『新・人間革命』第23巻 学光の章 121p
創価大学の通信教育は、「学校教育法」に基づいて行われる正規の大学教育である。高等学校卒業又は同等の資格を有する人が入学でき、正課課程を卒業すれば、「学士号」を取得できる。76年2月から、通信教育部の入学願書の受け付けが始まった。願書は全国各地から寄せられ、昭和51年度一期生は2千人を超えたのである。
伸一が、テーマとしていたことの一つは、通信教育は卒業生が少ないという問題を、どうやって乗り越えるかであった。彼は、大学側にも、「入学してくる通教生が、少しでも多く、卒業できるよう、最大の尽力をしていただきたい」と要望していた。
人間が情熱を燃やし、信念を貫き通していくには、「人」の存在が不可欠なのだ。そのために、善き人間関係を築く組織が、どうしても必要になってくるのである。
教員たちは考え抜いた。まず、出発段階にできることとして、通教生の相談にのり、アドバイスする「指導員」を、各都道府県に置いたらどうだろうか。伸一も、大賛成であった。
通信教育部で発行する機関誌の名前が決まらないというので、「学光」はどうだろうかと言った。「『学は光、無学は闇」と言うじゃないか。それにちなんで、学ぶ光、『学光』と書くんだ」「学光」--学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ。それは、創価大学の通信教育を象徴する、永遠の指針が決まった瞬間であった。
満を持しての通信教育部の開学であった。ガイダンスが終わったころから、雨が降り始めた。傘を持っていない人も多かった。通学課程の学生たちが並んで、左右から傘を差し掛けてくれていた。その"花道"は、八王子駅までの臨時バスが出る、ロータリーまで続いていた。
通学生たちは、働きながら学ぶ"学友"たちを誇りに思い、尊敬し、心から祝福したかったのである。それが創大生の心である。いよいよ通信教育がスタートした。
通教生のもとには、ダンボールに梱包されて、何冊もの教科書が送られてきた。通信教育の勉強は、教科書を読み、与えられている課題についてのリポートを書くことと、スクーリングで直接、授業を受けることに大別される。
リポート提出という関門のあと、さらに、科目試験が待っているのである。通教生は、卒業に必要な124単位のうち、スクーリングで、30単位以上を習得する。この単位はリポートでは修得できず、夏か秋のスクーリングに参加し、授業を受け、試験を受けなければならなかった。
スクーリングに参加すること自体が、大変な"戦い"であった。教室の席は、先を争うようにして前から順に埋まっていった。
スクーリングは、直接、講義を聴くことができる貴重な時間である。職場や家族の理解と協力を得て、時間をつくり、費用を捻出して参加したのだ。決して無駄にするわけにはいかなかった。
厳しい条件のなかで挑戦する人は、真剣である。その真剣さが、自らを鍛え、強くし、大成への力となっていくのだ。ゆえに、苦境こそ、幸福の母となるのである。
通信教育部の授業を担当するのは、通学課程同様、学長をはじめ、学部長、教授などの、優れた教授陣である。その教員たちを驚嘆させたのは、通教生の真剣な受講態度であった。
なかには、教員よりも年上の学生もいる。その人たちが、目を輝かせ、一言も聞き漏らすまいと講義に耳を傾ける姿に、教員たちは新鮮な息吹を感じた。
講義にも、自然に力がこもっていった。教員たちは、通教生には幅広い年代や、さまざまな学歴の人がいるだけに、専門用語も、わかりやすく、かみ砕いて説明した。いかに、わかりやすく伝えるかーーそこにこそ、民衆に聞かれた教育の生命線がある。
どんな高邁な内容の話であっても、それが人びとに伝わらなければ、話し手の自己満足に終わってしまう。そこに、ともすれば、学者や専門家が陥りがちな落とし穴がある。
多くの教員が、通信教育の教科書も、自分たちで執筆したのである。授業が終わると、通教生たちは、質問するために、教員を取り囲んだ。教員たちは、むしろ、それを喜び、休み時間を返上して、一つ一つの質問に、親切に答えていった。
創価大学の通信教育は、「学校教育法」に基づいて行われる正規の大学教育である。高等学校卒業又は同等の資格を有する人が入学でき、正課課程を卒業すれば、「学士号」を取得できる。76年2月から、通信教育部の入学願書の受け付けが始まった。願書は全国各地から寄せられ、昭和51年度一期生は2千人を超えたのである。
伸一が、テーマとしていたことの一つは、通信教育は卒業生が少ないという問題を、どうやって乗り越えるかであった。彼は、大学側にも、「入学してくる通教生が、少しでも多く、卒業できるよう、最大の尽力をしていただきたい」と要望していた。
人間が情熱を燃やし、信念を貫き通していくには、「人」の存在が不可欠なのだ。そのために、善き人間関係を築く組織が、どうしても必要になってくるのである。
教員たちは考え抜いた。まず、出発段階にできることとして、通教生の相談にのり、アドバイスする「指導員」を、各都道府県に置いたらどうだろうか。伸一も、大賛成であった。
通信教育部で発行する機関誌の名前が決まらないというので、「学光」はどうだろうかと言った。「『学は光、無学は闇」と言うじゃないか。それにちなんで、学ぶ光、『学光』と書くんだ」「学光」--学の光をもって、わが人生を、そして、社会を照らしゆくのだ。それは、創価大学の通信教育を象徴する、永遠の指針が決まった瞬間であった。
満を持しての通信教育部の開学であった。ガイダンスが終わったころから、雨が降り始めた。傘を持っていない人も多かった。通学課程の学生たちが並んで、左右から傘を差し掛けてくれていた。その"花道"は、八王子駅までの臨時バスが出る、ロータリーまで続いていた。
通学生たちは、働きながら学ぶ"学友"たちを誇りに思い、尊敬し、心から祝福したかったのである。それが創大生の心である。いよいよ通信教育がスタートした。
通教生のもとには、ダンボールに梱包されて、何冊もの教科書が送られてきた。通信教育の勉強は、教科書を読み、与えられている課題についてのリポートを書くことと、スクーリングで直接、授業を受けることに大別される。
リポート提出という関門のあと、さらに、科目試験が待っているのである。通教生は、卒業に必要な124単位のうち、スクーリングで、30単位以上を習得する。この単位はリポートでは修得できず、夏か秋のスクーリングに参加し、授業を受け、試験を受けなければならなかった。
スクーリングに参加すること自体が、大変な"戦い"であった。教室の席は、先を争うようにして前から順に埋まっていった。
スクーリングは、直接、講義を聴くことができる貴重な時間である。職場や家族の理解と協力を得て、時間をつくり、費用を捻出して参加したのだ。決して無駄にするわけにはいかなかった。
厳しい条件のなかで挑戦する人は、真剣である。その真剣さが、自らを鍛え、強くし、大成への力となっていくのだ。ゆえに、苦境こそ、幸福の母となるのである。
通信教育部の授業を担当するのは、通学課程同様、学長をはじめ、学部長、教授などの、優れた教授陣である。その教員たちを驚嘆させたのは、通教生の真剣な受講態度であった。
なかには、教員よりも年上の学生もいる。その人たちが、目を輝かせ、一言も聞き漏らすまいと講義に耳を傾ける姿に、教員たちは新鮮な息吹を感じた。
講義にも、自然に力がこもっていった。教員たちは、通教生には幅広い年代や、さまざまな学歴の人がいるだけに、専門用語も、わかりやすく、かみ砕いて説明した。いかに、わかりやすく伝えるかーーそこにこそ、民衆に聞かれた教育の生命線がある。
どんな高邁な内容の話であっても、それが人びとに伝わらなければ、話し手の自己満足に終わってしまう。そこに、ともすれば、学者や専門家が陥りがちな落とし穴がある。
多くの教員が、通信教育の教科書も、自分たちで執筆したのである。授業が終わると、通教生たちは、質問するために、教員を取り囲んだ。教員たちは、むしろ、それを喜び、休み時間を返上して、一つ一つの質問に、親切に答えていった。
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋