小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

April 2020

アーノルド・ジョーゼフ・トインビー博士

『新・人間革命』第16巻 対話の章 P120~ 

<対話の章 開始>

1972年(昭和47年)4月29日、山本伸一は、パリへと向かった。今回の訪問先は、フランスのパリ、イギリスのロンドン、そして、アメリカのワシントンDC、ロサンゼルス、ホノルルであり、期間は 約1か月の予定であった。

今回の旅の最大の目的は、イギリスの歴史学者であるアーノルド・ジョーゼフ・トインビー博士との対談であった。20世紀を代表する歴史学者である。叔父は、著名な経済学者アーノルド・トインビーである。彼は、感受性の強い聡明な少年ではあったが、決して、いわゆる”優等生”ではなかった。

奨学金を受けるための試験にも挑んだが、2年目にようやく合格を果たしている。博士は、オックスフォード大学に進んで古代史を学び、研究 のための旅行中赤痢にかかり、結果的に第一次世界大戦の軍隊では不合格となる。

やがて、外務省の政治情報部を経て、ロンドン大学教授となり、「ギリシャ・トルコ戦争」の視察に出かけた。彼は、一方の主張だけを取り上げるのではなく、ギリシャの言い分にも、トルコの言い分にも公平に耳を傾けた。

オスマン・トルコによるアルメニア人の虐殺があったことから、人びとはトルコ人に憎悪と恐怖を感じ、「偏見」にとらわれていた。“それだけに、トルコ人の言い分を、よく理解する努力が必要だ!”そして、事実をありのままに原稿にして、「マンチェスター・ガーディアン」紙に送った。

すると「トルコ人に同情的であるとは何事だ!」と囂々たる非難の集中砲火が浴びせられた。イギリスでは猛反発を招くが、トルコ人には、喜びの大反響をもたらす。これによって同紙は、“イスラム教徒へのキリスト教的偏見に屈しなかった新聞”という永遠の栄誉に浴すことになる。

一方から、ものを見ただけでは、真実はわからない。より多くの視点からものを見れば見るほど、真実は浮かび上がってくるものだ。インビー博士は、”象牙の塔”に閉じこもることを潔しとはしなかった。現地に足を運び、より多くの人と対話し、行動する探究者であった。トルコの真実を伝えた彼は、やがてロンドン大学教授の座を失うことになる。しかし、イギリス王立国際問題研究所に迎えられたのである。

そして、いよいよ「歴史の研究」の執筆にも、着手したのである。刊行を重ねてきた『歴史の研究』が、10巻で一応の完結をみたのは、実に構想から33年を経た、54年のことであった。偉業というものは、気の遠くなるほどの忍耐と、執念を必要とするものだ。

『歴史の研究』は、従来の歴史学が単位としてきた、「民族」や「国家」の枠にはとらわれなかった。それは、「文明」を単位として考え、世界史は多くの文明の結合と考える、独創的な歴史研究であった。そして、すべての文明は、発生、成長、挫折、解体、消滅を繰り返していくという法則性を示したのである。

また、文明の盛衰は、自然をはじめ、環境の大きな変化や戦争などが人間に試練を与える時、その「挑戦」に屈せずいかに乗り越えていくかという「応戦」によって決まるとしている。

そして、他の文明によって征服されるという、最大の苦難の「挑戦」を受けた文明から、苦悩を乗り越えるための叡智として、高等宗教が生み出されると洞察していた。


第二次大戦後、縮刷版が発刊され、世界的に彼の名声が高まると、批判は激しく、辛辣なものになっていった。革新であればあるほど、批判は激しいものだ。それもまた、人の世の法則である。

博士は、自らの学説に寄せられた反論には、誠実に、思索、検討を重ねた。そして、正論は真摯に受け入れ、自説に誤りがあれば正していった。彼は、1961年批判をふまえて、自説を修正した「再考察」を、『歴史の研究』第12巻として発刊している。博士の、学問に対する探究心、謙虚さの表れといえよう。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

良書を読む

『新・人間革命』第16巻 入魂の章 P108~ 

伸一は、行く先々で、喜びの種子を、向上の種子を植え続けた。それが大いなる全身の活力となるからだ。“どうすれば、皆が、元気になるのか。新来の柱となる力あるリーダーに成長できるのか。何があっても退転することなく、幸福への道を歩み抜けるのか・・・”伸一は、どこにあっても、そのことを真剣に悩み、考え続けた。

法華経の寿量品に、「毎自作是念」とある。これは、仏が常に衆生をいかにして「悟り」に導くかを考え、法を語り続けていることを説いたものだ。

仏法は自らの実践のなかにこそ、脈動する。自分は、常に何を考え、一念をどこに定めているかーーそこに、自身の境涯が端的に表れるといってよい。

伸一は、山梨、千葉、岐阜、滋賀、京都、福井にも激励の足を運んだ。山梨では、次の女子部を担う世代で「山梨読書研究会」をつくるように提案した。

伸一は、広宣流布の未来を盤石なものにするためには、女子部に力を注ぎ、育成していかなければならないと、強く感じていた。“21世紀は「女性の世紀」となり、あらゆる分野に女性が進出し、社会をリードしていくことは間違いない。また、一家の太陽となり、後継の子どもたちを育む、最大の力となるのも女性である。

それゆえに、優れた人格と知性をもち、聡明な女性リーダーに成長していくならば、広宣流布は、一段と大きな広がりをもっていくことになろう”

伸一は語った。「聡明な21世紀の女性リーダーとなっていくために、女性部は、まず教学を学び、何があっても揺らぐことのない、生き方の哲学を確立していただきたい。さらに、教養を身につけ、知性を磨くことが大事になる。それには、良書を読むことです。」

「戸田先生は、青年は『読書と思索をせよ』と叫ばれたと、戸田の訓練をなつかしく、思い出した。

伸一は、仕事も学会活動も多忙を極めていたが、電車の中をはじめ、どこにあっても、寸暇を惜しむように、古今東西の名著を読みあさってきた。彼の教養の基礎となったものの一つが、青年時代から、日々、懸命に積み重ねてきた読書であった。

「イギリスの思想家であるカーライルは、『書物の中には過去一切の精神が籠っている』との名言を残している。私も、良書こそ人類の最大の精神遺産であると痛感しています。」

伸一は、よく名言や箴言を引いて話をした。それによって、皆がその著者や作品に関心をいだき、読書をする契機になってくれればとの、思いからであった。時代の趨勢が、あまり読書をしない若者たちが増えていることを、彼は憂慮していた。

「優れた作品は仏法に通じることが多い。まずホール・ケインの「永遠の都」あたりから、初めてはどうだろうか。学ぶべき革命精神があるよ。」

「私たちは、最高の仏法をもっている。それを的確に訴えていくためにも、教養は大事だよ。毎日が勉強だ。生涯が勉強だ。」

山本伸一は千代田区の記念撮影会に出席した。千代田区は、戦後、学会の再建に着手した戸田城聖が、出版事業を再開し、日本正学館の事務所として購入した建物があった、「学会のふるさと」ともいうべき地域であった。

この三階建ての社屋に学会本部を置き、ここが、広宣流布の電源地となってきたのである。伸一にとっても、青春時代の黄金の思い出を刻んだ天地であった。

事業の窮地を脱する目途もたたない、万策が尽きたある日、どしゃ降りの雨に打たれながら「申し訳ございません。必ず、将来、先生に乗っていただく車も買います。広宣流布のための立派なビルも建てます。どうかご安心ください。」雨のなかでの師弟の語らいであった。

昼と夜の人口差が激しく、住民が減り続けるなか、千代田の同志は、自分たちが「学会のふるさと」を守り、発展させるのだと、誓い合い、真剣に学会活動に取り組んできた。

伸一は、記念撮影に参加する750人で「千代田区750人会」を結成することを提案。区外へ移った人の分区内のメンバーから補充して、常に千代田区の同志によって構成されるメンバーが責任をもち、原動力になるのだ。

この日、日本の中核たる千代田の新しき船出となったのである。

<入魂の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

信心の眼を開いて強く生き抜く

『新・人間革命』第16巻 入魂の章 95P~ 

「私は断言しておきます。信心を貫いていくならば、絶対に幸せになれます。悲しいことが続くと、”自分は不幸なんだ”“自分は弱いんだ”と決め、自ら希望の光を消してしまう人もいる。しかし、その心こそが自分を不幸にしてしまうんです。決して、目が見えないから不幸なのではありません。」

「“信心の眼”を、開いて、強く生き抜いていくんです。あなたがそうなれば、みんなが希望を、勇気を感じます。あなたは、必ず多くの人の、人生の灯台になっていくんですよ。」彼女の胸に、この時、希望の太陽が昇った。

伸一の指導を聞いて、目が不自由であるということも、自らの尊い使命を果たすためなのだと思った。宿命の転換とは、決して自分を離れ、別人になることではない。自分のありのままの姿で、最高の幸福境涯をつくりあげていくことなのである。

”私は、目は見えない。しかし、それによって、御本尊と巡り合うことができた。また、私には、広宣流布のために仏法を語り、唱題する口がある。歩き回ることのできる足がある・・・。なんと幸せなのだろう”名嘉は、感謝の思いで唱題しながら、“広宣流布の役に立てる自分になろう”と、固く、固く心に誓った。そして、琴の道で力をつけ、信心の実証を示そうと決意した。

彼女は、伸一の前で琴の演奏をした、この年の秋には、琉球古典芸能コンクールの優秀部門に出場し入賞。翌年には、最高部門に挑んで見事に入賞に輝いた。さらに、後年、彼女は、沖縄県指定の無形文化財「沖縄伝統音楽筝曲」の保持者に認定されることになる。名嘉は、誓いを果たした。彼女は勝ったのだ。

この三日間で、伸一が、会って、激励した同志は、約8千人になんなんとしていた。間もなく、午前1時半になろうとしていた。「今日も、力の限り戦い抜いたよ」伸一が言うと、峯子が答えた。「そうですね。黄金の日記をつづりましたね」頷き合う二人の微笑が光った。

記念撮影を中心とした会長・山本伸一の激励は、2月に入っても間断なく続けられた。13日には、東京・葛飾の水元公園で開催された葛飾文化祭に、さらに、二十日には、東京・体育館で行われた荒川区の記念撮影に出席した。

荒川の記念撮影では、高等部員が歌った「友よ強く」の歌が参加者の心を激しく揺さぶった。この歌の紙は、伸一が青年時代に作ったものであった。

神奈川県の婦人部から、家計を助けるために他県に働きに出ている、息子からの手紙を見された伸一。手紙には、一部屋に数人が共同生活し、勤行をするときは、風呂に行くと言って裏山に登り、そこで勤行しているというのである。

手紙を読み終えると伸一は直ちにペンを執り、励ましの一詩をしたためた。
それが「友よ強く」であった。

 友よ強く、雄々しく立てよ
 僕が信ずる君が心を
 苦しき仕事 深夜の勉強
 これも修行ぞ 苦は楽し
 君が信念 情熱を
 仏は じっとみているぞ
 ・・・


それから20年近くして、荒川区に住む学生部員が、先輩の家で、この詩を目にし、大きな感動を覚え、これを歌にして、二部学生に教え、元気づけたいと思ったのだ。

出来上がった曲を学生部員たちは、口ずさみ、やがてこの歌は、友から友へと広まっていった。
荒川区の記念撮影で高等部員で合唱したいとの要請があり、楽譜を有村武志が手直しし、この日、発表となったのだ。

合唱に感動した伸一は、作曲者の青年を呼び、「レコードにしよう」と言った。そして、この歌は、高等部をはじめ、広く、学会の愛唱歌として歌われていくようになるのである。


太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

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沖縄での記念撮影

『新・人間革命』第16巻 入魂の章 73P~ 

記念撮影では、それぞれの部に、伸一の入魂の指導が行われた。彼は、男子部には、新たな指針を示した。「人生の勝利も、広宣流布の勝利も、すべて勇気から始まる。一歩踏み出す勇気、挫けぬ勇気、自分に負けない勇気・・・。勇気こそが壁を破る。その勇気をもって、青年は、次の決意に立っていただきたい。」

「それは、『御本尊を守ろう』『創価学会を守ろう』『わが家を守ろう』『わが地域を守ろう』ということであります。御本尊は、信心の根本であり、御本尊を守る具体的な姿は、勤行に現れます。すべての勝利を祈り、御本尊に誓いを立て、御本尊根本に、日々を勝ち抜いていってください。」

「創価学会を守るのは、学会こそが、広宣流布を推進している唯一の団体だからです。学会なくしては、人類の幸福も世界の平和もない。」

「また、わが家を守るのは、そこにこそ、幸福の実像があるからです。そして、家庭こそが、偉大なる人材を育む根本の母体であるからです。」

「さらに、地域を守るのは、わが地域こそが生活の基盤であり、広宣流布の舞台であるからです。地域を離れて、どこか別のところに、広布の楽土があるわけでは絶対にない。」

それから、伸一は、コザ会館の開館式に急いだ。沖縄の婦人部の中心者である、上間球子に声をかけた。彼女は、二年前の一月に、夫の俊夫を亡くしていた。

支部の婦人部長に上間球子が推薦された時、婦人部長になれば、どうしても家を空けることも多くなり、夫の俊夫の了承を得なければならないと思った。俊夫は、「愛する妻が人びとのために働くのですから、私は妻を応援します。」と言って妻を応援した。俊夫は、心臓病で、危篤状態になったが、妻には、沖縄の地にとどまるよう要望したのだった。伸一は、彼女のためにも、夫を顕彰する木を記念植樹した。

深夜まで、沖縄の同志に贈る書籍や色紙に、揮毫していた伸一。強行スケジュールではあったが、那覇のあと、予定いなかった名護に行くことを決めた。

那覇での記念撮影後は、郷土芸能などが披露され、小規模ながら、前年出席できなかった「沖縄文化祭」となった。男子部の獅子舞の時、伸一は自ら鉢巻を締め、太鼓を叩いて、獅子舞と共演した。

名護へは、日没前に到着でき、名護会館の建設用地で記念撮影を行った。アトラクションで琴を演奏した女子部は、名嘉勝代であった。3年前に名護の浜辺で、伸一に激励されたメンバーである。

彼女は、7歳の時、ハシカにかかり、弱視になり、さらに緑内障になり、中学生の時には、視力を失ってしまった。未来は、絶望の闇であった。生きることは、死ぬことよりも辛く、苦しく感じられた。考えることといえば、“どうすれば楽に死ねるか”ということだった。

20歳になったころ、苦しさからのがれるため、琴を習いたいと母に告げた。次兄が、入会し、信心を勧められたが、人の弱みにつけ込んで勧めているように感じ、素直に話を聞けなかった。しかし、「生命論」についての学会指導に関心をもち、仏法の話に耳を傾けるようになり、母親とともに入会した。

勤行をすると、閉ざされていた自分の心が大きく広がり、今までに体験したことのない、不思議な喜びと躍動を感じた。学会活動にも参加し、いつの間にか、人びとの幸福を願い、懸命に語っている自分に気づいた。いまだかつてない、生命の燃焼を感じた。彼女は、信心によって、最上の充実感を知り、生きることの意味を実感したのである。


入会から5年後、名護で伸一と会い、激励された時は、1年前に母を亡くしたばかりで、失意の底から立ち上がれずにいた時であった。

彼女は、その時の伸一の指導を、片時も忘れることはなかった。

太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

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感謝の心で 生涯戦い続ける

『新・人間革命』第16巻 入魂の章 57P~ 

会館周辺を回って同志を激励しようという山本伸一に、高見は、伸一の体を心配するが、一瞬たりとも、無駄に時間を過ごせないという伸一だった。

会館の外で警備をしている男子部員を 懸命に激励する伸一。東京から同行してきた幹部たちは、ただ、黙って見ていた。すると伸一は、厳しい口調で言った。

「どうしてあなたたちは、役員として一生懸命に働いてくださっている方々に、ねぎらいの言葉をかけ、お礼を言おうとしないのだ!」

「同志の方々が、献身的に学会のためにつくしてくれていることを、いつの間にか、あたりまえのように思っている。それが実感できなくなっていること自体、官僚主義に陥り、傲慢の心に毒されているんです」彼は、幹部には常に厳しかった。

御書には、「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」と記されている。人が称賛してくれるかどうかではなく、広宣流布のために頑張れること自体に、最高の喜びと感謝を感ぜずにはいられないはずである。そして、その感謝の心が、また功徳、福運を増していくのである。

しかし、だからといって、さまざまな任務に積極的に取り組んでくださる同志の献身を、幹部が当然のように考えるのは誤りであり、それは、傲慢である。

大聖人は、信心に励む人への接し方について「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」との経文をひかれ、“仏に接するように互いに尊敬していきなさい”と御指導されている。仏に等しい同志の献身的な行為に感謝がないのは、この精神をふみにじっていることになる。ゆえに、伸一は、幹部に、同志に対する姿勢を、徹底して訴えておきたかったのである。

“自分が必ずやり抜くのだ”という責任感が強い人ほど、同志への感謝の念は強くなる。力を合わせてくれる人のありがたさが、身に染みるからです。

一人では、戦いは勝てない。したがって、幹部は同志に心から感謝し、頭を下げ、土下座する思いでお願いして、訴え、励ますんです。それが本当の幹部の姿です」

「特に青年部で幹部になった者は、自分が人より偉いかのように、錯覚しないことです。」「立場的には、青年部の最高幹部になったとしても、それで、自分に力があり、皆から信頼され、尊敬されていると思い込んではいけない。」

「ゆえに、自分は、まだ若く、未熟者なのだと、常に言い聞かせ、謙虚に真剣に研鑽を重ね、力をつけていくことです。その謙虚な姿、誠実さに、人はついてくる。信心の強情さは人格に現れる」

話題が「本土復帰後」の問題になった時、壮年が「具体的に、何をテーマにして進んでいけばよいのでしょうか」と質問した。

「私たちは、政治を厳しく監視し、政治を民衆のためのものにしていく使命と責任がある。もう一つ見落としてはならないことは、今後、本土から、快楽的、消費的な文化や、拝金主義的な風潮も入り込んでくるということです。そのなかで、沖縄人の純粋で豊かな心を、どうやって守り、育んでいくかです。」


「青少年に、人間の真実の価値とは何か、人生を生き抜くために何が大事なのかを教え、人間性を磨き、鍛え、輝かせて生ける教育ができるかどうかが、沖縄の未来を決定づけていくことになる。そして、それを本当にできるのは、創価学会しかないことを、私は断言しておきます。「若い世代を、育てましょう。信心も親から子へ、子から孫へと、きちんと継承していってもらいたい」

高齢者の方には、御書をひきながら合掌する思いで語った。「一生成仏のためには、最後の最後の瞬間まで、絶対に信心の歩みを止めてはならないとの御指導です。」

「足腰が立たなくなっても、正義を書きつづる手があります。手が動かなくなっても、仏法を語る口があります。また、御本尊を見つめ、御書を拝する目があります。命の尽きる瞬間まで、這ってでも、戦って、戦って、戦って、戦い抜いていきます。私はその決意です。そこに仏道が、わが人生の完勝があるからです」

太字は 『新・人間革命』第16巻より 抜粋

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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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