小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

April 2021

魔軍と仏の軍との熾烈な戦い

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 256p~

5月13日、山本伸一は九州へ飛んだ。“日本全国をくまなく回り、一人でも多くの同志と会って励まさねばならぬ!”宗門の悪侶による学会誹謗に、苦しんでいる会員のことを思うと、伸一の胸は激しく痛むのであった。

「法華行者諸難事」の「各各我が弟子たらん者は深く此の由を存ぜよ設い身命に及ぶとも退転すること莫れ」から「互いにつねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」を拝読して指導していった。
当時、大聖人に従う者は強く戒める旨の偽の御教書が出されるなど、迫害は一段と激しさを増していたのである。

そのなかで、大聖人は、たとえ大難を受け、命に及ぶようなことがあったとしても、絶対に退転してはならないと、弟子たちに呼びかけられている。そして、何があっても、皆が信心を貫いていくために、「互につねに・いゐあわせてひまもなく後世ねがわせ給い候へ」と指導されたのである。

伸一は、力を込めて訴えた。「人間は、一人になってしまうと弱い。ましてや、迫害の中では、おそれを感じ、自分の弱い心に引きずられ、次第に信心を後退させていってしまう。つまり、『臆病』という自分の心が、師匠になってしまうんです。

ゆえに大聖人は、『心の師とはなるとも心を師とすべからず』との経文をあげて、自分を正しい信心へと導く“心の師”の大切さを述べられています。仏道修行には、師匠が、また、同志が必要なんです」

伸一は、いかなる試練が競い起ころうが、一人たりとも、脱落させたくなかった。ゆえに彼は、皆が強情な信心を全うしていくうえで、学会の組織がいかに重要であるかを訴えていったのである。

「もともと『僧』という言葉自体が、仏になるための修行をする人びとの集団である『僧伽』の略であり、後に、個々の修行者のことも僧というようになった。つまり、本来、仏道修行は単独で行うものではなかったのであります。

成仏のためには、善智識といって、仏道へと自分を導き、励ましてくれる人の存在が必要なんです。その切磋琢磨し合う姿を、大聖人は『互いにつねに・いゐあわせて」と言われているんです。この通りに実践しているのが、学会の組織です。

大聖人は『日蓮が一門となりとをし給うべし』と仰せになっている。一門というのは、人と人の連帯です。組織です。そのなかで、共にスクラムを組み、異体同心の団結で進み抜いていきなさいと、大聖人は言われている。なぜなら、そこにしか、広宣流布の大前進も、自身の大成長もないからです。

戸田先生は、学会を『仏意仏勅の団体』と言われ、『創価学会仏』とさえ表現された。広宣流布をわが使命とし、異体同心のスクラムを組むなかで、創価学会仏の一員となり、崩れざる幸福を築くことができるんです。どうか、皆さんは、この尊い学会から、生涯、離れることなく、人間革命の大道を、誇らかに歩み抜いていってください」

学会を離れて、真実の仏法の実践はない。功徳爛漫の人生も、境涯革命も、一生成仏もないーーそれが、伸一の断固たる確信であった。

伸一は、「今日は、私どもの信心を妨げる第六点の魔王について、ともどもに思索してまいりたい」と前置きし、「辨殿尼御前御書」を拝していった。「広宣流布を進めようとするならば、必ず第六天の魔王が十軍を使って、戦を起こしてくる。

この第六天の魔王とは何か。人びとの成仏を妨げる魔の働きの根源をなすものです。魔王という固有の存在がいるのではなく、人びとの己心に具わった生命の働きです。ゆえに、成仏というのは、本質的には、外敵との闘いではなく、わが生命に潜む魔性との熾烈な戦いなんです。つまり、内なる魔性を克服していってこそ、人間革命、境涯革命があり、幸せを築く大道が開かれるんです」

第六天の魔王は、智慧の命を奪うところから「脱命」といわれる。また、「他化自在天」ともいって、人を支配し、意のままに操ることを喜びとする生命である。その結果、人びとの生命は委縮し、閉ざされ、一人ひとりがもっている可能性の芽は摘み取られていくことになる。戦争、核開発、独裁政治、あるいは、いじめにいたるまで、その背後にあるのは、他者を自在に支配しようという「他化自在天」の生命であるといってよい。

それに対して、法華経の行者の実践は、万人が仏性を備えた尊厳無比なる存在であることを教え、一人ひとりの無限の可能性を開こうとするものである。両者は、人間を不幸にする働きと幸福にする働きであり、それが鬩ぎ合い、魔軍と仏の軍との熾烈な戦いとなる。この魔性の制覇は、仏法による以外にないのだ。

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

富める人

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 243p~

伸一は、区次長の林田清夫に声をかけた。「いよいよ、これからが本当の戦いです。今まで培ってきた経験や実績は、皆のために生かしていかなければ意味はありません。草創期を戦い抜いてきた人たちには、自分が教わったことや、自ら学んできたことを、しっかり後輩に伝えていく責任があるんです。また、最後まで戦い抜いてこそ、人生の使命を果たすことができるんです。どうか、挑戦と前進を重ね、永遠の青年であってください。私もそうします!」

林田の入会は、昭和30年。妻の入会し、林田も誘われたが断っていた。林田は自分が大組織のなかの歯車のように思っていた。林田は、断る理由がなくなり、座談会に出席し、集った人たちが“人生をいかに生きるか”への確信を持っていると感じ、入会を申し出た。

幹部から「自分だけ祈っていればいいというものではない。人にも仏法を広め、折伏していくのが、正しい仏道修行なんです。できますか!」と言われ、林田は、友人に信心の話をし、入会希望者とともに自分も入会した。

使命の自覚は、人を急速に成長させる。信心を初めてから林田は、いつの間にか、健康になっていた。また、人前で話すことが苦手だった内向的な性格も、次第に変わっていった。その変化に林田をじっと見ていた係長が入会したのである。

また、人材育成については、“一緒に行動する”ことを信条としてきた。
林田は、広宣流布のために、職場でも勝利の実証を示したいとの思いで、懸命に仕事に励んできた。国鉄の教育機関で教育にあたるなど、職場の第一人者となり昭和53年の3月定年退職し、新たな職場に勤め始めたところであった。

伸一は、林田を見つめて言った。「
信心は、晩年が、総仕上げの時が大事なんです。生涯、若々しい闘将であってください。要領主義の幹部など、悠々と見下ろしながら、最後まで、黙々と、堂々と、学会を支えてください。そこに、真実の黄金の人生があります。あなたには、生涯をかけて、そのことを証明していってほしいんです」

練馬文化会館の開館記念勤行会に出席した伸一は、懇談的に話をした。「法華経は宝の山であり、御本尊は無限の力を備えております。ゆえに、その御本尊を受持した人は、最大に福運ある人であり、すべてが、“富める人”なのであります」“富める人”とは、単に経済的、物質的に豊かな人を指すのではない。どんな状況や環境下におかれても、高く大きな境涯で、充実と歓喜を満喫しながら生きることができる“心の豊かさ”である。それこそが、幸福を確立するための根本条件といえよう。

「信心強情な人こそ、最も“富める人”です。どうかこの確信をもって進んでください。信心とは、確信なんです。大確信をもつには、まず小さな体験でよいから、功徳の体験をたくさん積んでいくことです。その体験が集積され、次第に大確信をもてるようになる。それには、日々の祈りは具体的であることが大事です。自分のかかえている一つ一つの悩みや問題の克服を、日々、懸命に祈っていくんです。悩みが解決した分だけ、確信は強まっていきます」

伸一は、次のように話を結んだ。「いかなる試練があろうとも、そのなかで苦労を重ね、同志を守り、仏道修行に励み抜いた人は、最後は必ず勝ちます。試練と言うのは、自分を磨き、大きく飛躍していくためのものなんです。皆さんは、何があっても一喜一憂することなく、“今に見よ!”との一念で、一生成仏の坂道を勇敢に上り抜いていってください」

伸一が、最後に、こう語ったのは、練馬の北町方面で組織が攪乱されるという出来事があったからである。御本尊に不信をいだき、陰で学会批判を繰り返す総ブロック幹部がいた。問題が表面化した時には、信心を惑わされた数世帯の会員が離反。しかも、離反者たちは、人間関係を使って、組織を越え、さらに脱会の誘いをかけていたのだ。

状況の把握の遅れや、多くの幹部が“何かおかしい”と感じながら、踏み込んだ指導をできずにきたことが、混乱を大きくする一因となった。事態を知った学会本部では、副会長、姜学部長、婦人部幹部が派遣され、徹底して個人指導を重ね、「一致団結して、弘教の大波を起こしていこう」と果敢に弘教を展開した。そして、見事に組織は蘇生し、支部制のスターとともに、希望の前進が開始されたのだ。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

個人指導ノート

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 228p~

同志のなかへ、生命のなかへ。今こそ、一人でも多くの法友と会い、広宣流布への新しき誓願と共線の旅立ちをしようーー山本伸一は走った。5月9日には、練馬文化会館の開館記念勤行会に出席した。かつて彼が支部長代理を務めた文京支部で、一緒に活動に励んだ金田都留子に声をかけた。

彼女は、伸一が担当していた座談会に参加した。文京支部長の田岡治子が「人は、信じる対象によって大きな影響を受けます。詐欺師を信用したら、お金などをだまし取られます。間違った地図を信じると道に迷い、目的地にはつけません。宗教はその人の生き方の根本の教えであり、幸福を目指す地図です。もし、誤った教えを信じてしまえば、人生を根本から狂わせてしまうことになりかねません。」と話した。

「頑張ったからといって、皆が皆、必ずしも幸福になれるとは限らない。それは、福運によるんです。」伸一から「福運」という言葉を聞いた時、28歳で亡くなった兄が、「人生をよりよく生きるための、正しい宗教を探してほしい」と死を前にして語ったのを思い出した。

金田は伸一という初対面の青年に、真心と信仰への強い確信を感じ、「信心をさせてください」と思わず、言っていた。伸一は、語った。「この信心をすると、必ず周囲の反対に遭います。魔が競い起こってきます。…勇気がなければ、信心を貫いていくことはできません。その覚悟はおありですか」

「はい」都留子は、“毎日、死にたいと思っているような人生ではないか。それが転換できるのなら、だれに反対されようが、絶対に信心を貫いてみせる!”と、固く、心に誓った。都留子は、真剣に信心に励んだ。ほどなく、長男の結核の進行が止まった。学校にも通えるようになった。そこに、仏法の力を感じた。欣喜雀躍して、日々、勇んで学会活動に飛び出していった。

功徳の体験に勝る力はない。入会して間もなく、彼女は、伸一の「立正安国論」講義を聴いた。大きな衝撃を受けた。目の覚める思いがした。都留子は、自分の世界が、大きく広がっていく思いがした。これまで、考えもしなかった壮大な歴史の流れのなかに、自分がいることを感じた。人は広宣流布の使命を自覚する時、境涯革命の扉が開かれるのだ。

彼女は、自分も広宣流布の大理想を担う一人であると思うと、胸は高鳴り、体が打ち震える思いがした。その胸に、広宣流布への使命の灯火が、明々ととともされたのである。彼女は、いつも”死にたい”
と思っていた自分が、日々、歓喜に燃えて生きていることを、誰かに語らずにはいられなかった。


伸一が、第三代会長に就任した60年5月3日、大発展を遂げた文京支部は、三支部に分割され、
金田は、新設された新宿支部の婦人部長となったのである。当時、彼女は板橋区に住んでいた。新宿区の支部事務所を拠点として活動に励んだ。

タテ線時代のことであり、支部員は、目黒、世田谷をはじめ、東京各区や、千葉、神奈川など近県に存在し、長野県にもいた。支部員宅の訪問も、電車やバスを乗り継がねばならず、日に、2、3件を回るのがやっとであった。日々の交通費を工面するのも悩みの種であった。生活費は、節約に節約を重ねた。家には電話がないため、連絡、報告も一苦労であった。公衆電話の順番を待つこともあった。

彼女は、個人指導ノートを作り、会った人たちの状況や指導した内容などを、克明に記していった。そして、一人ひとりが、かかえている悩みを克服できるように、真剣に題目を送るとともに、定期的に連絡を取った。

“本人が苦労を乗り越え、見事な信心の実証を示してこそ、個人指導が完結する!”支部員の幸せを祈って生きていくなかで、彼女自身がたくさんの功徳を受けた。電話付きの大きな家に転居し、家族も皆、健康になっていった。また、何より笑いの絶えない家庭になった。

彼女の個人指導ノートに記載された人の数は、優に千人を超えていた。それは、幸せの大輪を咲かせた数でもあった。この個人指導ノートは、彼女の誇らかな宝物となっていたのである。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

会長としての総仕上げの一年

『新・人間革命』第27巻 激闘の章 213p~
<激闘の章 開始>

ヨーロッパ統合の父クーデンホーフ・カレルギーは、信念の言葉を記した。「人生は闘争であり、また、いつまでも闘争であるべきである」

山本伸一の会長就任18周年となった、1978年(昭和53年)5月3日、全国各地の開館で、「5・3」を祝賀する記念勤行会が、晴れやかに開催された。「広宣流布の流れは、“大河”の時代から“大海”へと向かっております。大海原の航海には、激しい風雨も、怒涛もあることを覚悟しなければなりません。

しかし、競い起こる諸難は、経文に、御書に照らして、正義の信仰を貫いている証明です。私たちは、いよいよ信心強情に、何ものをも恐れず、満々たる功徳を受けながら、楽しい人生を歩んでいこうではありませんか!」簡潔なあいさつであったが、参加した同志の心を強く打つ指導となった。

学会の組織は、大きな世代交代の時期を迎えていた。新しいリーダーが、功労者の先輩を最高に遇していけるかどうかが、広宣流布進展の重要なポイントとなる。具合的には、その組織に、どんな先輩がいるのかを知っていくことから始まる。そして、一人ひとりにお会いし、敬意をもって、広宣流布とともに歩んだ体験に耳を傾け、そこから真摯に学んでいくことである。

さらに、どうすれば、その先輩がいかんなく力を発揮し、皆が喜び、地域広布が前進するのかを考えていくことだ。学会は、人材の大城である。さまざまな力、実績をもった多くの功労者がいる。その方々に光を当てて、力を借りていくならば、組織は何倍も強くなる。広宣流布を決するのは、総合力である。総合力とは団結力である。

大聖人は仰せである。「いよいよ強情の信力をいたし給へ」明日へ、未来へと、命ある限り法を求め、自分を磨き、鍛え、挑戦していく。それが、仏法者の生き方である。ゆえに、信心の功労者とは、過去の人ではない。未来に向かって、広宣流布のために、新たな挑戦をし続ける人である。

伸一は、創価大学の会議室で、テレビ局や新聞各社の記者と懇談会をもった。「私は、教育の主軸は『教』から『育』に移していかなければ、豊かな創造性は培えないと思っています。この『人を育てる』作業にこそ、時代の再生と、未来の建設があると考えています」

記者が質問した。「青年たちに、特に強く訴えておられるのは、どんなことでしょうか」「私が強調していることの一つは、『苦難を避けるな。苦労しなさい。うんと悩みなさい』ということです。近年、青年たちは、苦労を避け、悩もうとしない傾向が強くなっています。」

「私は、青年たちに、苦闘を厭わぬ信念と哲学をもってほしいんです。自分の置かれた現実と、そこに横たわる困難を避けずに直視し、真正面からぶつかっていくことが大事なんです。労苦のなかった偉人も、英雄もいません。人生の一つ一つの苦しみが、自身の向上の力となり、創造の源となっていきます」

「苦労せずしては、人の苦しみはわかりません。もしも、そんな指導者が社会を牛耳るようになれば、民衆が不幸です。だから私は、未来を担う青年たちに、『苦労しなさい』と言い続けています。人びとの苦労がわかる人になってもらいたいんです。そのためには、自ら困難を避けず、勇んで苦労を引き受け、人一倍、悩むことです」人間が大成していくうえで、不可欠なものは、悩むということである。人間のもつさまざまな能力は、悩む力、いわば“悩力”の産物であるといっても過言ではない。

「私は、来年の5月で、会長就任20年目に入ります。その意味では、この1年は、会長として総仕上げの年であると、心を定めております。後継の青年たちを、全力で育て上げていきます」

伸一は、可能な限り、新聞記者など、マスコミ関係者の要望を受け入れ、懇談の機会を持つようにしていた。誤解や偏見の多くは、直接会い、真実の姿を知ってもらうことによって、払拭していくことができる。

しかし、一部のマスコミ関係者が、政治的な意図や悪意をもって、初めから学会を中傷し、攻撃することを目的に、接触してくるケースもあった。誠実に応対しても、善意は踏みにじられ、発言は、ことごとく悪用された。それでも伸一は、学会の真実を伝えようと、真心を尽くして、マスコミ関係者との語らいに努めてきたのである。


太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋

入魂の励まし

『新・人間革命』第27巻 正義の章 194p~

戦後、波多の夫は9人の子どもを残して他界。彼女は必死に生きた。さまざまな信仰にもすがった。75万世帯達成をめざす広宣流布の弘教の波が、三重の山村にも広がる。露崎アキという婦人が実家の白山町に帰り、魚の行商をしながら女で一つで3人の娘を育てていた。彼女が波多に仏法の話をしたのだ。

波多は自分と同じ境遇でありながら、生き生きとした姿に魅了され、入会を決意した。露崎の、”日蓮大聖人の仏法は、自行化他の信心であり、自分の幸せしか考えない宗教は本当の宗教ではない”との言葉に、その通りだと、仏法対話に歩いた。

周囲の人たちから、猛反発が起こった。他の信仰をしていた時には、全くなかったことである。仏道修行に励めば魔が競い起こると、覚悟を決めることこそ、信心の第一歩である。新入会者に、弘教の実践とともに、それを徹底して教えてきたことによって、広宣流布の盤石な基盤がつくられたのだ。

幹部から”魔が競い起こるか否かによって、その教えが正しいかどうか、自分の信心が本物かどうかを、見極めることができる””法難に遭うことによって、過去背からの悪業を今世で消して、一生成仏することができる。だから、難を呼び起こしていく信心が大事なんです”と指導を受けた。

退転の本質は、臆病であり、保身にある。しかし、自己を正当化するために、問題を方法論などにすり替えて、正義の人を攻撃するのが、退転の途の常套手段である。いかに時代は変わろうが、信心ある人には、広宣流布の前進あるところには、必ず魔が競い、魔が襲う。

波多は、周囲のいかなる仕打ちにも、迫害にも挫けまいとの決意を固めた。入会した友を、その決意に立たせてこそ、本当の折伏である。それが、広宣流布の大いなる拡大の原動力になるのだ。

彼女は燃えていた。貧困に喘ぎ、汲々としてきた自分が、人びとを幸福にするために情熱を燃やしていること自体、不思議な気がするのである。「楽して、楽してかなわんわ」それが、彼女の口癖であった。やがて、子どもたちも、全員、信心に励むようになった。さらに、家も新築することができたのである。

何を言われようが、どんな目に遭おうが、自分が弘教した人が、功徳を受け、幸せになっていくことに勝る喜びはなかった。

伸一が、波多に「いちばん辛かったこと、悔しかったことはなんですか」と尋ねると、「葬式に、正宗の坊さんがきてくれんだことですわ…」と口ごもりながら答えた。そして、露崎と二人で勤行し、野辺送りを済ましたが、それがよかったのかと思い続けていたのだ。伸一は、「故人も、最高に喜んでいるでしょう」と包み込むように言った。

同行の幹部に「君たちは、大学を出て、若くして幹部になったことで、自分は偉いかのように思ったりしてはいけません。そんな考えが微塵でもあるなら、既に生命が慢心に毒されている証拠です。君たちには、地域広布に命をかけてきた、このおばあちゃんのような戦いはできていないではありませんか!」厳しい口調であった。

「幹部は、寸暇を惜しんで、皆の激励に回ることです。“もう一軒、もう一軒”と、力を振り絞るようにして、黙々と個人指導を重ねていくんです。何度も何度も、粘り強く、個人指導を重ねてこそ、人材の大地が耕されていくんです」

三重支部結成18周年の記念幹部会に出席した。この席でも、個人指導重要性について訴えた。「一人でいたのでは、信心の触発や同志の激励がないため、大成長を遂げることも、試練を乗り越えていくことも極めて難しい。私どもが、個人指導を最重要視して、対話による励ましの運動を続けているゆえんも、そこにあるんです。

自分一人の信仰では、進歩も向上も乏しい。我見に陥り、空転の信心になりやすい。ゆえに広宣流布のために和合の組織が必要不可欠であることを、私は強く訴えておきたい」伸一にとっては、一回一回の会合が、一人ひとりの同志との出会いが、生命触発の“戦場”であった。真剣勝負であった。広布破壊の悪侶らは次第に数を増し、牙を剥き、愛する同志を虎視眈々と狙っていたからである。

魔の執拗な攻撃を打ち破るには、正義の獅子吼を発し続けるしかない。
4月30日「千葉文化祭」を鑑賞した。

牧口・戸田の両会長が日蓮仏法に帰依して満50年を迎えようとする今、本来ならば、創価学会を最も賞賛すべき僧のなかから、死身弘法の決意で広宣流布を進める学会を悪口し、その仏意仏勅の組織を攪乱しようとする悪侶たちが出たのだ。

伸一は、時の不思議さを感じた。そして、「外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし」との御文を、噛みしめるのであった。

<正義の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋
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