『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 315p~
<奮迅の章 開始>
1978年(昭和53年)1月27日には、東京・杉並区の方南支部結成大会に出席するため、杉並文化会館を訪れた。伸一が東京の支部結成大会に出席することにしたのは、東京の、なかでも「山の手」の強化こそ、広布第二章の重要なテーマであると考えていたからだ。
草創期、学会は、主に下町方面を中心に広宣流布の拡大の輪を広げてきた。「山の手」は、家の造りからして門を構えた住宅が多く、ともすれば人間関係も希薄化し、弘教を推進するうえでも、何かと苦労があった。しかし、そこで、仏法流布の新しき道が開かれなければ、首都・東京の未来は閉ざされてしまう。
厳しい条件、大変な事態は、常に、どの地域にもある。唱題根本に、知恵を絞り、勇気ある行動で、そこに、広宣流布の大道を切り開いていくのが、師子の使命である。
27日の支部結成大会は、全国に先駆けての開催となる。伸一の出席いかんを問わず、その成否は、全国の支部に大きな影響を与えることになる。何事も初めが大事である。それが、一つの基準となり、目標となって、全体が続いていくことになるからだ。
杉並長の三枝木は、方面総ブロックの総ブロック長らの幹部に伝えた。「必ず大成功の支部結成大会にします」大会当日まで既に10日を切っている。しかも、29日には、任用試験が実施される。そのなかでの結集である。だが、皆が燃えていた。誰がどの人に会って連絡、激励するかなど詳細に詰めていった。
物事を進めるには、大綱が決まったら、一つ一つの事柄に対して、いつ、どこで、誰が、何を行うのかなどを、具体的に検討していくことが肝要である。活動の推進にあたって、あいまいさを残しておけば、そこから破綻が生じてしまう。こまやかな漏れのない対応、小事の完璧な積み重ねのなかに、計画の成就があるのだ。
会場の大広間は人で埋まった。伸一の導師で勤行が始まった。方南支部の「支部証」が支部長に手渡された。次いで支部歌の発表となった。たった4日で忙しいなか苦労して作ったので、2番までしかなかった。
草創の杉並支部出身の副会長の秋月英介があいさつにたち、草創の支部の強さは、各人が"一人立つ精神"に貫かれ、勇気ある実践を展開してきたことにあったと述べた。
組織は、出来上がっていたものではなく、自分たちが必死に動き、汗を流し、涙をぬぐいながら作り出していったものだ。そこには、皆に広布開拓の主体者の自覚があった。主体者となるのか、受け身の姿勢でいるのかーー実は、この見えざる一念のいかんが、広宣流布の一切を決していくのである。
山本伸一は、支部組織の意義に言及していった。「学会の支部は、本部の出先機関ではなく、その地域のために、そこで信心に励む人たちのために、本部と同等の責任と使命を担っていると、私は考えております。
組織体という観点では、学会本部が全国の中心かもしれませんが、自覚のうえでは、支部は地域における学会本部であると決めて、各人が地域に仏法を打ち立て、展開していただきたいと思っております」
「御義口伝」の一節を拝した。「私ども自体が、妙法蓮華経の当体であります。また、『足は経』とありますが、敷衍すれば、それは行動を意味するといえましょう。私たちは、今いる地を、深い因縁で結ばれた本有常住の国土ととらえ、"必ずこの地域を広宣流布するのだ!幸せの花園にするのだ!"と決めて、勇んで行動を起こしていこうではありませんか。その決意と実践がなければ、何十年と、そこに住んでいても、広宣流布は進みません。
広布第二章の今、さらに新しい、その心意気を、その気概を、その決意を、燃え上がらせていくための『支部制』なんです。名称や形式の問題ではありません」
「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭のなかにあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです。創価の法友の輪のなかにあるんです。そこに、模範の広布像をつくるんです。
自身の足元を固めようーーこれが、最も強調しておきたいことです。足元を固めなければ、いかに組織が立派そうに見えても、結局、砂上の楼閣となってしまうからです。」伸一は、この方南支部結成大会の会場から、全国の支部長、支部婦人部長、そして全同志に訴える思いで話を続けた。
<奮迅の章 開始>
1978年(昭和53年)1月27日には、東京・杉並区の方南支部結成大会に出席するため、杉並文化会館を訪れた。伸一が東京の支部結成大会に出席することにしたのは、東京の、なかでも「山の手」の強化こそ、広布第二章の重要なテーマであると考えていたからだ。
草創期、学会は、主に下町方面を中心に広宣流布の拡大の輪を広げてきた。「山の手」は、家の造りからして門を構えた住宅が多く、ともすれば人間関係も希薄化し、弘教を推進するうえでも、何かと苦労があった。しかし、そこで、仏法流布の新しき道が開かれなければ、首都・東京の未来は閉ざされてしまう。
厳しい条件、大変な事態は、常に、どの地域にもある。唱題根本に、知恵を絞り、勇気ある行動で、そこに、広宣流布の大道を切り開いていくのが、師子の使命である。
27日の支部結成大会は、全国に先駆けての開催となる。伸一の出席いかんを問わず、その成否は、全国の支部に大きな影響を与えることになる。何事も初めが大事である。それが、一つの基準となり、目標となって、全体が続いていくことになるからだ。
杉並長の三枝木は、方面総ブロックの総ブロック長らの幹部に伝えた。「必ず大成功の支部結成大会にします」大会当日まで既に10日を切っている。しかも、29日には、任用試験が実施される。そのなかでの結集である。だが、皆が燃えていた。誰がどの人に会って連絡、激励するかなど詳細に詰めていった。
物事を進めるには、大綱が決まったら、一つ一つの事柄に対して、いつ、どこで、誰が、何を行うのかなどを、具体的に検討していくことが肝要である。活動の推進にあたって、あいまいさを残しておけば、そこから破綻が生じてしまう。こまやかな漏れのない対応、小事の完璧な積み重ねのなかに、計画の成就があるのだ。
会場の大広間は人で埋まった。伸一の導師で勤行が始まった。方南支部の「支部証」が支部長に手渡された。次いで支部歌の発表となった。たった4日で忙しいなか苦労して作ったので、2番までしかなかった。
草創の杉並支部出身の副会長の秋月英介があいさつにたち、草創の支部の強さは、各人が"一人立つ精神"に貫かれ、勇気ある実践を展開してきたことにあったと述べた。
組織は、出来上がっていたものではなく、自分たちが必死に動き、汗を流し、涙をぬぐいながら作り出していったものだ。そこには、皆に広布開拓の主体者の自覚があった。主体者となるのか、受け身の姿勢でいるのかーー実は、この見えざる一念のいかんが、広宣流布の一切を決していくのである。
山本伸一は、支部組織の意義に言及していった。「学会の支部は、本部の出先機関ではなく、その地域のために、そこで信心に励む人たちのために、本部と同等の責任と使命を担っていると、私は考えております。
組織体という観点では、学会本部が全国の中心かもしれませんが、自覚のうえでは、支部は地域における学会本部であると決めて、各人が地域に仏法を打ち立て、展開していただきたいと思っております」
「御義口伝」の一節を拝した。「私ども自体が、妙法蓮華経の当体であります。また、『足は経』とありますが、敷衍すれば、それは行動を意味するといえましょう。私たちは、今いる地を、深い因縁で結ばれた本有常住の国土ととらえ、"必ずこの地域を広宣流布するのだ!幸せの花園にするのだ!"と決めて、勇んで行動を起こしていこうではありませんか。その決意と実践がなければ、何十年と、そこに住んでいても、広宣流布は進みません。
広布第二章の今、さらに新しい、その心意気を、その気概を、その決意を、燃え上がらせていくための『支部制』なんです。名称や形式の問題ではありません」
「広宣流布といっても、どこか遠い、別のところにあると思うのは間違いです。自分自身のなかにあるんです。家庭のなかにあるんです。近隣の人びととの絆のなかにあるんです。創価の法友の輪のなかにあるんです。そこに、模範の広布像をつくるんです。
自身の足元を固めようーーこれが、最も強調しておきたいことです。足元を固めなければ、いかに組織が立派そうに見えても、結局、砂上の楼閣となってしまうからです。」伸一は、この方南支部結成大会の会場から、全国の支部長、支部婦人部長、そして全同志に訴える思いで話を続けた。
太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋