『新・人間革命』第26巻 奮迅の章 379p~
いかにして、広宣流布第二章の「支部制」を軌道に乗せるか――山本伸一は、来る日も来る日も、そのことを考え続けていた。広宣流布の戦いにおいて、ひとたび事を起こしたならば、失敗はゆるされないからである。
時は瞬く間に過ぎ去っていく。一分一秒が万鈞の重みをもっている。一瞬たりとも時間をむだにしてはならないーー伸一は、そう自分自身に言い聞かせ続けてきた。彼の迅速な行動も、過密なスケジュールも、時間を大切にするがゆえであった。一瞬の時も、使い方次第で、限りない可能性を発揮するのだ。
3月4日、伸一は、東京青年部の男女部長会に出席した。「能忍」について語った。「人の一生は、波乱万丈です。たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。そして、それには、『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」
人間を無力にしてしまうものは、"もう駄目だ!"というあきらめにある。それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。
広宣流布は、新しき挑戦の旅路である。挑戦には忍耐が必要である。山本伸一は、創価学会の後継者たる青年部員には、労苦に耐え、自身を磨き抜く、「能忍」の人に、真実の勇者に育ってほしかったのである。
もし、青年たちが、本当の苦労を知らぬまま、リーダーになっていけば、民衆の心から離れた創価学会になてしまう。そうなれば学会は行き詰まり、民衆の救済という広宣流布使命を果たしていくことはできない。ゆえに、"創価の後継者"として立つためには、勇んで苦労を引き受け、耐え忍んでいくことが大切になるのだ。
"苦労を避けよう。少しでも楽をしよう"という考え、行動が習性化してしまうと、挑戦への勇気が失われ、前進も、向上も、成長もなくなってしまう。そこから発するのは、保身の腐臭である。すると、周囲の信頼も、尊敬も失われ、人は離れていく。
青年時代に皆の大きな期待を担いながら、大成せずに終わった人を、伸一は何人も見てきた。そうした人たちに共通しているのは、自分は汗を流さずに人にやらせるなど、苦労を避けて通ろうという姿勢であった。
また、青年たちのなかには、健康で、経済面などにも恵まれ、整った環境で、苦労を知らずに育った人もいよう。そうであるならば、学会活動の世界で、自ら率先して、厳しい課題の挑戦し、苦労を重ねながら、自分を磨いていくことである。
病苦の友に信心を教え、励まし抜き、病克服の体験を目の当たりにすれば、自らが病を乗り越えたに等しい喜びと、信心への確信を得ることができる。人間関係や経済的な悩みをもつ友についても同様である。
伸一が、次に力を注ごうとしていたのが、最前線組織であるブロックの充実であった。大創価学会といっても、その実相は、ブロックにこそある。わがブロックで、"何人の人が歓喜に燃えて活動に取り組んでいるのか""何人の人が功徳の体験をもち、信心への絶対の確信をもっているのか"それがそのまま、創価学会の縮図となる。
最前線組織であるブロックを堅固にしてこそ、広宣流布は盤石なものとなり、大創価学会の飛躍があるのだ。そのためには、全幹部が、徹してブロックに入り、一人ひとりと対話し、人材を育むことだ。そして、ブロック長、ブロック担当員を中心に、皆が和気あいあいと、一人ももれなく、喜び勇んで信心に励める"人間共和"の連帯を築き上げることだ。
ブロック強化の流れをつくるにあたり、山本伸一は、東京だけではなく、埼玉から始めようと思った。埼玉のもつ限りない未来性に、大きな期待を寄せていたからである。それは、創価学会にとっても、新しい時代を築く舞台が開かれることを意味する。
埼玉の志木支部川越地区に伸一が 御書講義に通ったことが話題になる。「私は背水の陣の思いで、真剣勝負で講義に臨んだんです。戸田先生は、埼玉から広宣流布の新たな旋風を起こそうと、私を、先生の『名代』として御書講義の担当者に任命し、派遣された。その時、私は23歳でした」
伸一は、懐かしそうに語っていった。戸田は伸一に、語った。「このままでは、75万世帯の達成には、何十年、何百年とかかってしまうことになりかねん。埼玉は大事だ。だから、本腰を入れて、川越地区の建設に取り組んでくれ給え。御書を通して、深く信心を打ち込み、人を育てるんだ。」
いかにして、広宣流布第二章の「支部制」を軌道に乗せるか――山本伸一は、来る日も来る日も、そのことを考え続けていた。広宣流布の戦いにおいて、ひとたび事を起こしたならば、失敗はゆるされないからである。
時は瞬く間に過ぎ去っていく。一分一秒が万鈞の重みをもっている。一瞬たりとも時間をむだにしてはならないーー伸一は、そう自分自身に言い聞かせ続けてきた。彼の迅速な行動も、過密なスケジュールも、時間を大切にするがゆえであった。一瞬の時も、使い方次第で、限りない可能性を発揮するのだ。
3月4日、伸一は、東京青年部の男女部長会に出席した。「能忍」について語った。「人の一生は、波乱万丈です。たとえ、苦難に打ちのめされ、社会での戦いに、ひとたびは負けることがあったとしても、信心が破られなければ、必ず再起できます。最後は勝ちます。そして、それには、『能忍』、よく耐え忍ぶことが大事なんです」
人間を無力にしてしまうものは、"もう駄目だ!"というあきらめにある。それは、自らの手で、自分に秘められた可能性の扉を閉ざし、精神を閉じ込めてしまうことにほかならない。あきらめこそが、敗北の因である。信仰とは、絶望の闇を破り、わが胸中に、生命の旭日を昇らせゆく力である。
広宣流布は、新しき挑戦の旅路である。挑戦には忍耐が必要である。山本伸一は、創価学会の後継者たる青年部員には、労苦に耐え、自身を磨き抜く、「能忍」の人に、真実の勇者に育ってほしかったのである。
もし、青年たちが、本当の苦労を知らぬまま、リーダーになっていけば、民衆の心から離れた創価学会になてしまう。そうなれば学会は行き詰まり、民衆の救済という広宣流布使命を果たしていくことはできない。ゆえに、"創価の後継者"として立つためには、勇んで苦労を引き受け、耐え忍んでいくことが大切になるのだ。
"苦労を避けよう。少しでも楽をしよう"という考え、行動が習性化してしまうと、挑戦への勇気が失われ、前進も、向上も、成長もなくなってしまう。そこから発するのは、保身の腐臭である。すると、周囲の信頼も、尊敬も失われ、人は離れていく。
青年時代に皆の大きな期待を担いながら、大成せずに終わった人を、伸一は何人も見てきた。そうした人たちに共通しているのは、自分は汗を流さずに人にやらせるなど、苦労を避けて通ろうという姿勢であった。
また、青年たちのなかには、健康で、経済面などにも恵まれ、整った環境で、苦労を知らずに育った人もいよう。そうであるならば、学会活動の世界で、自ら率先して、厳しい課題の挑戦し、苦労を重ねながら、自分を磨いていくことである。
病苦の友に信心を教え、励まし抜き、病克服の体験を目の当たりにすれば、自らが病を乗り越えたに等しい喜びと、信心への確信を得ることができる。人間関係や経済的な悩みをもつ友についても同様である。
伸一が、次に力を注ごうとしていたのが、最前線組織であるブロックの充実であった。大創価学会といっても、その実相は、ブロックにこそある。わがブロックで、"何人の人が歓喜に燃えて活動に取り組んでいるのか""何人の人が功徳の体験をもち、信心への絶対の確信をもっているのか"それがそのまま、創価学会の縮図となる。
最前線組織であるブロックを堅固にしてこそ、広宣流布は盤石なものとなり、大創価学会の飛躍があるのだ。そのためには、全幹部が、徹してブロックに入り、一人ひとりと対話し、人材を育むことだ。そして、ブロック長、ブロック担当員を中心に、皆が和気あいあいと、一人ももれなく、喜び勇んで信心に励める"人間共和"の連帯を築き上げることだ。
ブロック強化の流れをつくるにあたり、山本伸一は、東京だけではなく、埼玉から始めようと思った。埼玉のもつ限りない未来性に、大きな期待を寄せていたからである。それは、創価学会にとっても、新しい時代を築く舞台が開かれることを意味する。
埼玉の志木支部川越地区に伸一が 御書講義に通ったことが話題になる。「私は背水の陣の思いで、真剣勝負で講義に臨んだんです。戸田先生は、埼玉から広宣流布の新たな旋風を起こそうと、私を、先生の『名代』として御書講義の担当者に任命し、派遣された。その時、私は23歳でした」
伸一は、懐かしそうに語っていった。戸田は伸一に、語った。「このままでは、75万世帯の達成には、何十年、何百年とかかってしまうことになりかねん。埼玉は大事だ。だから、本腰を入れて、川越地区の建設に取り組んでくれ給え。御書を通して、深く信心を打ち込み、人を育てるんだ。」
太字は 『新・人間革命』第26巻より 抜粋