『新・人間革命』第28巻 大道の章 214p~
「戸田先生が『原水爆禁止宣言』を行ったのも神奈川です。神奈川は、創価の平和運動の源流なんです。『広宣流布』即『立正安国』です。正法の広がりは、社会の繁栄と平和をもたらすものでなければならない。思えば、日蓮大聖人が『立正安国論』を認められたのも、神奈川の地ではありませんか。
一人ひとりが、勇気をもって、自分の周りから、対話のうねりを起こして、仏法を社会に開いていくんです。対話の先駆であるとの誇りをもって進んでください」神奈川の歌「ああ陽は昇る」の歌詞が紹介されたのである。
伸一は、語った。「『ああ陽は昇る』ーーここに私は、万感の思いを込めました。神奈川の皆さんは、常に何があろうが、わが胸に生命の太陽を輝かせ続けていただきたい。ある意味で、生きるということは、宿命の嵐が襲う暗夜を、手探りで進むようなものである。しかし、太陽が昇れば、すべては明瞭に映し出される。そして、家庭、地域、職場にあって、皆さんご自身が、『太陽』の存在であっていただきたい」
北陸の歌「ああ誓願の歌」の歌詞が発表された。伸一は、北陸の同志に語りかけた。「『常楽の北陸』とは、満々たる生命力をたたえ、どんな苦難に遭遇しようが、常に人生を楽しみきっていける境涯です。
三番目は『同心の北陸』としました。団結こそが、信心の要諦であり、広宣流布推進の大原則だからです。そして、団結をしていくうえでも、必要なのは勇気なんです。勇気がないと、苦手だと思う人に、自分の考えを率直にぶつけたり、直接、連絡を取り合ったりすることを避けてしまう。そこから誤解も生じていきます。勇気をもって、自ら連絡を取り、対話していくことです」
団結ーーその言葉を口にする時、伸一の目は、常に厳しい輝きを放っていた。それは、団結を破る者とは、徹して戦うとの、彼の決意の表れであった。戸田城聖は「学会は、人材をもって城となすのだ!」と語ったが、団結がなければ、創価城の人材の石垣も崩れてしまうからだ。
「これから北海道の歌も作っていきます。どんどん各地の歌を作ります。方面だけではなく、千葉や神奈川のように、県の歌を作って、お贈りすることもあります。今年は、新しい支部制がスタートした。その新しい前進を歌い上げていきたいんです。私たちは、威風堂々と、歓喜の歌声を響かせ、前進していこうではありませんか!」
翌日の8月9日、山本伸一は、九州は宮崎の天地に立っていた。九州でも、宗門の僧による学会攻撃が激しく、特に大分では、多くの学会員が迫害され、悔し涙を拭いながらも、創価の正義を叫び抜いていたのだ。
北海道でも、名寄などで、獅子身中の虫となった悪侶が、学会への中傷を重ねて組織を切り崩し、寺の檀徒にしようという動きが激化していた。学会を辞めると言い出した人を、朝、激励し、決意の声を聞き、握手を交わしても、昼には悪侶にたぶらかされ、翻意しているのだ。一瞬の油断も許されない攻防戦であった。それが悪との闘争なのだ。
伸一は、創価桜の咲き誇る勝利の春を思いつつ、「北海道の歌」を作詞した。「“師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている”というのが、私の力の源泉だった。師弟共線とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今もその思いで戦っています」
2008年(平成20年)9月、伸一が加筆し、歌の題名も「三代城の歌」となったのである。北海道は、永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共線の大地であらねばならぬーー「三代城の歌」は、伸一の、その祈りの結晶であった。
伸一は、8月22日、長野県松本市に向かっていた。車中、彼は、「長野の歌」の作詞に余念がなかった。翌23日、長野広布20周年を記念する県幹部会が晴れやかに行われた。席上、長野県歌「信濃の歌」を「信濃混声合唱団」が高らかに歌い上げたのである。
8月24日は、伸一の入会31周年の記念日である。伸一は、入会の日を回想しながら、自身の心境を語った。「元来、病弱であった私は、8月24日がめぐり来るたびに、“今年も、よくぞ生き抜いてこれたな”との実感をいだいていました。
その私が、こうして元気に広宣流布の指揮を執ることができる。広布に生きるならば、己心の仏の大生命を開くことができるんです。これが、仏法の、御本尊の力なんです!」
この日、彼は、万感の思いを句に詠んだ。「忘れ得ぬ この日は信濃で 指揮とれり」
伸一は、語った。「『ああ陽は昇る』ーーここに私は、万感の思いを込めました。神奈川の皆さんは、常に何があろうが、わが胸に生命の太陽を輝かせ続けていただきたい。ある意味で、生きるということは、宿命の嵐が襲う暗夜を、手探りで進むようなものである。しかし、太陽が昇れば、すべては明瞭に映し出される。そして、家庭、地域、職場にあって、皆さんご自身が、『太陽』の存在であっていただきたい」
北陸の歌「ああ誓願の歌」の歌詞が発表された。伸一は、北陸の同志に語りかけた。「『常楽の北陸』とは、満々たる生命力をたたえ、どんな苦難に遭遇しようが、常に人生を楽しみきっていける境涯です。
三番目は『同心の北陸』としました。団結こそが、信心の要諦であり、広宣流布推進の大原則だからです。そして、団結をしていくうえでも、必要なのは勇気なんです。勇気がないと、苦手だと思う人に、自分の考えを率直にぶつけたり、直接、連絡を取り合ったりすることを避けてしまう。そこから誤解も生じていきます。勇気をもって、自ら連絡を取り、対話していくことです」
団結ーーその言葉を口にする時、伸一の目は、常に厳しい輝きを放っていた。それは、団結を破る者とは、徹して戦うとの、彼の決意の表れであった。戸田城聖は「学会は、人材をもって城となすのだ!」と語ったが、団結がなければ、創価城の人材の石垣も崩れてしまうからだ。
「これから北海道の歌も作っていきます。どんどん各地の歌を作ります。方面だけではなく、千葉や神奈川のように、県の歌を作って、お贈りすることもあります。今年は、新しい支部制がスタートした。その新しい前進を歌い上げていきたいんです。私たちは、威風堂々と、歓喜の歌声を響かせ、前進していこうではありませんか!」
翌日の8月9日、山本伸一は、九州は宮崎の天地に立っていた。九州でも、宗門の僧による学会攻撃が激しく、特に大分では、多くの学会員が迫害され、悔し涙を拭いながらも、創価の正義を叫び抜いていたのだ。
北海道でも、名寄などで、獅子身中の虫となった悪侶が、学会への中傷を重ねて組織を切り崩し、寺の檀徒にしようという動きが激化していた。学会を辞めると言い出した人を、朝、激励し、決意の声を聞き、握手を交わしても、昼には悪侶にたぶらかされ、翻意しているのだ。一瞬の油断も許されない攻防戦であった。それが悪との闘争なのだ。
伸一は、創価桜の咲き誇る勝利の春を思いつつ、「北海道の歌」を作詞した。「“師匠が見ておられる。勝利を待ってくださっている”というのが、私の力の源泉だった。師弟共線とは、弟子が戦い、勝って、師に勝利を報告することだと、私は決めてきた。今もその思いで戦っています」
2008年(平成20年)9月、伸一が加筆し、歌の題名も「三代城の歌」となったのである。北海道は、永遠に師の魂を受け継ぐ、師弟共線の大地であらねばならぬーー「三代城の歌」は、伸一の、その祈りの結晶であった。
伸一は、8月22日、長野県松本市に向かっていた。車中、彼は、「長野の歌」の作詞に余念がなかった。翌23日、長野広布20周年を記念する県幹部会が晴れやかに行われた。席上、長野県歌「信濃の歌」を「信濃混声合唱団」が高らかに歌い上げたのである。
8月24日は、伸一の入会31周年の記念日である。伸一は、入会の日を回想しながら、自身の心境を語った。「元来、病弱であった私は、8月24日がめぐり来るたびに、“今年も、よくぞ生き抜いてこれたな”との実感をいだいていました。
その私が、こうして元気に広宣流布の指揮を執ることができる。広布に生きるならば、己心の仏の大生命を開くことができるんです。これが、仏法の、御本尊の力なんです!」
この日、彼は、万感の思いを句に詠んだ。「忘れ得ぬ この日は信濃で 指揮とれり」
太字は 『新・人間革命』第28より 抜粋