『新・人間革命』第27巻 激闘の章 316p~
彼は、直ちに、日ごろから会員奉仕に徹してくれている職員への感謝の思いを込め、共に、記念のカメラに収まった。それから、文化会館の倉庫などを視察した。倉庫内では、自ら物品の整理にあたり、合理的な整理整頓の仕方などを職員らに語った。
徒歩で近隣を回り、立ち寄った喫茶店でも、女子職員や婦人部の方面幹部らと懇談を重ねた。伸一は集っていた最高幹部に言った。「広宣流布の大闘争といっても、特別なことなど何もないんです。日々、月々、同じことの繰り返しといってよい。日本国中、いや、世界各国、どこへ行こうが同じです。
その一つ一つに全生命を注ぎ込む思いで、真剣に取り組むんです。“もう一歩深く、心の中へ入ろう!”“もっと強く、魂を揺さぶる思いで励まそう!”と、いつも自分に言い聞かせながら、戦い挑んでいます。どんなに高い峰も、登攀するには、一歩、また一歩と、着実に力強く、足を踏み出し続けていくしかない。地道即大前進なんです」
「今や学会は、各方面や各県で堂々とした本部幹部会が開けるようになった。私は、各地方が力をつけて、東京をリードしていく時代を、早くつくりたいんです。中央のための地方ではないし、地方の上に中央があるのでもない。むしろ、地方のために中央があるんです。それを、はき違えると、各方面や各県区の発展の芽を摘んでしまうことになります。
日本の政治がそうです。地方と東京との経済格差や、地方の文化的環境整備の遅れなどは、東京中心の構造がつくられてきたからといえます」
山本伸一は訴えていった。「日蓮大聖人は、『本迹の相違は水火天地の異目なり』と仰せになっております。迹門と本門とでは、大きな違いがあることを述べられている御文です」
「大聖人の仏法を広宣流布していく私どもの立場から、この『本』と『迹』について考えるならば、次のようにとらえることができます。広宣流布を口にしても、本当の実践がなく、ただ単に、観念的な理論を振り回しているだけであれば、それは『迹』にすぎません。
それに対して、現実のうえでの実践、振る舞いこそが『本』となります。広宣流布を推進するために、実際に諸活動に参加する。功徳の実証を示し、信仰体験をもって、仏法対話を展開していくーーそうした事実上の行動こそが、最も重要な『本』なんです。つまり、いちばん大事なことは、“現実に広宣流布のために何をしたか”ということです」
貧しさに耐え、病に苦しみ、蔑まれ、諍いに疲れ、生きる気力さえ失った友を励まし、その心に、妙法という勇気と希望と蘇生の火をともし続けてきたのは誰か!社会の底辺に追いやられてきた民衆を、社会建設の主体者として立ち上がらせ、立正安国の道を切り開いてきたのは誰か!
冷笑、非難、中傷、罵詈、罵倒…の飛礫にさらされても、友のために、不幸に泣く人のために、汗を流し、足を棒にして、来る日も来る日も、広宣流布に走り抜いてきたのは誰か!
上品ぶった偽善家は眉をひそめて見て見ぬふりをし、保身の批評家が背を向けた。苦悩する人びとのなかに、同志は飛び込み、事実の上に、民衆勝利の旗を打ち立ててきたのだ。
最後に、伸一は力強く訴えた。「広宣流布を現実に推進している創価学会の活動こそ、社会の一大変革運動であります。そして、それは、地涌の菩薩の行の実践であり、日蓮大聖人の『本門』の教えの実践にほかなりません。私どもは『本門』の大道を進む誇りを胸に、勇躍、新たな前進を開始していこうではありませんか!」
“単なる決意に終わってはならない。勇気ある行動だ!果敢なる実践だ!”参加者は頬を紅潮させながら、広宣流布を誓願し、平和原点の地・広島から、新しい挑戦への第一歩を踏み出したのである。
5月21日午後岡山へ向かった。岡山県女子部の第一回合唱祭に出席するためである。伸一の体調は、決して思わしくなかった。疲労が蓄積していた。しかし、「岡山へ行こう。女子部が待ってるんだもの。励ましたいんだ」と車に乗り込むのであった。
合唱祭のフィナーレは、750人の出演者による女子部歌「青春桜」の大合唱であった。伸一が女子部長らに、「歌詞を見てください」と頼まれ、筆を加えた歌である。女子部員は、伸一の心を噛み締め、この歌とともに、新世紀へのスタートを切ったのだ。
<激闘の賞 終了>
彼は、直ちに、日ごろから会員奉仕に徹してくれている職員への感謝の思いを込め、共に、記念のカメラに収まった。それから、文化会館の倉庫などを視察した。倉庫内では、自ら物品の整理にあたり、合理的な整理整頓の仕方などを職員らに語った。
徒歩で近隣を回り、立ち寄った喫茶店でも、女子職員や婦人部の方面幹部らと懇談を重ねた。伸一は集っていた最高幹部に言った。「広宣流布の大闘争といっても、特別なことなど何もないんです。日々、月々、同じことの繰り返しといってよい。日本国中、いや、世界各国、どこへ行こうが同じです。
その一つ一つに全生命を注ぎ込む思いで、真剣に取り組むんです。“もう一歩深く、心の中へ入ろう!”“もっと強く、魂を揺さぶる思いで励まそう!”と、いつも自分に言い聞かせながら、戦い挑んでいます。どんなに高い峰も、登攀するには、一歩、また一歩と、着実に力強く、足を踏み出し続けていくしかない。地道即大前進なんです」
「今や学会は、各方面や各県で堂々とした本部幹部会が開けるようになった。私は、各地方が力をつけて、東京をリードしていく時代を、早くつくりたいんです。中央のための地方ではないし、地方の上に中央があるのでもない。むしろ、地方のために中央があるんです。それを、はき違えると、各方面や各県区の発展の芽を摘んでしまうことになります。
日本の政治がそうです。地方と東京との経済格差や、地方の文化的環境整備の遅れなどは、東京中心の構造がつくられてきたからといえます」
山本伸一は訴えていった。「日蓮大聖人は、『本迹の相違は水火天地の異目なり』と仰せになっております。迹門と本門とでは、大きな違いがあることを述べられている御文です」
「大聖人の仏法を広宣流布していく私どもの立場から、この『本』と『迹』について考えるならば、次のようにとらえることができます。広宣流布を口にしても、本当の実践がなく、ただ単に、観念的な理論を振り回しているだけであれば、それは『迹』にすぎません。
それに対して、現実のうえでの実践、振る舞いこそが『本』となります。広宣流布を推進するために、実際に諸活動に参加する。功徳の実証を示し、信仰体験をもって、仏法対話を展開していくーーそうした事実上の行動こそが、最も重要な『本』なんです。つまり、いちばん大事なことは、“現実に広宣流布のために何をしたか”ということです」
貧しさに耐え、病に苦しみ、蔑まれ、諍いに疲れ、生きる気力さえ失った友を励まし、その心に、妙法という勇気と希望と蘇生の火をともし続けてきたのは誰か!社会の底辺に追いやられてきた民衆を、社会建設の主体者として立ち上がらせ、立正安国の道を切り開いてきたのは誰か!
冷笑、非難、中傷、罵詈、罵倒…の飛礫にさらされても、友のために、不幸に泣く人のために、汗を流し、足を棒にして、来る日も来る日も、広宣流布に走り抜いてきたのは誰か!
上品ぶった偽善家は眉をひそめて見て見ぬふりをし、保身の批評家が背を向けた。苦悩する人びとのなかに、同志は飛び込み、事実の上に、民衆勝利の旗を打ち立ててきたのだ。
最後に、伸一は力強く訴えた。「広宣流布を現実に推進している創価学会の活動こそ、社会の一大変革運動であります。そして、それは、地涌の菩薩の行の実践であり、日蓮大聖人の『本門』の教えの実践にほかなりません。私どもは『本門』の大道を進む誇りを胸に、勇躍、新たな前進を開始していこうではありませんか!」
“単なる決意に終わってはならない。勇気ある行動だ!果敢なる実践だ!”参加者は頬を紅潮させながら、広宣流布を誓願し、平和原点の地・広島から、新しい挑戦への第一歩を踏み出したのである。
5月21日午後岡山へ向かった。岡山県女子部の第一回合唱祭に出席するためである。伸一の体調は、決して思わしくなかった。疲労が蓄積していた。しかし、「岡山へ行こう。女子部が待ってるんだもの。励ましたいんだ」と車に乗り込むのであった。
合唱祭のフィナーレは、750人の出演者による女子部歌「青春桜」の大合唱であった。伸一が女子部長らに、「歌詞を見てください」と頼まれ、筆を加えた歌である。女子部員は、伸一の心を噛み締め、この歌とともに、新世紀へのスタートを切ったのだ。
<激闘の賞 終了>
太字は 『新・人間革命』第27巻より 抜粋