小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

August 2019

第18回オリンピック東京大会

『新・人間革命』第9巻 衆望の章 P316~

<衆望の章 開始>

1964年10月10日から24日まで、第18回オリンピック東京大会が開催され、日本国中が、わき返っていた。

東京オリンピックは、過去に戦争の激化により、開催が決定していながら中止となった過去があった。"平和の祭典"オリンピックは、戦争によって、いともたやすく、つぶされてしまったのだ。

その中止から四半世紀余り過ぎ、日本は 敗戦という辛酸をなめ、そこから、めざましい復興を果たしたのである。

日本選手の活躍も目覚ましかった。金メダル16、銀メダル5、銅メダル8を獲得。金メダルの数ではアメリカ、ソ連に次いで、3位となったのである。

山本伸一は、学会本部で、女子部の幹部たちと一緒に、テレビで、大松博文監督率いる女子バレーボールの決勝戦の模様を、観戦した。試合が終わると、伸一は女子部の幹部に語った。「勝つことはうれしいし、気持ちがいい。しかし、実力の差は紙一重でしょう。それなのに、日本チームが圧勝したのはなぜかーーここが大事なポイントだ。」

「日本チームは、『絶対勝つ』という確信に燃えていたことだ。勝利への強き一念で、皆が団結していった。あなたたちは、新しい時代を開くために、広布と人生の戦いに、勝ち続ける責任がある。その意味で、今の試合から学ぶべきことは多いよ。」

文豪・吉川栄治に、「我以外皆師」との有名な言葉があるが、伸一もまた、すべてのものから学びゆかんとする、強き向上心に満ちあふれていたのである。


閉会式では、国や民族の区別もなく、互いに入り交り、ともに腕や肩を組み、選手たちは進んでいった。意表をつく、楽しく、愉快な行進であった。そして、何よりも、ともに同じ人間であるという自覚に結ばれた「平和」を愛する「自由の行進」であった。そこには、権威も権力もなかった。

主催者側は、きちんと並んで入場することを、計画していた。ところが、選手たちには、"楽しく、自由にやりたい"という、強い思いがあったようだ。役員の生死を振り切り、グランドになだれ込んでいったのである。

閉会式の行進を通し、人びとは、国家や民族、人種、イデオロギーの違いを超えて「世界は一つ」という理想を、一瞬であれ、分かち合ったことは間違いない。

東京オリンピックは、成功裏に終わった。それは、日本が敗戦の荒廃から、完全に復興したことを世界に示す大会となった。まさに、戦後20年の節目を前にして、戦後史の一つの転換点を成す、象徴的な出来事といえた。

このオリンピックの開催は、東京という一都市の事業ではなく、日本の国家的な事業として位置づけられてきた。東京は、世界に恥ずかしくない首都の顔をもたねばならないと、首都圏整備計画の一環として、オリンピックの関連事業が推進されてきたのである。

競技施設の建設や運営にあてられた費用より、国鉄の東海道新幹線建設、地下鉄整備、道路整備などの間接費用に8割近くが使われた。

オリンピックに間に合わせるために、突貫工事が続けられ、首都高速や、環状線や一般道路も整備された。開幕直前には、東海道新幹線が、着工からわずか5年半にして、開通している。新幹線の開通は、"スピード時代"の象徴であった。

ホテルなどのビル建設も急ピッチで進められた結果、東京の街並みは一変した。東京を訪れた諸外国の人びとは、"敗戦国・日本"の復興に目を見張った。そして、これによって、日本人は、日本は"一流国"入りしたという、自身を得たといってよい。

「経済白書」が「もはや戦後ではない」としたのは、1956年のことであった。それから、わずか8年にして、GNP(国民総生産)は、3倍の成長である。

では、「日本の奇跡」とさえいわれた、この復興を可能にした原動力は、何であったのか。
それは、民衆である。民衆一人ひとりに内在する、エネルギーである。



太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

ヨーロッパの 希望の光

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P288~

「20世紀は、『戦争と革命の世紀』といわれているが、同時に、人間革命の開幕の世紀となるだろう。いや、むしろ、人間革命の開幕の世紀ゆえに、20世紀は、人類史上、最も輝かしい、生命の光彩の世紀への序曲として記録されることになると、私は確信している。」

話は、雄大な広がりを見せ、希望の光が差していくかのようであった。
伸一は、ドイツの青年たちをパリに招いていた。ドイツの青年たちのことを考え、カレーライスをつくってくれるように、頼んだ。

青年たちと懇談しながら、夫が未入会であり、そのなかで、西ドイツから来てからも懸命に学会活動に励んできたミツコ・ナカハタに家庭のことを心配し、家族への配慮をするように指導する。

婦人が学会活動に励むには、当然、家族の理解と協力が必要になる。理解を得るには、家庭を大切にすることである。家族の間にあって、信頼と尊敬を勝ち得ることだ。しかし、ともすれば、自分が信心に励み、学会活動をしているのは、一家の幸福のためなのだから、家のことは手を抜いても仕方がないと、考えてしまいがちである。それは、甘えであり、信心の利用といってよい。

パリの指導会に臨んだ伸一。フランスのメンバーのジャンヌの体験が感動を呼んだ。さらに、娘に仏法を勧めたジャンヌの母は、言った。「私はレジスタンス運動に加わりながら、"フランスが解放されれば、平和が訪れる。平和が訪れれば、私たちは幸せになれる"と信じてきました。」

「しかし、私は、娘の病に苦しんできましたし、娘を幸福にしてあげることもできませんでした。ところが、仏法に巡りあうことによって、長年、苦しみ続けてきた病に、娘が打ち勝ったのです。私の仕事である画廊の経営も、軌道に乗り始めました。」

「一人ひとりが、幸福になってこそ、本当の平和です。私はこの仏法を人びとに教え、悲願としてきた真実の平和のために、生きようと決意しています」

伸一は、ヨーロッパの組織の基盤が、着々と築かれつつあり、新しい人材が、陸続と育ってきたことが嬉しかった。

10月16日、伸一の一行は、パリを後にし、ノルウェーのオスロに向かって旅立った。その途中、ソ連のフルシチョフ首相が辞任したというニュースが流れた。その日には中国が、初の核実験を行ったと発表。イギリスでは、労働党が保守党を破り、政権に返り咲いたとのニュースも流れ、伸一は、世界の激動を肌で感じた。

オスロ空港では、橋本浩治が出迎えた。学会員と言っても、自分たち夫婦と、もう一人のメンバーしかいないところに、山本会長がわざわざ来てくれることに、申し訳なさを覚え、胸がいっぱいだった。

約束を果たしに来てくれた伸一に、感謝する橋本。伸一は、「感謝がある人は幸せであるというのが、多くの人びとを見てきた、私の結論でもあるんです。裏切っていく人間には、この感謝の心がないというのも真実だ。感謝がない人間は、人が自分のために、何かしてくれてあたりまえだと思っている。」

「すべては自分にある。自分が何をなすかだという、人間としての"自立の哲学"がないからなんだ。その哲学こそが、仏法なんだよ。
」と感謝しなければならないのは、私の方だと話した。

ノルウェーからの帰途、飛行機の窓からオーロラが見えた。伸一は、思った。「宇宙は、こんなにも輝きに満ちている。小宇宙である人間もまた、本来、まばゆい光に満ちているはずである。その人間の光彩をめざして、人間のなかへ、生命のなかへ、私は励ましの旅を、断固として続けよう。人類の闇を開くために、輝ける人間の勝利の時代を開くためにーー。

<光彩の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

人間性社会主義の提唱

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P280~

善も、悪も備え、無限の可能性を秘め、瞬間瞬間、躍動してやまぬ生命的存在が人間である。ところが、マルクスは、この限りなく深い、人間の内面を徹底して見すえず、その全体像を把握することはなかった。

人間とは何かを、正しく認識せずしては、人間の幸福を実現することは不可能である。

ロシア革命は、レーニンなどに代表されるように、知識人によって、意図的に計画され、遂行された、世界最初の革命であった。
レーニンの「大衆ー前衛」論は、彼が大衆を思い、愛するがゆえの、指導的役割の担い手として前衛党を誕生させた。

しかし、この考え方のなかに、既に「指導する前衛党」と「遅れた民衆」とが分断されていく萌芽が潜んでいたといってよい。前衛党のリーダーたちには、民衆以上に民衆の欲求を知っているという自負があった。その独善が、民衆蔑視の特権意識となり、遂には「赤い貴族」といわれる、官僚たちを生み出すに至ることになる。

人間は放っておけば、悪い方向に向かうという、いわば“性悪説”ともいうべき発想ゆえに、徹底した管理下、監視下に民衆を置く、巨大な官僚支配のシステムがつくられ、さらに“密告”など、民衆間の相互監視、相互不信のシステムがつくり上げられていったのである。

こんな話がある。少年が、自分の両親を密告し、両親は殺害された。ところが、この“親を売った”少年は、英雄、愛国者として称賛され、銅像まで立てられたのである。「イデオロギー」と「人間性」の倒錯である。

では、社会主義そのものが、根本的に否定されるべきものかというと、決してそうではあるまい。ある時代、ある段階では、社会全体の発展のために、計画経済を必要とし、それが大きな効果をあげることもある。また、自由主義、市場経済をとっている国であっても、社会主義の道徳的な特質である、「平等」や「公正」の理念を忘れれば、弱肉強食に堕してしまうであろう。

問われるべきは、それが、歴史を動かすすべてであるとの錯覚ーーつまり、「人間」という視点の欠落である。要するに、国家体制の選択よりも、「人間不在の政治」から「人間尊重の政治」への転換こそが、不可欠といってよいだろう。

伸一は、その新しい社会主義の指導として、「人間性社会主義」を提唱していたが、その確信をますます強くしたのである。伸一は、社会主義国の指導者たちと、会って語り合いたいと思っていた。いや、そうしていかねばならないと思った。


10月12日スイスのチューリヒに到着した山本伸一一行。自由主義の国に来るとホッとするというメンバーに伸一は答えた。

『大衆即大知識』という吉川栄治の言葉があるが、民衆に学ぼうという真摯な姿勢をもった政治家が、何人いるだろうか。また、民衆自身、主権者の自覚をもって社会をどうするか、政治をどうするかと、真剣に考えているとは言いがたい」

「私たちが今なそうとしていることは、人間革命を基軸とした相対革命だ。わが内なる悪と戦い、すべての根源である人間の内面を、生命を変革していく人間革命だ。」

「その方法は、急進的な暴力革命ではない。偉大なことは、一朝一夕にできるものではないからね。では、その武器は何か。一人ひとりとの対話だ。言論の力による革命だよ。そして、より根本的には、人格による触発作業といえる。したがって、自己の人格を磨くということが、私たちの運動の不可欠な要件となっていく。」

「根本的な人間不信が、次々と人間を分断していくことになる。私は、この分断こそが、最大の悪の要因であると断定したい。」

「今、私たちは、人類の歴史上、類を見なかった、全く新しい、未聞の革命を起こそうとしている。しかも一人の犠牲者もなく。これは、壮大な実験だ。しかも、失敗が許されない実験といってよい。」


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

マルクス主義と 現実の相違

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P260~

長谷部は、日々、懸命に唱題に励んだ。“当たって砕けろ!”と 版画を持って有名な画廊を尋ねてみた。
予期せず、「面白いじゃないか」と画廊が、作品を買い取ってくれた。長谷部にとって、これが大きな自信となり、信心への確信につながっていったのである。

長谷部に信心を勧めた春野は、間もなく40歳になろうとしていた時、フランスに渡った。人生の背水の陣であった。山本伸一は二人の話を聞くと、力強い口調で言った。「仏法のうえから見るならば、深い使命があって、パリに来たのだから、精進を重ねていくならば、大成することは間違いありません。」

「これからは、真実の仏法を根底にした、新しい文化、芸術が花開いていかなければならない。その先駆者が、また、それを証明していくのが、あなたたちです。」と期待した。

メンバーのなかには、フランス人の青年もいた。伸一は、二人のフランス人に、大きな期待を託した。

10月10日、山本伸一は、東欧のチェコスロバキアのプラハに向かった。実際に、共産圏の国に足を踏み入れるのは、これが初めてであった。飛行機が説明もなく出発が遅れていた。やがてチェコスロバキアの政府高官が傲然たる態度で、席に着くと、飛行機は出発した。

伸一は、彼らの態度から、社会主義国では階級的差別はないという説明と現実とは、相当な違いがあることを直感した。チェコスロバキアでは、戦後に共産党の一党独裁の体制がつくられてから、16年が過ぎていた。

空港からホテルに向かう車中、ドライバーに話しかけると、家族のことは屈託なく話してくれたが、国のことを尋ねると口を閉ざし、警戒しているようだった。何か、目に見えぬ力に抑えられ、怯えているかのようでもあった。

翌朝、ハンガリーのブタペストに到着した。市内を視察すると、ハンガリー事件の時に、民衆が銅像を倒して、市中を引き回したという、スターリンの銅像の台座だけがポツンと置かれていた。壁にも弾痕が残る建物があった。

「ハンガリー事件」は、1956年2月、ソ連共産党のフルシチョフ第一書記らが、3年前に死去した「スターリン批判」をし、共産圏の東欧諸国にも動揺をもたらし、自由を求める機運が高まっていった。10月23日、ハンガリーの人びとが動いた。

政権を独占してきたハンガリー労働党は、市民の要求を聞き入れたが、その一方で、戒厳令を敷き、駐留ソ連軍の出動を要請し、ソ連軍の戦車や兵士がブタペスト市内に侵入した。これにより、市民の怒りは頂点に達し、ブタペストの内乱は、ハンガリー全土に広がった。

この事件により、数千人が死亡し、約20万人が亡命したといわれる。

伸一は、社会主義について、考えざるをえなかった。プラハでも、物乞いをする子どもたちも見ることはなかった。しかし、人びとの表情は暗く、寡黙であり、何かに怯えるかのような印象があったことは否めない。

それにしても、社会主義国にあって、なぜ、スターリンのような、血の粛清を重ね、無数の人びとの生命を奪った独裁者が作られたのか。また、なにゆえ、強権主義、官僚支配が生まれ、かくも民衆の自由が奪われてしまうのだろか。

共産主義を生み出すに至ったマルクスの理論構築の動機には、ヒューマニズムがあったことは事実だ。彼は、人間を「階級」という枠でとらえ、社会の矛盾や悪の根源を、「階級」の対立に見いだした。そして、この対立をなくすことによって、矛盾や悪の根を断つことができると考えた。

しかし、その人間の洞察は、あまりにも表層的であった。人間の欲望やエゴイズムは、理性や自覚化された意識の力で、すべてコントロールできるほど、単純なものではない。

善も、悪も備え、無限の可能性を秘め、瞬間瞬間、躍動してやまぬ生命的存在が人間である。ところが、マルクスは、この限りなく深い、人間の内面を徹底して見すえず、その全体像を把握することはなかった。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋

悩みに負けないことがリーダーの条件

『新・人間革命』第9巻 光彩の章 P241~

バンコクを発ち、イランのテヘランへ向かった。テヘランで唯一のメンバーである、太田美樹が指導を求めてやってきた。美術商をやろうと思うが、カナダ人の方から求婚されていて、どちらにすべきか悩んでいるという。

伸一は、「信心さえ、しっかりし抜いていくならば、商売をしても、結婚をしても、すべてうまくいきます。信心は、その人の人生の原動力であるからです。」

信心は、全うしていかなければ意味はない。そうでなければ、宿命の転換もできないし、幸福の土台ができないからです。しかし、人間は、ともすれば自分に負けてしまう。一時期は頑張っても、周りの人に信心を反対されると、すぐに臆病になってしまう。あるいは、病気になったり、少し生活が行き詰まったりすると、意気地なしになり、不信の心をもってしまう。」

「また、ちょっとした、学会員との人間関係のもつれや怨嫉から、信心をやめたり、仏の和合僧というべき、学会の組織から離れていってしまう。そうならぬためには、自分の感情を中心にするのではなく、あくまでも、仏法の教えを、御書を根本に生きていくことです。」
太田は、新たな決意を固めていた。

伸一一行は、翌日には、トルコのイスタンブールからイタリアのローマへ向かった。ローマ地区の地区部長・地区担当員らと懇談会をもち個人指導に全力を注いだ。同行の幹部が「みんな個人的には、いろいろな悩みを抱えて、しかも、皆、その悩みを克服できずにいる。学会のリーダーとして疑問に思う」と漏らした。

伸一は、鋭い声で言った。「それでは、君は、地位もお金もあり、なんの悩みもない人を探して、リーダーにするつもりなのか」「そんな人はまずいないよ。皆、なんらかの課題や悩みを抱えている。それに、苦悩のない人からは、偉大な人間性の輝きは生まれない。悩みを抱えているということ自体は、恥でも何でもない。今の学会の首脳幹部も、悩みをバネにしながら、学会活動に挑戦してきたではないか。」

「言い換えれば、悩みがあるからこそ、真剣に、広布の活動に励めたといえる。学会のリーダーとして、最も重要なことは、悩みに負けないということだ。これが一番の条件だ。

ローマの街を視察し、若い新婚カップルと語り合う伸一。「これからの世界の平和を考えるうえで、大切なことは、人間と人間とが結び合うことだ。国家とか、民族といったもので、人間を束ねてしまうと、人間の実像から、離れていってしまう。」


翌日は、パリへと向かった。ヨーロッパ本部長の川崎に、今度は千人の結集をめざしてはどうかと提案する。「大事なのは、常に目標をもつということです。目標がなければ、空虚になり、活動も空転してしまう。」

「中心者に、“挑戦の心”と“強い生命力”がないと、たやすく達成できる目標を掲げたり、いい加減に目標を決めて、それを、みんなに押しつけたりするようになる。それでは、みんなが本気になって力を出すことはできない。だから中心者には、”挑戦の心”が“強い生命力”がなくてはならない。」

「さらに、自分一人になっても、この目標は達成してみせるという、偉大なる責任感がなければならない。リーダーの、その心意気に、気迫に打たれて、みんなも頑張ろうという気になるんです。」

そこに30代半ばの長身の画家である長谷部彰太郎というメンバーがやって来た。彼は、1年ほど前の入会である。3年前、絵の勉強のためにフランスに来たが、思想的なバックボーンとしたかった社会主義への期待が色褪せ、画家としての生活も苦しく、現実はあまりにも厳しかった。

そんな時、日本で知り合った画家である春野がパリに来た。彼は学会員であり、「優れた芸術の創造のためには、それを生み出す人間を、磨き、深める思想、哲学が不可欠であり、その哲学こそ、日蓮大聖人の仏法だ」と聞かされ、春野の描く絵が、売れ始めていることに、信仰の実証を見る思いがし、入会を決意したのだ。


太字は 『新・人間革命』第9巻より 抜粋
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新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


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