『新・人間革命』第16巻 入魂の章 41P~
伸一は、どのグループの撮影の折にも、マイクを手に、「本陣・新宿」の使命を訴えた。彼は、新宿に限らず、全学会員に、自分の住んでいる地域に、深い意義を見いだし、誇りをもってほしかった。そこから、わが地域への愛着が生まれ、地域建設が始まるからだ。
彼は語った。「私が青年時代に決意したことの一つは、“広宣流布に生きようと決めた限りは、何があっても、文句など言うまい”ということでした。建設的な意見は大事だが、文句や愚痴は、いくら言っても前進はありません。言えば言うだけ、心は荒み、自分の意欲を削いでいきます。」
「また、それは、自分の情けなさ、卑屈さ、無力さを吹聴しているようなものであり、自らの価値を、人格を、下落させることになる。しかも、文句や愚痴は周囲を暗くさせ、皆のやる気までも奪い、前進の活力を奪ってしまう。だから、福運も功徳も消すことになる。」
「『賢者はよろこび愚者は退く』です。私たちは、何事も莞爾として受け止め、さわやかに、勇んで行動していこうではありませんか。」皆が笑顔で頷いた。
伸一は、記念撮影をした青年に『1・15』グループを結成しょうと提案した。結成によって、各人の年ごとの目標が明らかになっていったのである。
壮年部には、若い世代に豊富な経験や精神を語り伝えていただきたいと話し、「なかには、とても、人に語りうるものはないと思っていらっしゃる方もいるかもしれない。それならば、これから戦いを起こし、自身の広布のテーマに、懸命に挑戦していくことです。勇んで行動を開始すればよい。信心に遅すぎるということはありません。」
「壮年は、ともすれば、自分の小さなプライドに縛られたり、面倒くさがり、”何を今さら”と考えて、一途に行動を起こせない傾向がある。それが魂を老いさせるんです。それを打ち破るのが勇気です。勇気は若さにつながります。ともあれ、自らが行動し、つかんだ体験こそが、人生の真実の財産です。」
成人式を迎えたメンバーには、『新宿成人会』を結成しようと提案。今日を第一期とし、2期、3期と結成し、伝統として、毎年、集い合い、互いの成長を確認し、誓いを新たにしようと話した。まさに、この日は、「世界の模範・新宿」への出陣の日となったのである。
29日には、山本伸一は、沖縄に向かった。沖縄はこの1972年(昭和47年)の5月15日に、日本に返還されることになっていたのである。
沖縄総合本部の総合本部長高見福安は、「皆、日本一の広宣流布の理想郷をつくろうと固く誓い合っています」
「先生に呼吸を合わせ、心を一つにして戦うと、生命の電流が流れるように、元気が出る。勇気が涌いてくる。どんな壁も、次々と打ち破っていけると実感している。これは、どうしてでしょうか」という福安に伸一は答えた。
「勉強でさえ、自分だけでやっていたのでは、わからない問題に、行き詰ったり、偏ったものになってしまいがちです。しかし、よい先生に教われば、わかりやすいし、やる気も引き出してくれる。基本もしっかり教えてくれるし、能率的な学習法を身につけられる。当然向上も著しい。」
「私も、戸田先生の心を心とし、常に呼吸を合わせて戦ってきました。すると、“これはかなり困難な課題だ。果たしてできるだろうか”と思っていたことも、“必ずできる!”という確信に変わっていきました。どんなに辛く、大変な時でも、勇気が涌き、元気が出ました。そして、日々、自分の壁を破ることができたんです。」
「それは、広宣流布をわが使命とされ、現代における地涌の菩薩のリーダーとして立たれた戸田先生の、大生命と感応していったからです。広宣流布の師弟の道を行く人には、行き詰まりがありません。師匠と心が一つにとけ合った時、無限の力が涌くというのが、私の人生の結論なんです。」
人間が自身の力を最大限に発揮し、自分を生かしきる道こそが、「師弟不二」の道であることを、伸一は、確認しておきたかったのである。
伸一は、どのグループの撮影の折にも、マイクを手に、「本陣・新宿」の使命を訴えた。彼は、新宿に限らず、全学会員に、自分の住んでいる地域に、深い意義を見いだし、誇りをもってほしかった。そこから、わが地域への愛着が生まれ、地域建設が始まるからだ。
彼は語った。「私が青年時代に決意したことの一つは、“広宣流布に生きようと決めた限りは、何があっても、文句など言うまい”ということでした。建設的な意見は大事だが、文句や愚痴は、いくら言っても前進はありません。言えば言うだけ、心は荒み、自分の意欲を削いでいきます。」
「また、それは、自分の情けなさ、卑屈さ、無力さを吹聴しているようなものであり、自らの価値を、人格を、下落させることになる。しかも、文句や愚痴は周囲を暗くさせ、皆のやる気までも奪い、前進の活力を奪ってしまう。だから、福運も功徳も消すことになる。」
「『賢者はよろこび愚者は退く』です。私たちは、何事も莞爾として受け止め、さわやかに、勇んで行動していこうではありませんか。」皆が笑顔で頷いた。
伸一は、記念撮影をした青年に『1・15』グループを結成しょうと提案した。結成によって、各人の年ごとの目標が明らかになっていったのである。
壮年部には、若い世代に豊富な経験や精神を語り伝えていただきたいと話し、「なかには、とても、人に語りうるものはないと思っていらっしゃる方もいるかもしれない。それならば、これから戦いを起こし、自身の広布のテーマに、懸命に挑戦していくことです。勇んで行動を開始すればよい。信心に遅すぎるということはありません。」
「壮年は、ともすれば、自分の小さなプライドに縛られたり、面倒くさがり、”何を今さら”と考えて、一途に行動を起こせない傾向がある。それが魂を老いさせるんです。それを打ち破るのが勇気です。勇気は若さにつながります。ともあれ、自らが行動し、つかんだ体験こそが、人生の真実の財産です。」
成人式を迎えたメンバーには、『新宿成人会』を結成しようと提案。今日を第一期とし、2期、3期と結成し、伝統として、毎年、集い合い、互いの成長を確認し、誓いを新たにしようと話した。まさに、この日は、「世界の模範・新宿」への出陣の日となったのである。
29日には、山本伸一は、沖縄に向かった。沖縄はこの1972年(昭和47年)の5月15日に、日本に返還されることになっていたのである。
沖縄総合本部の総合本部長高見福安は、「皆、日本一の広宣流布の理想郷をつくろうと固く誓い合っています」
「先生に呼吸を合わせ、心を一つにして戦うと、生命の電流が流れるように、元気が出る。勇気が涌いてくる。どんな壁も、次々と打ち破っていけると実感している。これは、どうしてでしょうか」という福安に伸一は答えた。
「勉強でさえ、自分だけでやっていたのでは、わからない問題に、行き詰ったり、偏ったものになってしまいがちです。しかし、よい先生に教われば、わかりやすいし、やる気も引き出してくれる。基本もしっかり教えてくれるし、能率的な学習法を身につけられる。当然向上も著しい。」
「私も、戸田先生の心を心とし、常に呼吸を合わせて戦ってきました。すると、“これはかなり困難な課題だ。果たしてできるだろうか”と思っていたことも、“必ずできる!”という確信に変わっていきました。どんなに辛く、大変な時でも、勇気が涌き、元気が出ました。そして、日々、自分の壁を破ることができたんです。」
「それは、広宣流布をわが使命とされ、現代における地涌の菩薩のリーダーとして立たれた戸田先生の、大生命と感応していったからです。広宣流布の師弟の道を行く人には、行き詰まりがありません。師匠と心が一つにとけ合った時、無限の力が涌くというのが、私の人生の結論なんです。」
人間が自身の力を最大限に発揮し、自分を生かしきる道こそが、「師弟不二」の道であることを、伸一は、確認しておきたかったのである。
太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋