『新・人間革命』第6巻 加速の章 P178~
大川エリ子もそんな一人であった。夫が、知り合いの借金の保証人となり、その知り合いが、行方不明になり、夫が 莫大な借金の肩代わりをすることになり、家も財産も、何もなくなってしまった。
夫妻は、生きる気力さえなくし、一家心中を考え、“ドカン”地域の博多港にやってきた。身投げしようとすると周囲に人がいて、待っているうちに 機会を逸してしまい、“ドカン”地域に住み着くように。
エリ子は、以前から胃痛に苦しみ医師から胃を摘出しなければならないと言われていた。そんな金などなく、最初は焼酎で痛みをごまかしていたが、夜中に激痛に襲われ、病院でモルヒネを打ってもらってから、病院をはしごして、モルヒネをうってもらい、薬が切れると激痛にうめく生活をおくる。
そんな時、学会員の女性と出会う。以前、貴金属商を営み、裕福な生活をしていた時、学会員から仏法の話を聞いたが、その時は、悩みらしい悩みが何一つなく、興味のない宗教の話をする学会員を夫婦で追い返してしまっていた。
しかし、その時に仏法を語ってくれた人の確信にあふれた言葉が、耳に焼きついていた。それで、出会った学会に思わず、話を聞かせてほしいと言い、そこで、初めて「宿命」という言葉を 聞いた。
その場で入会を決意するが、夫は 以前、追い返しておきながら、今さら信心させてくれとは言えないと反対するが、妻の嘆く姿に「お前一人なら」と 許し、エリ子は 信心を始めた。
入会し、信心に励むようになると、彼女は日を追うごとに、元気になり、焼酎も、モルヒネも必要なくなっていき、病院へ行くと医師が不思議そうに「すっかり、ようなっとるばい」と言った。エリ子は思わず、「うち、創価学会にはいって、信心頑張っとりますけん」と言った。
夫も妻の元気な姿を目の当たりにして、一緒に信心に励むようになった。夫婦して、懸命に仕事と学会活動に精を出し、なんとか借金を返済しようと決意する。
ある程度、まとまった金額になった時、せめてもの誠意をつくそうと返済先に 持っていくとその会社の社長が、「心根のよか人たい」と言って、半分以上残っていた借金を 完済にしてくれた。
信じられない気持ちで、家に帰ったエリ子は 真剣に題目を唱えていた夫に話し、信心の功徳を噛み締めながら手を取り合って泣いた。
こうした功徳の体験は、“ドカン”地域では、枚挙に暇がなかった。
信仰によって、幸・不幸の鍵は、我が胸中にあると自覚した人びとは、運命を嘆き、自暴自棄になりがちな自らの心に負けまいと、挑戦を開始した。
その力となったのが、会長山本伸一の指導であった。メンバーは聖教新聞に掲載された、伸一の会合での指導や御書講義を、貪るように読み、信心を学んでいった。
"ドカン"地域のメンバーが次々と蘇生していった陰には、同志の励ましがあった。それは、悲しい過去を背負い、疑心暗鬼になり、孤立していた人びとの心と心を結び合い、新たな人間のネットワークをつくり上げていった。
ここには、体の不自由な人もいた。日本国籍のない人もいた。犯罪歴のある人もいれば、元刑事もいた。しかし、そんなことにとらわれ、差別するようなことのない、和気あいあいとした人間の信頼の絆が、メンバーを中心につくられ、"ドカン"地域全体を包もうとしていたのである。
こうした例は、この"ドカン"地域だけではなかった。全国各地に同じような地域があったが、そこでも、多くの民衆の蘇生のドラマを見ることができる。
これらの事実は、誰が本当の民衆の味方なのかを、明確に物語っている。
自ら社会運動を手がけ、創価学会の運動を見続けてきた、小説家で評論家の故・杉浦明平は、貧困や差別から 人々を解放しようと、さまざまな社会運動にも力を注いできた。
「学会の最大の業績は、社会の底辺にいる人達というか、庶民の力を引き出し、蘇生させたということです。じつは、それは私の大きな課題でもあったんです。」
「村に入って、援助したり、さまざまな運動をこころみました。しかし、だめなんです。
まわりでいくらお膳立てし、金を与えても、結局、本人が自立できない。ところが、創価学会がそれをやってしまった。」
杉浦はある革新政党の地方議会の議員を務めた人物でもある。彼は、学会が民衆の自立を可能にしたことに対して、「大変なことを始めたもんだ、学会にしてやられたっていう感じもしましたね。」と、率直な感想を述べている。
そして、創価学会の運動について、「苦悩に打ちひしがれていた人達が、人間としての生き方を自覚して、自身をもって生きていく。人間解放ですね」と称賛を惜しまない。
創価学会の歩みは、仏法というヒューマニズムの哲理を人間の心に打ち立て、民衆を蘇らせ、殺伐とした現代社会を、根底から変えようとしていた。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
大川エリ子もそんな一人であった。夫が、知り合いの借金の保証人となり、その知り合いが、行方不明になり、夫が 莫大な借金の肩代わりをすることになり、家も財産も、何もなくなってしまった。
夫妻は、生きる気力さえなくし、一家心中を考え、“ドカン”地域の博多港にやってきた。身投げしようとすると周囲に人がいて、待っているうちに 機会を逸してしまい、“ドカン”地域に住み着くように。
エリ子は、以前から胃痛に苦しみ医師から胃を摘出しなければならないと言われていた。そんな金などなく、最初は焼酎で痛みをごまかしていたが、夜中に激痛に襲われ、病院でモルヒネを打ってもらってから、病院をはしごして、モルヒネをうってもらい、薬が切れると激痛にうめく生活をおくる。
そんな時、学会員の女性と出会う。以前、貴金属商を営み、裕福な生活をしていた時、学会員から仏法の話を聞いたが、その時は、悩みらしい悩みが何一つなく、興味のない宗教の話をする学会員を夫婦で追い返してしまっていた。
しかし、その時に仏法を語ってくれた人の確信にあふれた言葉が、耳に焼きついていた。それで、出会った学会に思わず、話を聞かせてほしいと言い、そこで、初めて「宿命」という言葉を 聞いた。
その場で入会を決意するが、夫は 以前、追い返しておきながら、今さら信心させてくれとは言えないと反対するが、妻の嘆く姿に「お前一人なら」と 許し、エリ子は 信心を始めた。
入会し、信心に励むようになると、彼女は日を追うごとに、元気になり、焼酎も、モルヒネも必要なくなっていき、病院へ行くと医師が不思議そうに「すっかり、ようなっとるばい」と言った。エリ子は思わず、「うち、創価学会にはいって、信心頑張っとりますけん」と言った。
夫も妻の元気な姿を目の当たりにして、一緒に信心に励むようになった。夫婦して、懸命に仕事と学会活動に精を出し、なんとか借金を返済しようと決意する。
ある程度、まとまった金額になった時、せめてもの誠意をつくそうと返済先に 持っていくとその会社の社長が、「心根のよか人たい」と言って、半分以上残っていた借金を 完済にしてくれた。
信じられない気持ちで、家に帰ったエリ子は 真剣に題目を唱えていた夫に話し、信心の功徳を噛み締めながら手を取り合って泣いた。
こうした功徳の体験は、“ドカン”地域では、枚挙に暇がなかった。
信仰によって、幸・不幸の鍵は、我が胸中にあると自覚した人びとは、運命を嘆き、自暴自棄になりがちな自らの心に負けまいと、挑戦を開始した。
その力となったのが、会長山本伸一の指導であった。メンバーは聖教新聞に掲載された、伸一の会合での指導や御書講義を、貪るように読み、信心を学んでいった。
"ドカン"地域のメンバーが次々と蘇生していった陰には、同志の励ましがあった。それは、悲しい過去を背負い、疑心暗鬼になり、孤立していた人びとの心と心を結び合い、新たな人間のネットワークをつくり上げていった。
ここには、体の不自由な人もいた。日本国籍のない人もいた。犯罪歴のある人もいれば、元刑事もいた。しかし、そんなことにとらわれ、差別するようなことのない、和気あいあいとした人間の信頼の絆が、メンバーを中心につくられ、"ドカン"地域全体を包もうとしていたのである。
こうした例は、この"ドカン"地域だけではなかった。全国各地に同じような地域があったが、そこでも、多くの民衆の蘇生のドラマを見ることができる。
これらの事実は、誰が本当の民衆の味方なのかを、明確に物語っている。
自ら社会運動を手がけ、創価学会の運動を見続けてきた、小説家で評論家の故・杉浦明平は、貧困や差別から 人々を解放しようと、さまざまな社会運動にも力を注いできた。
「学会の最大の業績は、社会の底辺にいる人達というか、庶民の力を引き出し、蘇生させたということです。じつは、それは私の大きな課題でもあったんです。」
「村に入って、援助したり、さまざまな運動をこころみました。しかし、だめなんです。
まわりでいくらお膳立てし、金を与えても、結局、本人が自立できない。ところが、創価学会がそれをやってしまった。」
杉浦はある革新政党の地方議会の議員を務めた人物でもある。彼は、学会が民衆の自立を可能にしたことに対して、「大変なことを始めたもんだ、学会にしてやられたっていう感じもしましたね。」と、率直な感想を述べている。
そして、創価学会の運動について、「苦悩に打ちひしがれていた人達が、人間としての生き方を自覚して、自身をもって生きていく。人間解放ですね」と称賛を惜しまない。
創価学会の歩みは、仏法というヒューマニズムの哲理を人間の心に打ち立て、民衆を蘇らせ、殺伐とした現代社会を、根底から変えようとしていた。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋