『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P222~
ロンドンから駆けつけきたエイコ・リッチは、横浜で入会した。イギリス人の男性と結婚し、イギリスに渡った彼女は、ここで仏法の大確信をつかむことになる。
イギリスで子どもを身籠った彼女に、医師は、つわりの際の鎮静・睡眠薬をくれた。その薬を服用した途端、嘔吐が起こり、錠剤も一緒に吐き出してしまった。流産の恐れがあると診断され、入院。病院のベッドのなかで、無事に出産できるよう懸命に唱題した。
やがて、元気な男の子を出産し、御本尊の功力に感嘆した。しかし、御本尊の力を身に染みて感じたのは、彼女が妊娠初期に医師からもらって吐き出してしまった薬が 社会問題となった、サリドマイド錠剤であったと知ったからである。
あの時、嘔吐することなく、サリドマイド錠をのみ、その後も服用していたらと思うと、深い感謝のなかで、イギリス広布に生き抜く決意を固めたのである。
生活は楽ではなかったが、口紅一つ買うのも惜しんで、活動費を捻出し、友の激励と不況にイギリス中を駆け巡った。そして、わずか5世帯から30世帯を超える人たちが信心に励むようになったのである。
日蓮仏法を広めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。
しかも、その多くは女性たちである。なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や、風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。
イギリスで子どもを身籠った彼女に、医師は、つわりの際の鎮静・睡眠薬をくれた。その薬を服用した途端、嘔吐が起こり、錠剤も一緒に吐き出してしまった。流産の恐れがあると診断され、入院。病院のベッドのなかで、無事に出産できるよう懸命に唱題した。
やがて、元気な男の子を出産し、御本尊の功力に感嘆した。しかし、御本尊の力を身に染みて感じたのは、彼女が妊娠初期に医師からもらって吐き出してしまった薬が 社会問題となった、サリドマイド錠剤であったと知ったからである。
あの時、嘔吐することなく、サリドマイド錠をのみ、その後も服用していたらと思うと、深い感謝のなかで、イギリス広布に生き抜く決意を固めたのである。
生活は楽ではなかったが、口紅一つ買うのも惜しんで、活動費を捻出し、友の激励と不況にイギリス中を駆け巡った。そして、わずか5世帯から30世帯を超える人たちが信心に励むようになったのである。
日蓮仏法を広めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。
しかも、その多くは女性たちである。なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や、風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。
民衆が主役となって布教を推進してきたところに、日蓮仏法の最大の特徴があるといってよい。また、それが、「民衆のための宗教」であることを裏付けている。
ロンドンの地区部長に、エイコ・リッチが就任し、ベルギーにも地区が結成された。
次の訪問地である、西ドイツでは、日本からきた10名の様子を気遣う山本伸一。炭坑で働く佐田と諸岡がドイツ広布のために、一緒に戦う人を呼びかけで集まったメンバーである。
最年長で32歳の尾勝は、札幌で自動車の整備士をしていた。婚約者の病を治したい一心で入会したが、婚約者が安らかな死を迎えると、組織から遠ざかってしまう、そんな時、交通事故を起こし、大参事になるところを、命に別状がなかった。救われたと感じた尾勝は 信心から離れてはいけないと感じ、亡くなった婚約者のためにも信心を貫いていこうと決意した。
自分も世界広布に尽したいと考えていた時、佐田から誘われ、ドイツの広布に、人生を賭けてみようと覚悟を決めた。
最年少20歳の青山は、釧路で調理師をしていた。調理師仲間の田丸から信心の話を聞き入会した。そして、二人で、世界に雄飛しようと語り合っていた。佐田のことを聞き、西ドイツに行きたいと訴え、二人の西ドイツ行きは、決定した。
札幌の長内も、山本会長の「青年よ世界の指導者たれ」を読んで、“3年以内に、海外に雄飛させてください”と懸命に祈り始めた。佐田の話を聞いたのは、それから1年後のことであった。
西ドイツに渡ることになったメンバーは、皆、ただ一途に、広宣流布のために生き抜こうと、決意を固めていた。家も、財産も、社会的な地位や名誉も、眼中になかった。楽をしようとか、他人よりいい思いをしたいなどといった考えも、微塵もなかった。
仏法の厳然たる法理に照らして、人間としていかに生きるべきかという思索のうえから、人類の幸福と平和を実現する広宣流布こそ、最高最極の人間道であると結論し、広布に人生を捧げる決意を固めていたのである。それは、かれらだけでなく、多くの創価の青年たちの思いでもあった。
太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋
ロンドンの地区部長に、エイコ・リッチが就任し、ベルギーにも地区が結成された。
次の訪問地である、西ドイツでは、日本からきた10名の様子を気遣う山本伸一。炭坑で働く佐田と諸岡がドイツ広布のために、一緒に戦う人を呼びかけで集まったメンバーである。
最年長で32歳の尾勝は、札幌で自動車の整備士をしていた。婚約者の病を治したい一心で入会したが、婚約者が安らかな死を迎えると、組織から遠ざかってしまう、そんな時、交通事故を起こし、大参事になるところを、命に別状がなかった。救われたと感じた尾勝は 信心から離れてはいけないと感じ、亡くなった婚約者のためにも信心を貫いていこうと決意した。
自分も世界広布に尽したいと考えていた時、佐田から誘われ、ドイツの広布に、人生を賭けてみようと覚悟を決めた。
最年少20歳の青山は、釧路で調理師をしていた。調理師仲間の田丸から信心の話を聞き入会した。そして、二人で、世界に雄飛しようと語り合っていた。佐田のことを聞き、西ドイツに行きたいと訴え、二人の西ドイツ行きは、決定した。
札幌の長内も、山本会長の「青年よ世界の指導者たれ」を読んで、“3年以内に、海外に雄飛させてください”と懸命に祈り始めた。佐田の話を聞いたのは、それから1年後のことであった。
西ドイツに渡ることになったメンバーは、皆、ただ一途に、広宣流布のために生き抜こうと、決意を固めていた。家も、財産も、社会的な地位や名誉も、眼中になかった。楽をしようとか、他人よりいい思いをしたいなどといった考えも、微塵もなかった。
仏法の厳然たる法理に照らして、人間としていかに生きるべきかという思索のうえから、人類の幸福と平和を実現する広宣流布こそ、最高最極の人間道であると結論し、広布に人生を捧げる決意を固めていたのである。それは、かれらだけでなく、多くの創価の青年たちの思いでもあった。
太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋
→まぐまぐ メルマガで読む 『新・人間革命』に 学ぶ