小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

July 2019

三井三池鉱業所の炭坑爆発事故

『新・人間革命』第8巻 激流の章 P300~

日本でも、ケネディ暗殺のニュースは、11月23日朝から一斉に報道された。
皮肉なことに、この23日は、ケネディ大統領によって推進されてきた、米通信衛星による、日米間テレビ中継の実験が行われる日であった。

画像は至って鮮明であった。日本国内の映像とほとんど変わらなかった。 宇宙中継は、見事に成功したのである。だが、送られてきた、その映像は、あまりにも大きな人びとの悲しみを伝えていた。

山本伸一は、この宇宙中継を見ながら、ケネディという人物に、深い思いをめぐらした。

彼には、ケネディの死が盟友の死のように感じられてならなかった。語るべき相手を、ともに世界を担うべき人を亡くした無念さが、今、ひたひたと伸一を包んでいた。

伸一は、心の盟友として、自分は何をもって、ケネディの死に応えるべきかを考えた。答えは明白であった。ケネディの理想を受け継ぎこの地上から、人間への差別をなくすことだ。この世界に、永遠の平和を築き上げることだ。

彼は、ケネディが生命を燃やして、高らかに掲げた理想の松明を、決して消すまいと心に誓っていた。

この日、鹿児島会館の落成式に出席した伸一。伸一は思った。"日本は既に盤石といえる。しかし、世界の広宣流布は、まだ緒についたばかりである。世界の民衆が、幸福と平和を手にするまで、私はこの身をなげうち、生涯、広布の旅を続けるのだ。それが、牧口先生の孫弟子である、私の使命だ!"

翌日、伸一は 福岡を訪れ、福岡県大牟田市の三井三池鉱業所の炭坑爆発事故で犠牲となった学会の家族らに、何らかの励ましの手を差し伸べたかったからである。

働き手の夫を亡くした妻や家族は、途方に暮れているにちがいない。また、信心をしていたのに、なぜ事故にあうのかといった、批判にさらされているかもしれない。そう思うと、彼の心は痛んだ。

事故で夫を亡くした結婚間もない婦人がいたが、彼女は毅然として、弔問客を励ますかのような応対が、周囲の感動を呼んでいたとの報告を受ける。彼女は、御書を拝し、教学を研鑽していたという。

「それが教学の力であり、信心の力です。御書には、生死の根本的な解決の方途が示されている。御書を拝し、仏法の眼を開いていくならば、死も決して恐れるに足らないものであることがわかる。また、唱題に励むことによって、それを実感し、確信することができる。

もちろん、最愛の夫の死は、悲しいのは当然です。しかし、そのことと、悲しみに負けてしまうこととは違う。人間は死を避けることはできない。死という問題に直面した時には、人は無力にならざるをえない。だが、仏法にだけは、そして、信心にだけは、その死の問題の確かな解決の道がある。

それを教え、一人ひとりの同志に、勇気を与え、確信を与えていくのが幹部です。だから幹部は、苦しんでいる人の立場になって、激励に次ぐ激励を重ねていってもらいたい。」

1963年の最後の主要行事は 男女青年部の総会であり、「本門の時代」の幕開けの意義を込めた総会であった。「本門」とは、理論や概念ではなく、現実に広宣流布の証を打ち立てる時代であるというのが、青年たちの共通の理解であり、決意であった。

大理想の実現は、空想の彼方にはない。毎回、毎回の勝利の着実な積み重ねのなかにこそ、それがあることを知らねばならない。


この男女青年部の総会をもって、学会は「本門の時代」の助走を、勢いよく開始したのである。そして、年末、12月度の折伏の成果が集計されると学会の総世帯数は、400万世帯になんなんとしていた。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

ケネディ大統領暗殺

『新・人間革命』第8巻 激流の章 P288~

<激流の章 始まる>

日本も世界も、激動していた。
1963年11月23日、鹿児島にいた山本伸一は、一本の電話で目を覚ました。

アメリカのケネディ大統領がテキサス州のダラスで市内をパレード中に、暗殺されたという。
伸一は、一瞬絶句したが、すぐに言葉をついだ。「まず、アメリカに弔電を打つことにしよう。ホワイトハウスに一通。また、うちのメンバーにも一通送ろう。みんなも悲しんでいるだろうからね。」

事件の起こったダラスで会合が予定されていることを聞き、全力で激励するように伝え、「その総会は追悼の意義を込めた集いとしよう」と電光石火の素早い対応が大事だと話した。

伸一は、ケネディの冥福を祈って、心のなかで題目を唱えた。彼は思った。“これで、ケネディ大統領に会う機会は、永遠になくなってしまった・・・”伸一は、この年の2月、ワシントンで、ケネディと会見する予定になっていた。

しかし、日本の政権党のある政治家の“横槍”が入り、急遽会見をとりやめたのである。もしも、ケネディと会っていれば世界の平和や人類の未来のことなどについて、どんなに有意義な語らいができたかと思うと、残念でしかたがなかった。彼は、人の運命の無常を感じた。

ケネディの暗殺を知ったアメリカ社会の動揺は激しかった。多くの市民は息を飲み、声を失った。太陽が沈んだような暗い日となった。

世界が、ケネディ追悼の“半旗”を掲げた。

ケネディは43歳の若さで、アメリカの第35代大統領に就任した。以来、大統領の職務にあること千日余り。しかし、この若き大統領は激動の世界のまっただなかで、よりよい世界の建設に向けて、懸命のかじ取りをしたことは間違いない。

当時、世界は東西冷戦の“雪どけ”ムードが、一転して、“厳冬”に逆戻りしていた時期であった。
”キューバ危機”を乗り越えた直後から、ケネディは、核実験を禁止する条約の締結に向けて、積極的に動き始めた。核戦争の愚かさを、彼は肌で感じ取ったのであろう。

ケネディは、戦争の“危機”を平和への“好機”としていったのである。

ケネディは、平和は不可能だとか、人類は破滅の運命だといった諦観に対し、「人間」は自らの運命を切り開く英知をもっていると叫んだのである。

ケネディは「対話」を最大の武器とした指導者であった。就任演説の有名な一節で彼は言った。「われわれは決して恐怖心から交渉してはならない。しかし、交渉することを決して恐れてはならない」

一方、アメリカ国内にあっては、彼の在任中、根深い差別と対立を打破する、新たな社会変革の渦が巻き起こっていた。黒人を中心にした、公民権運動の高まりである。

ケネディは演説を行い、黒人に米国民として平等の権利を認める公民権法の必要性を訴えた。包括的な公民権法案を議会に提出した。この1963年は、リンカーンの歴史的な「奴隷解放宣言」から、ちょうど百周年にあたっていた。

しかし、ケネディは自ら提出した公民権法案の成立を見ることなく、その生涯を終えたのである。

正義を叫ぶことは、死と隣り合わせに生きることを意味していよう。だが、その覚悟失くして、真の社会の改革は決してできない。

テキサス地区総会に参加したメンバーは、山本会長からの弔電を聞き、アメリカのことをこれほどまでに心配してくれていることが、ありがたく、また、うれしかった。

メンバーは、ケネディの暗殺に、「自由の国」「民主の国」であるアメリカを覆う、限りなく深い闇を感じ取っていた。“では、誰がこの国を救うのだ!”参加者は、その闇を晴らしアメリカに真実の民主と平和を築き上げていく決意を新たにしたのである。



太字は 『新・人間革命』第8巻より

魔の本性

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P272~

広宣流布が魔軍と仏の軍との戦いである限り、魔は、幹部の不祥事、退転、反逆というかたちとなって、永遠に現れ続けるにちがいない。

だが、何も恐れるには足りない。魔は魔であると見破った時に、打ち破ることができるからである。要は、現象に惑わされるのではなく、“信心の眼”を開き、御書に立ち返ることだ。一見、複雑そうに見える問題も、“信心の眼”で見るならば、すべては明瞭である。

伸一は、友の心に生じた迷いの雲を払い、信仰の太陽が放つ希望の光を、一人ひとりの胸中に送りたかった。

「大勢の幹部がおりますゆえに、これからも、学会を利用し、私利私欲を貪り、名聞名利のために、退転していく人も出るでしょう。しかし、皆様方は、絶対にそうなってはならない。あとになって、地獄の苦しみを受けるようでは、信心をしてきた意味がありません。信心第一に、何があっても、御書の仰せの通りに、純粋に、一途に、自身の一生成仏のために、清らかな信心を貫いていっていただきたいのであります。」

沼山夫婦の問題から 山本伸一は、妻の夫への影響の大きさを痛感していた。

「皆さんは、何かあれば愚痴をこぼしたり、人を嫉妬したりする、暗い沼地のような生き方であってはならないと思います。明るく、はつらつと、日々、生活の軌道を力強く歩みゆく、“太陽の人”であってください。また、ご一家を守りながら、宿命に泣く人びとを励まし、地域に希望の光を送る、“太陽の人”であってください。」

伸一は、未来のために、警鐘を鳴らしておきたかったのである。

伸一の第三代会長就任以来、広宣流布の水かさは増し、幹部の数も増大した。それにともない、名聞名利の心をいだき、学会を利用しようとする人間が会員となり、幹部となることもあるにちがいない。

しかし、学会は、いかに大河の時代を迎えようとも、一点の濁りもない、清流のごとく、清らかな信心の団体であらねばならない。

伸一の眼は、これから戦いゆかねばならぬ、未来にわたる、新たな課題をとらえていた。

沼山の妻の三重子は、後年、低俗な週刊誌などに登場し、山本伸一の事実無根のスキャンダルを流すようになった。そこでは自分が学会の被害者であるかのように装い、聞くに堪えない中傷と誹謗を重ねたのである。また、彼女は、信仰の根本である御本尊さえも不敬するに至っていた。

ところで、不祥事を起こし、学会に迷惑をかけて、退転していった人間は、必ずといってよいほど、学会を逆恨みし、攻撃の牙をむくものである。学会を利用し、果たそうとした野望が実現できなかったことから、学会を憎悪し、嫉妬をいだくためといえる。

また、不祥事を起こした、脱落者、敗北者の“負い目”“劣等感”を、拭い去ろうとする心理の現れともいえる。そのためには、自己を正当化する以外にないからだ。

そこで、学会や山本伸一を「巨悪」に仕立てあげ、自分を、その被害者、犠牲者として、「悪」と戦う「正義」を演じようとするのである。この本末転倒の心の在り方を、「悪鬼入其身」というのである。

しかし、そうした輩の中傷は、なぜか、自分の犯した悪事と同じことを、学会が犯していると吹聴するケースが多い。たとえば、金銭問題や異性問題を起こして退転していった者の手にかかると、学会はそうした問題の温床であり、伸一は、その元凶ということになる。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」といわれるが、人間の思考も、自分の境涯の投影であるからであろう。

そして、退転者の流すスキャンダルを鵜呑みにする人もいれば、本質を見抜き、一笑に付す人もいる。その反応にも、その人の境涯、人格、人間観が端的に現れる。人間は、常に自分を基準にしてしか、他者や物事を推し量ることができないからである。

ともあれ、ものに憑かれたように、憎悪をむき出して、伸一と学会への中傷を重ねた沼山三重子であったが、その末路は、無残この上なかった。

人は騙せても、自分は騙せない。また、自分は騙せても、仏法の法理をごまかすことは絶対にできない。生命の因果の法則の審判は、どこまでも厳格であり、峻厳であることを知らねばならない。

<清流の章 終了>

太字は 『新・人間革命』第8巻より

学会除名処分

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P266~

幹部の不正行為だけに、組織への影響は大きかった。協議の末、沼山夫婦は役職を解任することにし、会長の決済を求めると、皆の意向を聞くという山本伸一。

「『学会の組織は戸田の命より大切だ』と言われた。その組織を利用し、会員を騙して、金を借りるなどもってのほかだ。その罪は大きい。厳格な対応が必要だ。」というが、次の瞬間「私は、彼らの生活を助けてやりたい」と皆が驚く言葉を発する伸一。

本当に反省しているなら、個人的に援助し、立ち直る契機をつくってやりたいという伸一だった。

結局、沼山夫婦は解任になり、現地には、副理事長が残留し、沼山の問題の処理にあたっていた。
ところがその副理事長に、沼山が逆上し乗り込んできた。

「俺はな、これまで、ずいぶん学会には、尽くしてきたんだ!それなのに、クビにしやがって!」これまでとは打って変わって、すごい剣幕である。「解任については、納得したことではないか・・」副理事長は諭そうとしたが、もはや沼山に、話は通じなかった。「この野郎!」沼山は、副理事長の胸倉をつかんで、殴打した。

副理事長は、がっくりと肩を落とした。殴打されたことへの驚きや悔しさからではない。山本会長の心もわからず、反省もない。沼山という人間に対する落胆であった。

沼山夫婦の処遇については、再度、審議され、学会除名に決定した。

山本伸一は、この沼山夫婦の問題を最も深刻にとらえていた。彼らは、地域の学会の草分けともいうべき存在であり、周囲の幹部も、それを評価し、敬意を表してきた。また、彼らなりに、真剣に活動に励んできた時期もあった。だから、幹部に登用されてきたのである。

人間には、誰にも名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと、懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした生命は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき性癖が噴き出し、心は邪心に染まっていく。

信仰とは、己心の魔と仏との戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。

では、どうすれば、こうした問題を防ぐことができるのか。


少しでも学会の指導に反する行為が見られたならば、相手が誰であろうと、すぐに指摘し、戒めていくという、勇気ある行動をとることである。それが根本的には、学会の組織を守り、相手を守ることにもなる。

ともかく、皆が聡明になることだ。悪を見逃さぬ目をもち、悪とは敢然と戦うことだーー

それを訴え続けていく以外にないと、山本伸一は思った。

一方、学会から除名された沼山夫婦は、いよいよその本性を露にしていった。自分たちは、創価学会の被害者であるかのように、盛んに学会を中傷し始めたのである。


この地方の会員たちの驚きは、あまりにも大きかった。
幹部として皆を指導していた者が不正な問題を起こし、しかも、学会を非難するという事態に直面したのは、初めてのことであった。


動揺した会員も少なくなかった。
「信心が強盛で、立派な人だから幹部になったんでしょう。それが、どうしてこんな問題を起こすのですか。誰を信じて信心をしていけばよいのですか」

そう考えるのも無理からぬことではあるが、御聖訓に照らしてみれば、不思議なことは何もなかった。

大聖人は「三沢抄」で、第六天の魔王が、法華経の行者を悩ませるために、「弟子旦那の心のなかに入って、仏子を惑わし広宣流布の前進をとどめさせよ」と命じると仰せだ。

それは人びとの意表を突き、不信をいだかせるのに、極めて効果のある魔の現れ方といえよう。

太字は 『新・人間革命』第8巻より

学会は 金銭貸借厳禁

『新・人間革命』第8巻 清流の章 P249~

それは、一人の女子部の幹部の、勇気ある行動から明確になっていった。
沼山広司というこの地方の中心的な幹部が会員の婦人部からお金を借りて返してくれないというのだ。
相談を受けた女子部の岸坂幸子は、本人に直接話を聞いた。「学会は、金銭貸借禁止ですよね」というと怒り出す沼田。妻の三重子が 涙ぐみながら「すぐに返済する」と懇願した。

しかし、お金は返済されることはなかった。岸坂は、借金問題の 根深さを感じ、幹部に指導を受ける。驚いた幹部は、学会本部に指示を仰ぎ、副理事長らが、調査を開始した。

沼山は、「登山費が届かない」「新聞代が入らない」などと巧妙に信心を利用し、多くの会員から借金を重ねていた。次々と明るみに出た沼山の借金は総額で2千万円を超えた。妻の三重子は、支部事務所に出入りしては、幹部であることを利用し、適当な理由をつけて、自分が私用で使ったタクシー代などを清算させていた不正行為も 浮かび上がっていった。

沼山夫婦は、10年ほど前に、学会に入った。最初は一生懸命学会活動に励むが、夫婦仲は悪かった。戸田に「あなたは、天下の悪妻だ。自分を見つめなさい」と厳しく指導を受け、反省しているように見え、沼山夫婦は 支部長、婦人部長になった。

しばらくすると、三重子は異性問題で、行方が分からなくなり、支部婦人部長を、解任せざるをえなかった。

それから数年後、異論はあったが、夫婦仲もよくなり、反省しているからと 支部婦人部長に復帰した。

人を信じることから始まり、善意で成り立つ、創価学会という信仰の組織の性格が、彼女の復帰を許してしまったのであった。これが不信を前提に人間を見ていく、世間の組織であるならば、彼女が登用されることはなかったにちがいない。しかし、学会は一面、無防備なまでに寛容であった。そこに、「悪」が付け入ってきたのである。

三重子は、人の心をつかむ才には長けていた。また、如才なく人の面倒をみるという面もあった。彼女の場合、そうした性格が自分の取り巻きを増やすために発揮され、次第に“親分・子分”のような、いびつな組織をつくりあげていったのである。

人事も、すべて自分の感情が優先され、“腰巾着”のようなメンバーで固められていった。
だが、組織としての活動の結果だけは出ていたこともあり、東京の首脳幹部たちには、その実態がわからなかった。しかし、山本伸一の彼女を見る目は厳しかった。

幹部との懇談の折などにも、彼女には「会員のために奉仕するのが幹部である。自分のために会員を利用するようなことは、絶対にあってはならない」と厳しく言い続けてきた。担当幹部にも「私が心配しているのは、ここ心根です。信心の一念の問題です」と言った。

伸一の目から見れば、失敗につながりかねないと感じられることも、少なくなかった。かといって、すべてを彼が行ってしまえば、いつまでたっても、皆が力をつけることはできない。そこに、伸一の悩みもあった。

沼山の借金問題についての調査が続くなか、事の重大さから、学会本部としても、総力をあげて、会員の指導激励にあたることになった。

沼山に金を貸した会員たちは、学会が会員間の金銭貸借を厳禁していることはよく知っていた。しかし、広布のためだと思い、やむなく金を貸してしまったのである。
だが、どこまでも、学会の指導を守り抜いていれば、こうした問題は生じなかったし、事実、それによって被害を免れた人も少なくなかった。

そもそも戸田城聖が、会員間の金銭貸借を厳しく禁じたのは、そのために組織が利用されることを防ぐためであった。また、金銭関係のもつれが、組織に波及し、怨嫉などを引き起こすことになるからである。どこまでも、信仰の世界の純粋さを守るための、戸田の決断であった。


太字は 『新・人間革命』第8巻より

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