行動の人であった。インドの独立運動では、若くして投獄されもした。また近年も、与党であった勢力によって、獄につながれた。だが、その微笑には、不屈の精神がみなぎっていた。

バジパイ外相は、後に首相となり、長年、対立していた中国との関係を改善している。困難のなか、インドの未来を担い立とうとする外相との語らいは、伸一にとって忘れがたいものとなった。

対談を終えた伸一の一行は、ラージ・ガートへ向かった。一行は、偉大なる魂の人ガンジーへの敬意を表するとともに、その精神の継承を誓い、献花を行うことにしていた。ガンジーは、道場での祈りに「南無妙法蓮華経」の題目を取り入れていたという。

伸一は、ガンジーの碑に献花し、祈りを捧げながら、深く心に誓った。ーー非暴力の象徴たる対話の力をもって、人類を結び、世界の平和を築くために、わが生涯を捧げていこう、と。

一行は、続いて、国立ガンジー博物館を見学した。一つ一つの品々から、ただひたすら人びとの幸福のために尽くし抜いた78年の尊き一生が、ありありと眼前に迫ってくる。ガンジーは訴えてきた。「私の宗教は地理的な限界をもたない」と。その言葉は、人間という共通項に立脚した、宗教のあるべき姿を示している。

2月8日の午後8時から、山本伸一主催の答礼宴が、アショーカホテルで開かれた。答礼宴での語らいは弾み、なかでもシン副会長とは2時間ほど意見交換した。

2月9日、午前11時には、パサッパ・ダナッパ・ジャッティー副大統領をニューデリーの官邸に訪ねた。会談は、アショーカ王、カニシカ王といった仏教に縁の深い古代インドの王の話から始まり、その政治哲学へ、さらにタゴールの崇高な精神、平和主義へと及んだ。

伸一は、この年が「国際児童年」であることから、子どもについてのインドの課題を尋ねた。副大統領は、まず“生きる”ことを確保する必要性を訴えたのだ。「第二の問題は、子どもの人格形成をいかに図るかです。」伸一は、指導者たちが、未来の発展のために、インドの深き精神性を青少年に伝え、教育に力を入れようとしていることを強く感じた。

21世紀の世界を考えるうえでも、極めて重要な着眼点であると思った。物心両面にわたって、子どもを守り育てていくことは、大人の責任であり、義務である。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

ICCR主催の歓迎レセプション

『新・人間革命』第29巻 源流の章 378p~

山本伸一たち訪印団一行は、ICCR(インド文化関係評議会)が主催する歓迎レセプションに出席した。歓迎レセプションには、クンドゥ外務担当閣外大臣をはじめ、ICCR副会長ロケッシュ・チャンドラ博士、インド外務省アジア局のランガナッタ局長、デリー大学のメヘロトラ副総長ら各界の要人約250人が出席した。

伸一は、一人ひとりと御礼の言葉を交わしながら、日印間の友好と学術交流などについて意見を交換した。この訪問は、創価学会の会長である伸一をICCRが招聘した公式訪問であり、仏法を基調に平和・文化・教育運動を展開する学会との交流を目的としていた。インドは、日蓮仏法を実践する学会に強い関心を寄せていたのだ。まさに「仏法西還」の一つの証といえよう。

レセプションが終わると、伸一は、インドのメンバーをはじめ、日本から来た「インド文化研究会」一行らとの会食懇談会が予定されていた。1961年、(昭和31年)、伸一がインドを初訪問した時、インド人の学会員を目にすることはなかった。

そして今、インド広布の決意に燃える約40人のメンバーが、全インドから喜び勇んで集って来たのである。今、18星霜を経て、その萌芽の時を迎えたのだ。仏教発祥のインドの大地に、地涌の菩薩の先駆けが、さっそうと躍り出たのだ。

メンバーのなかに、全インドの責任者である地区部長を務める女性がいた。デリー大学で、経済学の講師として教壇に立つラビーナ・ラティである。信心に励むなかで、難関の就職を勝ち取り、原因不明の頭痛や吐き気、めまいを克服した体験をもっていた。

北インドの責任者を務めるハルディープ・シャンカルという壮年は、中学校の教師であった。鬱病で悩んだ末に信心をはじめ、乗り越えることができたという。家族が仏法に無理解のなか、ただ一人、信心に励んでいるアローク・アーリアという青年もいた。

さらに、2か月前に入会した婦人のスパルティナ・パテールは、日蓮大聖人の仏法に巡り合った喜びに燃えて集ってきた。彼女は、のちに夫を病で、息子を交通事故で亡くすが、この日の伸一との出会いを胸に、勇気を鼓舞して、苦難を克服していくのである。

ここに集ったメンバーの多くは、その後、インドSGIの中核に育っていく。インドのメンバーとの語らいを通して伸一が感じたことは、多くの人が宿命の転換を願って信心を始めたということであった。インドでは、業(カルマ)という考え方が定着している。

この生命の因果は、仏教の教えの基調をなすものでもあるが、問題は、悪果に苦しむ現世の宿業をいかにして転換していくかにある。輪廻を説くだけでは、いかに善業を積み重ねても、今世にあって悪業の罪障を消滅することはできない。

しかし、日蓮大聖人の仏法では一生成仏を説き、今世において自身の仏の生命を顕現し、宿業の鉄鎖を打ち砕く道を教えている。信心によって人間革命し、何ものにも負けない自分をつくり、一切の苦悩を乗り越えていくことができるのだ。

いわば、苦悩は、正法の功力を示すための不可欠な要件であり、宿命は即使命となっていくのだ。信心によって「あきらめ」の人生から「挑戦」の人生へーーインドのメンバー一人ひとりが、それを実感し、歓喜に燃えていたのだ。

信仰体験も乏しく、指導に際して自身がもてずに困っているという質問もあった。「高みから人を引っ張っていこうなどと考える必要はありません。皆の輪の中に入り、一緒に広宣流布をめざしていこうと、進むべき方向を示していくのが指導なんです。

皆の疑問に、なかなかうまく答えられないこともあるでしょう。そうした時には、まず自ら真剣に教学を研鑽していくことです。人に教え、納得させなければならないというテーマがある時、研鑽は最もはかどり、自分の理解も深まるものです。人を懸命に育てようとする時、いちばん成長しているのは自分なんです。

ともあれ、行き詰まったら、真剣に唱題し、思索していくことです。仏法では『以信代慧』と説いています。強盛に祈れば智慧が湧く。誰よりも御本尊を信じ、自分を信じて、唱題第一に進んでいくんですよ」

伸一の妻の峯子は、こう語った。「インドには、たくさんの人材が誕生していて、未来が楽しみですね」「インドは広大だもの。大勢のリーダーが必要になる。決して焦ることはないから、まず、2、30年ぐらいかけて、しっかり人を育て、盤石な組織の礎を築いていくことだね」

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

インド モラルジ・デサイ首相

『新・人間革命』第29巻 源流の章 362p~

大河内が渡印したころ、インドは、干ばつによる食料不足や物価高騰、失業、汚職などから反政府運動が高まり、政情不安の渦中にあった。物情騒然とし、多くの外国企業が、インドから引き揚げていった。そのなかで、彼の留学生活は始まったのである。

大学の寮で、深夜まで猛勉強に励んだ。そして、最優秀の成績で修士課程を修了しさらに、国立ジャワハルラル・ネルー大学の博士課程に進むことができたのである。

高等部を、また、鳳雛会を、さらに未来部各部を、未来会をつくり、広宣流布の人材の大河を開いてきたことが、いかに大きな意味をもつかーーそれは後世の歴史が証明するにちがいないと、伸一は強く確信していた。

人は皆、各人各様の個性があり、才能をもっている。誰もが人材である。しかし、その個性、能力も開発されることがなければ、埋もれたままで終わってしまう。一人ひとりが自分の力を、いかんなく発揮していくには、さまざまな教育の場が必要である。その教育の根幹をなすものは、使命の自覚を促すための、魂の触発である。

2月6日、山本伸一たち訪印団一行はデリー大学を訪問した。図書1千冊を寄贈する贈呈式に出席するためである。

精神性の喪失は、人間の獣性を解き放ち、物欲に翻弄された社会を生み出してしまう。彼は、“精神の大国インド”から、日本は多くを学ぶべきであると考えていた。科学技術の進歩や富を手に入れることが、必ずしも心の豊かさにつながるとは限らない。

訪印団一行は、デリー大学への図書贈呈式に続いて、大学関係者と教育問題などについて意見交換し、再開を約し合ってキャンパスをあとにした。伸一たちは、ニューデリーの中心部にあるローディー庭園へ向かった。この公園で伸一は、「インド文化研究会」のメンバーと会うことになっていたのだ。

1972年(昭和47年)、関西の各大学会の代表30人ほどと懇談会をもった。その折、語らいが弾み、伸一の提案で、それぞれがインドについて学び、7年後に皆でインドへ行こうということになった。そのグループが「インド文化研究会」である。

インドに留学する報告をしたのは、大槻明晴という外国語でインド・パキスタン語学科に学んだ青年であった。彼は、伸一との約束の時を、インドの大学院生として迎えたのである。

伸一は、“広宣流布の決意に燃える青年たちが今、インドの地に集ったことを、戸田先生はどれほどお喜びか!”と思った。師から弟子へ、そして、また弟子へーー世界広布は、その誓いと行動の継承があってこそ可能となるのである。

訪印二日目の2月7日、山本伸一たちは、モラルジ・デサイ首相の官邸を訪ねた。首相は、間もなく83歳になるという。インドの多くの指導者がそうであるように、首相も、マハトマ・ガンジーの不服従運動に加わり、インド国民会議派として独立のために戦ってきた。投獄もされた。その信念の人の目には、若々しい闘魂の輝きがあった。

伸一は、デサイ首相にどうしても聞いておきたいことがあった。インドには中国との国境を巡る問題があり、まだ解決にはいたっていない。今後、この問題にどうやって向きあっていくかということである。首相は答えた。「話し合いによって解決できることが望ましいと思っています」

重ねて伸一が、「今後の見通しは明るいと思われますか」と尋ねると、首相は、きっぱりと答えた。「私はいつも楽観的でいます」楽観主義は、指導者の大切な要件といってよい。楽観主義とは、万全の手を尽くすことから生じる、成功、勝利への揺るがざる確信と、自らを信ずる力に裏打ちされている。

約1時間にわたる会談は瞬く間に過ぎた。デサイ首相との会談は、“精神の大国インド”を探訪する旅の幕開けにふさわしい語らいとなった。



太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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