小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

June 2021

高知の新しい歴史をつくれ

『新・人間革命』第29巻 力走の章 169p~

12月4日、山本伸一は峯子と共に、三重研修道場から、車や列車を乗り継いで大阪へ行き、伊丹空港から、空路、高知へと向かうことになっていた。高知空港は、雨のため視界が悪く、上空を旋回していた。予定より、1時間近く遅れての到着であったが、乗客は皆、大喜びであった。伸一は、機長への感謝を込め、和歌を詠み贈った。

「新しい高知の歴史をつくろう!」本部職員の島寺が、高知県長として派遣されたのは、2年前の12月であった。彼は、東京の日本橋で生まれ育ち、35歳にして初めて暮らす異郷の地が高知であった。県長の任命を受けた時、彼はなんの逡巡も迷いもなかった。“広宣流布のためなら、どこへでも行こう!わが生涯を、山本先生と共に広布にかけよう!”と、心を定めていたからである。

広宣流布のバトンを受け継ぐ青年たちは、いかなる時代になっても、この心意気を忘れてはなるまい。
広布をめざすなかに個人の幸福もあり、自他共の幸福のために、広布に走るのである。

いかなる団体であれ、“基本”と“精神”の継承は、永続と発展の生命線である。そのうえに、時代に即応した知恵が発揮され続けていってこそ、永遠の栄えがある。

島寺は、地道に県内を回った。村八分のなかで、敢然と信心を貫き、地域の大多数の人びとを学会の理解者にしていった、多くの草創の同志がいた。幾つもの病苦や経済苦を信心で乗り越えて、大きな信頼を勝ち取ったという“実証の人”も随所にいた。島寺は、心から感動を覚えた。頭が下がった。

かつて高知では、草創期の中心幹部が、不祥事を起こした末に、退転、反逆していくという事件があった。そのためか、なかには、「幹部には頼らん。自分の組織は自分で守る」という草創からの幹部もいた。彼は、言葉を失った。幹部への信頼が、ひとたび崩れてしまったならば、それを取り戻すのは容易ではないことを、肌で感じた。伸一は、島寺のことを気にかけ、彼と顔を合わせるたびに、さまざまなアドバイスを重ねた。

伸一は、新しい県長・婦人部長を支え、共に戦ってくれた功労の同志に、御礼を言いたかった。高知でも、会員を学会から離反させて、寺の檀徒にするため、宗門僧らによる学会への陰湿な誹謗・中傷が繰り返されてきた。そうした中で、歯を食いしばって創価の正義を叫び抜き、学会員を守り抜いてきた人たちを讃え、励ましたかったのである。

伸一が真っ先に出席したのは、草創からの功労者の代表150人との懇談会であった。懐かしい多くの顔があった。風雪に耐えて、広宣流布の険路を勝ち越えてきた勇者たちの頭髪は、既に薄くなり、また白いものが目立ち、額には幾重にも皺が刻まれていた。しかし、その瞳は、歓喜と求道と闘魂に燃え輝いていた。

「広宣流布は、現実社会のなかを、一歩一歩、切り開いて進む、長い、長い遠征です。その前途には、不況など、生活を圧迫する、さまざまな大波もあります。したがって、生活においても明確な長期の展望を立てるとともに、特に足元の経済的な基盤を固めていくことが大切になっていきます。

“信心をしているから、どうにかなるだろう”という考えは誤りです。仏法は道理です。展望なき生き方は、長続きしません。すべて『信心即生活』です。身近な一歩を大切にしながら、生活の安定と向上をめざし、強情な信心を貫いていただきたい」

さらに、法華経の「普賢菩薩勧発品」の門を引いて指導していった。「信心を貫いていくうえで必要なのは、勇気です。勇気とは、本来、外に向けられるものではありません。弱い自分、苦労を回避しようとする自分、新しい挑戦をしり込みしてしまう自分、嫌なことがあると他人のせいにして人を恨んでしまう自分など、自己の迷いや殻を打ち破っていく心であり、それが幸福を確立していくうえで最も大切な力なんです。高知の皆さんは、自分に打ち勝つ、勇気ある信心の人であってください」


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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怨嫉を戒める

『新・人間革命』第29巻 力走の章 162p~

日蓮大聖人は「忘れても法華経を持つ者をば互いに毀るべからざるか、其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり仏を毀りては罪を得るなり」と仰せである。

さらに、同志の怨嫉は、破和合僧となり、仏意仏勅の団体である創価学会の組織に亀裂を生じさせ、広宣流布を内部から破壊する魔の働きとなる。伸一は、愛する同志を、決して不幸になどさせたくなかった。ゆえに、厳しく怨嫉を戒めておきたかったのである。

「学会のリーダーは、人格、見識、指導力等々も優れ、誰からも尊敬、信頼される人になるべきであり、皆、そのために努力するのは当然です。しかし、互いに凡夫であり、人間革命途上であるがゆえに、丁寧さに欠けるものの言い方をする人や、配慮不足の幹部もいるでしょう。

いやな思いをさせられることもあるかもしれない。そうであっても、恨んだり、憎んだりするならば、怨嫉になってしまう。“どう見ても、これはおかしい”と思うことがあれば、率直に意見を言うべきですし、最高幹部にも相談してください。もし、幹部に不正等の問題があれば、学会として厳格に対処していきます。

また、リーダーの短所が災いして皆が団結できず、活動が停滞しているような場合には、その事態を打開するために、自分に何ができるのかを考えていくんです。他人事のように思ったり、リーダーを批判したりするのではなく、応援していくんです。それが『己心の内』に法を求める仏法者の生き方です。

人間関係で悩む時こそ、自分を成長させる好機ととらえ、真剣に唱題し、すべてを前進の燃料に変えていってください。何があっても、滝のごとく清らかな、勢いのある信心を貫いていくんです」

「人間というのは、なかなか自分を見つめようとはしないものです。『あの人が悪い』『この人が悪い』等々、たくさん理由をあげる。確かに、そう指摘される人には問題があるかもしれませんが、そこには、自分はどうなのだという視座が欠落している。他の人が悪いからといって、自分が正しいとは限りません。

“自分に責任があるのだ。私が悪い”とは考えない。つまり、『己心の外』にばかり目がいってしまい、大聖人の御聖訓も、学会の指導も、他人を測り、批判するための尺度になってしまっているんです。

本来、仏法の教えというものは、自分の生き方の尺度とすべきものです。ここを間違えると、信心の道を大きく踏み外してしまうことになります。だから、皆さんには、幸せになるために、自分自身に生き抜き、本当の信心を貫いてほしいんです。

仏法者というのは『自己挑戦』の人、『自己対決』の人です。我即宇宙ですから、自身を征する人は一切に勝つことができます。ともかく、題目を唱えていけば、自分が変わります。自分が変われば環境も変わる。したがって、いかに多忙であっても、勤行・唱題という根本の実践は、決しておろそかにしてはならない。どうか、一日一日、一瞬一瞬を大切にし、わが生命を輝かせながら、大勝利の所願満足の人生を生き抜いてください」

伸一は、三重県の津市内で、草創の同志らと懇談会を開いた。ここでも、幹部の活動の在り方に言及していった。「何よりもまず、徹底して会員の方々とお会いすることです。人と会うことは、一切の基本です。会って語り合い、心と心が通じ、共感し合ってこそ、団結も生まれます」

「幹部は、皆に信心の養分を送り続けていく存在であり、そのためには、自らが信心強情な先輩を求めて切磋琢磨し、常に成長し続けていくことが大事です。なかには、一応は先輩幹部であっても、広宣流布への使命感も、情熱も乏しく、ともすれば組織の批判ばかりする人もいます。もし、そうした人との交わりを深め、同調して、不平や不満を並べていると、自分も清新な信心の息吹を失い、堕落していってしまう。

次に、幹部の反社会的な行為や組織利用は絶対に許されないということを、深く心にとどめていただきたい。仮に、そういう幹部と親しい関係にあったとしても、決して擁護する必要はありません。学会は、悪は悪であると鋭く見抜き、的確に対処できる健全な組織でなければならない」

日蓮大聖人は、「悪因あれば悪果を感じ善因あれば善果を感ず」と仰せである。ゆえに、われらは、最もモラルを重んじ、正義を貫く、高潔なる人格の人でなければならない」


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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病への考え方

『新・人間革命』第29巻 力走の章 144p~

11月29日、関西牧口記念館への車中、副会長で関西総合長の十和田光一が、意を決したように語り始めた。「関西婦人部長の栗山三津子さんのことで、報告があります。先日、癌と診断され、手術をしなければなりません。幸い、早期発見で命に別状はないとのことです」

伸一は、すぐに栗山に宛てて手紙を書いた。そして、病への考え方について語っていった。「そもそも仏法では、生老病死は避けることができないと説いているんだもの。みんなで温かく包み、励ましてあげることです。

大事なことは、病気に負けないことです。人生には、病に襲われることもあれば、失業や倒産など、多くの苦悩があるが、それ自体が人を不幸にするのではない。その時に、“もうこれで自分の人生は終わりだ”などと思い、希望をなくし、無気力になったり、自暴自棄になったりすることによって、自らを不幸にしてしまうんです。

苦境を乗り越えていくには、強い心で、“こんなことで負けるものか!必ず乗り越え、人生の勝利を飾ってみせるぞ!”という、獅子のごとき一念で、強情に祈り抜いていくことです。

だから、病の診断を受けたら、“これでまた一つ、信心の体験が積める!みんなに仏法の力を示す財産が増える!”と考えていくことです。」

「また、信心をしていても、若くして病で亡くなることもあります。それぞれのもっている罪業というものは、私たち凡夫には計りがたい。しかし、広宣流布に生き抜いた人には、鮮やかな生の燃焼があり、歓喜がある。その生き方、行動は、人間として尊き輝きを放ち、多くの同志に共感をもたらします。伸一は、不二の関西の同志には、何ものも恐れぬ勇猛精進の人に育ってほしかった。

伸一が、三重県のなかで、まだ行っていない地域への訪問を強く希望したことから、名張で地元幹部らと協議会を開催することが決まったのである。三重県長の富坂良史から、失明の危機を見事に乗り越えた、名張本部の本部長をしている高丘秀一郎さんに会ってほしいといわれる。

高丘は突然右目がかすみはじめ、左目も見えなくなった。大学病院でも「今の医療ではなすすべがありません」と言われた。彼は、もはや信心しかない。本気になって信心に励んでみようと腹を決め、真剣に唱題を続け、挑戦を開始した時、伸一とばったり出会い、激励をもらったのだ。

伸一を自宅に迎えた高丘は、「左目の方は、題目が50万遍になった時に、視力が0.5になり、70万遍で0.7に、百万遍になったら、1.0になっていたんです。仏法の力を心の底から感じています」と報告した。

伸一は、名張の代表らと食事をしたあと、懇談的に話をした。「怨嫉という問題について、未来のために語っておきたい。自分の生命を磨き、わが胸中の仏性を湧現する以外に、崩れることのない絶対的幸福境涯を確立する道はないんです。しかし、自らが妙法蓮華経の当体であると信じられなければ、本当の意味での自信がもてず、自分の心の外に幸せになる道を求めてしまう。

すると、どうなるか。周囲の評価や状況に振り回されて、一喜一憂してしまう。例えば、社会的な地位や立場、経済力、性格、容姿など、すべて、人と比べるようになる。そして、わずかでも自分の方が勝っていると思うと優越感をいだき、自己を客観視することなく、過剰に高いプライドをもつ。

さらに、人の評価を強く意識するあまり、周りのささいな言動で、いたく傷つき、“こんなに酷いことを言われた”などと憎み、恨むことになる。また、策に走って歓心を買うことに躍起となる人もいる。

実は、怨嫉を生む根本には、せっかく信心をしていながら、わが身が宝塔であり、仏であることが信じられず、心の外に幸福を追っているという、生命の迷いがある。そこに、魔が漬け込むんです。

皆さん一人ひとりが、燦然たる最高の仏です。かけがえのない大使命の人です。人と比べるのではなく、自分を大事にし、ありのままの自分を磨いていくことです。また、自分が仏であるように、周囲の人もかけがえのない仏です。だから、同志を最高に敬い、大事にするんです。それが、創価学会の団結の極意なんです。

太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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広布第二章の幹部の在り方

『新・人間革命』第29巻 力走の章 130p~

山本伸一は、21世紀のために、仏法の法理を社会へ、世界へと開き、人類の新たな活路を開かなければならないと、固く、強く、決意していた。

彼は、「恵まれない、最も光の当たらない人びとのなかに、率先して入り、対話していく」ことこそ、一個の人間を大切にする具体的実践であり、それが「即『地方の時代』の先駆け」となると訴えた。そして、その言の通りに、彼も行動を開始したのだ。

22日、群馬県では代表幹部会が行われ、伸一が作詞した県歌「広布の鐘」が発表されたのである。この群馬の歌「広布の鐘」をもって、伸一は、関東のすべての県に、歌を作詞し、贈ったことになる。

23日には、第一回となる関東支部長会が晴れやかに行われた。伸一は、支部長・婦人部長が多くの仏子を預かる支部の中心者として広宣流布の重責を担い、日々、奮闘してくれていることに心から感謝し、その功労を讃えた。

「学会草創期の支部長・婦人部長の功績は実に大きく、その実践は、今もって多くの同志の語りぐさとなっている。皆さんは、広布第二章の初代の支部長・婦人部長です。どうか皆さんもまた、『あそこまで皆のために真心を尽くすのか!』『あれほど情熱をもって行動し抜くのか!』『あの人から本当の信心を学んだ!』と、後々までも語り継がれる、見事な自身の歴史を築いていただきたい」

「広宣流布のために、自分の限界に挑み、殻を破っていくなかで、境涯は大きく開かれていきます。それが、広布の新しき拡大になります。自らの限界を破ってこそ成長があり、力は増すんです。反対に、大きな力を秘めていても、それを使い切っていかなければ力は退化していきます」

さらに伸一は、活動を推進していくうえでの幹部の在り方、注意すべき事柄について、具体的に話を進めた。「支部にあって、日々の活動のなかで、御書を拝していく伝統を築いていっていただきたい。たとえ、一行でも、二行でもよい。皆で御書を拝読し合っていくことが大事です。

次に、壮年の幹部は、婦人部のご家庭に最大の配慮と思いやりをもって接していただきたい。そして、支部の運営は、あくまでも協議会を中心に行っていただきたい。支部も、地区も、常に協議を最重要視し、どこまでも民主的に、皆が納得して信心に励めるようにしていくことが、活動を推進していくうえでの眼目です。

また、幹部は会員の皆さんに負担をかけたりすることがないよう、よく注意を払っていただきたい。人間として自分自身を厳しく律していくなかに仏道修行があり、人間革命があることを知ってください」

物事は、小事が大事である。大事故の多くは、一つ一つの細かい事柄への注意を怠ったことに起因している。小さな配慮を欠いたことから、皆の信頼を失い、それが組織の停滞を招いた事例も少なくない。

幹部には、守秘義務がある。それを、順守していくのは当然です。『わざわいは口より出でて身をやぶる』との御請訓もある。幹部の皆さんは、軽はずみな発言などで、支部員を苦しめることがないように、聡明な対応をお願いしたい。

また、大勢のなかには、、信心利用、組織利用の人もいるかもしれない。会員を守るために、それを鋭く見破り、よく注意していくようにお願いしたい。真の学会員としての道を歩まず、広宣流布のための仏子の集いである学会の組織を攪乱し、社会に迷惑をかけるような人を、看過してはなりません」

何事も、油断し、基本がおろそかになった時に事故が生じる。広宣流布は魔との攻防戦であり、気のゆるみがあれば、そこに魔が付け入ってくる。したがって伸一は、支部長・婦人部長に、油断を拝して、原理原則に徹することを、強く訴えたのである。

彼は、これまでに会えなかった人と会おうと、懸命に時間をつくり、行動していった。そのなかで学会の作詞も続け、静岡県の同志に、「静岡健児の歌」を贈った。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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地方の時代への提言

『新・人間革命』第29巻 力走の章 123p~
<力走の章 開始>

1978年(昭和53年)11月18日、創価学会創立48周年を記念する幹部会が、東京・荒川文化会館で盛大に開催された。

席上、会長・山本伸一は、学会が7年ごとに前身の節を刻んできた「7つの鐘」が、明年には鳴り終わることを述べ、その翌年の80年から2000年まで、5年単位に、21世紀への新たな前進の節を刻んでいくことを発表した。

また、「11・18」を記念して、今や人類的課題となった環境問題を中心に、「地方の時代」などについての提言を行うことを語った。提言では、まず、「地方の時代」が叫ばれ始めた背景について論じていった。

山本伸一は、記念提言で、「地方の時代と創価学会の役割」にも言及していった。そして、社会に生きる限り、「私ども一人ひとりも、地域に深く信頼の根を下ろし、人びとの心のひだの奥にまで分け入り、苦楽を共にし合う決意がなくてはならない。そうした地道な精神の開拓作業のなかにしか広布の伸展もないし、また、真実の復興もあり得ない」と訴えたのである。

ついで、環境問題について論じるにあたり、巨大産業による公害などもさることながら、最も大きな環境破壊をもたらしてきたものは、今も昔も戦争であると語った。

「エゴイズムの正当化」によって科学技術の発達がもたらされたが、そうした人間中心主義は、公害の蔓延等の事実が示すように、既に破綻をきたしている。東洋の発想である自然中心の共和主義、調和主義へと変わらなければ、環境問題の抜本的な解決は図れない。

伸一は、戦争をはじめ、核の脅威、自然・環境破壊、貧困、飢餓など、人類の生存さえも脅かす諸問題の一つ一つを、断固として克服しなければならないと決意していた。そのために、仏法という至極の英知を広く世界に伝え抜いていくことを、自らの“戦い”としていた。

そして、日々、人類の頭上にに広がる破滅の暗雲を感じながら、“急がねばならぬ”と、自分に言い聞かせていたのである。記念提言の論述は、核心に入っていった。

伸一は、今や世界は一体化しており、なかでも自然・環境破壊は、一国や一地域を越えて、全地球に壊滅的な影響をもたらすと警告を発した。そして、各国の英知を結集して、全地球的規模において人類が生き延びる方策を研究、討議し、具体的な解決策を見いだしていくべきである。そのための話し合いと取り決めの場として、「環境国連」の創設を提唱したのだ。

さらに、環境破壊をもたらした大量消費文明を築き上げてきたのは、人間の欲望のとめどなき拡大であり、その欲望を限定、抑制することこそ、最重要の課題であると訴えた。

「そのためにも、そうした英知を開発する哲学、なかでも宗教の重要性を訴えたいのであります。“もの”から“こころ”へ、物質至上主義から生命至上主義へーーすなわち、御書に仰せの「蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり」との価値観が、今ほど要請される時代はありません。

この価値観が、人びとの心に定着していく時、人類のかかえる大きな問題も、いかなる試練があろうと、もつれた糸をほぐすように、解決の方向へ進むと、私は確信しております。“内なる破壊”が“外なる破壊”と緊密に繋がっているとすれば、“内なる調和”が、“外なる調和”を呼んでいくことも、また必然であるからであります」
仏法の視座からの、伸一の叫びであった。

記念提言の最後に、伸一は、ヨーロッパで起こったルネサンス運動について論じた。ルネサンスは、一切に君臨していた絶対神を個人の内面へおろした、画期的な時代の流れであったといってよい。

「私は、これからの理念は、人びとの心の奥に根をおろした宗教から発するものでなければならないと信じております。外なる権威の絶対化から、一個の人間の内なる変革を第一義とすべき時代に入ってきている。

それは、地道ではあるが、第二次ルネサンスともいうべき、時代の趨勢とならざるをえないと考えるのであります。その主役は、一人ひとりの庶民であり、その戦いは、自己自身の転換から出発すべきであります」
そして伸一は、それを可能にする道は、日蓮大聖人の仏法にあることを示して、結びとしたのである。


太字は 『新・人間革命』第29より 抜粋
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