『新・人間革命』第14巻 大河の章 P328~
伸一は、参加者のなかに、父親のいない人がいることを聞いていた。彼は、そのメンバーのために、一言しておきたいと思った。最も悲しい思いをしてきた人を励ますのが、"学会の心"である。
「苦労があるということは、自分を強くし、民衆のリーダーとして育つ大事な条件を手にしたことになる。だから、結果的に見れば、それは幸せなことであると言えるんです。」
両親が信心していない人にも、それは深い意味があるとし、「逆境は成長のための道場であり、幸福を創造するための舞台であることを知ってください。」と話した。
父を亡くした女子高校生は、母親が女手一つで育ててくれた。山本伸一の指導を聞いて、"苦労は大成していくための栄養であり、私も何があっても、負けないで人びとの幸福のために尽くす人になろう!"と決意した。一日も早く母親に楽をさせたかったが、創価大学が開学し、進学したいと思った。母は、お金を貯めていて、創価大学に進学できた。やがて、彼女は未来部員の育成にあたり、伸一とともに、平和建設の後継者を育てていくことになる。
伸一は、小学生であっても、一個の対等な人格とみていた。たとえ小さくとも、""こちらが真剣に語ったことは、しっかり受け止められるはずであると確信していた。だから子ども扱いは、したくなかったのである。人間の心を信じ切ることこそ、人を育てる要諦といえよう。
メンバーのなかの小学5年生の中尾文哉は、言論・出版問題が学校でも話題になり、悪口を言われた。彼は、誰よりも苦しんでいる人びとのために戦っている山本伸一が悪口を言われるのが悔しかった。"ぼくは、学会の正義を社会に訴えたい"と思ったが、何をすればいいのかが、わからなかった。
しかし、「全員が、何かの道で、最高のものをめざしてください。羊千匹より、獅子一匹だ!」との伸一の言葉に、"力をつけよう。勉強だ!"と決意し、京都大学を経て、学会本部職員になり、広宣流布の言論の闘士に育っていった。
小さな子どもたちのことを考え、花火をやろうとしたとき、伸一は、発熱からふらついたが、竹の棒をつえに、一緒に外に出て、家庭の様子などを尋ねた。「宇宙に行きたい」という子どもには、「仏法では、自分自身が宇宙と同じだと説いているんだよ」
「自分自身が一つの宇宙であり、自分の生命のなかに幸福の大宮殿もあるんだよ。その中に入っていくための信心なんだ」と話した。
彼は、このメンバーを「東京未来会第一期」として、全国各地に、未来会を結成し、人材育成の壮大な流れをつくろうと決意した。
1971年5月3日、戸田城聖の会長就任20周年にあたり、さらに新世紀の開幕である2001年までちょうどあと、30年の意義深き日に第一回全国未来会が行われた。21世紀の広宣流布を託す後継者の出発に、最もふさわしい日であると考えたのである。彼の期待は限りなく大きかった。
伸一は、自らの心情を語った。「諸君は、40代で新しい世紀を迎える。その諸君に全幅の信頼を寄せ、全精魂を注いで育成していくことが、私の最重要の仕事であると思っています」
「歴史的な壮挙を成し遂げるといっても、その一歩一歩は、決して華やかなものではない。むしろ地道な、誰にも気づかれない作業である場合がほとんどです。だが、その前進の積み重ねが、時代を転換していく力なんです。」
21世紀は、精神の復興が深刻なテーマにならざるをえないと、伸一は考えていた。この精神復興の源泉こそが、日蓮仏法であり、それゆえに伸一は、メンバーに仏法の研鑽を強く呼びかけたのである。
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋
伸一は、参加者のなかに、父親のいない人がいることを聞いていた。彼は、そのメンバーのために、一言しておきたいと思った。最も悲しい思いをしてきた人を励ますのが、"学会の心"である。
「苦労があるということは、自分を強くし、民衆のリーダーとして育つ大事な条件を手にしたことになる。だから、結果的に見れば、それは幸せなことであると言えるんです。」
両親が信心していない人にも、それは深い意味があるとし、「逆境は成長のための道場であり、幸福を創造するための舞台であることを知ってください。」と話した。
父を亡くした女子高校生は、母親が女手一つで育ててくれた。山本伸一の指導を聞いて、"苦労は大成していくための栄養であり、私も何があっても、負けないで人びとの幸福のために尽くす人になろう!"と決意した。一日も早く母親に楽をさせたかったが、創価大学が開学し、進学したいと思った。母は、お金を貯めていて、創価大学に進学できた。やがて、彼女は未来部員の育成にあたり、伸一とともに、平和建設の後継者を育てていくことになる。
伸一は、小学生であっても、一個の対等な人格とみていた。たとえ小さくとも、""こちらが真剣に語ったことは、しっかり受け止められるはずであると確信していた。だから子ども扱いは、したくなかったのである。人間の心を信じ切ることこそ、人を育てる要諦といえよう。
メンバーのなかの小学5年生の中尾文哉は、言論・出版問題が学校でも話題になり、悪口を言われた。彼は、誰よりも苦しんでいる人びとのために戦っている山本伸一が悪口を言われるのが悔しかった。"ぼくは、学会の正義を社会に訴えたい"と思ったが、何をすればいいのかが、わからなかった。
しかし、「全員が、何かの道で、最高のものをめざしてください。羊千匹より、獅子一匹だ!」との伸一の言葉に、"力をつけよう。勉強だ!"と決意し、京都大学を経て、学会本部職員になり、広宣流布の言論の闘士に育っていった。
小さな子どもたちのことを考え、花火をやろうとしたとき、伸一は、発熱からふらついたが、竹の棒をつえに、一緒に外に出て、家庭の様子などを尋ねた。「宇宙に行きたい」という子どもには、「仏法では、自分自身が宇宙と同じだと説いているんだよ」
「自分自身が一つの宇宙であり、自分の生命のなかに幸福の大宮殿もあるんだよ。その中に入っていくための信心なんだ」と話した。
彼は、このメンバーを「東京未来会第一期」として、全国各地に、未来会を結成し、人材育成の壮大な流れをつくろうと決意した。
1971年5月3日、戸田城聖の会長就任20周年にあたり、さらに新世紀の開幕である2001年までちょうどあと、30年の意義深き日に第一回全国未来会が行われた。21世紀の広宣流布を託す後継者の出発に、最もふさわしい日であると考えたのである。彼の期待は限りなく大きかった。
伸一は、自らの心情を語った。「諸君は、40代で新しい世紀を迎える。その諸君に全幅の信頼を寄せ、全精魂を注いで育成していくことが、私の最重要の仕事であると思っています」
「歴史的な壮挙を成し遂げるといっても、その一歩一歩は、決して華やかなものではない。むしろ地道な、誰にも気づかれない作業である場合がほとんどです。だが、その前進の積み重ねが、時代を転換していく力なんです。」
21世紀は、精神の復興が深刻なテーマにならざるをえないと、伸一は考えていた。この精神復興の源泉こそが、日蓮仏法であり、それゆえに伸一は、メンバーに仏法の研鑽を強く呼びかけたのである。
太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋