小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

December 2020

民衆文化の優先こそが人類の行き詰まりを打開する

『新・人間革命』第24巻 母の詩の章 38p

山本伸一は、側にいた男子部の幹部に言った。「やったね!壮挙だね!みんな負けなかった。それが、すごいことなんだ。負けないことが、勝つということなんだ!」

そして、彼は、メンバーに、こう伝言を託したのである。「倒れても、倒れてもまた立ち上がれーーこれが、学会精神です。獅子の心です。ここにこそ、人生の勝利があります。心から『おめでとう!』『万歳!』と申し上げます」

文化祭終了後、メンバーは、この伸一の伝言を涙で聞いた。そして、互いに抱き合い、「不倒の人生」を固く誓い合うのであった。

人間革命の大合唱が始まった。勝利と感動と歓喜の大合唱となった。皆が、人間革命をめざしての文化祭であった。自己自身への挑戦の文化祭であった。そして、それぞれが、"自分に勝った!"との実感と、その感動を噛み締めながらのフィナーレとなった。

伸一が、御礼のあいさつをした。「今日、人類は、あらゆる面で、行き詰まりの様相を呈しております。・・・今日の人間疎外をはじめ、現代の行き詰まりは、人類が政治優先、経済優先に陥り、人間を失ってしまった帰結であると、私は、申し上げたいのであります。

今こそ、人類は、『人間』という原点に返り、政治優先主義、経済優先主義から人間性の発露である、文化の復興を優先しなければなりません。全人類は、人間文化の復興を希求しています。戦争という武力の対極に立つのが文化であり、文化、芸術は生命の歓喜の発露であると、私は考えております」

伸一は、その人間文化の一つの結実が、この文化祭であると語った。「こうした民衆文化の運動が、日本のみならず、全世界に広がっていくならば、人と人の心は結ばれ、新たなルネサンスの夜明けが訪れると、確信いたします。この文化祭に象徴される大文化運動が、広宣流布という人間復興の運動なのであります」

母の容体が急変したとの連絡が入った。今日一日の彼の戦いを、母が見守っていてくれたような気がした。伸一は、平凡ではあるが、人間として最も大切なことを、母から教わったと、深く感謝している。

終戦の年となる1945年(昭和20年)春、空襲による類焼を防ぐため、家の取り壊しが決まり、近くの親戚の敷地に一棟を建て、越すことにし、家具も運び、皆で暮らそうとした時、空襲でその家が全焼してしまい、長持ち一つを運び出すのがやっとだったが、そこに入っていたのは、雛人形と一本のコウモリ傘だった。

その時母は、快活に言った。「このお雛様が飾れるような家に、また、きっと住めるようになるよ」この言葉に、皆、どれだけ元気づけられたことか。


空襲を受けた時、撃墜されたB29から脱出した米兵が落下傘で降りてきた。自分とそれほど年齢も違わない20歳ぐらいの色白の少年の面影が残る若い米兵だった。その話を母に伝えると、「かわいそうに!怪我をしていなければいいけど。その人のお母さんは、どんなに心配していることだろう」母の口から、真っ先に出たのは、若い米兵の身を案ずる言葉であった。

米英への憎悪を煽り立てられ、婦人たちも竹槍訓練に明け暮れていた時代である。しかし、4人の息子の生還を願い、心を痛めていた母は、米兵の母親に、自分を重ね合わせていたのであろう。わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。

その母の心に立ち返る時、どんなに複雑な背景をもち、もつれた国家間の戦争の糸も、必ず解きほぐす手がかりが生まれよう。伸一は、母から、気づかぬうちに、人間そのものに眼を向けて、平和を考える視点を教えられていたのかもしれない。

明るく、忍耐強かった母。どんな時も、笑顔を失わなかった母。伸一は、その母が、声を押し殺し、背中を震わせて、すすり泣く後ろ姿を目にしたことがあった。長兄・喜久夫が、ビルマで戦死したとの公報が届いた時である。

悲嘆にくれる母の姿に、伸一は、残酷な戦争への激しい憤怒が込み上げてきた。とともに、子を思う母の愛の深さを、まざまざと感じ、兄の分まで自分が母孝行しなくてはと、固く心に誓った。


太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

不可能への挑戦 五段円搭

『新・人間革命』第24巻 母の詩の章 20p

9月5日、山本伸一は、東京・八王子市にある創価大学の中央体育館にいた。’76東京文化祭に出席していたのである。「創価桜」と題した第一景で、伸一が作った詩「母」に曲をつけた、「母」の歌が流れた。ピアノとマリンバを演奏しているのは、「母」の作曲者の植村真澄美と松山真喜子である。

彼は、胸に込み上げる熱いものを感じながら、日本中、そして、世界中の尊き母たちへ感謝の祈りを捧げた。とともに、彼の母である幸を思い、心で題目を唱えた。実は、この日、老衰のために床に就いていた母の容体があまり思わしくないとの連絡があったのである。

2か月余り前、母は、一度、危篤状態に陥った。しかし、奇跡的に一命を取り留めた。母は、伸一にきっぱりと、「私は、大丈夫。皆さんが待っておられるんだろう。私のことはいいから、心配しないで行きなさい」

東京文化祭は、男子部による組体操「青年の譜」が始まった。組体操の圧巻ともいうべき、5段円搭への挑戦が始まった。5段目の一人が立ち上がりかけた。その時、円筒は、崩れ落ちた。
5段円搭の演技指導責任者石上雅雄は、頭が真っ白になった。

学会の文化祭で、5段円搭は何度かつくられていたが、準備に約1か月は要してきた。しかし、今回は、わずか5日しかない。まさに、不可能への挑戦であった。

石上は、在日二世として、東京で生まれ育った。物心ついたころから、何度となく、理不尽な差別を受けてきた。小学生時代に入った少年野球チームの監督が学会の男子部員であった。監督だけは差別したりすることはなく、石上は監督の後について学会の会合にもついていった。彼は学会が好きになり、家族全員が学会員となった。

高校時代親善試合で韓国を訪れた時、在日である自分は、日本人でも韓国人でもないと、自分の存在への疑問が芽生えた。大学3年の時、伸一に会って、その悩みを打ち明けると「君は地球人として生きなさい。広々とした心で生きるんだ。」と言われ、自分の小さな境涯が打ち破られる思いがした。

その時、"先生と共に、世界の平和と人類の幸福のために生きよう"と誓った。山本伸一が出席した文化祭の舞台で、5段円搭は完成直前に崩れたのだ。次の瞬間、"このまま、終わらせてなるものか!"皆がそう思った。石上雅雄を中心軸に、下段の20人が、スクラムを組み、再挑戦への体制がつくられていった。

4段目の3人が立ち始めた時、一人が片足を肩から滑らせた。それを手で受けとめ3段目で懸命に支えたのが森川武志であった。"立ってくれ!"と、心で叫び、唱題しながら、自分の限界に挑み続けた。"自分に挑み、自分に勝つ"それが、彼の信条であった。

彼は、何事にも自信がなかった。母親がいない。中学しか行けなかった。家が貧しかったことなどが、劣等感を募らせ、"どうせ、俺なんかだめなんだ"という思いが、いつも心のどこかにあった。

男子部の先輩が「どうして君は、人と比べて、自分はだめだとか、不幸だとか、考えるんだ!結局、それは、見栄があるからだよ。君は、なんのために信心しているんだ。誰も、君の代わりはできない。この世の中に、たった一人しかいない、かけがえのない存在なんだ!

要は、自分の大生命を開けばいいんだ。挑戦すべきは、人に対してではない。自分自身に対してだ。自分に勝っていくんだよ。君自身の使命に生き抜いていくんだ!」森川は"その通りだ"と思った。以来、彼は、自分に挑み、自分に勝つことを目標に、すべてに挑戦してきた。そして、自分をさらに、磨き、鍛えようと、東京文化祭に勇んで出演したのである。

円搭の頂で、青年は、体を伸ばした。胸を張った。そして、大きく両手を広げた。立った!奇跡は起こった!二度目の挑戦という、著しく体力を消耗し、疲弊しきった体で、見事に、5段円搭を組み上げたのだ。

皆が、自分に挑んだ。あきらめの心に、無理だという心の弱さに、懸命に挑戦した。そして、それぞれが、自身の心の壁を破って、五段円搭は打ち立てられたのだ。



太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

人間賛歌の文化祭

『新・人間革命』第24巻 母の詩の章 7p

<新・人間革命第24巻 開始>
<母の詩の章 開始>

1976年(昭和51年)8月末、山本伸一とアンドレ・マルローとの対談集『人間革命と人間の条件が、発刊された。この本には、フランス文学者で著名な評論家でもある桑原武夫が序文を掲載している。
「これは二人の大実践者の対話である」と彼は、伸一を「平和精神の普及と、それによる人類の地球的結合とを説いて全世界に行脚を続ける大実践者「と評している。

マルローが、なぜ、創価学会へ強い関心をいだいているのか 桑原は「西欧の知識人は、創価学会にたいして、日本の知識人とは比較にならぬほど強い興味をもっている。トインビーもその一人である」

対談でマルローは、学会という「ひじょうに有力な組織」が、環境汚染などと戦うことを希望するとともに、伸一が世界のさまざまな危機への問題提起を、重要な国々に行い、そのイニシアチブをとるように勧めている。

伸一は、そうした行動の必要性も、十分に認識したうえで、人類の平和と繁栄を創造するための土台作りとして、人間生命のなかに潜むエゴの克服こそ、必要不可欠であると主張した。

伸一は、未来を考えるにあたっての、自分の態度を語った。「私は未来予測という作業は、未来はどうなるかではなく、未来をどうするかーーということに真の意義があると思います。一人ひとりの人間の生きることへの意志が人生の全体に反映され、その時代を彩り、やがて歴史へと投影されていく。新しい道は、こうして開かれていくと信じています。

したがって未来は、現在を生きる一人ひとりの胸中にある、さらに日々を生きゆく日常性のなかにあるとみたい」未来は、自己自身の胸中の一念にこそある。

伸一は人間革命の必要性を訴え抜いた。「たとえば、一地域や一国の問題が、そのまま全地球的問題としてかかわってくる時代にあっては、自分だけというエゴは通用しません」

人類の未来に光を注ぐために、伸一は、対話に生命を注ごうとしていた。人間革命ーー世界の知性は、それを可能にする哲理を渇望していた。その確かなる方途を求めていた。創価学会は、人間革命の宗教である。広宣流布とは、人間革命運動の広がりである。

この年の8月半ばから10月上旬にかけて開催された、県・方面の文化祭は人間賛歌の絵巻を繰り広げた。

地区婦人部長の橋塚由美子の夫は事業が行き詰まり、橋塚が文化祭の練習会場に通う交通費を工面することさえ、容易ではなかった。彼女は、低血圧症で、目まい倦怠感に悩んでいたが、聖教新聞を配達し、主婦業、地区婦人部長、合唱団の練習と励んでいた。

夫は、仕事がないため、酒を飲んで荒れ、茶碗を投げつけることもあった。彼女は疲れ果て、文化祭の出場もやめようと思ったが、関西文化祭のテーマ「人間革命光あれ」であった。彼女は"この文化祭のテーマは、私自身のテーマなのだ。なんとしても人間革命してみせる!"寸暇を惜しんで、彼女の懸命な唱題が始まった。

体は疲れているが、心は軽やかであった。いつの間にか、低血圧症に悩まされることもなくなっていた。また、次第に、夫の仕事の状況が好転していったのである。

神奈川文化祭では、松葉杖の青年の奮闘があった。彼は、1歳の時にポリオにかかり、足が不自由であることから、消極的な性格になっていった。しかし、信心に励み、やがて学生部員になった彼は、文化祭への出演を決意する。"足が不自由だから"と挑戦をあきらめたり、自分の不幸や敗北の原因を、そこに求める"弱さ"と決別したかった。また、肉体的なハンディも、信心を根本に、懸命に頑張ることで、必ず乗り越えられるという実証を示したかったのである。

人間革命によって、変わらぬ世界はない。

太字は 『新・人間革命』第24巻より 抜粋

広宣流布を決する敢闘

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 367p

「8月24日ーーこの日に、会員のお宅回ることができた。一番大事なことができたと思っている。幹部は、どんなに忙しくとも、第一線の同志のことを、片時も忘れてはならない。常に、同志に会い、激励を続けるんだ。」

山本伸一の敢闘は続いた。男子部、学生部の人材育成グループ「伸一会」の集いに出席した。「昨日は、私の入信記念日でしたが、二軒のお宅を訪問し、一人ひとりを真剣に激励してきました。君たちも、誰が見ていようがいまいが、一兵卒となって会員のために汗を流し、懸命に励まし、学会を守り抜いていくという姿勢を忘れないでいただきたい」

「諸君は、既に学会の中核であり、これから多くの人が、さらに、副会長などの要職についていくでしょう。さまざまな権限を持つようにもなるでしょう。最高幹部になっていくのは、学会を守り、会員に奉仕し、広宣流布に尽していくためです。

しかし、なかには、最高幹部という地位を得ること自体が目的となったり、自分の野心を実現するために、学会を利用しようとする人間も出てくるかもしれない。もしも、そうした人間にいいようにされたら、学会の正義は破壊され、仏法は滅びてしまう。純粋な学会がかわいそうです。

君たちは、そんな人間に、絶対になってはならないし、そうした人間がいたならば、徹底して戦うんです。また、金銭の不正、飲酒、異性の問題などで、人生の軌道を踏み外すことのないよう、自らを厳しく戒めていかなければならない」

厳しい口調であった。伸一は、未来のために、青年たちの胸中深く、信仰の王道を打ち込んでおきたかったのである。「学会も組織である限り、皆が皆、中心者になるわけではない。脚光浴びる立場から外れる場合も、当然ある。実は、その時に、人間の本性が現われ、真価がわかる」

「それをきっかけに、組織から遠ざかり、やがて、離反していく者も出るかもしれない。自分に光が当たらなくなると、離反はせずとも、ふてくされたり、勝手な行動をとる者、傍観者を決め込む者も出るでしょう。私は、戸田先生の時代から、傲慢な幹部たちが落ちていく姿を、いやというほど見てきました。

地道な活動をせず、威張りくさり、仲間同士で集まっては、陰で、学会への批判、文句を言い、うまい儲け話を追い求める。そういう幹部の本質は、私利私欲なんです。

結局、彼らは、金銭問題を起こし、学会に迷惑をかけ、自滅していきました。仏法の因果は厳しい。人の目はごまかせても、仏法の生命の法則からは、誰人も逃れられない。人間革命、宿目転換、一生成仏のための信心です。それには、見栄、大物気取り、名聞名利の心を捨てて、不惜身命の精神で戦う以外にない。広宣流布への師弟不二の信心を貫き通していくことです。」

「生涯、一兵卒となって、広宣流布のため、同志のために、黙々と信心に励んでいくことです。唱題に唱題を重ねながら、会員の激励に、座談会の結集に、機関誌の購読推進に、弘教に、地を這うように、懸命に走り回るんです。それが仏道修行です。それ以外に信心はない。勇ましく号令をかけることが、信心だなどと、勘違いしてはならない」「伸一会」への期待は大きかった。一人も落ちていくような人間をだしたくなかった。だから、信仰の王道を訴えたのだ。

8月は終わろうとしていた。伸一は、この夏も、間断なく走りに走った。来る日も、来る日も、自身を完全燃焼させ、力を尽くし、同志を励ます。もう一人、もう一軒、もう一会場と、自らを鼓舞して、歩みを運ぶ。そして、友の奮起を、幸せを祈り、生命を振り絞るようにして、対話を交わす。その目立たぬ、地道な労作業のなかにこそ、広宣流布を決する「敢闘」があるのだ。

<敢闘の章 終了>
<新・人間革命 第23巻 終了>


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

壮年部は黄金柱

『新・人間革命』第23巻 敢闘の章 352p

8月24日は、山本伸一の入信29周年の記念日である。8月24日という日には、伸一の忘れがたい思い出が刻まれていた。この日は、彼の入信記念日であるだけでなく、生涯、戸田の弟子として、久遠の師弟の道に生き抜くことを、深く決意した日であったのである。

1950年(昭和25年)戸田は、学会の理事長辞任の意向を発表したのだ。戸田の経営する信用組合の事業が完全に行き詰り、業務停止となったのである。事業の破綻は、学会にも及びかねなかった。それだけは、なんとしても避けなければならぬと考えた戸田は、理事長を辞任することを告げたのである。

"創価学会は、そして、広宣流布は、どうなってしまうのか・・・"彼は、戸田に尋ねた。これから自分の師匠は新理事長になるのか、と戸田は、明確に答えた。「君の師匠は、ぼくだよ」伸一は、この一言を、全生命で確かめたかったのである。彼の胸には、言いしれぬ喜悦がほとばしった。

"ぼくの師匠は、先生なんだ。これでよし!"彼は、kの碑、戸田を生涯の師匠と定め、守り抜くことを誓ったのである。

伸一も既に壮年となった。彼は、全壮年部員が、自分と同様に、師弟共戦の誓いを立て、生涯、広宣流布の大目的に生き抜いてほしかった。そこに、無上の人生道があるからだ。また、そうなれば、学会は盤石であり、永遠に栄ゆくことは間違いないからだ。

壮年には、力がある。壮年は、一家の、社会の、学会の黄金柱である。そして、広宣流布の勝敗を決していくのは、壮年が、いかに戦うかにかかっている。ゆえに伸一は、この8月24日を、「壮年部の日」にしたいという壮年からの提案に、全面的に賛成したのだ。

大切な記念の日である。だからこそ、広宣流布のための最も大切な仕事をしたかった。一人ひとりの同志と対話し、励ましを送るーーそれは、地味な、なんの変哲もない作業である。しかし、それこそが、広宣流布を推進する原動力となるのだ。

励ましは、組織の血流である。その脈動があってこそ、皆が生き生きと活動に励むことができる。励ましを忘れれば、組織は形骸化する。絶えざる激励こそが、前進の活力となるのだ。

人は、皆、なんらかの悩みを抱えている。その悩みに、喜々として挑戦し、乗り越えていくための信心であるからだ。また、そうした問題を解決していくなかで、自身の生活の足場が固められていくし、さらに、その体験が、仏法への揺るぎない確信となっていくのである。

時田勇雄の家に向かった。「さあ、勤行をしましょう。祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです」

「決意、祈りは、具体的であることが大事です。"今日は、あの人に信心の話を教えたい""この人を座談会に参加させよう"といった明確な祈りです。」

「広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒涛のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです」

「そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、"絶対に負けるものか!"と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が涌きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです」

「題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていくーーそれが、一切の原動力です」伸一は、皆が信心の大功徳を受けてほしかった。ゆえに、その源泉となる、唱題の大切さを力説していったのだ。

唱題あるところには、勇気が涌く、歓喜があふれる。確信がみなぎる。そこに、功徳の大輪が咲く。それがまた、さらに、勇気、歓喜、確信を生む。一切は、唱題から始まるのだ。それを、万人に教え、知らしめるために、創価学会があるのだ。


太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋

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