『新・人間革命』第23巻 学光の章 178p
卒業式であいさつに立った、山本伸一の声も弾んでいた。二百人を超す通教生が卒業の栄冠を手にしたことが嬉しくて、嬉しくて仕方なかったのである。この日、彼は、「たゆまぬ努力と実践で、社会で信用を勝ち取ってもらいたい」「生涯、学問をするという姿勢を貫いてもらいたい」との二点を要望し、はなむけの言葉とした。
式典終了後、一人ひとりに卒業証書と、伸一が卒業生のために揮毫した「学光」という書が手渡されていった。その光景を、教室の後方から、家族たちが喜びの涙を浮かべながら見守っていた。
心に勇気の光源をもつ人は、苦しみの暗夜に打ち勝つことができる。闇が深ければ深いほど、仰ぎ見る太陽はまばゆい。
第5回学光祭には、山本伸一も、初めて出席した。通教生は、北は北海道、南は、沖縄、さらに遠く、海外はイラクからも参加していた。「学は光」の合唱を聴いた伸一は、真っ先に拍手を送りながら、「通教生の負けじ魂が、あふれていますね。この"負けるものか!"という一念が、人間を鍛え、強くするんです」
自己に勝つことから、すべての勝利が始まる。ゆえに自分に勝つ心を培うことに、創価の人間教育の眼目がある。
「皆さんは、他人との比較においてではなく、自分自身に根を張った人間の王道を、自分で見いだして、自分でつくり、自分で仕上げていっていただきたい。名誉や、有名であるといったことなどに、とらわれるのではなく生涯、勉学を深めながら、自分らしい、無名の王者の道を生きてください」
1982年(昭和57年)4月には、教育学部の通信教育課程が開設された。これによって、小学校や幼稚園の教員免許状、社会教育主事任用資格の取得も可能になったのである。
84年、学生同士が「建学の精神」学びつつ、互いに励まし合い、卒業をめざすために、希望者からなる都道府県別組織を整備することになった。その学生会の命名を依頼された山本伸一は、「光友会」と名づけた。「学は光」との指針を深く胸に刻み、自らを輝かせながら前進していく友のグループであってほしいーーとの思いからの命名であった。
1985年第10回学光祭が、第一回光友総会の意義を込め、創価大学のグラウンドで行われた。これには、全国から、6千人が喜々として集ってきたのである。
「学問は、宇宙の真理の探究であり、そこには、王道はない。それゆえに、学問の道には、覚悟と努力、そして、強靭な探求心が必要とされます。"なんとかなるだろう"といった安易な気持ちでは、決して達成されるものではないことをしっていただきたい。大学を卒業したといっても、ただ大卒の資格を得ただけで、学問的にも、人間的にも、なんの成長もなければ、大学に学んだ意味はありません。それは、虚像にすぎない。」
伸一は、創立者として、真の人間の生き方を教えたかった。人間の道を教えることにこそ、人間教育のテーマがある。
第13回学光祭にも出席し、フランスの文豪エミール・ゾラの生き方を通して、人間にとって最も大切なことは何かを訴えていった。「強靭な知性があるからこそ、正を正、邪を邪と見抜き、雑音などに紛動されない。また、自己のちっぽけな、濁った私情に負けることなく、恐れなく正義の信念に殉じることができる。」
「学問と教養によって、耕され、練り鍛えられた確固たる人格と知性ーー諸君は、そうした揺るぎなき『人格の人』『知性の人』になっていただきたい」
1999年創価大学本部棟の落成式が行われた。その本部棟の前には、「学光の塔」が凛々しく立っている。搭には、伸一が、創価大学に学ぶ一人ひとりへの期待を込めて綴った一文が刻まれている。「『学は光、無学は闇、知は力、無知は悲劇』これ、創価教育の父・牧口常三郎先生の精神なり。この『学光』を以って永遠に世界を照らしゆくことが、我が創価の誉れある使命である」
創大通教生は日本国内だけでなく、世界に広がっている。また、夫婦や親子で通教に学ぶ人もいる。
何人もの博士号取得者が出ている。
通教生がつかんだ栄冠は、自らの血と汗で勝ち取った人間王者の冠である。創大通教は、まさに「民衆教育の大城」「生涯教育の光城」として、21世紀の大空に燦然とそびえ立ったのだ。創価の師弟の、勝利の光を放ちながら!
<学光の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋
卒業式であいさつに立った、山本伸一の声も弾んでいた。二百人を超す通教生が卒業の栄冠を手にしたことが嬉しくて、嬉しくて仕方なかったのである。この日、彼は、「たゆまぬ努力と実践で、社会で信用を勝ち取ってもらいたい」「生涯、学問をするという姿勢を貫いてもらいたい」との二点を要望し、はなむけの言葉とした。
式典終了後、一人ひとりに卒業証書と、伸一が卒業生のために揮毫した「学光」という書が手渡されていった。その光景を、教室の後方から、家族たちが喜びの涙を浮かべながら見守っていた。
心に勇気の光源をもつ人は、苦しみの暗夜に打ち勝つことができる。闇が深ければ深いほど、仰ぎ見る太陽はまばゆい。
第5回学光祭には、山本伸一も、初めて出席した。通教生は、北は北海道、南は、沖縄、さらに遠く、海外はイラクからも参加していた。「学は光」の合唱を聴いた伸一は、真っ先に拍手を送りながら、「通教生の負けじ魂が、あふれていますね。この"負けるものか!"という一念が、人間を鍛え、強くするんです」
自己に勝つことから、すべての勝利が始まる。ゆえに自分に勝つ心を培うことに、創価の人間教育の眼目がある。
「皆さんは、他人との比較においてではなく、自分自身に根を張った人間の王道を、自分で見いだして、自分でつくり、自分で仕上げていっていただきたい。名誉や、有名であるといったことなどに、とらわれるのではなく生涯、勉学を深めながら、自分らしい、無名の王者の道を生きてください」
1982年(昭和57年)4月には、教育学部の通信教育課程が開設された。これによって、小学校や幼稚園の教員免許状、社会教育主事任用資格の取得も可能になったのである。
84年、学生同士が「建学の精神」学びつつ、互いに励まし合い、卒業をめざすために、希望者からなる都道府県別組織を整備することになった。その学生会の命名を依頼された山本伸一は、「光友会」と名づけた。「学は光」との指針を深く胸に刻み、自らを輝かせながら前進していく友のグループであってほしいーーとの思いからの命名であった。
1985年第10回学光祭が、第一回光友総会の意義を込め、創価大学のグラウンドで行われた。これには、全国から、6千人が喜々として集ってきたのである。
「学問は、宇宙の真理の探究であり、そこには、王道はない。それゆえに、学問の道には、覚悟と努力、そして、強靭な探求心が必要とされます。"なんとかなるだろう"といった安易な気持ちでは、決して達成されるものではないことをしっていただきたい。大学を卒業したといっても、ただ大卒の資格を得ただけで、学問的にも、人間的にも、なんの成長もなければ、大学に学んだ意味はありません。それは、虚像にすぎない。」
伸一は、創立者として、真の人間の生き方を教えたかった。人間の道を教えることにこそ、人間教育のテーマがある。
第13回学光祭にも出席し、フランスの文豪エミール・ゾラの生き方を通して、人間にとって最も大切なことは何かを訴えていった。「強靭な知性があるからこそ、正を正、邪を邪と見抜き、雑音などに紛動されない。また、自己のちっぽけな、濁った私情に負けることなく、恐れなく正義の信念に殉じることができる。」
「学問と教養によって、耕され、練り鍛えられた確固たる人格と知性ーー諸君は、そうした揺るぎなき『人格の人』『知性の人』になっていただきたい」
1999年創価大学本部棟の落成式が行われた。その本部棟の前には、「学光の塔」が凛々しく立っている。搭には、伸一が、創価大学に学ぶ一人ひとりへの期待を込めて綴った一文が刻まれている。「『学は光、無学は闇、知は力、無知は悲劇』これ、創価教育の父・牧口常三郎先生の精神なり。この『学光』を以って永遠に世界を照らしゆくことが、我が創価の誉れある使命である」
創大通教生は日本国内だけでなく、世界に広がっている。また、夫婦や親子で通教に学ぶ人もいる。
何人もの博士号取得者が出ている。
通教生がつかんだ栄冠は、自らの血と汗で勝ち取った人間王者の冠である。創大通教は、まさに「民衆教育の大城」「生涯教育の光城」として、21世紀の大空に燦然とそびえ立ったのだ。創価の師弟の、勝利の光を放ちながら!
<学光の章 終了>
太字は 『新・人間革命』第23巻より 抜粋