小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

June 2021

泉州の歌

『新・人間革命』第29巻 常楽の章 103p~

よく“信心の根を張る”というが、それは、“持続の信心”ということなんです」

人生には、さまざまな試練が待ち受けている。その時に、信心を奮い起こし、苦難に挑み、悩み、戦うなかで、自らを磨き鍛えていくことができる。そこに、人間革命がある。勤行会で彼は一家和楽を築く要諦について言及していった。

「一家で一人、立派な信心をしていけば家族全員を救うことができる。たとえば、子どもさんが信心をしていない場合もあるでしょう。信心を勧めるのは、ご家族の幸せのためです。ところが、信心をめぐって諍いがが起きたという人の話をよく聞いてみると、自分のために信心させようとして、感情的になってしまっている。

子を思う真心はいつか必ず通じます。焦る必要はありません。人間は感情の動物ですから、追及や命令ではなく、思いやりにあふれた、賢い言い方が大事です。たとえば、こう言うんです。

『あなたが、どう人生を歩んでいくかは自由です。でも、何があるかわからないのが人生よ。その人生を生きるうえで、私には、ただ一つ教えてあげることができる最高の宝がある。それが信心なの。どんなことがあっても、負けない力を引き出していくことができるわ。何かあったら、お題目をあげるのよ。そうすれば、必ず乗り越えられる。これだけは覚えておいてね』ーーこう語れば、子どもさんも“そうだな”と思うものです。」


家族が未入会であれば、家族みんなの幸せを願い、「一家和楽の信心」をめざして、真剣に題目を唱えていけばよい。

地涌の菩薩とは、苦悩と戦いながら、それに負けずに、広宣流布の使命に生き抜く、不屈なる、“歓喜の人”である。

伸一は、泉州の同志に、新しき常勝の時代の幕開けとして、「泉州の歌」を作詞して贈りたいと思い、歌詞を作り始めた。

伸一は、泉州の女子部総会に続いて行われた、各部合同勤行会にも出席した。この参加者は、泉州文化会館を菊の花で荘厳するために、丹精込めて菊を育てた各大ブロックの有志たちであった。人びとを思う、一つ一つの配慮のなかにこそ、人間主義の輝きがある。

加古川文化会館の勤行会で、伸一は「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」との御文を拝して指導。生活、仕事、商売等、人生のすべては、信心によって勝利していけることを述べ、「大確信心の信心を!」と力説した。

さらに、姫路圏の代表幹部との懇談会でも、全精魂を注ぎつくした。蓄積する疲労を跳ね返して「臨終只今にあり」との思いでの行動であった。

創価の航路には、いまだ暗雲が垂れ込め、さらに激しい嵐の予兆を感じさせた。同志は皆、さまざまな苦悩をかかえ、悶え、あがきながらも、今世のわが使命を果たそうと、必死に戦い、生きている。まさに、泥中に咲く蓮華のごとく、健気にして崇高なる、仏の使いの人びとである。

伸一は、讃え、励まさずにはいられなかった。一人として負けることなく、皆が人生の凱歌を声高らかに響かせてほしかった。その赤裸々な姿のなかに、尊き地涌の菩薩の実像があるからだ。“同志よ、負けるな!”との祈りを込め、彼は獅子吼を放ち続けた。

<常楽の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

幹部への指導

『新・人間革命』第29巻 常楽の章 87p~

富士光る山梨は、伸一にとって師と共に青春の思い出を刻んだ天地であった。戸田城聖にとって最後となった「水滸会」野外研修が、山梨県の河口湖畔と山中湖畔で実施された。「水滸会」の青年たちが決起した地である山梨に集う同志たちこそ、広布第二章の先駆けとして立ち上がってほしいと、彼は強く念願していた。

伸一は、この詩情豊かな山梨の地に、地域広布の大城を築き、人間文化の大輪を育んでいってほしかったのである。

『甲陽軍鑑』には、甲斐を根拠地にした戦国武将・武田信玄の言葉として、「人は城 人は石垣 人は堀」とある。一人ひとりが適材適所を得て、力を発揮すれば、人が堅固な城となり、石垣となり、堀となって鉄壁の守りを固めていけるのだ。

では、人材育成の要諦とは何か。それはリーダーが成長し続けていることだ。リーダー自身が心に師をいだき、求道心を燃やし、新しい挑戦を重ね、自分を練磨していくことが大事になる。厳に戒めるべきは慢心と油断である。

また、一人ひとりの成長と幸福を願い、共に行動しながら、信心の基本を教えていくことだ。人は放っていたのでは育たない。伸一の眼には、21世紀の大空にそびえ立つ山梨の人材城が、燦然と輝いていた。

1978年(昭和53年)の11月9日、山本伸一は、空路、大阪へ向かった。この年、6度目の関西指導のためである。関西の同志と共に、弘教の金字塔を打ち立てた、あの56年の大阪の戦いから、既に22年がたつ。伸一は、関西が永遠に「常勝」の大城であり続けるために、今再び新しき前進のための布石をしておきたかったのである。

中心となる幹部への指導から、彼の戦いは始まった。「第一に広宣流布のリーダーは、強情な信心に立つことが最も大事であるのは当然ですが、そのうえで、広く、深く、“教養”を身につけていかねばならない。それには、多くの書を読んで、学ぶとともに、思索を重ねて、自らを高めていく努力を日々、続けていくことです。

第二には、広宣流布という遠征のために、“健康”でなければなりません。次に、信心の世界にあっては、一つ一つの課題に対して、常に真剣に取り組んでいかなくてはならないということです。人の目を意識し、恰好だけ取り繕っても、根底にいい加減さがあれば、人間革命はできません。しかし、真剣であり、一途な一人ひとり、誠実な人は、必ず、大きく成長していきます。

22年前の、あの“大阪の戦い”で大勝利を収めることができたのは、皆が真剣であったからです。新しい『常勝関西』の建設のために、中心となる幹部の皆さん方は、このことを忘れないでいただきたい」

「草創期の学会を、モーターボートにたとえるならば、今の学会は、大型のタンカーのようなものです。タンカーが湾のなかを、猛スピードで進めば、大波が立ち、周囲の小舟も大きく揺れてしまう。ゆえに、静かに細心の注意を払って、周りを気遣いながら進んでいく必要がある。これが道理です。

急いで進もうとして、社会性を軽視するようなことがあっては絶対にならない。いかなる団体よりも、社会性を尊重する学会であり、皆さん方であってください。これは、今後の恒久的な学会の在り方を考えるうえでの基本です。また、家庭を盤石にししっかりと足元を固め、地域に信頼の根を深く張っていくことが、ますます大事になります」

伸一は、泉州文化会館を訪れた。彼は、「信心の基本とは何か」に言及していった。「それは、究極的には“御本尊根本”ということに帰着します。では、“御本尊怨本”とは、いかなる生き方をいうのかーー信心の極意は、何があっても御本尊に向かい、題目を唱え抜いていくことしかありません。苦しい時も、悲しい時も、嬉しい時も、この姿勢を貫き通していくことが、“御本尊根本”の信心であり、それが正信なんです。

そうすれば、御本尊が助けてくれないわけがない。困難を乗り越える大生命力が、智慧が、湧かないわけがありません。常に、根底の一念を御本尊に定め、その信心を持続することが、現世安穏・後生善処の人生につながっていくことを知っていただきたい」


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

広布の赤十字 指導部

『新・人間革命』第29巻 常楽の章 78p~

伸一は、大切な同志が、希望に燃えて、堂々と胸を張り、はつらつと広宣流布の歩みを開始してほしかったのである。

宗門側から日達法主が登壇し、宗門と学会の間に生じた不協和音は世間の物笑いになり、宗団を破壊
しかねないと憂慮してきたことを述べ、こう宣言した。「ここに確認された学会の路線が正しく実現されるということのうえで、これまでのさわぎについてはすべてここに終止符をつけて、相手の悪口、中傷を言い合うことなく、理想的な僧俗一致の実現をめざしてがんばっていただきたいのであります」

重ねて日達は、過去のことに、いつまでもこだわるのではなく、真の僧俗の和合を実現して、宗門を守っていただきたいと念願し、話を結んだ。学会創立48周年を記念する代表幹部会は終了した。これで宗僧による学会への誹謗は、いっさい終わるはずであった。もともと、そのために行った行事である。

しかし、ここからまた、弁護士の山脇友政と、宗門の悪僧らが結託し、謀略が、さらに進められていくのである。そのなかにあっても、学会は、僧俗和合のために総力をあげて、一つ一つの事柄に、誠実に取り組んでいった。

山本伸一のスケジュールは、11月もぎっしりと詰まり、多忙を極めていたが、学会歌の作詞は、とどまることなく続けられた。11月9日付の「聖教新聞」には、当時の指導部の歌「永久の青春」が誕生したことが発表され、翌10日付には、歌詞と楽譜が掲載されている。

創価学会が大発展してきたのは、地道な個人指導、励ましの力によるところが大きい。学会を人体にたとえるならば、組織は骨格であり、全身に温かい血を送る血管の役割を担っているのが、個人指導であり、励ましである。

ライン組織の正役職の場合、出席すべき会合をはじめ、組織運営のためになすべき事柄も多く、個人指導に十分な時間が取れないことも事実である。それだけに、長年、組織の責任者をもって活動し、信心の体験も、人生経験も豊富な年配者たちが、各組織のリーダーをバックアップし、個人指導に力を注いでいくならば、どれほど多くの人びとが信心に奮い立ち、広布の人材に育っていくことか。

いわば、そうした先輩たちの存在は、一人ひとりの会員にとっては“信心の命綱”であり、学会にとっては、広宣流布をささえてくださる大切な根っこといってよい。ゆえに伸一は、かつて指導部を「広布の赤十字」と表現したのだ。

すべての学会員が、喜々として信心に励み、幸せになっていくためには、皆にもれなく励ましの手を差し伸べていくネットワークが必要になる。この主軸となる存在こそが、先輩にあたる指導部の人たちである。

同苦と励ましーーそこに、人間性の輝きがある。いかに晩年を生きたかが、一生の総決算となる。どれだけの人に法を説き、発心を促し、人材を育てていくかーーそこに人生の最高の充実があり、それは、そのまま永遠不滅の光を放つ生命の財宝となるのだ。「あの人が通ってくれたから、今の幸せがある」「あの時の指導と激励で、私は奮起した」と感謝される人生こそが、広宣流布の勇者の誉れなのである。

日本の未来を思い描く時、未曽有の高齢社会が訪れる。人びとが幸せな晩年を送っていくためには、年金や就労、介護などの問題とともに、各人が、いかなる人生観、死生観をもって、生き生きと創造的に日々を過ごしていくかが、重要なテーマとなる。つまり、人間の心の在り方が問われるのだ。

伸一は、人生の年輪を刻んできた同志に、信心の見事な実証を示してほしかった。晩年における最高最大の信心の実証とは何かーー財力や地位、名誉等ではない。ありのままの人間としての人格の輝きにある。皆を包み込む温かさ、人を思いやる心、大いなる理想への不屈の信念、飽くなき向上心ーーそれらが育む精神の光彩こそが、人格の輝きといってよい。

11月10日、同志の山梨版には、やはり山本伸一が作詞した山梨の歌「文化と薫れ」が発表された。



太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

御本尊謹刻問題

『新・人間革命』第29巻 常楽の章 71p~

学会員は、横暴な宗門僧の言動に苦しめられ続けてきたのである。日蓮門下を名乗る僧が、宗祖の御遺命たる広宣流布に、死身弘法の実践を持って取り組んできた創価学会への攻撃を繰り返す。「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」と大聖人が仰せの通りの事態が出来したのだ。魔の蠢動は広宣流布の「時到来」を物語る。

11月7日に、学会創立の記念行事が行われることになったのである。各登壇者の原稿も、事前に宗門に見せた。学会は事態収拾を第一に考え、僧たちの言い分を全面的に聞き入れたものにしていた。しかし、宗門は、御本尊の謹刻問題についても詫びよと、言いだしたのである。

彼らの言う謹刻問題とは、学会が日達法主の了解を得たうえで、創価学会常住の「大法弘通慈折広宣流布大願成就」の御本尊をはじめ、山本伸一が願主となって総本山に正本堂を建立寄進したことを讃え、「賞本門事戒壇正本堂建立」と認められた賞与御本尊など、八体を謹告したことである。

伸一は、御本尊を未来永遠に、大切に伝え残していくために、紙幅の御本尊を板曼荼羅にする必要があると考え、1974年(昭和49年)1月、謹刻について日達に尋ねている。板曼荼羅にするのは、御本尊を大切にするためだからよいーーとのことであった。

さらに、9月2日、宗門との連絡会議では創価学会常住の御本尊謹刻をあらためて伝え、法主了解のもと、謹刻を進めた。75年1月4日付の「聖教新聞」一面では、「学会本部では常住板御本尊の入仏式」と大々的に報じた。学会本部を訪れた日達は、師弟会館の「創価学会常住御本尊」などに読経・唱題し、慶祝の意義をとどめたのである。

ところが、78年になって一部の僧らが、学会は勝手に御本尊を謹刻したと騒ぎ出したのだ。法主が6月の指導会で「学会の方で板御本尊に直したところがあります。それは私は知らなかった。しかし、あとで了解をして、こちらも承認したのだから、そういうことをつついて、お互いに喧嘩しないように」との発言を使って、「猊下は『知らなかった』と言われた。学会は偽本尊を作った」などと騒ぎ立てたのだ。

副会長の泉田弘も、日達法主から、こう聞いていた。「御本尊は、お受けした人の宝物だから、粗末にするならともかく、大切にするためであれば、板御本尊にするのは自由だよ。他人がとやかく言いうものではない」

しかし、宗門僧たちは、衣の権威をかざして、狡猾に、学会に対して圧迫を加えてきたのである。学会は、法主了承のもと、御本尊の謹刻を進めたにもかかわらず、宗内で謹刻を誹謗する声が起こったのだ。伸一は、宗門の意向を尊重しようと、直接、日達法主に、謹刻した板御本尊は、どうすることがいちばんよいのかを尋ねた。

すべて学会本部に宝物として納めてくだされば結構です、とのことであった。それは「聖教新聞」にも報道された。ところが、--若手の僧たちが騒いでいる。板御本尊は本山に納めてほしい。そうしてくれれば問題はすべて収まる、というのである。

学会は、これを聞き入れ、創価学会常住の御本尊を除く、7体の板御本尊を総本山に納めた。10月3日、宗務院は通達をだし、「今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います」

にもかかわらず、僧たちは、11月7日に行われる創立記念の代表幹部会の原稿に御本尊謹刻についての謝罪を入れよと言い出したのだ。学会の首脳たちは、院達が出ているのに、とんでもないことだと思った。しかし、そうすることで宗内が正常化し、宗門僧の非道な攻撃が終わり、皆が安心して信心に励めるものならと、最大限の譲歩をしたのである。

関は、やむなく「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については」との表現を用いた。この件は、仏法の本義のうえでも、また経過からも、何も問題のないことであったが、僧俗和合を願って学会は、宗門の要求に応じたのである。

伸一の脳裏には、御講で、葬儀の席で、宗門僧に悪口雑言を浴びせられ、冷酷な仕打ちを受け、悔し涙をこらえてきた、同志の顔が、次々と浮かんだーー彼は、自分が耐え忍ぶことで、最愛の同志を守れるならば、これでよいと思った。ともかく、卑劣な僧の攻撃に、ピリオドを打ちたかった。

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋

埼玉、世田谷、新潟、栃木の歌

『新・人間革命』第29巻 常楽の章 57p~

伸一は、埼玉を「21世紀の王者」と考えていた。埼玉でも、学会を破壊しようとする僧たちの蠢動が激しかった。伸一は、“われらは創価の大道を誇らかに進もう!”と心で叫び、万感の思いを歌詞にしていった。埼玉県歌「広布の旗」の詩が完成し、曲がつけられ、「聖教新聞」埼玉版に掲載されたのは、10月27日のことであった。

日本の広宣流布の壮大な未来図を描く時、どうしても重要なのが、大東京の強化と飛躍である。では、新しい時代の東京を象徴し、中核となるべき地域はどこか。世田谷は、人口も急増し、のどかな田園風景は、文化的でハイセンスな住宅街へと大きく変容しつつあった。

その世田谷区で地域に根差した新しい広宣流布の運動が展開され、前進の突破口が開かれていくならば、それは時代を先取りし、牽引していく大きな力となる。まさに、東京の未来を開くものとなろう。

伸一は、東京の、さらには、日本の広宣流布の未来を開くためにも、世田谷の歌を作詞して贈ろうと思った。「世田谷の同志が嵐に立ち向かう勇気をもって、敢然と前進を開始すれば、必ず時代は変わる。大東京に凱歌が轟くよ!」世田谷の歌「地涌の旗」の歌詞に曲がつけられ、「聖教新聞」東京版に発表されたのは10月30日のことであった。

一言、力を込めて、伸一は語った。「地涌とは、自ら願い、誓って、広宣流布のために躍り出てきた人です」

10月30日、新潟版には、同じく山本伸一が作詞した新潟の歌「雪山の道」の歌詞と楽譜が掲載された。日々、秋の気配が深まり、やがて訪れる厳しい新潟の冬。深い雪のなかでの活動が始まるーー伸一は、なんとしてもその前に、新潟県歌を作って贈りたかった。

車中も、歩きながらも、伸一は、言葉を紡ぎ出し、一行、二行と歌詞を作る。そして、同志の輪の中に飛び出していっては激励を重ね、また、作詞を続ける。そうした「行動」即「詩作」の連続であった。

”次は栃木の歌だ!”山本伸一の激闘は間断なく続いていたが、時間を作り出しては作詞にあたった。栃木の歌「誓いの友」が県の幹部に伝えられたのは、県の日記念総会の前日、11月2日の夜のことであった。

栃木の同志は、「誓いの友」という曲名に始まり、歌詞に何度も出てくる「誓」という言葉の意味を噛み締めていた。「君との誓い 忘れまじ」とあるように、伸一にとっては、今回、県の歌を贈ったこと自体、皆との共戦の誓いを、断固、果たさんとする決意の証明であった。

われら創価の同志の誓いとは、広宣流布実現への、地涌の菩薩の誓願である。「在在諸仏土常与師俱生」とあるように、広布に生きる師弟の誓いである。

1978年(昭和53年)11月7日、「11・18」学会創立48周年を記念する代表幹部会が、総本山大石寺の大講堂で行われた。ここには、2千人の学会代表幹部のほか、各地の僧も参加した。宗門の日達法主が出席し、これまで続いてきた宗僧の学会攻撃に、終止符が打たれることになったのである。それは、本来、既に終わっていなければならないはずのものであった。

この年の4月初め、宗務院からは、毎月13日に各寺院で行われる御講での学会批判を、厳に慎むように通達が出されていた。しかし、全く守られることはなかった。

また、学会は、宗門からの、教学の展開などが教義の逸脱ではないかとする質問書にも、和合を願って、誠心誠意、回答した。現代社会で広宣流布を進めるために、仏法の本義を踏まえつつ、時代に即して法理を展開したこと等を述べ、法主の了解を得て、その回答を6月30日付の「聖教新聞」に掲載した。

この時も、これで学会への誹謗は終わるはずであった。ところが、その後も、執拗に攻撃は続けられた。こうした異常な事態が、いっこうに沈静化しない背景には、宗門を利用して学会を操ろうと画策する、野心に狂った弁護士・山脇友政の悪辣な暗躍があった。

以前から宗門に学会への不信感を募らせる捏造情報を流し、さらに攻略計画まで練り、それを伝えていたのだ。宗門の僧たちは、これに躍った。学会側が、いくら外護の立場から、宗門の意向を尊重し、対応しても、かえって彼らは、邪悪な牙をむき出しにして圧迫してきた。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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