小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

September 2019

世界広布への 雄飛

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P222~

ロンドンから駆けつけきたエイコ・リッチは、横浜で入会した。イギリス人の男性と結婚し、イギリスに渡った彼女は、ここで仏法の大確信をつかむことになる。

イギリスで子どもを身籠った彼女に、医師は、つわりの際の鎮静・睡眠薬をくれた。その薬を服用した途端、嘔吐が起こり、錠剤も一緒に吐き出してしまった。流産の恐れがあると診断され、入院。病院のベッドのなかで、無事に出産できるよう懸命に唱題した。

やがて、元気な男の子を出産し、御本尊の功力に感嘆した。しかし、御本尊の力を身に染みて感じたのは、彼女が妊娠初期に医師からもらって吐き出してしまった薬が 社会問題となった、サリドマイド錠剤であったと知ったからである。

あの時、嘔吐することなく、サリドマイド錠をのみ、その後も服用していたらと思うと、深い感謝のなかで、イギリス広布に生き抜く決意を固めたのである。

生活は楽ではなかったが、口紅一つ買うのも惜しんで、活動費を捻出し、友の激励と不況にイギリス中を駆け巡った。そして、わずか5世帯から30世帯を超える人たちが信心に励むようになったのである。

日蓮仏法を広めてきたのは、キリスト教のような宣教師ではなかった。“衣の権威”に身を包んだ僧侶たちではなく、在家である創価学会の、名もなき会員たちであった。

しかも、その多くは女性たちである。なんの後ろ盾もない、不慣れな土地で、日々の生活と格闘しながら、言葉や、風俗、習慣の違いを超えて、人びとの信頼と友情を育み、法を伝えてきたのだ。

民衆が主役となって布教を推進してきたところに、日蓮仏法の最大の特徴があるといってよい。また、それが、「民衆のための宗教」であることを裏付けている。

ロンドンの地区部長に、エイコ・リッチが就任し、ベルギーにも地区が結成された。

次の訪問地である、西ドイツでは、日本からきた10名の様子を気遣う山本伸一。炭坑で働く佐田と諸岡がドイツ広布のために、一緒に戦う人を呼びかけで集まったメンバーである。

最年長で32歳の尾勝は、札幌で自動車の整備士をしていた。婚約者の病を治したい一心で入会したが、婚約者が安らかな死を迎えると、組織から遠ざかってしまう、そんな時、交通事故を起こし、大参事になるところを、命に別状がなかった。救われたと感じた尾勝は 信心から離れてはいけないと感じ、亡くなった婚約者のためにも信心を貫いていこうと決意した。

自分も世界広布に尽したいと考えていた時、佐田から誘われ、ドイツの広布に、人生を賭けてみようと覚悟を決めた。

最年少20歳の青山は、釧路で調理師をしていた。調理師仲間の田丸から信心の話を聞き入会した。そして、二人で、世界に雄飛しようと語り合っていた。佐田のことを聞き、西ドイツに行きたいと訴え、二人の西ドイツ行きは、決定した。

札幌の長内も、山本会長の「青年よ世界の指導者たれ」を読んで、“3年以内に、海外に雄飛させてください”と懸命に祈り始めた。佐田の話を聞いたのは、それから1年後のことであった。

西ドイツに渡ることになったメンバーは、皆、ただ一途に、広宣流布のために生き抜こうと、決意を固めていた。家も、財産も、社会的な地位や名誉も、眼中になかった。楽をしようとか、他人よりいい思いをしたいなどといった考えも、微塵もなかった。

仏法の厳然たる法理に照らして、人間としていかに生きるべきかという思索のうえから、人類の幸福と平和を実現する広宣流布こそ、最高最極の人間道であると結論し、広布に人生を捧げる決意を固めていたのである。それは、かれらだけでなく、多くの創価の青年たちの思いでもあった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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幹部登用の考え方

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P203~

フランスのパリでは、ヨーロッパの事務所の開所式が行われた。事務所といっても、ヨーロッパ本部長の川崎鋭治の自宅である。そこで、ヨーロッパに総合本部を設置し、ヨーロッパを2本部に分割することを発表し、新たな人事が発表された。

伸一は、学会の幹部登用の根本的な考え方について話しておこうと思った。「皆さんのなかには、民主主義が世界の流れなんだから、学会もすべて、多数決で決めるべきだと思っている方もいるでしょう。」

「仏法の世界は、すべて多数決というわけにはいきません。初代牧口先生は、宗門が軍部政府を恐れて、学会も神札を祭ってはどうかと言い出した時、敢然とそれを拒否しました。」

「たとえ、みんなで決めたことでも、大聖人の教え、精神に反するものであれば、それに従ってはならないというのが、仏法の考え方です。中心となり、基準となるのはどこまでも“法”だからです。」

「皆が間違った方向に進んだ場合には、たった一人になっても、その誤りを正していかなくてはならない。それができてこそ、真実のリーダーです。ですから、人気投票のように、ただ、みんなの支持があるからといって、人事を決めるわけにはいかないんです。」

「かといって、現地の人たちの意見も聞かずに、最高幹部が自分の考えだけで、人事を行うと、これも失敗につながってしまう。したがって、最高幹部は、みんなの意見をよく聞いたうえで、登用する人の、根本となる信心を、鋭く見ていかなければならない。」

会場には、アフリカのカズナから駆けつけたフジエ・ジェイムズがいた。彼女は、入会後女子部として、真面目に活動に励み、イギリス人の男性と結婚。イギリスのバーミンガムで新婚生活を始めた。

ロンドンに、エイコ・リッチというメンバーがいると聞いて、彼女と連絡をとり会いに行った。イギリスには、夫以外の知人もなく、言葉もあまり通じないフジエにとって、エイコの存在は、大きな心の支えとなった。半年後、夫の仕事の関係で、ナイジェリアに移り住むことになった。

彼女は 不安で、川崎に指導を求めにきた。川崎は、仏法の眼から見れば、アフリカ広布のパイオニアとしての使命があると激励し、彼女は、ナイジェリア行きは、自分の使命なのだと決意し、アフリカのカノーという街で暮らし始める。

郊外に行けば、どこまでも赤土の大地が続き、カメレオンやトカゲが家の中にいたり、マラリアにも悩まされた。しかし、わが使命の天地と決め、アフリカの地図を見ては、都市名を念じて題目を送っていた。

それから、カズナに移るとそこには、日本人の壮年部がいることがわかり、二人で力を合わせての活動が始まった。やがて信心を始める人が増え、3、40人が 座談会に集まるようになったのだ。

そんな時、山本会長がヨーロッパ訪問することを聞き、“なんとしても先生にお会いしたい”と真剣に祈り続けた。すると、夫が旅行に行こうと言い出した。彼女は、旅行に行くならパリに連れていってほしいと頼み、川崎から 明日、会長が到着すると聞き、喜び勇んで会合にやって来たのだった。

伸一は、フジエ・ジェイムズの話を聞き、アフリカにも、使命の友が誕生したことが嬉しかった。即座に決断し、アフリカ支部を結成し、支部長にジェイムズを任命した。

「21世紀はアフリカの時代になるでしょう。その未来を、開き、創るために、頑張るんです。未来の創造こそが、人間に与えられた力であり、尊き使命なんです。」伸一は、記念の念珠を彼女に手渡しながら言った。

彼女を見て、嬉しそうに、盛んに拍手を送る、日系の女性がいた。フジエを励まし続けてきたエイコ・リッチだった。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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正本堂の建立と 破壊

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P203~

10月度の本部幹部会で、正本堂の供養について、御礼と報告を行った山本伸一。続いて、「御供養奉呈」の目録が、日達法主に渡された。日達法主は山本伸一が、供養達成のために350万遍の題目を唱えたと聞いたが、その題目が350億円の供養になったと述べ、次のように断言した。

「今、正本堂の供養をもって、百億の須弥の人びとに功徳をほどこすことになる。」「正本堂に大御本尊を安置し、奉って、南無妙法蓮華経と信心するところに、かならず宇宙全体に、その功徳がおよぶ」と指南した。

そして、日達法主は、この供養の全額を、正本堂建立、並びに広宣流布達成の事業、設備等に使用してもらうために、山本会長に委任したいと述べ、法主から伸一に、
委任状が手渡されたのである。それは、歴史的な儀式となった。

山本伸一があいさつに立った。「本当におめでとうございます。御供養の功徳は、御書に厳然としたためられております。」

「今まで創価学会は、貧乏人の集まりであるとか、病人の集まりであるとか、さんざん誹謗され、中傷され続けてきました。しかし、この不景気のさなかに、これだけの御供養ができたことは、学会が日本一の実力をもつに至った裏付けといえます。この事実こそ、御本尊の偉大なる大功徳の証明であると、私は訴えたいのであります。」

供養の大歓喜がみなぎるなか、本部幹部会は幕を閉じた。本門の戒壇となる正本堂の建設へ、歯車は勢いよく回り始めたのである。

5年後完工式が営まれ、大歓喜のなか、慶祝行事が、連日、盛大に挙行されたのである。正本堂は、日達法主の指南にもとづき、誰もが「本門の戒壇」と信じて疑わなかった。それゆえに、美的にも優れ、人類の遺産として永遠に残る最高の建物にしようと、建築技術の粋を集め、設計、建築された。

ところが、日達法主亡きあと、第67世の法主となった阿部日顕が、正本堂の完成から18年余りが過ぎた1991年(平成3年)1月、突如、正本堂は「終極究竟の意義における事の戒壇ではない」と言い出したのである。しかも、正本堂を「本門の戒壇」としたのは、当時の学会の会長であった山本伸一の独断であったかのように言い始めたのだ。

これは、明らかに、日達法主の指南を、根底から覆す発言であり、学会員だけでなく、法華講員にとっても、寺族同心会のメンバーにとっても、詐欺に等しい裏切りであった。学会員は皆、日達法主の指南のもと、正本堂こそ、「本門の戒壇」と信じたがゆえに、食べるものも惜しんで、命を削る思いで、供養に参加したのである。

さらに、日顕は、98年4月に、突然大御本尊を正本堂から奉安殿に遷座し、なんと、正本堂の破壊を発表したのだ。

そして、老朽化などの理由をでっち上げ、遂に、6月には、800万信徒の真心を踏みにじり、正本堂の解体を開始したのである。

広宣流布の大功労の団体である創価学会への嫉妬ゆえの、所業といえよう。また、慢心と強い自己顕示欲のゆえに、先師たる日達法主の尊き事跡を、ことごとく破壊したかったのであろう。

まさに、天魔と化した、頭破作七分の狂乱の姿であり、その罪は、無間地獄を免れまい。
一方、正本堂は破壊されても、蓮祖大聖人の御遺命を実現せんとして、供養に参加した同志の信心の赤誠は、永遠の福運となって、自身を荘厳しゆくことは絶対に間違いない。
それが、仏法の厳たる因果の理法である。



10月度本部幹部会の翌々日19日には、山本伸一は、正本堂の資材買い付けと、現地会員の激励のために、さらに、文化交流の第一歩を印す決意で、
ヨーロッパに旅立ったのである。

天魔日顕 2019年9月20日 死亡

太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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正本堂建設のための御供養

『新・人間革命』第10巻 新航路の章 P192~

<新航路の章 開始>

1965年(昭和40年)10月9日、この日から4日間、全国約1万6千の各地区拠点で、待望の正本道の供養の受付が行われた。

この正本堂は、戸田城聖が、大客殿に引き続いて建立するように、遺言していた建物であった。伸一は、その正本堂の基礎には、全世界の恒久平和を祈る意味から、世界各国の石を集めて埋めるとともに、五大州の代表的な名産をもって荘厳していきたいと訴えた。

1月に、正本堂建設委員会が設置され、委員長は山本伸一であり、副委員長には、宗門から4人、学会から9人が任命されたのである。

正本堂建設委員会の席上、日達法主は、正本堂の意義について、明らかにしたのである。
「堂宇のなかのひとつに戒壇を設けるとか、あるいは大きな寺院のなかのひとつに戒壇堂を設けるというのは、小乗教等の戒律です。末法の戒律は題目の信仰が、すなわち戒を受持することであります。よって大御本尊おわします堂が、そのまま戒壇であります。」

つまり、大聖人御遺命の本門寺の戒壇は、特別な戒壇堂を建てるのではなく、大御本尊まします本堂が、そのまま戒壇となり、正本堂こそが、その戒壇の御本尊が安置されるところであるというのである。正本堂は、広宣流布の暁には戒壇となる建物であり、その建立は、実質的な戒壇の建立であることが、明らかにされたのである。

山本伸一は、正本堂の建立寄進を発表した時には、正本堂のあとに、戒壇堂の建立を考えていた。

正本堂建立の意義を徹底し、供養への参加を呼びかけるために、「正本堂建立御供養趣意書」を作成した。趣意書では、日達法主の説法をあげ、「正本堂建立の意義は、まことに甚深であり、その御供養に参加できる私たちの大福運は、なにものをもっても、たとえようがないと思うのであります。」

「千載一遇とはまさにこのことであります。末法万年の外、未来までも人類救済の大御本尊様を御安置申し上げるこの正本堂建立の大事業に参加できることは、永遠の誇りであり、大福運であります。」

趣意書を手にした同志の感激は、計り知れない大きなものがあった。会員からの要請もあり、総本山と富士の写真を張った立方体のブルーの貯金箱も配布された。

この年は、戦後最も厳しい不況の年といわれ、中堅企業の倒産や、深刻な就職難、戦後最悪となった。しかも、不況にもかかわらず、物価は上昇を続け、年間で消費者物価は、前年比7.6%の上昇率で人びとの生活を圧迫していた。

だが、激しい不況の風を受けながらも、同志の供養への志の火は、ますます燃え上がっていた。同志の供養には信心の赤誠があふれていた。

供養のため、酒、たばこをやめた壮年。衣服を自分で作り、生活費を切り詰めた婦人、新聞配達のアルバイトをして参加した高校生、お小遣いをためて参加した小学生もいたのである。

どの会場にも、質素な身なりで、100円玉、10円玉、1円玉などがギッシリ詰まった貯金箱や缶を、大事そうに抱えて、納金にやってくる人の姿が見られた。
聖教新聞に正本堂正面外観図が発表されるとメンバーの歓喜が爆発した。

供養の受付は歓喜のなか無事故で終了した。800万人を超える人びとが参加し、その結果、僧侶寺族同心会が1億5787万8265円、法華講が3億1382万162円、創価学会が350億6430万5882円で、総額、355億3600万4309円となった。

当初、学会本部では、30億を目標にしていた。それは戸田城聖が、「正本堂の建築は30億の費用をもってしなさい」と遺言していたからである。しかし、より多くの人びとを収容できるものをと考えると、正本堂の規模は、最初の構想の2倍にせざるをえなかった。だが、同志の真心の供養は、当初の目標の10倍を上回ったのである。


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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班長、班担当員との記念撮影

『新・人間革命』第10巻 幸風の章 P177~

帰国した山本伸一は、休む間もなく、国内の会員の激励に奔走した。彼は、全国の地区幹部とも記念撮影しようと各地を回っていたのである。

すると、今度は、班長や班担当員から、「私たちも、山本先生と一緒に、ぜひ記念撮影をしてほしい」との声が起こった。本部では、会長のスケジュールなどから考えて、実現は不可能ということになった。

伸一は、できることならば、広宣流布のためにともに働いてくれた、すべての同志と、記念のカメラに収まり、その功労を称えたかった。しかし、同志の数は、あまりにも多い。

関西では、2万4千人の班長、班担当員が 撮影対象となった。1回の撮影人数を増やし、かつ鮮明に写すため、500人を体育館の3方に分け、1回1500人を撮影することになった。
12段の階段式の撮影台を二昼夜がかりで、男子部有志が約100人で 作りあげた。

「“真を写す”のが写真やから、折伏もせえへんで記念撮影に参加したら、覇気のない顔が、永遠に残ってしまうことになるで。えらいこっちゃ!」皆、広宣流布のために戦い抜いた姿を、この写真にとどめようと、懸命に折伏に励み、唱題を重ね、さっそうと、撮影会場に駆けつけて来たのである。

参加した4分の1ほどが、入会10年目であった。1956年に信心を始めた人たちである。この年こそ、山本伸一が戸田城聖から関西に派遣された年であった。そして、5月には、伸一が担当した大阪支部は、1万1千百十一世帯の折伏という不滅の金字塔を打ち立て、「常勝関西」の礎が築かれたのである。

彼が巻き起こした、この拡大の大波のなかで、信心した人たちの多くが、今、班長、班担当員として、功徳の光を浴びながら、広布の大空に、雄々しく乱舞していたのである。


伸一は、「私が皆様に申し上げたいことは『うんと長生きしてください。』『たくさんお題目をあげてください』ということです。特に、大きな悩みに直面している方は、50万遍、100万遍、二百万遍と、真剣に、着実に、祈り抜いていくことです」

「人生には、悩みはあります。しかし、それに負けているのは、自分の弱さに原因があるんです。」

「せっかく一緒に写真を撮ったんですから、一緒に常寂光土に行こうじゃないですか!」
と話した。

伸一は、撮影が終わるたびに、マイクを手にして、力の限り、メンバーを励ました。生命を振り絞っての渾身の指導である。風邪のため、腫れた彼の喉は、声を出すと痛かった。体は、発熱のために、ビッショリと汗が滲み、呼吸も荒かった。意識が遠のいていくような感じを覚えた。

しかし、数分もすると伸一は、生命力を振り絞って、毅然として起き上がっていった。まさに、「臨終只今」の思いで、同志を励ます山本会長の姿に、皆、胸を熱くするのであった。

実に、4時間50分を費やし、50グループにわたる撮影会は、午後5時前に終了した。発熱に苛まれながらの記念撮影であったが、それに気づいた関西の同志はいなかった。彼は、翌日には、愛知県の同志、1万2千人と記念のカメラに収まった。以来、組織の最前線の同志との記念撮影は、約10年にわたり、北海道から、南は沖縄の、宮古島、石垣島まで、全国各地で行われたのである。

広宣流布とは、全同志が獅子となって立ち上がってこそ、初めて成就できる聖業である。ゆえに、伸一は、同志の心の暖炉に、永遠なる「誓いの火」を、「歓喜の火」を、「勇気の火」を、断じて、ともさねばならないと決意していたのだ。

広宣流布の火もまた、人間と人間の魂との触発のなかからしか生まれないことを、伸一は、熟知していた。


多くの同志は、今なお、その写真を大切に保管し、感動をもって口々に語る。「生涯の宝」「人生の誓いの原点」と。

そして、記念撮影を通して彼が結んだ、数十万の同志との魂の絆が、新しき広布の飛翔の原動力となっていったのである。


<幸風の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第10巻より 抜粋

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