小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

January 2021

文京支部員としての活動

『新・人間革命』第25巻 福光の章 46p~

伸一は、県・圏幹部ら80人との懇談会に出席した。県指導長の鈴村アイと常磐圏指導長の菅田歌枝に声をかけた。「80歳になろうが、90歳になろうが、命ある限り戦い、人びとを励まし続けるんです。『生涯青春』でいくんですよ。」

「あなたたちは、生涯、自らの行動を通して、皆に学会精神を伝え抜いていってほしいんです。私と一緒に、文京支部員として戦った同志ではないですか!」

鈴村は、肺結核にかかり、死の不安に怯え、断崖にたたずんだこともあった。夫の裕孝も、病んだ妻をかかえ、仕事と子育てに追われ、心身ともに疲弊していった時、兄から創価学会のことを聞く。「この信心で必ず乗り越えられます!」との確信の言葉に、入会する。

アイは、クリスチャンで、実家には教会が建てられ、兄は牧師だったことから大反対するが、自宅に来るメンバーの話を聞くうちに、その確信に打たれ、入会する。

地区部長から「自行化他」と言って、自分が勤行し、題目を唱えるとともに、人にも信心を教えていかなければならない。自分の幸せばかりを祈るならば、それは利己主義の信心だとの話を聞く。

自分はまだ、悩みを解決できたわけではないので、解決したら頑張るというと、「病気で苦しんでいる時、動くのが辛いから、病気が治って元気になったら病院に行こうと思うか」と言われ、「今の苦しみを乗り越えたいと思うなら、いつか頑張ろうと考えるのではなく、今すぐに行動を起こすことだ。体調が悪いなら、無理をする必要はない。折伏は、家に来た人や近所の人に、仏法の話をしていけばいいんです。ともかく、みんなを幸せにしようとの一念で、正法を語り抜いていくことが大事なんです」

「自分にできることから、やればいいんです。なぜ、自分が信心してみようと思ったかを語ることも立派な折伏です。ご主人と一緒に折伏に行って、ご主人が話をしたら、『そうなんです。おの通りですよ』と、一生懸命に相づちを打つだけでもいいんですよ」


"日々、悩み苦しんでいる、こんな自分の宿命を変えたい!"アイは、その一身で、近隣の知人を訪ね、仏法を語った。驚いたのは、知人たちであった。いつも陰鬱な顔をして、床に就いてばかりいた彼女が、自ら訪ねてきては、一生懸命に信心の話をするのだ。周囲の人々は、生気のなかった鈴村アイが、布教に歩く姿に驚き、彼女の話に熱心に耳を傾けた。この鈴村を励まし続けてきたのが、菅田歌枝であった。

菅田は、宗教の勧誘にきた婦人たちに、「ご主人を亡くし、三人のお子さんも早世するでしょう」と言われ、不安を覚え、その宗教の布教に積極的に歩き、多額の布施もしたが、夫病状は悪化していった。自分は、騙されたと思い、もう宗教はこりごりだと思った。

病に苦しんでいた夫の留太郎は、学会の書籍を読み、宗教には、高低浅深があることを知り、創価学会に入会した。歌枝は、憤慨し、大反対したが、夫は、日増しに健康を回復し、一方、歌枝は、原因不明の頭痛に悩まされ、眠れぬ日が続いていった。夫の病は、3年かかると言われたが、半年で回復し、職場復帰した。その実証を前に、歌枝も入会する。

彼女は、東京での会合にも 福島県から勇んで出かけて行った。文京支部長代理の山本伸一ともしばしば顔を合わせる機会があった。鈴村が入会した直後の6月、山本伸一は、7月の活動として、1班10世帯の弘教の目標を打ち出す。

戸田会長が掲げた会員75万世帯達成が間近に迫っていた。伸一は、"この75万世帯体制の大闘争に加わるということは、広宣流布の前進に、燦然たる自身の足跡を刻むことになる。子々孫々までも誇り得る歴史となる。その意義は、どれほど大きく尊いことであろうか・・・" 

そう思うと、一人でも多くの同志を、その戦列に加えたかった。そして、班10世帯の弘教を提案したのだ。特に、これまで折伏を実らせずにいた人や、新入会の同志などに、弘教の大歓喜の闘争史を創ってほしかったのである。



団結の具体的な行動とは

『新・人間革命』第25巻 福光の章 33p~

「本気になって団結しようと思うならば、陰で同志を批判し合ったり、悪口を言ったりしては、絶対にならない。それが、魔の付け入る隙を与え、組織に亀裂を生み、仏法を破壊することになっていくからです。

当然、幹部同士で、意見の異なる場合もあるでしょう。その場合には、率直に本人に伝えることです。もちろん、言い方には、注意が必要です。感情的になったりしないように、配慮もしなければなりません。ただ、何があろうと、幹部同士が、陰で反発し合い、足を引っ張り合ったり、派閥をつくったりするようなことがあっては、決してならない」

陰で同志を批判し、悪口を言うことは、無自覚ではあっても、謗法となるのだ。同志を誹謗することは、広宣流布の魂の結合を破壊し、皆の心を攪乱させ、前進の活力を奪っていく。伸一は、この機会に、特色の異なる地域をかかえる福島県の幹部に、団結の在り方を、あらゆる角度から、徹底して訴えておこうと思った。

「幹部が本当に団結しようと決意しているならば、それは、具体的な行動、振る舞いとなって表れます。団結がある組織というのは、県でいえば、県幹部同士の連絡、報告が密です。さらに、互いの気遣いがあります。県長が一人で悪戦苦闘していたら、ほかの県幹部は、『何か、私にできることはありませんか』とすぐに言えるようでなければならない」

「その組織が、団結しているか、それとも、幹部の心がバラバラなのかは、会合をちょっと見ただけでもわかるものです。なるべく前の方に来て、すべて吸収しようという意気込みで、最も熱心に話を聴くべきです。学会歌を合唱する時には、力いっぱい歌い、拍手も真っ先に送るんです。そうすれば、ほかの参加者もそれに倣い、会合も盛り上がります」

「つまらなそうな顔で、後ろの方に座っていたらどうなるか。会合の雰囲気をこわし、皆のやる気を削いでしまう。つまり、本当に団結しようという一念であるかどうかは、何気ない振舞、言動のなかに表れるということなんです」

「人間ですから、"あの人は虫が好かない"ということもあるでしょう。しかし、広宣流布のために、どんな人とも仲良くやっていこうと努力するなかに、仏道修行があり、人間革命がある。真剣にお題目を唱え、自分の心を、大きく開いていくんです。自分の境涯が高ければ、人を包んでいくことができます」

一人のために、どこまでも足を運び、仏法を訴え、励まし抜いていくーーそれ以外に、広宣流布の前進はない。伸一は、県青年部長の奥津に言った。「県長、県婦人部長と呼吸を合わせ、青年の力で新しい福島県創価学会をつくるんだよ。」

「青年部は、学会の後継者です。後継者とは、学会を今以上に興隆、発展させていく使命を担っている人ということなんです。その使命を果たすために、青年部は、まず、信心の絶対の確信をつかんでほしい。それには体験を積むことです。"祈り、戦って、自分は、こう悩みを克服した""こう自分が変わった"という体験を幾つ持つかです」

「さらに、教学です。"なぜ、日蓮大聖人の仏法が最高だといえるのか""仏法の法理に照らししてどう生きるべきか"などを徹底して学んでいくことです。そして、師弟の絆を強め、良き同志との友情、連帯を強めていくことです」

「私は、牧口先生、戸田先生の殉教の精神と実践、その偉大な人格を知れば知るほど、仏法と学会への確信を深めることができました。また、先輩幹部をはじめ、さまざまな同志の体験を聞くことも、自身の確信となっていくでしょう。善知識である創価の麗しき人の輪は、確信の源泉でもあるんです。青年部、しっかり頼むよ。未来は、君たちの腕にあるんだからね」

伸一は、福島文化会館の中心会場となってきた、郡山会館の前も通ってもらった。いわば、陰の力の拠点となっている会館である。リーダーが、光の当たるところしか見ず、陰の人にスポットライトを当てようとしなければ、要領主義がまかり通るようになってしまう。人材を見つけだすには、表面より側面や裏面を、水面よりも水底を凝視する眼を開かねばならない。

正役職者と副役職者の団結

『新・人間革命』第25巻 福光の章 21p~ 

「全く弘教をしたことがない青年には、実際に仏法をどう語っていけばよいのか、教えていかなければならない。それには、先輩である壮年や婦人は、自分はこうして折伏してきたという、ありのままの体験を語っていくことです。

青年と共に仏法対話し、実践のなかで、具体的にどうすればよいか、手本を示しながら教えていくことも必要です。

人は、"とても自分には無理だ"と思えば、行動をためらってしまう。しかし、"できそうだ"と思えば、行動することができる」

行動をためらわせているものは何かを見極め、それを取り除き、勇気を奮いたたせることが、激励であり、指導である。

「私は、福島、そして東北の同志が、どんな困難もはねのけて、大発展していく力をつけてもらいたいんだ。それには、強盛な、何があっても決して壊れることのない、金剛不壊の信心を確立するしかない。一人ひとりが獅子になるんだ」

伸一は、8年前福島総合本部幹部会で示した、「希望に燃えて前進する福島」「生活闘争に勝利の福島」「生命力豊かな信仰の福島」との三指針を確認した。

「どんな深い絶望の闇のなかでも、心に希望の火をともしていけるのが信心なんです。」「人生を勝利するための勇気も、知恵も、忍耐も、強さも、その原動力は生命力です」

「生命力が弱ければ、心は、悲哀や感傷、絶望、あきらめに覆われ、愚痴も多くなり、表情も、声も、暗くなる。そうすると人もついてはきません。元気のある、明るい人を、みんなは求めているんです」

「生命力を満々とたたえ、自らが燃えていてこそ、人びとに希望の光を送る太陽の存在になれる。また、生命力にあふれていれば、すべてを前向きにとらえ、困難が大きければ大きいほど、闘志が燃え上がります」

「唱題によって、大生命力が、わが身に満ちあふれるならば、何があっても負けずに、どんな事態をも、悠々と乗り越えていくことができる。したがって、われら創価の同志には、克服できない苦境など絶対にないと、私は、断言しておきたいんです」

榛葉に向かって、厳しい口調で言った。「若くして中心者になったということは、未来を期待されてのことであり、必ずしも、力や実績が評価されたからではありません。年配の同志のなかには、折伏の数にしても、個人指導して立ち上がらせた人の数にしても、君よりも圧倒的に多い方がたくさんいます。

君の何倍も、苦労して、苦労して、苦労し抜いて、今日の創価学会を築いてくださった方は数知れません。そうした方々を守り、また、仕え、尽くしていくのが幹部なんです」

「幹部は、さわやかな笑顔で、皆を包み込んでいくんです。そして、会員の皆さんへの感謝が大切です」「もう一つ重要なことは、迅速な行動です」

「よく、こういう組織があります。必死になって頑張っている。しかし、結果的に、はかばかしい前進がない。それは本当に張り切って、駆け回っているのは、ライン幹部だけで、必勝の息吹が、組織全体に波及していないからなんです。

この状況を打開するには、全幹部が結束していくことです。特に、すべての副役職者が、いかんなく力を発揮していくことがポイントです。

世代交代の人事もあるので、副役職者の方が、正役職者より活動経験も豊富で、力もあり、年齢も上というケースも多くなっていくでしょう。それだけに、正役職者は、"副役職の方々の力をお借りするのだ"という姿勢で接し、尊敬していくことが大事です。

連絡なども、正役職者の方から積極的に取って、意見や応援を求めていくんです。また、副役職者の方の役割分担や責任を明確にしていくことも必要でしょう」

「どんなに時代が変わっても、広宣流布の責任を担うという、幹部としての根本の使命は、変わりません。しかし、時代とともに幹部に求められるものは、変化していきます。かつては、"威厳がある"ということが、幹部の大事な要件の一つであったが、今は、"気さくさ"や"親しみやすさ"の方が大切です」

「ところが、幹部自身に成長がなく、慢心があると、その変化に気がつかなくなってしまう。旧態依然とした自分のやり方でよいと思い、結局、時代に逆行し、広宣流布を遅らせてしまう結果になる」

「ともかく団結だよ。団結するということは、自分の人間革命をしていくということでもある。自己中心性やエゴイズムを乗り越えなければ、団結はできないからです」

「学会の世界にあって、団結するための第一の要件は何か。それは、皆が、広宣流布の師弟という堅固な岩盤の上に、しっかり立つことです。それが創価の団結の礎です。まずは師匠と呼吸を合わせ、師弟の魂の結合を図ることこそが、異体同心の一切の根本です」


新しい東北を創る

『新・人間革命』第25巻 福光の章 7p~ 

< 福光の章 開始 >

春を告げよう!
新生の春を告げよう!
・・・

君よ!
「悲哀」を「勇気」に変えるのだ。
「宿命」を「使命」に転ずるのだ。
・・・
「みちのく」に春を告げる
新生の太陽となって踊り出るのだ!


1977年(昭和52年)3月11日、山本伸一は、福島県に向かった。前年、日本は、冷夏や台風の影響で、米が戦後5番目の不作となっていた。多くの農家が辛酸をなめたのである。

さらに、12月から2月にかけて、日本は強い寒波に襲われた。寒波の影響は、農作物にも被害をもたらし、一時期、価格が急上昇した。東北は、この寒波でも、大きな影響を受けたのである。

福島県の榛葉則男と東北長の利根角治に視線を注ぎながら、気迫のこもった声で語りかけた。「来ましたよ!新しい福島を、東北を創ろう!今日からは、新章節への出発だよ」

伸一は、榛葉に広宣流布建設の本当の力とは何かを、語っておこうと思った。「新しい福島をつくるためには、根本は全同志の一念の転換であり、生命の革新だ。わが郷土を愛し、広宣流布に生き抜こうという、本物の闘士をつくっていくことだよ」

「広宣流布は、永遠の闘争だ。日蓮大聖人は『然どもいまだこりず候』と獅子吼され、迫害に次ぐ迫害をものともせずに、折伏の戦いを続けられた。これこそが、大聖人の御心であり、学会精神だ。

過去の歴史が、いかにすばらしくとも、皆が、草創期の闘士を失い、実践がなくなれば、やがて、広宣流布の衰退が始まってしまう。そうなれば、個人の宿命転換もできなければ、立正安国の実現もない。いよいよこれからだよ。

『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』というのが、大聖人の御指導ではないですか。誉れある創価の師弟であるならば、命の燃え尽きる瞬間まで、戦って、戦って、戦い抜くんです。

戦い続ける人が幸福なんです。その人が人生の勝利者です。したがって、今回は、草創期を切り開いてくださった指導部の方々との、新出発の意義もとどめておきたいんです」

伸一の話は「世代論」になっていった。「組織もできあがってから、幹部になってきた世代だけに、本当の苦労をしていない。そのためか、広宣流布の開拓力に欠けているという弱点がある。本当の折伏精神が身についていないというのが、私の実感でもある。だから、運営能力には長けていても、大闘争となると、生命が一歩引いてしまい、すぐに、腰が砕けてしまいがちだ。

苦戦のなかで勝利をもぎ取ってくるには、捨て身になって戦う、必死の覚悟がなくてはならない。広宣流布とは、未踏の原野の開墾作業だ。苦労して苦労し抜くんだ。

折伏や個人指導をはじめ、一つ一つの課題に、全力で真っ先に取り組み、自ら勝利の結果を示していくんだ。一人ひとりの同志に、誠実に、真剣に、体当たりでぶつかっていくんだ。それが師子王の生き方だよ」

自身の生命を磨き、鍛えるのは、広宣流布への「真剣な献身」である。伸一は、その精神を、若き県長に注ぎ込みたかったのだ。

どのようなことを心がけて、青年の育成に当られたのかとの質問に、「常に自分の方から青年たちに声をかけ、率直に対話して、励ましてきた。胸襟を開いて飛び込んでいくんです。『よく来たね。ご苦労様!大変だっただろう。頑張ったね』と包み込むように、力の限り励ましていくんです。『励ます』ということは、『讃える』ということでもあるんです」

「私は、青年を包容しながら、大きな責任を託した。そして、失敗した時には、最後は、全部、私が責任を取った。大切なのは、その度量だよ」

「学会の後継者として、青年時代に必ず身につけてほしいのは折伏力だ。創価学会は、日蓮大聖人の御遺命である広宣流布を実現するために出現した折伏の団体だもの。その後継者である青年たち阿、弘教の大闘志に育たなければ、学会の未来は開けないからね」

「先輩は、『なぜ、折伏をするのか』を、いろいろな角度から、納得のいくように話してあげてほしい」「弘教に限らず、あらゆる活動を進めるうえで大事なのは、"なんのためか"を明らかにし、確認し合っていくことです。それによって皆が、軌道を外れることなく前進することができるし、力を発揮することができる」


蘇生の光を送る地域の灯台たれ

『新・人間革命』第24巻 灯台の章  369p 

「日蓮大聖人の仏法は、下種仏法であります。今だ仏法の真実の教えを聞いたことがない末法の衆生に
南無妙法蓮華経という成仏得道の種子を下ろし、一生成仏せしめ、人びとを救済していくことができる
大法です。したがって、その仏法を保ち、広宣流布の使命に生きる私どもの振る舞いは、一切が下種へとつながっていかねばならない。

つまり、日々の学会活動はもとより、毎日、毎日の生活の姿や行動が、すべて妙法の種子を植えていく
大切な作業であるということを、自覚していただきたい。ゆえに、信心していない人に対しても、
また現在は、信心に反対であるという人に対しても、幸せを願い、大きな、広い心で笑顔で包み込むように接して、友好に努めていくことが大事です。それが、仏縁を結び、広げていくことになるからです」

伸一は、訴えた。「今後、社会の関心は、農村地域に集まっていかざるを得ない。
したがって、現代における農村の模範となるような、盤石な家庭を築き上げることが
できれば、そのご一家は、地域社会を照らす確固たる灯台となります。

そして、そのご一家との交流を通して、妙法の種をは下ろされ、広宣流布の堅固な礎が築かれていきます。ゆえに、私は、農村部の皆さんには、『地域の灯台たれ』『学会の灯台たれ』と申し上げておきたい。

また、農村には、地域のさまざまな伝統行事や風習もあるでしょう。私たちの信心の根本は、どこまでも御本尊です。それ意義の事柄については、随方昆尼の原理に則り、社会を最大限に大切にして、
知恵を働かせて、地域に友好と信頼を広げていってください。

私どもは、決して、偏狭な生き方であってはならない。信仰の原点を踏まえたうえで、
寛大な振る舞いで、どうか魅力にあふれる農村のリーダーに成長していってください。」

世間を離れて仏法はない。日蓮大聖人は、「まことの・みちは世間の事法にて候」と仰せである。
仏法は、地域、社会での、自身の振る舞いのなかにある。自分が今いる、その場所こそが、
仏道修行の場であり、広宣流布の場所なのだ。

「日蓮大聖人の仏法は、『直達正観』、すなわち『直ちに正観に達する』といって、即身成仏の教えです。極端な話になるかもしれませんが、テレビに譬えて言うならば、日蓮大聖人は、テレビ自体を
残されたことになる。それが御本尊に当ります。もったいない譬えですが、私どもが御本尊を保った
ということは、既に完成した立派なテレビを手に入れたことになります。
部品を組み立てたりしなくとも、理論はわからなくとも、すぐに見ることができる。

しかし、テレビを見るためには、スイッチを入れ、チャンネルを合わせなければならない。それが、
御本尊への信心であり、仏道修行です。具体的な実践で言えば、唱題と折伏です。それによって、
即座に、希望の画像を楽しむことができる。これが、『直達正観』の原理です」

悲しみにも、苦しみにも、喜びにも、常に題目とともに!常に折伏とともに!その実践ある限り、
道は必ず開かれる。強盛なる信心を奮い起こして題目を唱え抜くこと自体が「直達正観」なのである。

「たとえ、一時的に行き詰まっても、『妙とは蘇生の義なり』で、そこからまた、題目によって
新たな生命力、新たな福運の泉を湧現していくことができる。いな、その挑戦の繰り返しが
人生であることを忘れずに、明るく、さっそうと前進していってください」

1995年(平成7年)11月、団地を、心と心が通い合う、理想の人間共同体とするための具体的な実践を、10項目の指針にまとめ、団地部のメンバーに贈った。この指針は、地域の繁栄と幸福を目指す
団地部の友の、大切な規範となっていった。

あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の英知と信念の光彩だ。一人ひとりが、
あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、
創価学会の使命がある。

<灯台の章 終了>
<新・人間革命 第24巻 終了>

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