『新・人間革命』第22巻 命宝の章 351p
1975年(昭和50年)11月9日、第38回本部総会は、県立体育館で、晴れやかに開催された。山本伸一の講演の冒頭この広島の地で、本部総会を開催したことに触れ、力強く訴えた。「二度と再び、あの人類の惨劇を繰り返してはならないという、私どもの重大なる決意をもって行われていることを、まず、はっきりと申し上げておきたい」
そして、明年のテーマ「健康・青春」に言及し、健康論を展開。「健康の本義を言えば、それは、絶えざる生命の革新にほかならないと考えたい。この生命の革新を可能にする根源の当体を、人間の内部に洞察して、"仏界"すなわち仏の生命と名づけ、現実に生命革新の道を開いた仏法こそ、人類の健康法を最も根源的に明かしたものであると私は信じますが、皆さん、いかがでしょうか」
続いて彼は、青春の根源をなすものは「生命の躍動」であり、青春には、たとえ、未完成であっても、偉大なる生命の燃焼があり、道の世界への挑戦、はつらつたる革新のエネルギー、正義感、情熱等があると語った。
そして、青年期の信念を、死の間際まで燃やし続けるところに、真実の健康があり、青春が輝くと訴え、仏法の歴史においても、変革者は、常に「生涯青春」の姿を示してきたことを述べた。
広宣流布のために戦うなかで、生命は活力を増して、健康と青春の息吹がみなぎる。広宣流布に生きる人の生命は「生涯青春」である。
伸一は、創価学会の根本目標は、どこまでも広宣流布にあり、その実現のための個人個人の活動は、着実な折伏・弘教の推進であることを再確認した。
「仏法を持った社会人の集団としての、社会における責任という観点で、創価学会の目標をとらえるならば『生命の尊厳を基調とした興隆』と言えます。」
そして、弘教の推進と文化・社会の建設とは、ともに仏法の精神である一切衆生の救済をめざすものであり、それは本来、合一しており、二つの側面であることを語った。
「広宣流布、折伏・弘教は、人間個々の内面から、変革の力を与え、救済していくものであります。一方、『生命の尊厳を基調とした文化の興隆』とは、文化的・社会的環境という、外からの救済の道を開くものであります。
『立正安国論』にも『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か』との仰せがあります。つまり、恒久平和の実現こそ、われわれのめざすべき大道なのであります」『四表の静謐』とは社会の平和である。
次いで伸一は、核問題について話を進めていった。第一に、いかなる国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用をも禁止し、この地上から一切の核兵器を全滅する日まで、最大の努力を傾けることを、改めて宣言した。
仏法の眼から見る時、核兵器は奪命者である魔の働きをもつ。ゆえに彼は、生命の尊厳を守る仏法者として、核兵器の廃絶を訴え続けてきたのである。さらに、伸一は、核拡散に歯止めをかけ、核兵器を絶滅へと向かわせるための要諦を、力を込めて訴えた。
「核抑止理論がいかに無意味であるかを強調するだけでは足りないと思います。より深く本源的な次元から、"核兵器は悪魔の産物であり、それを使用する者も悪魔であり、サタンの行為である"という戸田先生の洞察を、全世界に広めていくことが、最も根底的な核絶滅への底流を形成することになるものと考えたい」
核兵器廃絶には、核兵器を絶対悪とする、揺るがざる根本の哲学が不可欠である。それがなければ、状況のいかんで、核兵器は必要悪とされ、結局は、その存在が肯定されるようになってしまうからだ。確たる哲理の土台がなければ、平和の城は建たない。
伸一は、第二に、核兵器全廃への具体的な取り組みについての提言を行った。その一つが、核絶滅を願う国際世論を高めるために、広く民間レベルで、核の実態や人間生命に与える影響性などを、正しく調査・研究する機関を、広島、または長崎に、早急に設置すべきであるということであった。
また、核兵器全廃のための全世界首脳会議への第一段階として、専門家、科学者、思想家などの民間代表を結集して国際平和会議を開催。核の脅威を徹底的に研究・討議し、核軍縮の具体的なプロセスについて、結論が出るまで会議を続行することを提唱した。
そして、国際平和会議ではまず、現実的な問題として、「いかなる核保有国も自ら先に核を使用しないこと」「非核保有国に対しては、未来にわたって、絶対に核を投下しないこと」を決議し、核兵器廃絶への土台を築くべきであると力説。この国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催するように提案したのだ。
太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋
そして、明年のテーマ「健康・青春」に言及し、健康論を展開。「健康の本義を言えば、それは、絶えざる生命の革新にほかならないと考えたい。この生命の革新を可能にする根源の当体を、人間の内部に洞察して、"仏界"すなわち仏の生命と名づけ、現実に生命革新の道を開いた仏法こそ、人類の健康法を最も根源的に明かしたものであると私は信じますが、皆さん、いかがでしょうか」
続いて彼は、青春の根源をなすものは「生命の躍動」であり、青春には、たとえ、未完成であっても、偉大なる生命の燃焼があり、道の世界への挑戦、はつらつたる革新のエネルギー、正義感、情熱等があると語った。
そして、青年期の信念を、死の間際まで燃やし続けるところに、真実の健康があり、青春が輝くと訴え、仏法の歴史においても、変革者は、常に「生涯青春」の姿を示してきたことを述べた。
広宣流布のために戦うなかで、生命は活力を増して、健康と青春の息吹がみなぎる。広宣流布に生きる人の生命は「生涯青春」である。
伸一は、創価学会の根本目標は、どこまでも広宣流布にあり、その実現のための個人個人の活動は、着実な折伏・弘教の推進であることを再確認した。
「仏法を持った社会人の集団としての、社会における責任という観点で、創価学会の目標をとらえるならば『生命の尊厳を基調とした興隆』と言えます。」
そして、弘教の推進と文化・社会の建設とは、ともに仏法の精神である一切衆生の救済をめざすものであり、それは本来、合一しており、二つの側面であることを語った。
「広宣流布、折伏・弘教は、人間個々の内面から、変革の力を与え、救済していくものであります。一方、『生命の尊厳を基調とした文化の興隆』とは、文化的・社会的環境という、外からの救済の道を開くものであります。
『立正安国論』にも『汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か』との仰せがあります。つまり、恒久平和の実現こそ、われわれのめざすべき大道なのであります」『四表の静謐』とは社会の平和である。
次いで伸一は、核問題について話を進めていった。第一に、いかなる国の核兵器の製造、実験、貯蔵、使用をも禁止し、この地上から一切の核兵器を全滅する日まで、最大の努力を傾けることを、改めて宣言した。
仏法の眼から見る時、核兵器は奪命者である魔の働きをもつ。ゆえに彼は、生命の尊厳を守る仏法者として、核兵器の廃絶を訴え続けてきたのである。さらに、伸一は、核拡散に歯止めをかけ、核兵器を絶滅へと向かわせるための要諦を、力を込めて訴えた。
「核抑止理論がいかに無意味であるかを強調するだけでは足りないと思います。より深く本源的な次元から、"核兵器は悪魔の産物であり、それを使用する者も悪魔であり、サタンの行為である"という戸田先生の洞察を、全世界に広めていくことが、最も根底的な核絶滅への底流を形成することになるものと考えたい」
核兵器廃絶には、核兵器を絶対悪とする、揺るがざる根本の哲学が不可欠である。それがなければ、状況のいかんで、核兵器は必要悪とされ、結局は、その存在が肯定されるようになってしまうからだ。確たる哲理の土台がなければ、平和の城は建たない。
伸一は、第二に、核兵器全廃への具体的な取り組みについての提言を行った。その一つが、核絶滅を願う国際世論を高めるために、広く民間レベルで、核の実態や人間生命に与える影響性などを、正しく調査・研究する機関を、広島、または長崎に、早急に設置すべきであるということであった。
また、核兵器全廃のための全世界首脳会議への第一段階として、専門家、科学者、思想家などの民間代表を結集して国際平和会議を開催。核の脅威を徹底的に研究・討議し、核軍縮の具体的なプロセスについて、結論が出るまで会議を続行することを提唱した。
そして、国際平和会議ではまず、現実的な問題として、「いかなる核保有国も自ら先に核を使用しないこと」「非核保有国に対しては、未来にわたって、絶対に核を投下しないこと」を決議し、核兵器廃絶への土台を築くべきであると力説。この国際平和会議を、平和原点の地である広島で開催するように提案したのだ。
太字は 『新・人間革命』第22巻より 抜粋