小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

January 2020

教育権の 四権分立 提唱

『新・人間革命』第14巻 智友の章 P30~

機動隊の導入によって東大の封鎖が解除されたが、結局この年の東大入試は中止と決定された。機動隊による東大の封鎖解除はその後の学生運動に極めて大きな影響を与えることになる。全共闘を支援してきた各大学の学生は、国家権力の壁がいかに堅固であるかを痛感した。

挫折と失望に打ちのめされ、進むべき道を失い、空虚感に苛まれる学生もいた。そのなかで、警察の武力に対して、軍隊を組織し、武装化しようとするセクトが台頭していくことになる。

山本伸一は、どうすれば、解決の道が開かれるのかを考え続けていた。伸一は、東大の封鎖解除がされる前に発刊された婦人雑誌『主婦の友』に「学生問題に私はこう思う」と題して原稿を寄せた。その中で、彼は教授たちに「学生への愛情と信頼がなかったところに、紛争がかくまで手のつけようもないものとなった根本原因があったのではないかと思う」と述べている。


そして、学生たちが、一般学生を動員し、今日の騒ぎを起こすことができたのは、それなりの欠陥と不合理が現実にあるからであり、解決の糸口は、まず、この欠陥なり、矛盾なりを是正して、病原を取り除くことが急務であると指摘。

また、学生たちが純粋な動機とは裏腹に、ゲバルトという破壊的な抵抗運動に走っていった原因は、確かな理念がないからであると指摘するとともに、断じて暴力行為は許されないと訴えた。

さらに、これからの時代の革命に言及。「一人の人間を、心より納得させ、変革できないで、どうして社会全体を変えることができようか。暴力による破壊は、相手の理性に訴え、納得させる理念と、思想とをもたない、人間失格者の用いる手段といわれてもしかたあるまい。」

目的は手段を選ぶものだ。暴力という方法を用いた瞬間、いかに崇高な理想も汚辱にまみれる。革命途上に生じた矛盾や非人間的な実態は、革命後の社会の在り方を映し出す鏡なのである。

政府は「大学の運営に関する臨時措置法案」いわゆる「大学立法」を提出し、教育・学問の府への、国家権力の介入、管理により、紛争の解決を図ろうとした。

伸一は、直ちに、月刊誌『潮』に「大学革命について」と題し、筆を執った。「真の解決策は教育の尊厳を認め、政治から独立することに求めなければならない。本来、教育は、次代の人間と文化を創る厳粛な作業である。したがって、時の政治権力に左右されることのない、確固たる自律性をもつべきである。その意味から、私は、これまでの立法、司法、行政の三権に、教育を加え、四権分立案を提唱しておきたい」


真の教育方法の研究には、教師、学識者、学生、さらには父母も加わった自由な話し合いが必要であり、なかでも、教師の主体的な研究や教育実践を認めることが極めて重要となるが、教育は、行政権の一部とされ、文部省を中心とする教育行政に含まれていることは、どうしても政治権力の教育への介入を避けることはできない。

そこで、伸一は、教育の自主性、独立性を確保するために、立法、司法、行政の三権に教育を加えた「四権分立」を提唱したのである。政府が推し進めている大学立法の対極に立つ主張であり、大学、そして教育の在り方を根本から改革する提唱であった。

伸一の対応は、実に素早かった。どんな気構えをもっていようが、声をあげるべき時にあげなければ、眠っているに等しい。言論戦とは、まさに、「時」を見極める戦いであり、また、時間との勝負でもある。

学生部員は、伸一の「四権分立」構想に、強い共感を覚えた。伸一の「大学革命について」は、学生部の機関誌に転載され、この新聞を手に、キャンパスで、あるいは街頭で、大学立法の粉砕を叫んでいったのである。


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋

革命児として生き抜くとは

『新・人間革命』第14巻 智友の章 P17~

ステューデントパワーの波も、結局は、国家権力によって、打ち砕かれていくことになる。その象徴的な出来事が、1月、東大・安田講堂を占拠していた学生たちが、機動隊との2日間にわたる激しい攻防戦の末に、排除されたことであった。

東大紛争は、前年一月の、インターン制度廃止にともなう登録医制の導入に反対する、医学部の無期限ストに端を発していた。入学試験も次第に迫ってきていた。1月17日、大学側は籠城を続ける学生たちに「退去命令」を出した。

大学側は、警視庁に機動隊の出動を要請した。約8500人の制・私服警官が、続々と東大構内に入り始めた。警視庁のヘリコプターが轟音を響かせるなか、放水車、防石車など、百台近い車が導入されていった。警視庁は、学生たちの激しい抵抗に備え、一万発の催涙ガス弾を用意したほか、警察官の一部には、ピストルも携帯させていた。

学生たちは次々と逮捕された。不当逮捕などの現行犯で逮捕された学生は、女子学生13人を含む、375人と発表された。

山本伸一は、機動隊が入る数日前の夕刻、東大構内を視察し、安田講堂のすぐ側まで足を延ばした。半年余りも行動内に立てこもっている学生たちの様子が、気がかりでならなかったからである。伸一は、彼らに話しかけようとしたが、もしも、トラブルになってはいけない思い、言葉をのんだ。

ニュースでは、学生にも、機動隊にも、かなりのけが人が出ていると報じていた。伸一の胸は、激しく痛んだ。皆、未来を担う、大切な宝の青年たちである。また、立てこもっている学生のなかにも、学生部員や学会員の子弟がいるかもしれない。でも、どうすることもできなかった。

明大会の結成式の会場に伸一が到着した。学生の一人が「革命児として生き抜くとは、どういう生き方でしょうか。」学生時代は、革命を口にしながらも、就職してサラリーマンになれば、企業の論理に従わざるを得ない。

そうなれば、人間を抑圧する側の、歯車の一つになりかねないと思っていた。そのなかで、いかにして、革命の理想を貫けばよいのかというのが、多くの学生部員の悩みであったといってよい。

伸一は、「ロシア革命とか、昔の革命と同じ方法で、新しい社会の建設がなされると考えるのは、浅薄です。暴力革命で、社会が変革できるなんていうのは幻想です。そんな革命家像は過去の英雄です。」

「今は、社会は高度に発達し、多元化しています。利害も複雑に絡み合っている。矛盾と不合理を感じながらも、既存の秩序の安定のうえに、繁栄を楽しむ人びとが圧倒的多数を占めています。そうした現代社会に、単純な暴力革命の図式はあてはまりません。」

「求められているのは、権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かなる道です。人間のエゴイズム、魔性を打ち破り、人間性が勝利していく時代をつくるには、仏法による以外にない。それは、生命の根本的な迷いである。『元本の無明』を断ち切る戦いだからです。」

「広宣流布とは、一個の人間の人間革命を機軸にした、総体革命なんです。仏法の生命尊厳の哲理と慈悲の精神を、政治、経済、教育、芸術など、あらゆる分野で打ち立て現実化していく作業といえます。」

「仏法者は現実の社会に対して眼を閉ざしてはならない。結論していえば、一人の人間の生命を変革する折伏に励むことこそが、漸進的で、最も確実な無血革命になるんです。さらに、生涯を広宣流布のために、生き抜くことこそが、真の革命児の生き方です。」

「私たちが、行おうとしているっことは、未だ、誰人も成しえない。新しい革命なんです。それを成し遂げ、新しい時代を築くのが君たちなんだ。」伸一は、一人ひとりに視線を注いだ。皆の顔は、新時代建設の決意に燃え輝いていた。



太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋

学生運動の第三の道

『新・人間革命』第14巻 智友の章 P7~

<新・人間革命 第14巻 智友の章 開始>

1969年(昭和44年)第32回本部総会が開催された。会長の山本伸一が 講演を始めた。
「この1年は、昭和35年の私の会長就任から満10年に至る、総仕上げの1年となります。同時に、
この一年は、"第7の鐘"が鳴り終わる昭和54年までの、10年間のスタートであり、勝利への飛躍台となる1年であることを、知っていただきたいのであります。」

「そこで、来年5月3日までの目標として、750万世帯の達成を掲げて進みたいと思いますが、皆さん、いかがでしょうか!」

常に新しき決意で、広宣流布に敢然と勇み立つことこそが、創価の大精神である。この時、地涌の菩薩の大生命が脈動し、自身の境涯革命がなされていくのだ。そして、そこに、わが人生の栄光と大勝の道が開かれるのである。

ついで山本伸一は、開学を目指して準備が進められている創価大学の在り方と、現今の学生運動について言及していった。

伸一は、学生運動の提起した問題の本質は、教授の精神の老い、権威主義などによる教授と学生の隔絶感、対立にあるととらえていた。吉田松陰という一人の青年教師が、長州・萩の松下村塾で、近代日本の夜明けを開く原動力になった塾生たちを育んだように、教師の情熱、魂の触発を、彼は最も重視していたのである。

さらに伸一は、民衆に開かれた大学として、将来、通信教育部を開発する展望を語っていった。次いで、創価大学の基本理念として、「人間教育の最高学府たれ」「新しき大文化建設の揺籃たれ」「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との、三つのモットーを発表したのである。

「いかにして平和を守るか。これこそ、現代の人類が担った、最大の課題であります。今、私どもの作る創価大学は、民衆の側に立ち、民衆の幸福と平和を守るための要塞であり、牙城でなければならないと申し上げておきたいのであります。」

いかなる大学を作るかが、いかなる時代の指導者を育むかを決定づける。それは、そのまま、日本の、さらに、世界の未来を決定づけてしまう。

東大設立の目的は、鎖国による遅れを取り戻し、西欧文明を急速に吸収し、国家のための働く人間をつくり出すことにあった。伸一は、ここに、今日の日本の大学教育の限界があると考えていたのだ。

21世紀は、「国益」の追求から「人類益」の追及へ、「分断」から「融合」へ、「戦争」から「平和」へと向かわねばならぬ時代である。

人材像もまた、単に知識や技術の吸収にとどまらず、人類の幸福を実現する高い理念と優れた人格をもち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間へと変化していかねばならない。

まさに、仏法の人間主義ともいうべき生命の哲学を根底にした、創価大学の誕生が待たれるゆえんであった。伸一は、ここで、学生運動に話を移した。

「健全な学生運動の発展ために、日本の将来のために、学生運動の第三の道を考えることも必要ではないか」彼が最も心を砕き続けていたのは、学生運動の行方であった。いずれの大学も、学校側は、学生たちの突きつけた問題に対して、なんら根本的な解決を図ろうとはしなかった。各大学では、校舎を占拠し、バリケードを築いていった。立てこもった学生たちを、力ずくで排除しようと、警官隊を導入する大学もあった。

スチューデントパワーの台頭は、決して日本だけの現象ではなかった。フランスのパリ大学でも、アメリカでも、青年の純粋な心は曇りのないレンズのように社会の歪みを正直に写し出し、容赦なく批判の矢を放つ


太字は 『新・人間革命』第14巻より 抜粋

沖縄楽土建設の闘魂

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P371~

名護では、メンバーが「山本先生に絶対おいでいただくのだ」と言って、会員の家に集っていた。しかし、岸山が「名護に来てください」という前に、伸一は、視察のため、船に乗ってしまった。高見がグラスボートという船底にガラスが張ってある観光船に 乗ってもらいたいと用意してあったのだ。

しかし、船は故障し、引き返そうとしたが、干潮で船は帰ってこられず、船は、部瀬名岬を越えてしまい、名護方面へ向かってしまった。

名護の同志は、なんの根拠もないのに、山本会長は来るものと信じて疑わなかった。波止場に向かうと、小さな船が見えた。それが山本会長の乗った船かどうかわからなかったが、皆盛んに、手を振り始めた。

伸一の船は 蛇行を繰り返しながら進み、名護港に接岸した。港には、300人ほどの会員が集まり、『先生ようこそ』の横断幕まで用意されていた。伸一は「私は、ここに来る予定はなかったんですよ。それにしても、皆さんの一念はすごい。引き寄せてしまうんだから」と言った。

子どもの時に視力を失い母を亡くした女子部員には、「決して目が見えないから不幸なのではありません。"信心の眼"を、"心の眼"を開いて、強く生き抜いていくんです。あなたがそうであれば、みんなが希望を、勇気を感じます。あなたは必ず多くの人の、人生の灯台になっていくんですよ」と激励した。

病で苦しんでいる壮年。高齢の方、未来部員等々、伸一は一人でも多くの人に、「発心の種子」「決意の種子」を植えようと、彼は必死だった。

その後、伸一は、コザに寄り、会館建設予定地の視察を行っていると、そこでも、500人ほどの会員が集まっていて、ここでも、皆と対話しながら、渾身の力で激励が続けられた。

沖縄本部に帰ると、寸暇を惜しんで、書籍や色紙に揮毫していった。夜9時過ぎ、国頭から来たという20人ほどのメンバーが到着する。国頭は、本島の北部に広がる地域である。

山本会長が本島の北の方を視察すると聞き、「国頭に先生をお呼びしよう」と懸命に唱題を重ねてきた。そして、それぞれが、最高の真心で山本会長をお迎えしようと、海で海老を獲り、山で果物をとり、地元特産の貝細工や芭蕉布などの民芸品を用意する人もいた。しかし、山本会長が沖縄本部に向かったと聞き、落胆するが、先生がいる沖縄本部に行こうということになった。

支部を代表して、何台かの車に分乗し、3時間以上かかる沖縄本部に向かった。途中、緋寒桜の咲いている家から桜をわけてもらい、本部についた時には、すでに午後9時を過ぎてしまったのだ。

少女が緋寒桜の枝を山本会長に渡す。彼女は幼少期に父親を亡くしていることを知ると、「今日から、私が父親になりましょう」と言って「あなたのことは生涯、見守っています。これから先、何があったとしても、負けてはいけないよ」と話す。

そして、全員の名前と年齢を印したノートを会館に永久保管すると言った。
山本伸一の沖縄滞在は三泊四日にすぎなかった。しかし、その訪問は、沖縄の同志に無限の勇気を与え、楽土建設への、不撓不屈の闘魂を燃え上がらせたのである。

2月度本部幹部会で、学会の世帯が700万世帯を達成したと発表された。わずか2年3か月で100万世帯の拡大である。

「遂に、新しき建設の幕は開かれ、創価の勇者の陣列は整いました。新時代が到来しました。わが胸中に、いや増して勇気の太陽を輝かせながら、いよいよ、歴史の大舞台に躍り出ようではありませんか!」大勝利の獅子吼がこだました。同志の顔に決意が光った。


< 新・人間革命 13巻 終了 >

太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

負けずに生きる力の源泉

『新・人間革命』第13巻 楽土の章 P365~

「岸山さんは、名護の広宣流布に決然と立ち上がったから、過去世の罪障が一気に出て来たんです。信心の旗を掲げ持ったがゆえに、魔も激しく競い起こった。彼女が倒れれば、名護の広宣流布は大きく後退するからです。仏法の視座に立って考えるならば、大苦悩を受ける意味も、明らかになります。」

「娘さんたちは、三世の生命観に立つならば、今世で罪障を消滅し、永遠の幸福の軌道に入るために、生まれて来たということなんです。来世は、必ず、幸せになって生まれてきます。」

「岸山さんが、さらに強情な信心を貫き通していくならば、いつか、きっと、心の底から"そうなんだ"
と確信できる日が来ます。本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。」

もし、岸山さんが、今回の問題を乗り越えていったら、どんなに大きな苦しみを抱えた人にも、勇気を与えることができるでしょう。万人を奮い立たせる力をもつことになるでしょう。大変な宿命を背負っているということは、同時に大使命を担っていることになる。どうか、『負けるな、断じて、負けるな。あなたが、元気であり続けることが、信心の力の証明です』と伝えてください。」と激励した。

富士子は、「私は負けません。名護の人たちに、『学会は正しかった。すごい宗教だ』と言われるまで、頑張り抜きます」
と夫婦ともに、一生懸命信心に励んだ。

米軍の将校が村の困りごとがあるか村長に聞いた時、岸山一家が火事で焼け出されたことを伝えると、基地にある家屋をリフォームして、道路を通行止めにして、トレーラーで家を運んでくれ、家をもらうことができた。岸山夫妻は、家をもらった人として、ますます有名になった。

強い確信を持った夫妻は、毎日弘教に歩いた。富士子は胸を張って言った。「私たちは、長男を病気で亡くし、さらに火事で娘二人を失い、皆さんにもご迷惑をおかけしました。でも、めげずに立ち上がりました。」

「信心をしても、人生にはさまざまな試練があるものです。考えられないような大きな悲しみに出会うこともあると思います。それでも、どんなことがあろうが、負けずに生きていく力の源泉が信仰なんです。私たちは、必ず幸福になります。見ていてください」

その叫びが、次第に、人びとの疑念を晴らしていった。悲しみの淵から、敢然と立ち上がった岸山夫妻の姿に共感し、信心をする人も出始めた沖縄では、あの戦争で何人もの家族を失った家が少なくなかった。そうした辛酸をなめてきた人たちは、岸山夫妻の"強さ"が、いかに尊いことであるかが、よくわかるのであった。

富士子は思った。"仏法は、「煩悩即菩提」「生死即涅槃」と説く。長男も二人の娘も、私にそれを証明させるために、亡くなったにちがいない。いや、その使命を、私に与えるために生まれてきたのだ"

彼女は、亡きわが子たちに誓った。"母さんは、自分の生き方を通して、信心の偉大さを証明してみせる。負けないよ。何があっても負けないからね。お前たちの死を決して無駄にしないから・・・"

また、夫妻は、社会に迷惑をかけたのだから、その分社会に尽そうと、地域への貢献に力を注いだ。
あの火事から、7年余りの歳月が流れていた。岸山富士子を、山本伸一は、包み込むように励ました。



太字は 『新・人間革命』第13巻より 抜粋

カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』