小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

August 2019

心を師とせざれ

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P233~


和代は、身分証明書が提出できないでいたのである。彼女は、東京目黒で育つが、両親が実母でないことを知り、ショックを受け、タイからの留学生と結婚し、バンコクに渡るが、異国での慣れない生活に1年で離婚に至る。

彼女は自暴自棄になり、身分証明書など、いっさいの書類を破り捨ててしまった。その後、潘と結婚し家庭を持つが、身分を証明するものがないままの結婚であった。

彼女は必死になって祈った。しばらくすると友人が相談にのってくれた。それから、とんとん拍子にパスポートを手に入れることができた。和代は、タイに渡って以来、17年ぶりに、喜びのなか、日本の大地を踏んだのである。


空港には、一家9人で、出迎えに来てくれた王大成もいた。伸一は、「広宣流布には、横と縦の二つの広がりが必要になります。友人から、また友人へ、仏法への理解の輪を広げていくのが横の広がりです。そして、縦の広がりというのは、親から子へ、子から孫へと、信心を伝え抜いていくことです。」

「どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。そして、その要諦が、『一家和楽の信心』です。どうか、王さんのご一家は、タイの模範の信心の一家になってください。」

バンコクの活動について和代は、タイでは、学会に対して誤解があり、全体的には、警戒の目で学会を見ているようだと話し、学会本部から派遣されてくる幹部がタイの実情をわからず、指導するが、それでは問題が起こりかねないので、タイのやり方でやらせてほしいと訴えた。

伸一は、「当然、そうすべきです。実状を無視して、自分の意見を押しつけるのは、愚かなことです。ただ、あなたたちも遠慮するのではなく、よく説明し、意見を言わなくてはいけません。言わなければ、何もわからない。」

「人間というのは、自分がよかったという体験があると、ほかにたくさんの方法があっても、“それしかない”と思い込んでしまいがちなんです。だから、よく話し合う必要があるんです。」彼は、幹部と会員や、幹部同士の対話の大切さを痛感していた。

「活動が思うように進まない組織というのは、対話がなく、その活動の意義などを、皆が心から納得していない場合がほとんどである。納得がなければ、人は押しつけたように感じ、意欲をもって、活動に取り組むことはできない。対話というのは、まず、相手の意見、考えを、よく聞くことから始まる。」

「しかし、信心の面では、先輩に指導を求めていくことが大事です。先輩にぶつかり、信心を学んで、自分を磨き、鍛えていこうという姿勢がないと、結局は、わがままになってしまうからです。」

潘夫妻は、タイを担って立つ人である。だからこそ伸一は、本当の信心の在り方、組織の在り方を語っておこうと思った。

「人間には、自分たちがやりたいように、自由に、勝手気ままにやりたいという思いがあります。しかし、それでは、最終的に、自分の弱さに負け、広宣流布という目的を見失っていくことになる。」

「ゆえに、御書には、『心の師とは・なるとも心を師とせざれ』と述べられているんです。」

「したがって、先輩幹部との接触が大事ですし、何よりも、皆さんが、強い求道心を燃やし続けていかなくてはならない。中心者の成長が止まってしまえば、口先の指導はできても、メンバーの生命を触発していくことはできません。」

「仏法のために苦労したことは、全部、自分の大福運、大功徳になります。だから、“大変だな”と思うことに出会うたびに、“これで、一つ福運を積めたな”“また一つ、功徳の因をつくったな”と、考えていくことです。」

タイの状況を考えると 大きな会合を持つことは、難しかった。ゆえに伸一は、中核となるメンバーの個人指導に、最大の力点を置いていた。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

東洋広布の人材

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P223~

高井夫妻は、交代で、屋久島や奄美大島にも、弘教の足を延ばした。夫婦の胸には、いよいよ仏法への大確信が燃えていた。しばらくは借金の返済に苦しむ生活が続いていたが、いつしか、それも克服していた。

平治には、以前からいだいていた、一つの夢があった。東洋の民衆の幸福と平和のために、力いっぱい働きたいーーというのが、彼の強い願望であった。彼は、日本に引き揚げる時に、今度は平和のために働いてくれと言われた、タイの兵士の言葉が、頭から離れなかったのである。

二人は、東洋広布に生きることを念願としながら、時の到来を待ち続けていたのである。山本会長が熊本を訪問した折、伸一に、“アジアの民衆の幸福のために、生涯をかけたい”という自分たちの決意を打ち開けた。

伸一は、「そうか、やっぱり、そういう人が出てきたか。嬉しいね。行きなさい。私が応援します。」と言って、具体的に話をすすめ、香港なら、いつでも行けるという夫婦に東南アジア本部長、総支部婦人部長の人事を発表した。

香港に出発する直前、二人に伸一は、「香港に行ったら、絶対に威張ってはいけない。みんなと仲良くなり、友達になることです。信心の面では、あなたたちの方が大先輩だが、香港では、一番後輩になる。だから、1年目は、何があっても、『そうですか、そうですか』と、みんなの言うことを聞くことです。そして、二年目には、『仏法での生き方では、こうです』『日本では、このようにやっていますよ』とだけ話しなさい。三年目になったら、今までの香港のやり方と、日本のやり方と、どちらがよいか、決めてもらうんです。」

「もし、皆が信心に反するような方向に進んでいきそうな場合には、なぜ、それが間違いなのかを、忍耐強く、丁寧に、噛んで含めるように、教えてあげることです。」

どこまでも、公平に、みんなのために奉仕していってもらいたい。それが本当の学会の幹部の姿です。香港を、アジアを頼みますよ」と言った。

梶山久雄という日本の亜細亜大学からの交換留学生で、香港中文大学で経済を学ぶ、学生もきていた。
梶山は、“いよいよ、東洋広布の幕が開いたのだ。ぼくも香港に行きたい”と交換留学生の試験を受け、見事パスし、学費、寮費は無料、食費も支給されるという好条件で留学できたのだ。

この梶山や高井夫妻のように、広宣流布のために、自ら海外に渡ろうという人たちが、次々と誕生しつつあることが、伸一は嬉しかった。

香港を発って2時間余りで、最初の訪問地である、タイのバンコクに着いた。1962年に訪問し支部が結成された時地区部長だった、潘錦鐘は、支部長になり、妻の和代が支部婦人部長に就任していた。

和代は、夫の活動を冷ややかに見ていたが、タイ語に不慣れな、初代支部婦人部長のアン・ミヤコ・ライズの通訳として、一緒にメンバーの家を回るうちに、次第に信心を学んでいった。

伸一に、「今度は、日本でお会いしましょう。お待ちしています」と言われ、初めて、日本に帰ろうと思い、その当時、地区担当員となった彼女は20世帯前後の地区であったが、100世帯に拡大して、日本へ行こうと決意を固めたのだった。

出発直前、地区100世帯を 達成し、5月3日の総会にタイからも 10数人の代表が参加できることになった。しかし、彼女のパスポートは いつまでたっても、発行されなかった。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

転重軽受の体験

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P211~

<光彩の章 開始>

青年は、時代の宝である。先駆けの光である。

わが「本門の時代」の先駆を切ったのも、青年たちであった。女子部は、わずか1年足らずで、2倍を大きく上回る部員100万を達成。学生部は1か月で1万人の部員増加をし、部員5万人の目標を達成。

伸一は、学生たちの大奮闘に驚嘆した。新しい力が大きく育ちつつあることに、無量の喜びを感じていた。

学生部総会の席上、伸一は「本門の時代」の未来構想に言及し「公明党を軌道に乗せること。仮称『創価大学』を設立し、その大学で、世界の平和に寄与する大人材を、大指導者をつくり上げていく」と発表。

「本門の時代」とは、社会への具体的な貢献の時代であるといえる。伸一は、その教育の場での一つのかたちを、まず、「創価大学」の設立構想として、学生部員に示したのである。

山本伸一は、この7、8、9月は、各方面の指導に東奔西走し、10月2日には、東南アジア、中東、ヨーロッパ訪問の旅に出発した。今回から、本部の首脳たちの要請で伸一の妻の峯子が、海外訪問に同行することになった。

毎回、海外を訪問するたびに、伸一の疲労は計り知れないものがあった。また、慣れない現地の食事などのために、体調を崩すことも少なくなかった。さらに、海外では、伸一は各国の要人と交流する機会が増えつつあり、夫婦同伴の方がふさわしいことが多かった。

そこで、本部では、伸一の健康や食生活にも精通している妻の峯子に、ぜひ同行してもらおうということになったのである。

香港では、東南アジア総支部の婦人部長高井敏江が出迎えてくれた。夫の平治は東南アジア本部の本部長と総支部長をしていた。平治は広島生まれ、戦前、朝鮮の高等農林学校に進学し、仕事に就いた。敏江は、朝鮮の生まれで、結婚した二人は、中国の北京で新婚生活をスタートした。

平治は、戦地に派遣され、九死に一生を得て、日本に引き揚げ、一家は 鹿児島で暮らし始めるが、盗難や詐欺にあい、莫大な借金が残り、一家心中も考えるほどだった。平治は宗教に救いを求め、日蓮宗に入るが、「身延はおかしい。鬼子母神なんかを拝ませている。宗祖の言われていることと違う」とやめてしまった。

そのころ、学会員から真実の日蓮仏法の話を聞き、妻とともに入会した。平治は熱血漢であり、妻は勝気な性格で、二人が信心に励み始めると、勢いは、とどまることを知らず、月に20世帯以上の布教を実らせたこともあった。

入会1年ほどしたころ、平治は突然、舌がもつれ、右目も開いたままになり、右半身がしびれていた。妻は病院へ行こうと言ったが、平治は「いよいよ、業が出た。俺は・・・信心で治してみせる。」彼には、“自分は戦争で、一度は死んだはずの人間である”という強い思いがあった。それが、彼に、病院には行かんという、あらぬ決断をさせたのであろう。

非常識ではあったが、彼には、既に、信心への並々ならぬ確信があった。平治は頑固であった。彼は「転重軽受」という、仏法の功力を信じていた。そして、この機会に、自分の姿を通して、仏法の力を、多くの人たちに教えたいと考えた。

半身不随の体で、仏法を語って歩いた。右目は閉じることもままならず、ろれつは回らず、口の端からは、涎が滴り落ちが。笑えば、顔が引きつった。空気の洩れる唇から発せられる言葉は、不明瞭このうえなかった。

しかし、彼の心は、毅然としていた。“必ず、信心でよくなるから、この姿をよく見ていてくれ”と懸命に訴えて歩いた。しかし、周囲の反応は、冷淡であった。嘲笑の的となった。

だが、彼は、足を引き摺りながら、必死になって信心指導に、折伏に歩いた。唱題にも力がこもった。
発病から、10日ほどして、帰宅した彼は、普通に話せるようになっていた。手足の痺れもなかった。
体験に勝る証明はない。この実証の波動は大きかった。鹿児島一体の妙法流布は大いなる進展をみせた。

太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

鳳雛の飛翔

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P189~

「あなたは一人じゃないんだ。同志がいるじゃないか。感傷を吹き飛ばして、朗らかに生きるんだよ」
この日集ったメンバーのなかには、工藤だけでなく、両親のうち、どちらかがいない家庭の人が何人もいた。また、経済的に豊かな家庭など、皆無であったといってよい。

そして、皆、多かれ少なかれ、工藤と同じ気持ちをいだいていた。伸一は、それを感じていたからこそ、皆のためにも、あえて、工藤に厳しく指導したのである。皆、眼前にあるのは、厳しい現実生活であった。高校卒業後は就職し、一時も早く、家計を助けたかった。

それだけに、皆、工藤への、山本会長の指導を聞くと、目が覚める思いがし、“現実”に立ち向かう決意を固めたのであった。

伸一は思った。“今は皆、純粋な気持ちで、私とともに広布に生き抜く決意を固めている。しかし、信仰の道は厳しい。難もある。さまざまな誘惑もある。どれだけのメンバーが、一生涯、同志を裏切ることなく、信心を貫けるだろうか・・・”

“だた、まことの弟子が、一人でもいればよい。その一人が、広布の永遠の流れを開くはずだ。願わくは、全員、一人も洩れなく、この世の自らの使命を果たし抜いてもらいたい”最後に彼は、年を押すように言った。

「どこまでも、私と一緒に進もう。絶対に、信心から、学会から、離れてはいけないよ」黄金の思い出を刻んで、初の野外研修は終わった。

伸一は、鳳雛会、鳳雛グループのメンバーとは、その後も、折々に会い続けていった。さらに、一流ホテルなどの食事に、皆を招待したこともあった。やがて、世界の大リーダーに育っていくメンバーに、食事のマナーなどを教えておきたかったからでもあった。

鳳雛会、鳳雛グループの結成から30余年が過ぎた現在(2001年)、メンバーの活躍は目覚ましいものがある。何人もの副会長が誕生している詩、婦人部長をはじめ、婦人部の最高幹部も多数育っている。

海外にあっても、ヨーロッパの中核となっているメンバーをはじめ、世界各地で、広布の推進力に成長している。また、大学教授、医師、弁護士、政治家、等々多くのメンバーが、社会の各界で第一人者となっている。

山本伸一が、自らの手で蒔き、育てた人材の種子は見事に成長し、広布後継の大輪となって花開き、実をつけていったのである。

また、伸一は、定時制高校に通う高等部員の育成にも、心を砕いてきた。この、人一倍、苦労している友を、なんとしても大成させたいというのが、伸一の願いであった。

定時制鳳雛会のメンバーをすき焼き店に招待した。伸一を囲んでの指導会となった。「最も苦労している諸君であるがゆえに、私は、一番大きな期待をかけております。定時制鳳雛会は、本命中の本命です。これだけのメンバーがいれば、広宣流布は必ずできます。」

「はい!」元気な声が響いた。すると伸一は、意外なほど厳しい口調で言った。「返事は簡単です。決意することも簡単だ。口先だけの人を、私は、たくさん見てきた。信心は実証です。持続です。まことの時に何をなしたか。また、生涯を通して、何をなしたかです。諸君は、本物の勇者だったと、賛嘆される人になってもらいたい。」厳父の指導であった。

こうした伸一の陣頭指揮ともいうべき、育成によって、高等部は、めざましい発展を遂げていった。結成2年後の1966年(昭和41年)6月には、部員10万を達成し、さらに、68年には、部員18万へと飛躍的に拡大していったのである。

使命の苗を植え、育む、伸一の人間教育は、青少年の心に、精神の不屈なる力を培っていった。それは、戦後日本の荒廃した教育に、新しき光を投げかけるものであった。だが、それに気づく教育者も学者も皆無であったといってよい。

<鳳雛の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

鳳雛会結成

『新・人間革命』第9巻 鳳雛の章 P177~

佐渡御書の「獅子身中の虫の獅子を食」の講義では、「広宣流布を破壊していくのは、外敵ではなく、“獅子身中の虫”です。たとえば、最高幹部であった者が、野心から、あるいは嫉妬から、学会を裏切り、造反し、躍起になって攻撃しようとする。それと戦い、学会を守っていくのが諸君です。」

「“獅子身中の虫”というのは、造反者だけではありません。仮に、立場は幹部であっても、堕落し、怠惰、無気力になったり、虚栄を張って見栄っ張りになり、すなわち自己中心主義に陥り、一念が広宣流布から離れていくならば、“獅子身中の虫”です。そうした幹部がいれば、みんながやる気を失い、学会は蝕まれていく。怖いのは内部です。恐ろしいのも内部です。」

「絶対に、“獅子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、”獅子身中の虫”をわかしてもならない。」伸一の渾身の講義は、若き清らかな、高等部員の生命に注がれていった。

第二期がスタートするにあたり、受講生の男子は『鳳雛会』女子は『鳳雛グループ』を結成する。伸一は、メンバーへの講義を、青春時代の思い出に終わらせるのではなく、広宣流布のために、生涯にわたる永続的な軌道をつくっておきたかったのである。

剣豪の修行のごとき研鑽が、既に伝統となりつつあったのである。何事も、肝心なのは最初といえる。

7月16日、日蓮大聖人が『立正安国論』をもって国主諫暁をされた、意義深い日に 初の鳳雛会・鳳雛グループの野外研修が行われ、毎年集まって、成長の節を刻む記念の日となった。

伸一は、語った。「私がこれほどまでに期待しているのに、もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。」

「私はこれからも、諸君のことを見続けていきます。何人が落ち、何人が残るか、どのように変化していくかーーその結果を見たうえで、広布の総仕上げのバトンタッチの方法を考えていきたい。」

「私は、今日、諸君に薫発の因を与えた。しかし、自ら大使命に生き抜いていこうという一念、努力がなければ、結果として、使命の芽は、出てこない。広宣流布のために何をするかです。」

皆から質問を受けることにした伸一。
工藤きみ子という、小児マヒの後遺症で片足が不自由なメンバーが、思いあぐねたような様子で尋ねた。教師になりたいが、体が不自由なうえ、経済的にも 難しい。これからどうすればいいのか、どうなっていくのかわからないと涙ぐみながら話した。

工藤は、使命の大きさを思えば思うほど、自分の置かれた現実を、どう開いていけばよいのかわからず、もがき苦しんでいたのであろう。

その時、伸一の厳しい叱咤が飛んだ。「信心は感傷ではない。泣いたからといって、何も解決しないではないか!」緊張が走った。室内は静寂に包まれた。

「あなたには、御本尊があるではないか!迷ってはいけない。ハンディを嘆いて、なんになるのか。いくら嘆いてみても、事態は何も変わりません。また、すべての人が、なんらかの悩みをかかえているものだ。いっさいが恵まれた人間などいません。学会っ子ならば、どんな立場や状況にあろうが、果敢に挑戦し、人生に勝っていくことだ。どうなるかではなく、自分がどうするかです。」

「本当に教員になりたければ、必ず、なってみせると決めなさい。もし、大学に進学することが経済的に大変ならば、アルバイトをして学費をつくればよい。夜学に通ってもよい。使命に生きていこうとすることは、理想論を語ることではない。観念の遊戯ではない。足もとを見つめて、現実を打開していくのが信心です。困難を乗り越えていく姿のなかに、信心の輝きがある。」

「いかなる状況下にあっても、誰よりも力強く、誰よりも明るく、誰よりも清らかに生き抜き、自分は、最高に幸福であると言い切れる人生を送ることが、あなたの使命なんです」

工藤は、唇を噛み締め、何度も、何度も頷いた。「そうだ。負けてはいけない。何があっても、負けてはだめだよ。強くなれ!頑張れ!頑張れ!頑張るんだよ」

伸一の言葉には、厳しさのなかにも、優しさがあふれていた。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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