小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

October 2019

ペルーセイキョウ発刊

『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P151~

「無私」の人に対して、「無私」ゆえに、人びとの称賛と尊敬が集まると、我欲に生きる者たちは、強い反発と嫉妬をいだき、排撃の集中砲火を浴びせるのである。

伸一は、毅然とそそり立つ、騎馬像に誓っていた。“私の生涯もまた、迫害につぐ迫害であろう。しかし、私は戦い続ける。決して負けはしない。悲哀の宿命の鉄鎖から、人類を解放することが、私の使命であるからだ”

3月16日、伸一はペルーの同志の大いなる飛躍を願い、一首の和歌を贈った。「3・16」の意義を込めて、一人ひとりのメンバーの生命に、広宣流布の「黄金の種」を蒔く思いで、この歌を詠んだのである。リマでは、当局を刺激させまいとする配慮から、メンバーの見送りも遠慮してもらった。

ひっそりとした出発となったが、伸一の激励を受けたメンバーの心には、広布への闘魂が、激しく燃え上がっていったのである。ビセンテ・セイケン・キシベはペルー広布の全責任を担って立つ自覚を固めていた。スペイン語版の機関紙「ペルー・セイキョウ」の編集を自ら買って出た。

“スペイン語の機関紙ができれば、ペルーだけでなく、ラテンアメリカの広宣流布が、大きく前進することは間違いない。”キシベは、その役割の大きさを考えると、体が震える思いがした。彼は、喜び勇んで、新聞製作を開始したのだ。

使命の自覚は、果敢なる行動となって、発芽していくものである。

キシベたちが最も頭を悩ませたのは、やはり翻訳である。こうして、タブロイド判4ページ、活版印刷の「ペルー・セイキョウ」が創刊されたのは、提案から36日後の4月20日のことであった。奇しくも、日本の聖教新聞が創刊された日から、15年後の同じ日の発刊となったのである。

「時代を変えよう!」「学会を取り巻く社会の環境を変えよう!」同志は、こう心に誓い、“信頼の種”“友情の種”を蒔きながら、希望の前進を開始したのである。やがて、キシベはペルーの理事長となり、このインカの大陸に新しき広布の歴史がつくられていくことになる。

メンバーは、仏法者として、よき市民をめざし、社会貢献に取り組み、人びとの深い信頼を勝ち得ていった。それは、同時に、創価学会と山本伸一に対する理解を、深めさせることになっていったのである。

そして、1974年に、伸一が8年ぶりにペルーを訪問した折には、リマ市は彼の来訪を歓迎し「特別名誉市民」の称号を贈ったのである。さらに、84年、伸一の3度目の訪問の時には、ペルーの最高勲章である「ペルー太陽大十字勲章」が、フェルナンド・ベラウンデ・テリー大統領から贈られている。
これは世界の平和と文化と教育への、伸一の多大な貢献を評価して贈られたものであった。

伸一の一念が、そして、彼と心を同じくする、ペルーの同志の一念が、時代を、社会を、大きく変えていったのである。歴史は動き、希望の太陽が昇ったのだ。

1966年、伸一が、アメリカとブラジル、ペルーを訪問したころ、他の幹部は、手分けして、中南米各国を回り、メンバーの激励にあたっている。

アルゼンチンに組織がつくられたのは、63年、20世帯ほどのメンバーで、地区が結成され、白谷竹男が地区部長になった。

白谷は、初代学生部長を務めた白谷邦男の実弟で、兄の邦男の勧めで入会した。彼は、太平洋戦争中、沖縄戦で九死に一生を得、守られたと思いはしたが、自ら積極的に信心に励むことはなかった。

戦後、海外に雄飛したいとの思いをいだくようになり、戸田城聖に会った時、相談すると「行ってこい」と言われた。この言葉で、彼の心は決まり、アルゼンチンに移住を決めた。

この白谷を励まし、信心を奮い立たせたのが、日本から移住してきた、大木田和也だった。



太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

ペルーの メンバーの生命を開墾する思い

『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P140~

「そして、第二の要諦は教学です。教学は、一般の学問とは違います。生活、人生に、密接に結びついているんです。」

「その仰せを信じて、心を定め、御文のままに精進していく。そうすれば、“まさにその通りだ!”と実感し、御本尊への大確信をもつことができる。それが、本当の意味で、御書を拝するということであり、『実践の教学』ということなんです。また、仏法者として、人生の哲学をもつということにもなります。」

「一つの御文を、身で拝して、自分のものにすることができれば、自然に、ほかの御書もわかっていきます。すべてに通じていくんです。」

第三の要諦としては、私は、信心の持続ということをあげておきたい。人生、最後が大事です。家を建てても、マッチ一本で灰になることもさえある。とにかく最後まで、あきらめずに頑張り通していくことです。そのためにも、まず10年先を目標に前進していっていただきたい。」

この人たちを、断じて、ペルーの広宣流布の起爆剤にしなければならない。そう思うと、山本伸一は、必死であった。一言一言、メンバーの生命の奥深く、開墾のクワを振るう思いで、全力を注いでの指導であった。

皆からの報告や要望を聞きながら、話を進めていった。スペイン語の機関誌を発刊しては、という提案に、過去に発行したが、2回ほど発行しただけで、立ち消えになったと知る。

「機関誌も、持続が大事なんです。やると決めたら、中途半端ではいけない。そうしないためには、必ず、誰かが責任をもつことです。組織の活動の焦点は、絶えず変化していきます。それにつれて、大事だから始めたことであっても、ついつい忘れられてしまうことがある。だから、何があっても、そのことを考えて、責任を持つ人が必要なんです。」

「すべて中心者が一人でやっていると、活動が多面的になればなるほど、行き詰ってしまうものです。中心者と同じ自覚で、それぞれの分野の責任を持ってくれる人がいると、重層的な活動ができるし、組織も強く、盤石になります。」


「ともかく、広宣流布の発展の力は、団結です。皆さんが、今、こうして、このペルーの国に集っているのも、偶然ではありません。私たちのつながりは、久遠の縁のうえに成り立っているものであり、過去世からの、深い深い絆に結ばれているんです。」

最後に、伸一は「ペルーのメンバーが、1千世帯を超えたということは、広宣流布の基盤が整ったことであり、歴史的な壮挙です。私は、ペルーの皆さんが、一人も洩れなく幸福になれるよう、毎日、しっかりと、お題目を送ります。」

思いやりも、友情も、祈りから始まる。祈りこそ、人間と人間を結びゆく力である。

翌日、伸一たちは、パチャカマの遺跡にも立ち寄ったが、彼は、行く先々で題目を唱え続けた。この大地の、この山河の隅々にまで、題目を染み込ませゆかんとの思いで。

リマのサン・マルティン広場で マルティンの騎馬像を見ながら、南米解放の英雄の生涯に思いを馳せた。ただ、ひたすら南米の解放を念願していたマルティンが、「王への野望を抱く者」「暴君」と、誹謗中傷されたことを思うと、身につまされてならなかった。

伸一もまた、民衆の幸福と世界の平和のために、生き抜いてきた。しかし、日本国内にあっては、彼は、公明党に天下を取らせ、自身が最高権力者となって、国家を支配することが狙いであるなどと、喧伝されていたのである。

また、この南米でも、伸一は「独裁者」などと書かれ、各国で政党を結成し、世界征服を計画しているなどと中傷されているのだ。

人間は、自分を基準にものを考える。だから、自己の野心、野望のために生きている人間は、「無私」の人の存在を認めることができないのだ。




太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

題目こそ 幸福の直道

『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P132~

入会者が 増えるにつれ、新たな課題が生まれた。その一つが仏法用語をどうスペイン語に翻訳し理解させるかであった。たとえば、「宿業」について説明しても、ペルーでは、過去世からの罪業という考え方がないため、「私は報いを受けるような罪は犯した覚えはない」という人が少なくなかった。

そして、カトリックの影響が強いだけに、「宿業」を、神に背いた人間が、生まれながらに背負った「原罪」のように考えてしまうのである。

さらに、勤行を教えるのがまた一苦労だった。ローマ字をそのままスペイン語で読むと、「HOBENPON」は、スペイン語は「H」は 発音しないことから、「オウペンポン」となってしまう。

ザ行の発音が難しかったり、「ッ」という促音がないため、かなりの練習を積まないと、正確な発音はできない。そこで、先輩が新入会のメンバーの横について声を出し、一対一で勤行を教えた。

仏法用語の翻訳や勤行指導をどうするかは、ペルーに限らず、世界各国で広宣流布の先駆けとなった人人の、共通の課題であり、悩みであった。

しかし、いずれの国も、試行錯誤を重ね、そうした問題と一つ一つ乗り越えていった。そして、仏法が、その国に定着し、人びとの生活に根ざしていったからこそ、今日の世界広宣流布の大潮流がつくられたのである。

これほどの世界広布への苦労を、宗門はどれだけ知っていたか。わが同志が苦しみ抜いて世界広布を断行してきた努力に、最大の敬意を表すべきではなかったか。

山本伸一は尊き先駆けの友に、敬愛の思いを込めて、視線を注いで語り始めた。「開墾した人がいるからこそ、作物を育てることができる。偉大なのは、原野を開いた人です。ゆえに、先駆者の功徳というのは、一番大きい。」

「人がどうあれ、自分が広宣流布のために苦労し、働いた分は、すべて自身の功徳となり、福運となっていくのが仏法です。人の目はごまかすことができても、峻厳な、仏法の因果の理法は、絶対にごまかせない。」

「周囲の人がいい加減だから、自分も適当にやろうと思ったり、遊んでばかりいる人を羨んだりすることは間違いです。その考え方は、仏法ではありません。」

「最後に、永遠の幸福を築くのは誰か。人生の勝利を収めるのは誰か。それは生涯を、妙法とともに、広布とともに、学会とともに生き、真剣勝負で戦い抜いた人です。皆さんは、全員人生の大勝利者になっていただきたい。」

そのための要諦は何か。それは、第一にお題目です。健康ということも、勇気も、智慧も、歓喜も向上心も、あるいは、自分を律するということも、生命力のいかんで決まってしまうといえる。その生命力を無限に湧現しゆく源泉こそが唱題なんです。ゆえに、唱題根本の人には行き詰まりがない」

「素直な心で御本尊にぶつかっていけばいいんです。自分自身が願っていること、悩んでいること、希望することを、ありのままに祈っていくことです。苦しい時、悲しい時、辛い時には、子どもが母の腕に身を投げ出し、すがりつくように、『御本尊様!』と言って、無心にぶつかっていけばいいんです。」

「もし、自分の過ちに気づいたならば、心からお詫びし、あらためることです。二度と過ちは繰り返さぬ決意をし、新しい出発をするんです。」

「また、勝負の時には、断じて勝つと心に定めて、獅子の吼えるがごとく、阿修羅の猛るがごとく、大宇宙を揺り動かさんばかりに祈り抜くんです。そして、喜びの夕べには「本当にありがとうございました」と、深い感謝の題目をささげることです。」

「何があっても、ただひたすら、題目を唱え抜いていくことです。これが幸福の直道です。このお題目ということが、人生を勝利する第一の要諦なんです。」
皆が頷くのを確認して、伸一は話を続けた。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

リマの幸せ写真店

『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P121~

そのころ、大会の行われるメトロポリタン劇場では、ペルー各地から集って来た1700人ほどのメンバーが開会を待っていた。実に見事な結集といってよい。参加者は山本会長と会うことを楽しみに、喜々として集まって来たのである。皆の視線は、壇上に注がれ、伸一を探した。

開会が宣言され、理事長の泉田が、山本会長のペルー到着と、この大会に来られないことを告げると落胆のため息が広がった。皆の顔は、見る見る曇っていった。

泉田は、山本会長のメッセージを読み上げた。「私と皆様方は、同志であります。同志とは同じ自覚、同じ決意で結ばれた人です。皆様方は、私と同じ自覚で、一人ひとりが獅子となって、友の幸福のために社会のために立ち上がってください。また、私に代わって、悩める人を、優しく、力強く、励ましていただきたいのです。今日の大会は、皆様が獅子として立つ集いです。」

「ペルー国家を声高らかに歌いながら、社会貢献の市民として前進していかれんことを、念願してやみません。」

メッセージを読み上げると泉田は、ペルーを総支部とする決定を告げ、その人事を紹介していった。
幹部たちは、なんとしても、メンバーを元気づけようと、懸命であった。


希望も歓喜もない、つまらない会合になってしまえば、大勢の求道者の大切な人生の時間を奪うようなものだ。絶対にそんな結果に終わらせてはならない”その真剣さが、その必死さが、次第にメンバーの心を揺り動かしていった。いつしか、参加者の落胆は決意に変わっていった。

伸一は、ホテルで、幹部の代表二十数人と会い、激励する。

カヤオ支部長婦人部長の任命を受けたキシベ夫妻。沖縄出身のキシベは、農牧の視察のため、アルゼンチンに渡ったのが、きっかけでペルーのリマで暮らすようになった。その後日系二世のロサリアと結婚。事業で大成功を収めるが、安易にサインしたせいで、莫大な借金を抱えることに。

長女の関節炎、長男の喘息、三男のてんかんと、子どもたちは病気をかかえていて、毎日の食費にもこと欠き、薬も買えなかった。絶望感から、2度自殺を図る。崖から飛び降りたり、猛スピードで走るバスから飛び降りたが、死ねなかった。

そのころ、友人に誘われ、仏法の話を聞き、その場でサインし、入会を決めた。その話を聞いた妻は、激怒。莫大な借金を抱えることになったのも、夫が安易に書類にサインしたせいで、それに懲りず、また、“得体の知れない宗教”の入会の書類にサインした夫が腹立たしかった。

祈ることで問題が解決できるなどと教える宗教は、まやかしに決まっていると思い込んでいたのだ。キシベは、学会活動に取り組むうち生命が躍動し、自分の考え方が変わっているのに気づく。何ごとにも意欲的に取り組めるようになったキシベは写真店「SIAWASE」(幸せ)を開く。信心で幸せになって見せるとの決意を込めた命名であった。

ロサリアは、信心に対し、冷ややかに見ていたが、会合に誘われ、話を聞き、“もしかしたら、この信仰で、一家の宿命を変えられるかもしれない。ほかに打開の道がないのだからやってみてもよいのではないか”と、信心を始めたのである。

夫妻で、勤行・唱題に励みだすと、子どもたちも病と戦いながら一緒にするようになる。しばらくすると、写真店の周辺に道路が整備され、店は大繁盛するようになり、多額の借金も短期間で返済できた。いつしか、子どもたちの病気も治っていた。

キシベは、感謝の思いを込めて、法のため、広布のために、身を粉にして働いた。その一念が、キシベの人柄となって表れ、彼は、皆から「ペルー人以上にペルー人の心がわかる」と言われるようになり、次第に日系人以外の入会者が増えていった。



太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ

ペルー創価学会の誕生

『新・人間革命』第11巻 開墾の章 P110~

<開墾の章 開始>

1966年(昭和41年)、ブラジルを発った山本伸一一行は、空路次の訪問地である、ベルーの首都リマをめざした。ペルーでも、政府が学会に警戒の目を向けていることから、派手な出迎えは避け、知名ら、数人の幹部らが出迎えた。

ペルー支部長の知名正義は、沖縄出身。両親がペルーに移住し、彼は沖縄に残った祖母の手で育てられた。彼は、海軍に志願して入り、国内各地を転々としていたが、ペルーが日本に宣戦布告し、両親とは連絡が取れなくなっていた。両親は 沖縄が玉砕したと聞き、息子も死んだものと思い込んでいた。

知名は、戦後建築会社を起こし軌道に乗っていたが、ペルーの両親のことが気がかりだった。宿命転換できる信心の話を聞いた時、両親が自分を探していると知る。入会を考えていた時、両親の消息がわかり、彼は不思議を感じ、創価学会に入会した。

信心に励むうち、両親にも仏法を教えたいと、ペルーに渡ることを決意。ところが、両親に会い、信心の話をすると、顔色が変わり、両親は他教団の熱心な信者であり、息子は死んだはずだと言って、知名を自分の経営するレストランの従業員扱いするほどだった。

しかし、彼は、懸命に働き傾きかけたレストランを立ち直らせ、両親も彼を高く評価するようになり、やがて、両親がともに入会した。生活のなかで示した実証ほど、雄弁に仏法の真実を語るものはない。

知名は、布教にも真剣に取り組んでいった。帰りのバスがなくなると車を止めて乗せてもらった。未明にタクシーに乗っていた、軍隊の検問に遭い、銃を突き付けられたこともあった。しかしこうした環境のなかでも、着実にペルー広布は進んでいった。

沖縄出身の城山京子が、御本尊を護持して、ペルーに帰ってくると、スペイン語も堪能な彼女と知名の二人を軸に、ペルーの広宣流布が回転していったのである。ペルー支部が結成され、知名が支部長、城山が婦人部長に就任。2地区、125世帯からの出発であった。

組織の誕生は、皆の決意を新たにした。弘教はさらに、進み、アンデスの山間の村々にも、次々と同志が誕生していった。そして、山本伸一が訪問した66年には、メンバーは千世帯を超えるに至った。同時に、政府も、学会に警戒の目を向けるようになっていたのである。

伸一は、ペルー入りしていた日本の幹部たちから詳細な報告を聞いた。ブラジルと同じように、政府関係者もマスコミも、山本会長の訪問は、政党づくりの準備が目的だと懸念しているという。また、今回の訪問で、なんらかの扇動的な面がみられるなら、今後ペルーの創価学会については、警戒心を強めなければならないと話していたという。

伸一は、大会でメンバーと会い、激励したかったが、ここに出席すれば、当局は、それを『扇動』ととらえ、『挑発』と見るに違いなく、メンバーに対して、さまざまな閉めつけが始まることが予測されることから、長い目で見て、大会に出席しないことを決めた。

同志を守るため、皆が安心して信心に励める状況をどうつくるかを考えた。そして、ペルーの未来のために、会っておくべき人物を紹介してもらい、会ったり、マスコミ関係者にも手分けして会い、あらゆる人に、学会を正しく認識させることが大事だと語った。

伸一は、知名から、この大会には、アンデスの山間の村から駆けつけてくる人や、バスで何日もかかってくる人たちもいると聞いていた。その健気な一人ひとりの同志に、希望を、勇気を、歓喜をもたらす集いにしてほしいと、懸命に祈った。真剣勝負の唱題であった。


太字は 『新・人間革命』第11巻より 抜粋

→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ
カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』