小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

May 2021

全国に勇気の歌を

『新・人間革命』第28巻 大道の章 214p~

「戸田先生が『原水爆禁止宣言』を行ったのも神奈川です。神奈川は、創価の平和運動の源流なんです。『広宣流布』即『立正安国』です。正法の広がりは、社会の繁栄と平和をもたらすものでなければならない。思えば、日蓮大聖人が『立正安国論』を認められたのも、神奈川の地ではありませんか。

一人ひとりが、勇気をもって、自分の周りから、対話のうねりを起こして、仏法を社会に開いていくんです。対話の先駆であるとの誇りをもって進んでください」神奈川の歌「ああ陽は昇る」の歌詞が紹介されたのである。

伸一は、語った。「『ああ陽は昇る』ーーここに私は、万感の思いを込めました。神奈川の皆さんは、常に何があろうが、わが胸に生命の太陽を輝かせ続けていただきたい。ある意味で、生きるということは、宿命の嵐が襲う暗夜を、手探りで進むようなものである。しかし、太陽が昇れば、すべては明瞭に映し出される。そして、家庭、地域、職場にあって、皆さんご自身が、『太陽』の存在であっていただきたい」

北陸の歌「ああ誓願の歌」の歌詞が発表された。伸一は、北陸の同志に語りかけた。「『常楽の北陸』とは、満々たる生命力をたたえ、どんな苦難に遭遇しようが、常に人生を楽しみきっていける境涯です。

三番目は『同心の北陸』としました。団結こそが、信心の要諦であり、広宣流布推進の大原則だからです。そして、団結をしていくうえでも、必要なのは勇気なんです。勇気がないと、苦手だと思う人に、自分の考えを率直にぶつけたり、直接、連絡を取り合ったりすることを避けてしまう。そこから誤解も生じていきます。勇気をもって、自ら連絡を取り、対話していくことです」

団結ーーその言葉を口にする時、伸一の目は、常に厳しい輝きを放っていた。それは、団結を破る者とは、徹して戦うとの、彼の決意の表れであった。戸田城聖は「学会は、人材をもって城となすのだ!」と語ったが、団結がなければ、創価城の人材の石垣も崩れてしまうからだ。

「これから北海道の歌も作っていきます。どんどん各地の歌を作ります。方面だけではなく、千葉や神奈川のように、県の歌を作って、お贈りすることもあります。今年は、新しい支部制がスタートした。その新しい前進を歌い上げていきたいんです。私たちは、威風堂々と、歓喜の歌声を響かせ、前進していこうではありませんか!」

翌日の8月9日、山本伸一は、九州は宮崎の天地に立っていた。九州でも、宗門の僧による学会攻撃が激しく、特に大分では、多くの学会員が迫害され、悔し涙を拭いながらも、創価の正義を叫び抜いていたのだ。

北海道でも、名寄などで、獅子身中の虫となった悪侶が、学会への中傷を重ねて組織を切り崩し、寺の檀徒にしようという動きが激化していた。学会を辞めると言い出した人を、朝、激励し、決意の声を聞き、握手を交わしても、昼には悪侶にたぶらかされ、翻意しているのだ。一瞬の油断も許されない攻防戦であった。それが悪との闘争なのだ。

伸一は、創価桜の咲き誇る勝利の春を思いつつ、「北海道の歌」を作詞した。「“師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている”というのが、私の力の源泉だった。師弟共線とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今もその思いで戦っています」

2008年(平成20年)9月、伸一が加筆し、歌の題名も「三代城の歌」となったのである。北海道は、永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共線の大地であらねばならぬーー「三代城の歌」は、伸一の、その祈りの結晶であった。

伸一は、8月22日、長野県松本市に向かっていた。車中、彼は、「長野の歌」の作詞に余念がなかった。翌23日、長野広布20周年を記念する県幹部会が晴れやかに行われた。席上、長野県歌「信濃の歌」を「信濃混声合唱団」が高らかに歌い上げたのである。

8月24日は、伸一の入会31周年の記念日である。伸一は、入会の日を回想しながら、自身の心境を語った。「元来、病弱であった私は、8月24日がめぐり来るたびに、“今年も、よくぞ生き抜いてこれたな”との実感をいだいていました。

その私が、こうして元気に広宣流布の指揮を執ることができる。広布に生きるならば、己心の仏の大生命を開くことができるんです。これが、仏法の、御本尊の力なんです!」

この日、彼は、万感の思いを句に詠んだ。「忘れ得ぬ この日は信濃で 指揮とれり」


太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋

東北の歌「青葉の誓い」

『新・人間革命』第28巻 大道の章 199p~

山本伸一が、あえて東北女子部の勤行会に間に合うように、東北の歌「青葉の誓い」を作ったのは、女子部から新しい広宣流布の波動を起こしてほしかったからである。若い女性たちは、流行にも敏感であり、社会の最も新しい空気を呼吸している。その彼女たちの感覚が、次代をつくっていく。

つまり、現在の女子部の姿は、そのまま未来の創価学会を映し出しているといってよい。したがって、女子部が自信をもって先頭に立ち、誇りをもって創価学会を語れる、新しい時代の流れを開きたかったのである。

♪  風雪越えし 我等こそ
 地涌の正義の 旗頭・・・

ーー東北の歴史は、荒れ狂う風雪の道であった。冷害もあった。地震も、チリ津波もあった。貧困に苦しむ人も少なくなかった。そのなかで、創価の同志は決然と立ち上がり、偏見、避難、中傷にさらされながらも、弘教に歩いた。

激しく、辛い、吹雪に耐え、深い苦悩を知る人たちだからこそ、信仰の偉大なる力がわかる。揺るがざる確信がある。湧きいずる歓喜がある。だから、誰よりも真剣である。誰よりも誠実である。それゆえに東北は、地涌の正義の旗頭たりえるのだ。

君たちこそ、いつの時代も、未来永遠に、地涌の正義の旗頭なのだ!伸一は、東北の女子部員に、限りない期待を託して歌を仕上げたのである。

「女子部の会合で発表したことに意味があるんだよ。女子部の皆さんに『新生・東北』の光となってほしいからです。皆、地元に帰れば、厳しい状況のなかで頑張らなければならないことでしょう。その時に、この歌を歌って、自らを鼓舞していってほしいんです。『青葉の誓い』を、これからは、一人立つ誓いの歌にしていってください」

正義か否かは、歴史が審判を下す。滔々たる広布の流れを開いた人こそが正義である。山形県の置賜地域では、宗門の僧による学会への中傷の嵐が吹き荒れていた。「間違っている証拠は、ここにある!」鬼の首でも取ったように、出てきたのは、正邪判別の根本は、御書ではなく、学会に嫉妬する輩が悪意で流す、デマ情報の週刊誌の記事であったのである。

「脱会しなければ葬儀にも、法事にも行かない。納骨の受け付けもしない」と言われ泣く泣く退会手続きを取った老婦人もいた。毎日が苦闘であった。しかし、同志は挫けなかった。新しき希望の波を起こそうと協議を重ね、8月6日に、地域文化の復興をめざし、民謡などを披露し合う、「置賜ふるさと祭典」を開催することになったのである。

役員たちと話し合い、祭典の夜の部では、この歌を披露しようということになった。学会本部から、カセットテープに録音された歌を、電話機で流してもらい、会館にあるカセットデッキのマイクを、受話器に近づけて録音した。当時、ファクシミリは、まだ完備されていなかった。必死の一念が、すべてを可能にしていった。

東北に、新生の歌声が轟いた。それは、人間賛歌の歌声であった。この「青葉の誓い」は、嬉しい時には、喜びの歌となり、悲しい時には、自らを鼓舞する勇気の歌となって、東北の同志の心に響き続けていくのである。

二日後の8月8日、北陸婦人部の代表に言った。「『北陸の歌』を作詞しましたよ!」「神奈川の歌の歌詞もつくりました!これから神奈川は、ますます大事になります。来年には、横浜に神奈川文化会館も完成する。いよいよ神奈川の時代です。

戸田先生を会長に推戴する弟子の赤誠として、大弘教の火蓋を切ったのは神奈川の鶴見支部です。神奈川の皆さんの胸中に、あの闘魂が赤々と燃え盛っている限り、どんな苦難の闇も打ち破っていけます。

幸せの最大の要件とは何かーー広宣流布への闘魂です。炎のごとき弘教の一念です。恰好や見栄に振り回されていては、幸せはない。一滴の露は、はかなく消えてしまう。しかし、大海に連なるならば、地球をも包む。広宣流布に身を投じるとは、大海に我が身を置くことであり、そこから大境涯が開かれていきます。



太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋

東京の歌「ああ感激の同志あり」

『新・人間革命』第28巻 大道の章 179p~

山本伸一が「激闘」と「力走」の歴史を刻んだ「青年の月」7月は終わり、「練磨の月」8月が幕を開けた。1日、伸一は、駐日アメリカ大使のマイケル・マンスフィールド夫妻らと、信濃町の聖教新聞社で会談した。

席上、この年の5月に、伸一が初の国連軍縮特別総会を前に、国連事総長、国連総会議長に書簡で送った。核軍縮及び核廃絶への提唱が話題に上った。マンスフィールド大使との会談では、これらの提唱をめぐっても意見が交わされ、平和への思いを確認し合う語らいとなった。

8月2日、東京支部長会の席上、東京の歌「ああ感激の同志あり」が発表されたのである。感激ーーそれは、人と人との触れ合いのなかにある。勇んで行動するなかに生まれる。そして、感激こそが、前進の活力となる。

伸一は、歌詞を解説していった。「『感激』ということが歌の主題です。信心に励んでいくうえでも、幸福を確立していくうえでも、それが最も大事だからです。『感激』できる人は、何事にも感謝していける、清新で謙虚な、豊かな生命の人です。

反対に、傲慢で、人が何かしてくれて当然であると考えている人には、『感激』はない。日々、『感激』をもって生きている人は幸せです。

『感激』は、受け身になり、義務的に信心に取り組んでいたのでは生まれません。率先して行動を起こし、真剣勝負でぶつかっていく、その実践のなかにあるんです」

広宣流布の道には、越えなければならない幾つもの活動の峰がある。それを勝ち越えるには、一人ひとりが深い自覚と決意をもって、勇んで“戦い”を起こすことが大切です。

個人指導の大事な目的の一つは、その人にとって、なんのための信心であり、活動であるかを明らかにしていくことにある。そして、意欲的に、希望に燃えて、仏道修行に、学会活動に励めるようにすることにある。

伸一は、東京の首脳に視線を注いで言った。「東京には、幹部の数が実に多い。そのせいか、幹部同士に遠慮があり、自ら先頭に立って戦おうとするのではなく、皆が他人任せになっている傾向がある。強い組織というのは、すべての幹部が責任者の自覚で戦っています。そして、緻密に連携し合いながら、中心者をもり立てている。

東京を見ていると、中心者をもり立てようとするのではなく、『我関せず』といった態度の人が多い。つまり団結できずにいる。その克服が最大のテーマです。

“東京は一つである”との自覚で、何かあれば飛んで行って守り、協力、応援し合っていくことが重要です。関西の友には、自分たちは“栄誉ある常勝関西の同志である”との、強い誇りがある。

東京から九州に赴任した幹部が、話していた。『東京の人は、何か新しい活動が打ち出されると、“ああだ、こうだ”と議論はするが、なかなか行動を起こさない。動きだした時には、期間は終わりかけている。そして、皆が力をもっているのに、出し切ろうとしない。たいていの人が、ほどほどのところでやめてしまっているように思う。

しかし、九州の人は、すぐに衆議一決し、パッと全力で走りだす。瞬発力が違う。また、都市部でも、山間部でも、島部でも、皆に“自分がこの地域の広宣流布を担うのだ”という、強い使命感、気概がある。だから一人ひとりが、どんどん力をつけ、一騎当千の闘将に育っている。』

「東京は、本来、力を出せば無敵です。だから、『汝の勝利は 確かなり』なんです。組織が巨大であることに安住して、しっかり足元を固めなければ、“虚大”組織と化してしまう。“大東京”の前進は、わが町、わが地域という、“小東京”の勝利のうえにある。私と一緒に、不敗の東京をつくろう!」大東京の闘将たちの眼が光った。

広島に原爆が投下されて33年となる1978年(昭和53年)8月6日、信濃町の創価女子会館で、東北女子部の勤行会が開催されることになっていたのだ。伸一は、この勤行会で、「東北の歌」を発表しようと思い、歌の制作に取り組んだ。

東北の青年たちは、かつて、あの青葉城址で、恩師・戸田城聖が語った言葉を心に刻み、“自らが人材に育つとともに、数多の人材を育て、東北に難攻不落の人材の城をつくろう”と、誓い合ってきた。当時の青年たちは、皆、壮年となり、婦人となっていた。しかし、“人材の城をつくろう”との誓いは、青年から青年へと受け継がれ、東北の伝統精神となってきた。

それだけに、「青葉の誓い」というタイトルを聞いただけで、誰もが大きな喜びを覚えたのだ。


太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋

岐阜・東濃地域記念勤行会

『新・人間革命』第28巻 大道の章 165p~

記念勤行会が始まった。山本伸一は、「四条金吾殿御返事」を拝した。冒頭の御文を通して、真実の『遊楽』とは何かについて語っていった。『遊楽』というと、世間では、ただ、遊びふけって面白おかしく人生を生きることのように思われがちです。しかし、そこには、生の充実はなく、空しさが残る。

なぜなら、それは、自分の欲望を満たす『欲楽』を追い求めることだからです。人の欲望には限りがない。際限なく肥大していきます。その欲望が満たされなければ、苦しみを感じてしまう。本当の『遊楽』とは、『法楽』すなわち法を享受して得られる喜びです。

唱題に、弘教に励み、いかなる試練にも負けない仏の生命を湧現させ、周囲を寂光土へと転じていくーーそこに、自分の内から滾々と湧きいずる大歓喜があります。それが、『自受法楽』です。

私たちの日々の学会活動のなかに、本当の『遊楽』があるんです。“この友人に弘教しよう!“と題目を唱え、懸命に仏法対話に励んだ時の、あの生命の躍動を、充実感を、歓喜を、思い起こしてください。自ら勇んで戦いを起こすならば、学会活動即歓喜なんです」

「信心をすれば、世間から、怪訝な目で見られ、避難、中傷されることもあるでしょう。でも、それは、経文に、御書に説かれた通りではありませんか。正義を貫けば難があるーーこれは、道理なんです。したがって、何を言われようが、どんな仕打ちを受けようが、“御書の仰せの通りだ。いよいよ難が競い起こってきたな。よし、戦うぞ!”と心を定めて進むんです」

皆、目を輝かせて話に耳を傾けていた。「『苦』に直面した時には、その現実をありのままに見つめ、逃げたり、退いたりするのではなく、“よし、信心で打開しよう”と、ひたすら唱題に励んでいくことです。また、楽しい時、嬉しい時にも、感謝の心をもって御本尊に向かい、題目を唱え、歓喜を、さらなる歓喜の要因としていくんです。

苦楽ともに唱題し抜く。その弛みなき精進のなかに、持続の信心のなかに、宿命の転換も、人間革命もあるんです。“題目を唱えることが、楽しくて、嬉しくてしょうがない”と実感できるようになれば本物です。“唱題第一の人”はーー揺るがない。臆さない。退かない。敗れない。胸中に、不屈の闘魂と歓喜の火が、赤々と燃えているからだ。

二回目の勤行会が行われた。伸一は、ここでは、法華経の「普賢菩薩勘発品」を引いて指導していった。「私どもは、互いに同志として尊敬し、仲良く、団結して進んでいくことが大事です。団結こそ、広宣流布の力であるからです。経文、御書に照らして、広宣流布の団体である創価学会の前進を阻もうと、魔が競い起こることは間違いありません。特に私たちが、用心しなければならないのは、内部から蝕まれていくケースです。

大聖人は「日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば城者として城を破るが如し」と、団結を破る大過を戒められている。また、外敵は、団結できないところを狙って付け入り、師弟や同志を離間させ、反目させようとする。したがって、どこまでも鉄桶の団結をもって、魔に付け入る隙を与えないことが、同志を守り、広宣流布を大きく前進させる力となるのだ。

伸一の体調は、中国方面指導から四国を経て中部に至っても、まだ万全ではなかった。しかし、伸一は、“これが、皆さんとお会いできる、人生でただ一度の機会かもしれない”と思うと、一回一回の勤行会に、全力投球せずにはいられなかった。

何事にも、“時”がある。伸一は、“今”という時を逃すまいと、固く心に決めていた。真剣勝負とは、一瞬に生命を燃焼し尽くすなかにあるのだ。三回目の記念勤行会では、「日厳尼御前御返事」の一節を講義した。

4回目の記念勤行会では、伸一は、ピアノを弾いて参加者を励ましたあと、「妙一尼御前御返事」を講義した。「祈りは、ひたすら御本尊に思いの丈をぶつけていけばいいんです。その際、“信”を入れること、つまり、どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りをささげることです。

自身の宿命転換、人間革命、一生成仏のためには、“広宣流布に生き抜きます”という誓願の祈りが大事になります。そこに、わが生命を地涌の菩薩の大生命、大境涯へと転ずる回転軸があるからです」

記念勤行会は、遂に5回目となった。生命を振り絞り、魂をとどめての指導であった。


太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋

中部歌 この道の歌

『新・人間革命』第28巻 大道の章 147p~

一つの島がどれだけ栄え、人びとが幸せになるかーーそれこそが、広宣流布の縮図であり、実像である。そして、そのモデルが出来上がれば、日本中、世界中に広がっていく。ゆえに、伸一は、この小豆島を盤石にしていくために全精魂を注いだのである。

翌7月27日、「中部の日」記念館部会が開催され、「中部の歌」が発表されることになっていたのだ。歌の題名は「この道の歌」である。

名古屋文化会館に到着した伸一は、「最も大変ななかで頑張っている地域はどこですか」「開会の前にお会いしましょう」と東濃圏の中心者と会った。そして、勤行会を行った。

この道ーーそれは、3か月前の1978年(昭和53年)4月、この中部文化会館で開かれた本部幹部会で、会長の山本伸一が語った言葉であった。あの日、伸一獅子吼した。「われわれは、ひとたび決めたこの道ーーすなわち『信心の道』『一生成仏の道』『広宣流布の道』『師弟の道』『同志の道』を、生涯、貫き通して、ともどもに勝利の人生を飾ってまいろうではありませんか!」

中部の同志は、それを、自身の指針としてとらえ、生涯、わが信念の大道を歩み抜こうと、心を定めてきたのである。

伸一は、記念幹部会で、「聖人知三世事」の一節を拝して指導していった。人の心は、ともすれば揺れてしまうし、混沌とした時代の行方は見えない。しかし、偉大な方に立脚するならば、人もまた、偉大な力を発揮していくことができる。どこまでも根本は法である。だが、その法を説き、教えてくれる人がいなければ仏法はない。伸一は、諄々と語っていった。

『我らの決めた道』『この道』とは、この妙法流布の大道なんです。広布誓願の大道であり、久遠の使命の大道なんです。この道にこそ、世間の次元では味わうことのできない、信心の醍醐味があり、生命の奥底から湧きいずる喜楽があります。

その偉大なる所願満足の法理を人にも教え、自他共の幸福の波を広く社会に、万年の未来までも流れ通わせていくことを誓い合い、私のあいさつとさせていただきます」そして、最後にまた、「この道の歌」の大合唱となった。記念館部会は、大歓喜のなかに幕を閉じた。

山本伸一は、翌日、東濃に出発する直前、創価同窓の卒業生たちに、心から感謝するとともに、後に続く創価同窓の鳳雛たちを、全力で励ましたかったのである。「諸君の前途は、必ずしも平坦ではないでしょう。待ち受けているのは、疾風怒濤であるとの覚悟が必要です。

孤独に感じることもあるかもしれない。絶望的な気持ちになることもあるかもしれない。常に、現実は厳しい。矛盾だらけです。大事なのは忍耐です。そして、何があろうが、“今に見よ!”と強く、強く、生き抜いていくんです。

たとえ地に倒れることがあったとしても、再び、三たび、四たびと立ち上がり、挑戦し続けるんです。負けないことが、勝つことであり、その人が最後の勝利者になります。君たちのことを思うと、力が沸きます。勇気が出るんです。万事、頼むよ!」

伸一は、東濃文化会館に向かうため、車に乗ると、すぐに、「この道の歌」の歌詞を取り出し、推敲した。引き続き、「東京の歌」の歌詞の遂行を重ねながら、広宣流布の本陣・東京の使命に思いを巡らせた。

“日蓮大聖人が、幕府の置かれた鎌倉を戦いの本拠地とされたのも、鎌倉こそが政治や経済の中心地であるとともに、苦悩する民衆があふれ、他宗派の寺が集まる思想闘争の激戦の舞台であったからだ。そこで、正法正義を明らかにしていくなかに、広宣流布の大きな広がりがあった。学会が首都・東京に本部を置くのも、同じ理由である。”

政治、経済等の中心地にあって戦いを起こせば、それだけ風当たりも強い。あらゆる勢力の攻撃の標的になりかねない。しかし、そこで勝利の旗を打ち立ててこそ、広布の道は大きく開かれる。本陣・東京は、永遠に創価の大城でなければならない。

伸一は、東濃文化会館に向かう途中、名古屋市守山区内にある、喫茶店に立ち寄り、店の学会員とその家族、そして地元の支部長らを励ました。“たとえ短時間でも、できる事は全力を尽くして、すべてやろう”と、決めていたのだ。そして、自らにこう、言い聞かせてきた。

“機会を逃すな!一瞬が勝負だ。一度の励ましによって、生涯にわたる発心の種子を蒔くこともできる!”



太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋
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