『新・人間革命』第25巻 薫風の章 288p~
佐賀文化会館の庭には、咆哮する百獣の王・獅子のブロンズ像が置かれた。徳永明の寄贈によるものであった。徳永は、妻の竹代が自律神経失調症と診断された。その渦中、輸送班の野外研修に参加した時、伸一に、妻の病状をメモに書いて提出した。伸一は、書籍に揮毫して徳永に贈ったり、宝前の果物を竹代に届けたりした。
開館記念勤行会の終了後、記念植樹が行われ、役員として、植樹の楠の前に立っていた徳永だったが、
徳永の長男が伸一に歩み寄り、期せずして、徳永一家が伸一を迎える形になった。
伸一は、佐賀文化会館の庭で、会う人ごとに言葉をかけ、激励を続けた。もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。
出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていくーー地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は、一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。
伸一は、県婦人部長になった酒田一枝に「学会の人事は、すべて広宣流布のためです。人事を進める側としては、個人の事情を考慮し、あらゆる角度から、慎重に検討していかなければなりません。でも、人事を受ける側の心構えとしては、仏意仏勅であるととらえて、なんでも引き受けていこうという姿勢が大事なんです」
そして、婦人部の県指導部長になった永井福子に言った。「本当に大事なのはこれからなんです。後任の幹部が、存分に力を発揮していけるかどうかは前任者の責任です。どれだけ、後任の人を守り、応援できるかです。そして、佐賀県創価学会が大前進できたら、皆に、『酒田婦人部長が立派だからです』と言って、讃え抜いていくんです。
あなたに、その度量があれば、佐賀は大発展します。誰が見ていなくとも御本尊は、すべて御存じです。影の力として頑張り抜き、勝利した功徳、福運は無量無辺です。それが仏法です」
県男子部長の飯坂貞吉には、「君は努力で勝利した人だね。学会は、実力主義であり、信心の世界ですから、学歴は関係ありません。しかし、学力は必要です。忙しくとも読書に励み、あらゆることを勉強し抜いていくんです。社会の一流の人たちが、"学会のリーダーはさすがだ"と感服するぐらい、教養を身につけて、智慧を発揮していかなければならない
しかし、高学歴者を否定的に見たり、自分を過信して傲慢になったり、虚勢を張ったりしてしまいがちな面もある。そうなると、人間としての成長が止まり、場合によっては、道を踏み外してしまうこともある。初心を忘れず、自分をわきまえ、謙虚に、生涯、『求道』『向上』の息吹を燃やし続けていくことです。」
副県長の武原成次には、「県長を、本当に支えていこうと思うならば、自分が県長の自覚で、一切の責任を、苦労を担っていくんです。それができてこそ、本当の指導者に育つ。私は、青年部の室長の時も総務の時も、そうしてきました。だから、32歳の若さで会長になっても、悠々と全学会の指揮を執ることができたんです。今こそ、自分の真価が問われていると思って、陰の力に徹して、黙々と働くんです」
伸一は、婦人部員の緒高紗智子との約束を果たすために、夫の武士が営む理容店へ行き、散髪した。武士は伸一の髪を触り、長年心身を酷使してきたのを感じる。伸一の誠実な姿を目の当たりにし、武士は真剣に活動するようになり、養女とその夫も入会する。
佐賀から熊本に向かう日も、同志と共に唱題し、出発間際まで、何曲もピアノを弾いて激励する伸一。
車中でも、句を詠み激励する伸一だった。
<薫風の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋
佐賀文化会館の庭には、咆哮する百獣の王・獅子のブロンズ像が置かれた。徳永明の寄贈によるものであった。徳永は、妻の竹代が自律神経失調症と診断された。その渦中、輸送班の野外研修に参加した時、伸一に、妻の病状をメモに書いて提出した。伸一は、書籍に揮毫して徳永に贈ったり、宝前の果物を竹代に届けたりした。
この日を境に、竹代の病状は快方に向かい、感謝と御礼の思いで、何か寄贈したいと、獅子の像を見つけるが、売り物ではないと断られ、作るのに3か月かかると言われる。徳永の必死の話に店主が注文で作ってあった獅子の像を回してくれ、開館に間に合った。
開館記念勤行会の終了後、記念植樹が行われ、役員として、植樹の楠の前に立っていた徳永だったが、
徳永の長男が伸一に歩み寄り、期せずして、徳永一家が伸一を迎える形になった。
伸一は、子どもたちの手を握り、微笑みながら夫妻に語った。「何があっても、悠々と題目を唱え抜き、信心の炎を燃やし続けていくならば、どんな病にも、負けることは絶対にない。必ず幸せになるんです!獅子吼のごとく、仏法、学会の正義を叫び、戦い抜いてください」徳永夫妻が、寄贈した獅子の像は、「佐賀獅子」と呼ばれて皆から親しまれ、後年、佐賀県創価学会の重宝となるのである。
伸一は、佐賀文化会館の庭で、会う人ごとに言葉をかけ、激励を続けた。もし、伸一の生涯を貫くものを一言で表現するなら、「広宣流布」であることは言うまでもない。さらに、彼を貫く行動を一言するなら、「励まし」にほかなるまい。
出会った一人ひとりに、全精魂を注ぎ、満腔の期待と祈りを込めて激励し、生命を覚醒させていくーー地味と言えば、これほど地味で目立たぬ作業はない。しかし、広宣流布は、一人ひとりへの励ましによる、生命の開拓作業から始まるのだ。
伸一は、県婦人部長になった酒田一枝に「学会の人事は、すべて広宣流布のためです。人事を進める側としては、個人の事情を考慮し、あらゆる角度から、慎重に検討していかなければなりません。でも、人事を受ける側の心構えとしては、仏意仏勅であるととらえて、なんでも引き受けていこうという姿勢が大事なんです」
そして、婦人部の県指導部長になった永井福子に言った。「本当に大事なのはこれからなんです。後任の幹部が、存分に力を発揮していけるかどうかは前任者の責任です。どれだけ、後任の人を守り、応援できるかです。そして、佐賀県創価学会が大前進できたら、皆に、『酒田婦人部長が立派だからです』と言って、讃え抜いていくんです。
あなたに、その度量があれば、佐賀は大発展します。誰が見ていなくとも御本尊は、すべて御存じです。影の力として頑張り抜き、勝利した功徳、福運は無量無辺です。それが仏法です」
県男子部長の飯坂貞吉には、「君は努力で勝利した人だね。学会は、実力主義であり、信心の世界ですから、学歴は関係ありません。しかし、学力は必要です。忙しくとも読書に励み、あらゆることを勉強し抜いていくんです。社会の一流の人たちが、"学会のリーダーはさすがだ"と感服するぐらい、教養を身につけて、智慧を発揮していかなければならない
しかし、高学歴者を否定的に見たり、自分を過信して傲慢になったり、虚勢を張ったりしてしまいがちな面もある。そうなると、人間としての成長が止まり、場合によっては、道を踏み外してしまうこともある。初心を忘れず、自分をわきまえ、謙虚に、生涯、『求道』『向上』の息吹を燃やし続けていくことです。」
副県長の武原成次には、「県長を、本当に支えていこうと思うならば、自分が県長の自覚で、一切の責任を、苦労を担っていくんです。それができてこそ、本当の指導者に育つ。私は、青年部の室長の時も総務の時も、そうしてきました。だから、32歳の若さで会長になっても、悠々と全学会の指揮を執ることができたんです。今こそ、自分の真価が問われていると思って、陰の力に徹して、黙々と働くんです」
伸一は、婦人部員の緒高紗智子との約束を果たすために、夫の武士が営む理容店へ行き、散髪した。武士は伸一の髪を触り、長年心身を酷使してきたのを感じる。伸一の誠実な姿を目の当たりにし、武士は真剣に活動するようになり、養女とその夫も入会する。
佐賀から熊本に向かう日も、同志と共に唱題し、出発間際まで、何曲もピアノを弾いて激励する伸一。
車中でも、句を詠み激励する伸一だった。
<薫風の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第25巻より 抜粋