小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

August 2020

SGI会長就任

『新・人間革命』第21巻 SGIの章 20P~

SGIも、IBLも、それぞれの国や社会の繁栄、世界平和の実現などに寄与するという目的は同じである。そのうえでSGIは、日蓮大聖人の仏法思想の理解を広げるとともに、メンバーが仏法を正しく理解し、信心の成長を図るために、信心活動の指導・助言を行うという役割を担っている。

その誕生は、世界の同志の切実な願いであり、要請であった。これまで、各国・地域の組織が連帯し、仏法を根底に平和と幸福を築き、文化の交流を行っていくために、世界の各州などに協力態勢がつくられてきた。各国のメンバーはさらに、それを広げ、全世界を一つに結ぶ、国際的な団体の発足を希望していたのである。

山本伸一も、その必要性を痛感していた。核戦争の脅威や地球環境の深刻な悪化、また、差別、貧困、飢餓など、現代のかかえる諸問題の多くが、国や地域を超えて、世界が連帯して立ち向かわなければならないテーマであるからだ。

11月には、各国のメンバーの代表で世界平和会議の実行委員会が設けられ、国際機構設立の準備も、この実行委員会が責任をもって進めることになった。その国際機構は、国際仏教者連盟(IBL)とすることが決まり、規約案もでき上がった。

IBLの役割は、各国の法人・団体などの互助組織的なものとなっていた。各国の代表はたちは"これでは何か足りない"と感じた。彼らが、本当に必要と痛感していたものは、各国の法人や団体の自主性のうえに、誤りのない信心の指導が受けられる機構であった。

世界のどの国にあっても、メンバーには"信心の在り方や教学を教わりたい"”人生の問題や活動の方法等、さまざまな事柄について指導を受けたい"という、強い思いがあった。特に、中心者が信心して日が浅く、活動経験に乏しい場合には、なおさらであった。

また、日蓮大聖人の仏法思想への理解を広げていくには、まず、自分たちが創価学会の歴代会長に流れる学会精神、師弟の精神を継承していかなければならないと、気づき始めていたのである。

創価学会の歴史を振り返りながら、この創価の師弟に連なり、その精神と実践とを体得せずしては、メンバーが大聖人の仏法の正道を歩むことも、人びとの幸福と平和の道を開くこともできないにちがいないーー。広宣流布の脈動も、その世界的な広がりも、創価学会の師弟の道にこそあるのだ。

国際的な機構をつくるといっても、大事なことは、山本先生に指導を仰ぐことができ、創価学会の精神を継承できる組織を誕生させることではないかと 東南アジアの代表は考え、それを会議の準備で語った。南米の代表も 最も大事なことは、学会精神に立つことだと話した。

アメリカの代表も、広宣流布とは、人間文化の開花であり、仏法を根底とした大文化運動であることを
山本先生に教えていただくしかない。「信心を学ぶには師匠が必要です」と話した。

IBLのほかに、創価学会の精神を学び、指導を受けることのできる国際機構をつくりたいとの、実行委員会の意向を聞いた山本伸一は思索を重ねた。だが、伸一は、すぐには結論を出さなかった。本当にそれが、各国のメンバーの要請なのかを、見極めたかったからである。

"信仰を貫き、深めていくことは、人間の最高の自発性の発露である。その信仰を触発し、指導するための機構であるならば、皆の強い自発的意見の総和によって結成されなくてはならない。"

人類の平和と幸福を担い立つ真の人材を育てようとする伸一の、ほとばしる思い、そして、仏法の師匠を求め抜く、世界の同志の一途な思いーーその師弟の心の結合がSGIを誕生させ、山本SGI会長という世界の創価学会の柱を打ち立てることになったのだ。

そして、この日、伸一は、全メンバーの総意をもって、SGI会長に就任したのだ。それは、広宣流布の歴史を画す、新しき旭日が躍り出た瞬間であった。


太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋

SGI結成

『新・人間革命』第21巻 SGIの章 7P~

<新・人間革命 第21巻 開始>
< SGIの章 開始 >

1975年(昭和50年)1月26日。この日世界51ヵ国・地域のメンバーの代表158人がグアムの国際貿易センタービルに集い、第1回「世界平和会議」を開催。席上、世界各国のメンバーの団体からなる国際的機構として、SGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのである。

そして、全参加者の相違として懇請され、山本伸一がSGI会長に就任したのだ。

世界の恒久平和を実現するには、一切衆生に尊極無上の「仏」の生命を見いだす仏法の生命尊厳の哲理を、万人万物を慈しむ慈悲の精神を、人びとの胸中に打ち立てなければならない。それが広宣流布である。

日蓮大聖人は「一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」と仰せである。一閻浮提とは、全世界であり、世界広宣流布は絶対にできるとの御断言である。しかし、それは、ただ待っていればできるということではない。"この御本仏の御言葉を、虚妄にしてなるものか!"という弟子たちの必死の闘争があってこそ、広宣流布の大進展はあるのだ。

自身が主体者となって立ち上がるのだ。尊き使命を自覚するのだ。それが、地涌の菩薩として立つことなのだ。そこに、生の歓喜がみなぎり、崩れざる幸福への道が、境涯革命の道が開けるのだ。

大宇宙もわが一念にありと教えているのが仏法である。なれば、傍観者のような姿勢は「仏法を学して外道となる」生き方である。そこには生命の躍動もない。空虚な心の闇が広がっている。

グアムに集った代表は、いずれも各国のリーダーであり、広宣流布をわが使命として立ち上がった闘士たちであった。創価の先駆者であった。その一人立った勇者たちが、スクラムを組み、SGIという世界を結ぶ平和の長城の建設に立ち上がったのである。

この日の参加者は、後世に残る重大な記録として、署名を行うことになっていた。伸一もペンを手にした。署名簿には、氏名とともに、国籍を記す欄もあった。彼は、氏名欄に「山本伸一」と書いたあと、国籍の欄にはこう記した。「世界」ーー。

この時、彼の胸には、師の戸田城聖が叫んだ「地球民族主義」という言葉が響いていた。そして、心で亡き恩師に誓っていた。"先生!私は全人類の幸福と平和のために、世界の広宣流布に、わが人生を捧げます!"

伸一の心には、既に国境はなかった。民族の壁もなかった。伸一の国とは、地球それ自体であった。国籍「世界」という記帳は、彼の率直な心情の表れであった。世界を祖国とし、世界の人びとのために尽し抜く決意を込めて、署名したのであった。

グアムの代表は、力を込めて訴えた。「グアムの悲惨な歴史を背負った私たちには、最も声高に平和を叫ぶ使命があります。」「今回の世界平和会議の開催に際し、平和をめざす私たちの活動に賛同したグアム政庁は、1975年1月26日を『世界平和の日』と定めたのであります。」

宿命は使命である。残酷な戦争の舞台となってきた地であるからこそ、そこから平和への大波を起こす使命があるのだ。

イギリスの代表が経過報告に立った。「今や、戦争や公害をはじめ、人類を脅かす暗雲は、地球的規模で私たちの前に立ちはだかっております。それに対応するために、私たちのめざす運動も旧来のワクにとらわれることなく、人間と人間の幅広い世界的連帯と長期的展望に立たなければなりません。」

「もう一歩その連帯を広げ、世界を結ぶ意味から、全世界的機構として、国際仏教者連盟、略称IBLの結成を提案したいと思います。」

IBLの議長に就任したアメリカの代表は「われわれ全員の願いとして、われらの先生に創価学会インタナショナル(SGI)の会長として、さらに世界平和の指揮を執っていただきたいということであります。」

この日、この時、全世界の代表たちの総意により、山本伸一を会長とする創価学会の世界的なスクラムとして、SGIがスタートしたのだ。


太字は 『新・人間革命』第21巻より 抜粋

大平蔵相との会談

『新・人間革命』第20巻 信義の絆の章 390P~

平和友好条約については、1972年(昭和47年)9月に発表された日中共同声明のなかで、締結に向けて交渉していくことが明記されていた。

三木首相も平和友好条約の締結を望んでいた。だが、党内では難色を示す勢力が強く、前途は多難であった。それを押し切るには、三木首相の党内基盤は脆弱過ぎた。日中友好を推進することは、命がけの作業といっても過言ではない。

大平は、外相として国交正常化を推進していた時には、自宅に脅迫状も投げ込まれたという。しかし、彼は、『たとえ八つ裂きにされても、やる』との壮絶な決意を固めて、事に当たってきたのである。日中航空協定でも、党内の反対派から、何度もつるし上げられた。

伸一もまた、日中友好の華僑作業に突き進んだ日から、幾度となく、脅迫や避難、中傷の嵐に打たれ続けてきた。それだけに、大平の心も、決意もよくわかった。

伸一は、言葉をついだ。「さきほど、キッシンジャー国務長官とお会いしてきました。長官は、日本と中国は、ぜひ平和友好条約を結ぶべきだというご意見でした。」「そうなんです。キッシンジャーさんは周総理から、条約締結の応援を頼まれているようです」

伸一は、周総理を思いながら大平に言った。「これは断固、成し遂げなければならないテーマです。大平先生への皆の期待は大きいと言えます」

大平は、決意をかみしめるように語った。「日中平和友好条約は必ずやります。しかし、若干、時間はかかります。年内は無理かもしれません。日中問題は、実は『日日問題』なんです。日中友好に慎重な勢力の強い抵抗があります。三木総理はやりたくとも見方は少ない」

伸一は、ひときわ大きな声で言った。「国民が味方ですよ。平和を望む国民はみんな味方です。応援します」

「この日中平和友好条約は、日中のみならず、世界にとっても極めて大事です。社会主義の中国と資本主義の日本が、『平和友好』を宣言することは、画期的なことです。人類は、いつまでも、『冷戦』を続けている時代ではありません」大平蔵相との語らいは、日中友好への決意を固め合う対談となった。

日中友好条約の締結への道のりは険路であった。条約に派遣反対の条項を盛り込むかどうかで、交渉は、暗礁に乗り上げることになる。

ソ連に配慮しつつ「反派遣条項」が盛り込まれた日中平和友好条約が調印されたのは、伸一の「日中国交正常化提言」から10年後の、1978年8月のことである。福田赳夫首相、大平自民党幹事長の時代であった。

山本伸一は、1月14日、アーリントン墓地を訪れ、「無名戦士の墓」に献花した。さらに、伸一は、墓地内にある、第35代大統領のジョン・F・ケネディ、その弟のロバート・F・ケネディの墓を訪れ、冥福を祈った。

かつて、ケネディ大統領とは会談が決まっていたにも関わらず、実現せずに終わってしまったことが悔やまれてならなかった。

伸一は、このあと、シカゴ、ロサンゼルス、ハワイを訪問し、1月23日に、グアムに向かった。グアムでは、26日に世界51ヵ国・地域からメンバーの代表が集い、第1回「世界平和会議」が開催されることになっていた。いよいよ平和の新章節の幕が開かれようとしていたのだ。

人類が結束して行うべき最大の事業ーーそれは恒久平和の建設である。伸一は、そのための人類結合の「芯」となる絆を創ろうと、固く、強く、心に決めていたのである。


<信義の絆の章 終了>
<新・人間革命 第20巻 終了>

太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋

中東和平への提言

『新・人間革命』第20巻 信義の絆の章 382P~

彼は、中東和平についての自分の主張をかいつまんで語ると、この書簡を手渡した。中東和平の基本原則の1番目に伸一が 示したのは、「力を持てる国の利益よりも、持たざる国の民衆の意見が優先されねばらならない。」ということであった。それが平和を実現する鉄則である。

次々と土地を奪われたパレスチナ人の権利を回復し、パレスチナの民衆の不幸を優先して解決しない限り、中東における恒久的な平和は達成できないからだ。伸一は、この書簡で、ユダヤ系ポーランド人の
ジャーナリストであるアイザック・ドイッチャーの、イスラエルとパレスチナの在り方についての考え方を紹介した。

基本原則の2番目に伸一が訴えたのは、「中東和平を進めるにあたり、あくまで武力解決を避けて、交渉による解決を貫くべきである」ということであった。

さらに、「この中東の危険な発火地に、これ以上の火薬を近づけてはならない」「武器供給に代えて、非軍事面での資金援助、技術援助をこそ行うべき」であると訴えた。そして、米ソ英仏をはじめ、多くの石油消費国も参加して、中東地域の平和的な発展を保障し、推進する、「中東平和建設機構」を設けるよう提案したのである。

三番目には、「平和的解決のための具体的な交渉は、あくまで当事者同士の話し合いによって決定されるべき」であると記した。大国の武力を背景にした交渉では、"戦争の合間の和平状態にしかならない"。

彼は、あえて、具体的な問題については触れなかった。それも、当事者同士の話し合いによって決定すべきであるとの考えによるものであった。

伸一は、書簡に、この提言を「人類の平和を願ってやまない一人の友人からの真心」として受け取ってもらえれば幸いであると記した。「今、世界は、中東情勢の刻一刻の動静とともに、あなたの一挙手一投足に固唾をのんで注目しております。」

長官は、この書簡を、3回繰り返して読んだ。そして、顔を上げた。「数日、思索させてもらいます。今度は、石油問題についても、ぜひ提言してください。山本会長のご意見は、大統領にも、必ずお伝えします」

この日から、伸一とキッシンジャーの友好は一段と深まっていった。1987年(昭和62年)9月には、二人の対談集『「平和」と「人生」と「哲学」を語る」が出版されたのである。

また、96年6月、伸一がアメリカからキューバに行き、カストロ国家評議会議長と会見する予定があることを知ったキッシンジャーが 訪ねてきたのである。キッシンジャーは、アメリカとキューバの関係改善を願う真情を述べ、伸一の訪問に強い期待を寄せたのである。

伸一は、そのキッシンジャーの心を携えてキューバを訪問し、カストロ議長と会見した。キッシンジャーの思いも伝え、平和への実り多い対話がなされたのだ。

キッシンジャー国務長官と会談した伸一は、引き続き同省内で、前駐日大使のロバート・インガソル国務副長官にあいさつした。それから、日本大使館に向かった。訪米していた大蔵大臣の大平正芳と会見することになっていたのである。

前日ワシントン入りした大平蔵相から伸一に、日本大使館で会いたい旨の連絡があったのである。大平大臣とは、初対面であった。大平は、淡々とした口調で切り出した。「日中平和友好条約について、山本会長のご意見をお聞きしたい」大平は、前月の12月に三木内閣の大蔵大臣となった。

日中国交正常化を果たした時の田中内閣では外務大臣を務め、日中航空協定にも尽力してきた。そして、いよいよ日中平和友好条約の締結が、彼にとっても最大のテーマとなっていたのだ。


太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋

キッシンジャー国務長官との会談

『新・人間革命』第20巻 信義の絆の章 375P~

伸一は、ニューヨークから列車でワシントンDCへと向かった。そして、13日、彼は国務省を訪問した。ヘンリー・キッシンジャー国務長官と会談するためである。

1973年(昭和48年)1月、伸一は、ニクソン大統領あてのベトナム戦争の終結を呼びかける書簡を、人を介して、当時、大統領補佐官であったキッシンジャーに託し、届けてもらっていた。以来、何度か、キッシンジャーと手紙のやりとりをしてきた。そのなかで、「渡米の折には、ぜひとも立ち寄ってほしい」と言われていたのである。

キッシンジャー国務長官と山本伸一の会談は、長官の執務室で午後2時半から行われた。室内には、キッシンジャーと伸一、アメリカ側の通訳の三人しかいなかった。伸一が現下の国際情勢について話を切り出すと、長官の目が光った。

伸一は、キッシンジャーが1969年の1月にニクソン大統領の補佐官となって以来、その奮闘に目を見張ってきた。彼には、時代を読む鋭い洞察力があった。緻密な計画があった。そして、何よりも、エネルギッシュで果敢な行動力があった。

キッシンジャーは、冷徹な現実主義者であり、理想主義の対極にあるかのように評されてきた。しかし、理想を実現しようと思うならば、現実を凝視せねばならない。現実から目をそらすならば、そこにあるのは「理想」ではなく、「空想」である。

山本伸一は、1971年7月、キッシンジャーが大統領補佐官として密かに北京を訪問し、その後のニクソン訪中、米中対立改善への流れを聞いたことが忘れられなかった。それは、世界が驚き、息をのんだ、電撃的な中国訪問であった。

ベトナム戦争では、米軍の漸次撤退を推進し、さらに和平実現の陰の力となってきた。伸一は、それらの行動のなかに、平和への屈強な信念を見ていた。

キッシンジャーは38年15歳の時に、家族と共に、ドイツからニューヨークに渡ってきた。当時、ドイツはヒトラーの政権下にありユダヤ人への迫害は、日に日に激しさを加えていた。彼の一家も、そのターゲットになったのである。キッシンジャーも、少年時代から、働きながら夜学に通った。苦闘の青春でであった。だが、それゆえに、彼の人生の勝利があったといえよう。

1973年には、ベトナム和平協定を推進したことが高く評価され、ノーベル平和賞を受賞している。語らいのなかで長官は、伸一に尋ねた。「あなたたちは、世界のどこの勢力を指示しようとお考えですか」

伸一は、言下に答えた。「私たちは東西両陣営のいずれかにくみするものではありません。私たちは、平和勢力です。人類に味方します」それが、人間主義ということであり、伸一の立場であった。

会談では、中東問題、米ソ・米中関係、SALT(戦略兵器制限交渉)などがテーマになっていった。平和の道をいかに開くかーー二人の心と心は教鳴音を響かせながら、対話は進んだ。

この会談で、山本伸一は、風雲急を告げる世界の火薬庫・中東の問題について、和平実現のために、何点かにわたる提案をしようと思っていたのである。

伸一は、キッシンジャー国務長官の中東和平への懸命な努力に、期待をいだいていた。そして、中東地域に恒久的な平和を実現してほしいと切望していたのだ。

伸一の提案は、具体的な和平交渉の次元を超えたものであり、より根本的な長期的な、平和のための理念を示すものであった。いわば、中東の平和に関する基本原則を提示したのである。

中東問題は歴史的な深い原因があることから、もつれた糸のような状態になっていた。もはや一時的な対症療法的な対応策では、本質的な問題の解決は図れない状況であった。だから伸一は、和平のための基本原則を提案しようと考えたのだ。

しかし、会談の席で、この問題を詳細に論じれば、長い時間がかかってしまう。そこで、多忙な長官が貴重な時間を長く使わなくてすむように、提案を4百字詰め原稿用紙10枚ほどにまとめ、その英訳を用意してきていたのである。


太字は 『新・人間革命』第20巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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