小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

January 2020

転重軽受の戦い

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P347~

伸一は、自分も夜学に通い、また、30歳まで生きられないといわれていた病弱な体で、貧しかったが、知恵を絞り、時間を捻出して、徹底して学んできた経験を通し、話した。

「鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに二部の学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい。」と激励した。

高等部には、人材の要件とは、広宣流布の使命を自覚することであり、人材とは、人格の人であるから、人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意思等々人格の輝きこそ、人間として最も大事なので、自己の精神を磨き上げ、何か一つでよいから、これだけは誰にも負けない力をつけることが必要だと指導した。

高見は、伸一の行動にまばゆいばかりの真心と大誠実を感じていた。高見は決意した。"今回、山本先生が示してくださった、この真心をもって、沖縄中の人びとを包もう。"

伸一一行が、本島の北に向かっていくと百人ほどの学会員が待ち受けていた。高齢の方も多く、元気な姿そのものが信心の証明になると話し、集った人たちとお弁当を分け合い食べることにした。

そこに、岸山富士子があいさつにきた。彼女は、息子が悪性リンパ腫と診断され、2、3か月の命と診断された時、藁にもすがる思いで、信心を始めたのだ。祈りが通じたのか、長男は退院し、学校にも歩いていけるようになったが、4月半ば、眠るように息を引き取った。安らかな臨終の相であった。

彼女は、"息子が私たちに仏法を教えるためにあえて、難病にかかって生まれてきてくれた。仮死状態で生まれてきた子だった。御本尊様は、治らない病気を治してくれ、生かしてくれという無理難題を聞き入れ、半年も寿命を延ばしてくださった。"彼女は息子は他界したが、寿命を延ばすことができた喜びを、語り、勇んで弘教に歩いた。

年の瀬も押し迫った夜、岸山は、会合のあと、学会員の家に寄って話し込んでいると、家が火事だと連絡が入る。家は全焼し、次男と三男は、無事だったが二人の娘は遺体で発見された。あまりにも過酷な出来事であった。宿命の嵐は、容赦なく岸山一家に襲いかかったのだ。

富士子は号泣したが、"この事故は魔なのだ"と感じ、御本尊への不信をいだくことはなかった。しかし、自分を責め苛み続けていた。留守中に出荷して、大事な二人の娘を亡くしてしまったことが、悔やんでも、悔やんでも、悔やみきれなかった。

"なぜ、すぐにランプを新しくしなかったのだろう。きっと心のどこかに、信心しているから大丈夫だという思いがあったのだ。それが油断であり、魔であったのだ"また、地区担当員でありながら、地域の人たちにも、学会にも迷惑をかけてしまったことが、たまらなく辛かった。

火事依頼、地域の学会に対する風当たりは強くなっていた。学会員が折伏に訪れると、「あの岸山のところを見てみろ!家を焼き、子どもも亡くしたじゃないか。」組織のなかに動揺が広がっていった。

岸山は唱題したかったが、御本尊も火事で焼失してしまったのである。山本伸一は、報告を聞くと涙をにじませ、胸を痛めた。

「私たち凡夫は、自分が、どんな宿業をもっているかわかりません。大聖人は、本来なら、その罪の報いを未来永遠にわたって一つずつ受けるべきところを、法華経の敵を強く責めたので、大難となって一時に集まり起こったのだと言われている。それは、今世で成仏するためです。」

「しかも、その難は、仏法の功徳の力によって、過去の重罪の報いを現世で軽く受けているのだと、断言なされている。これを転重軽受ということです。つまり、信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。」


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

環境を変えるのは 一念の変革から

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P334~

沖縄では、兵士による住民への暴行事件なども頻発していた。戦地に送られる恐怖から、兵士たちの心は荒んでいたのである。米軍基地に苦しむ沖縄の住民の怒りは、ますます激しさを増した。そして、反戦反基地の運動が盛り上がるにつれて、住民の米軍兵士への憎悪はつのり、両者の関係は悪化していった。

学会員も、基地の撤去を強く念願していたが、米軍の兵士だからといって、憎悪するようなことはなかった。メンバーの兵士と接触していた学会員の住民たちの目には、抽象化された"米軍"ではなく、「個」としての人間の実像が写っていたのだ。

まさに、住民と米軍という対立を超えて、学会員は互いに友情の絆に結ばれていたのだ。分断は、不信と反目を深めていく。なんでもないことのようだが、こうした人間と人間の交流こそが、平和建設の重要な基盤にほかならない。

マーシー地区は、世界広布の人材を育む、「信心のトレーニンググラウンド(訓練場)」としての役割を担っていったのであった。

伸一が沖縄本部にいることを知った会員が、続々と集まってきた。集まった会員と一緒に勤行をし、「時代は、沖縄の本土復帰に向かって動き出しています。ただ、大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。皆さん方が"私がいる限り、この沖縄を平和の楽土にして見せる"との強い決意で信心に励み、社会の建設に立ち上がっていくならば、必ずや、沖縄を変えていくことができます。」と激励した。

「依正は不二です。自分自身の生命の変革からすべては変わっていくんです。運命を呪い、歴史を呪い、他人を恨んでも、何も問題は解決しません。未来に向かい、何があっても挫けずに、生命力をたぎらせ、知恵を湧現しながら、前へ、前へ、前へと力強く進んでいくんです。」

「皆さんの存在こそが、沖縄の柱です。建設の原動力です。」短時間ではあったが、全生命を傾けての指導であった。


午後、沖縄発の芸術祭が行われた。第二部は、演劇「青年尚巴志」であった。これは、15世紀に琉球を統一した名将・尚巴志の史実をもとに創作した劇で、総勢100名の出演者による1時間半にわたる舞台となった。

シナリオを担当したのは、音楽家で音楽雑誌の編集にも携わってきた、山木厚雄であった。彼は、尚巴志が、父の志を受け継ぎ、民の苦しみを救うために立ち上がる姿と、戦時中から今まで、沖縄の民衆がなめてきた辛酸の歴史が、酷似していると思った。

"師に広宣流布を誓う、弟子の姿に通じるかもしれない。生命の尊厳の哲理をもって世界を結び、人類の恒久平和を実現していく使命がある。その使命に生き抜く師への誓いを、この演劇で示そう"また、皆が力を合わせて、首里城を建設するシーンでは、団結をもって沖縄の新時代を開かんとする、同志の決意を表現しようと思った。「青年尚巴志」は大成功であった。

伸一は、「本土に復帰したあともさまざまな苦労があるでしょう。問題は一朝一夕には解決しないかもしれない。しかし、わが同志がいる限り、みんなの、この心意気がある限り、心配はありません。すべては、人間の一年の姿勢です。意欲です。活力です。」伸一は、片時の休みもなく、同志の激励に奔走したのである。

芸術祭のあと、琉球大学、沖縄大学、国際大学の大学会の結成式に出席し、「戦争の悲惨さを最も知り、過酷な運命と戦い、苦しみ抜いてきた沖縄の出身者が、21世紀のリーダーになっていかなければならない」と期待を寄せた。

2部学生の質問に「全部やると決めて、挑戦していくことです。人生はある意味で死闘といえる。」悩み抜いていくところに成長があり、人間形成があり、それこそが、生涯の財産になると激励した。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

真実の平和の建設

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P328~

マーシー地区の藤峰夫妻の悩みは、短期間にメンバーが入れ替わってしまうことであった。メンバーの大多数は、沖縄での任務を終えると本国に帰ったり他の基地に移動していく。やっと成長し、役職につけられるかと思うと、転勤になってしまうのである。

しかし世界中に移転したメンバーから 活躍している様子を知らせる手紙を見るたびに、夫妻の悩みは、喜びに変わった。

「マーシー地区は、世界広布の基地になっているんだね。この地区から陸続と人材が世界に飛び立っていく。」「皆、世界広布を担う人たちなんだから、一人ひとりを大人材に、全員が、勤行も、折伏も、教学も、信心の基本はすべて身につけられるように、頑張ろう」と決意した。

藤峰は、このマーシー地区が沖縄の軍事基地にできたことに不思議な感じがした。地区のメンバーは、皆、戦争という忌まわしい重荷を背負っていた。それゆえ、誰よりも平和を愛し、皆が、自身のさらにアメリカという国の、人類の宿命の転換を、真剣に願っていた。唱題にも必死さがあった。

二人は、どうすれば、メンバーがより早く成長できるか、考え抜いた結論として、それぞれが、功徳を受け、仏法の力を体験しなければならないということであった。それには、勤行・唱題とともに、折伏を実践していくことが最も大事であると思った。

新入会者には、組織のメンバーが交代で勤行指導に通い、翌日から一緒に弘教に歩いた。日本語の会合では、英語に訳してノートに書き、それを皆に見せた。藤峰夫妻の奮闘で、アメリカ人メンバーは、短日月のうちに、目覚ましい成長を遂げていった。

基地の兵士たちは、夕方になれば、飲食店街に繰り出し、酒を飲むのが常であった。明日にも、ベトナム行きを告げられかねない状況のなかで酒を飲むことが、恐怖を紛らわす唯一の道であったからだ。しかし、学会に入った兵士は、朝晩、部屋でお経を読み、夜は、会合に出かけていく。帰りは、酒も飲まないのに、頬を紅潮させ、意気揚々として戻ってくるのだ。

そんな様子に興味をもった兵士たちから尋ねられると、仏法対話が始まり、座談会に出席した兵士たちが次々と入会していったのである。いつ戦場に行くかもしれないなかで入会した彼らの信心は純粋であり、求道心は強かった。だから、功徳も大きかった。

ある青年は、ベトナムの戦地に派遣され、襲撃を受け、テントを飛び出し、皆と一緒に避難したが、御本尊を取りに一人で戻った。これが生死の分かれ目になり、非難した兵士たちは全滅したのである。

また、パラシュート隊を希望したが、願いがかなわず落胆していた青年だったが、その隊はベトナムに送られ、ほとんどの人がいのちを落としていた。こうした体験は、枚挙にいとまがなかった。それが確信の源泉となっていったのである。

マーシー地区のメンバーは、「真実の平和とは何か」「人間は、いかに生きるべきか」と言った問題を、誰よりも真剣に考えていた。ある兵士は、戦地で、襲撃を受け、マシンガンを乱射した。翌朝、自分が殺してしまった敵の兵士の遺体を見て、自分を呵責し続けた。

彼は座談会に出席した時、「仏法で平和が 築けますか」と質問すると幹部は、明快に答えた。「仏法でなければ、真実の平和は築けません。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。」

「兵士として戦場を走り抜いてきたあなたは、戦争の悲惨さを誰よりも知っているはずです。だからこそ、崩れざる平和を建設使命と責任があると思います。」との話に、兵士は入会を決意した。


太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

米軍基地の マーシー地区

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P316~

米軍の軍人やその家族などの入会者が増えていた。会場周辺で山本会長に一目会いたいと駆けつけてきたメンバーと記念写真を撮った。

間もなくベトナムに行く人もいるという通訳の話に、「絶対生きて帰ると決めて、真剣に唱題するならば、必ず、守られます。私も、お題目を送り続けます。大切な、使命ある仏子だ、死なせるものですか。そして、永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください。」

「永遠の平和のために、妙法という慈悲の利剣を手に、広宣流布の戦士として戦ってください」メンバーの目頭が潤んだ。唇をかみしめ、大きく頷く人もいた。

通訳の男性は、アメリカ人のメンバーによって構成される、マーシー地区の地区部長をしている藤峰正則であった。

藤峰は、カナダのトロントで生まれ、戦後一家は日本に戻り、外資系の会派に就職し、酒類のセールスのため、沖縄に派遣された。藤峰は酒を飲むと荒れることが多く、それが、妻の須美代の悩みでもあり、入会の動機であった。

須美代は、入会せず、学会のことを勉強してみようと会合には参加したが、仏法は絶対であると言い切る学会に反発を感じ、学会批判の書物が出ると、すぐそれを学会の幹部に示し、質問していたが、幹部は微動だにせず、一つ一つの問題について、その誤りを明らかにしていった。

どんな質問をしても、いつも理路整然とした答えが返ってきた。学会の会合は明るく希望にあふれていて、3年がたった時、傍観者では体験もつかめない、最後は、実際に自分が信心してみるしかないと入会した。

夫は大反対で、信心するなら離婚すると言われたが、あきらめず題目をあげると本人だけならと言われたが、藤峰が酒乱であることから、御本尊を不敬する恐れから 授与は見送られた。それを聞いた藤峰は、自分のせいだと、御本尊授与に同行することになった。

唱題するうち、酒を飲んで暴れる夫の気持ちを思いやれるようになると、夫の態度も変わった。依正不二である。彼女の一念が変化し、境涯が変わっていったがゆえに、夫が変わっていったのである。

正則は、妻が変わっていく様子に、信仰の力を感じ、「俺もやる」と言って信心を始めたのである。正則は、悩んでいた上司との人間関係が改善し、功徳を実感し、酒を飲んで暴れることもなくなっていった。

藤峰の家は、米軍基地の近くであり、正則が英語を話すことから、夫妻が基地のメンバーを担当することになった。米軍のキャンプの名前をとってマーシー地区とした。マーシーには「慈悲」の意味がある。メンバーはこの名をほこりとし、活動に励んだ。

ある朝、会社から夫の乗った飛行機が墜落したが、夫は無事との電話が入る。藤峰の乗った飛行機は、悪天候のなか台北の空港に着陸しようとして、空港の十数キロ手前で陸地に接触し、民家などに接触し
激突した。

藤峰の乗った座席のすぐ前から機体は真っ二つに折れていた。隣の人に脱出しないと助からないと言われ、地上まで数十メートルありそうな期待から飛び降りた。暗くてわからなかったが、死ぬよりはいいと飛び降りると彼は、散乱していた荷物の上に降りて、どこにも傷を負うことはなかった。

ふらふらしながら全力で走りだすと 飛行機は火につつまれていた。この事故で、乗員乗客あわせて63人のうち21人が犠牲になった。無事に生還した正則の体験は、夫妻の信仰への大確信を育んだ。

正則は、"自分は、御本尊に命をいただいた人間なんだ。生ある限り、広宣流布のために尽し抜こう!"と報恩感謝の思いで、弘教に、個人指導にと全力で取り組んだ。

飛行機事故から無傷で帰ってきた彼の体験談には、説得力があった。歓喜の波動となって、沖縄中に大きく広がっていった。



太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

沖縄に平和の楽土を建設する使命

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P304~

伸一は、勤行会で沖縄創価学会の会員の敢闘を心から讃えたあと、訴えた。「楽土の建設といっても、そこに住む、一人ひとりが、自らの宿命を転換し、さらに、国土の宿命を転換していくことが根本です。今日を沖縄の第二段階への出発の日として、再び"じっとこらえて今に見ろ"との心で、柔和忍辱の衣を着て、スクラムを組んで、朗らかに前進していこうではありませんか!」

伸一は、記念撮影のために並んでいたメンバーで二人の老婦人に、なんともいえない生命の輝きを感じ、声をかけ、傍らに招いた。

沖縄本島から南西320キロにある伊良部島から参加したメンバーであった。二人は、人口1万人ほどのこの島で、黙々と、広布の開拓に汗を流してきた。先に信心をした池谷カメは、娘の病弱や家庭不和、子どもの病気と事故で苦しみと諦めの人生を生きてきたが、入会して、人生に希望を感じ、人に幸福の道を教えることができると喜びと生きがいのある人生に変わった。

福岡カツと一緒に 毎日弘教に歩いた。そして、山本会長に決意を聞いていただこうと、懸命に唱題を重ねてきたのである。

伸一は、"広宣流布のために、人知れず汗を流し、涙を流している同志を探し出し、讃え、励ましたい。"と鋭敏なレーダーのように、常に心を研ぎ澄ましてきた。そのなかで、健気なる同士の発する魂の輝きともいうべきものを、敏感に感じ取るようになっていたのである。

伸一は、二人に声をかけ、「お二人が広宣流布のために、どれだけ真剣に戦ってこられたか、私にはよくわかりますよ。すがすがしい生命の輝きが、それを明確に物語っていますから。」伸一の言葉に、二人は、あれもこれも話したいと思っていたが、何も言えなかった。ただただ、涙が込み上げてくるのだ。

合掌する思いで、伸一は、老婦人を見送った。彼の目には、その姿は尊貴なる菩薩に、金色の仏に映った。広布に貢献しゆく同志に、仏を見ずして仏はないーーそれが、伸一の仏法者としての、信念であり、哲学であった。

高等部・学生部との記念撮影では、山本伸一はこう呼びかけた。「皆さんには、郷土であるこの沖縄に、平和の楽土を建設する使命があると、私は申し上げておきたい。21世紀の日本、アジア、世界の指導者は、戦争の辛酸をなめ、最も平和を希求してきた沖縄出身者のなかから出なければならない。特に、信心を持った皆さんは、平和創造の大人材として、雄々しく未来に羽ばたいていってもらいたいのであります」

この伸一の指導を、集った高校生、大学生は、目から鱗の落ちる思いで聞いた。ある高等部員は、昼となく、夜となく、戦闘機や輸送機が行き交う空を見て思った。"沖縄は、いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない・・・。なんでこんなところに生まれてきてしまったんだろう。ぼくは、こんな島に、いつまでも住んでいたくはない。"

だが、伸一の言葉が、この高等部員の心を変えていくことになる。"誰が、この沖縄の現実を変えていくのか。それを成し遂げていくのが、沖縄に生まれ育った、ぼくたちの使命だと、先生は教えてくださった。また、この世界に、第二、第三の「沖縄」をつくってはならない。だから、その苦しみを知る僕たちこそが、世界の平和のために、貢献していかなくてはならないんだ"

この記念撮影を通して、郷土・沖縄の平和と繁栄のために生き抜こうと誓った、高等部員、学生部員は少なくなかった。そして、使命を自覚した青年たちは、沖縄に生まれたことに、誇りと喜びを持つようになっていったのである。




太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

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