小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

May 2019

蘇生

『新・人間革命』第6巻 加速の章 P178~

大川エリ子もそんな一人であった。夫が、知り合いの借金の保証人となり、その知り合いが、行方不明になり、夫が 莫大な借金の肩代わりをすることになり、家も財産も、何もなくなってしまった。

夫妻は、生きる気力さえなくし、一家心中を考え、“ドカン”地域の博多港にやってきた。身投げしようとすると周囲に人がいて、待っているうちに 機会を逸してしまい、“ドカン”地域に住み着くように。

エリ子は、以前から胃痛に苦しみ医師から胃を摘出しなければならないと言われていた。そんな金などなく、最初は焼酎で痛みをごまかしていたが、夜中に激痛に襲われ、病院でモルヒネを打ってもらってから、病院をはしごして、モルヒネをうってもらい、薬が切れると激痛にうめく生活をおくる。

そんな時、学会員の女性と出会う。以前、貴金属商を営み、裕福な生活をしていた時、学会員から仏法の話を聞いたが、その時は、悩みらしい悩みが何一つなく、興味のない宗教の話をする学会員を夫婦で追い返してしまっていた。

しかし、その時に仏法を語ってくれた人の確信にあふれた言葉が、耳に焼きついていた。それで、出会った学会に思わず、話を聞かせてほしいと言い、そこで、初めて「宿命」という言葉を 聞いた。

その場で入会を決意するが、夫は 以前、追い返しておきながら、今さら信心させてくれとは言えないと反対するが、妻の嘆く姿に「お前一人なら」と 許し、エリ子は 信心を始めた。

入会し、信心に励むようになると、彼女は日を追うごとに、元気になり、焼酎も、モルヒネも必要なくなっていき、病院へ行くと医師が不思議そうに「すっかり、ようなっとるばい」と言った。エリ子は思わず、「うち、創価学会にはいって、信心頑張っとりますけん」と言った。

夫も妻の元気な姿を目の当たりにして、一緒に信心に励むようになった。夫婦して、懸命に仕事と学会活動に精を出し、なんとか借金を返済しようと決意する。

ある程度、まとまった金額になった時、せめてもの誠意をつくそうと返済先に 持っていくとその会社の社長が、「心根のよか人たい」と言って、半分以上残っていた借金を 完済にしてくれた。

信じられない気持ちで、家に帰ったエリ子は 真剣に題目を唱えていた夫に話し、信心の功徳を噛み締めながら手を取り合って泣いた。

こうした功徳の体験は、“ドカン”地域では、枚挙に暇がなかった。
信仰によって、幸・不幸の鍵は、我が胸中にあると自覚した人びとは、運命を嘆き、自暴自棄になりがちな自らの心に負けまいと、挑戦を開始した。


その力となったのが、会長山本伸一の指導であった。メンバーは聖教新聞に掲載された、伸一の会合での指導や御書講義を、貪るように読み、信心を学んでいった。

"ドカン"地域のメンバーが次々と蘇生していった陰には、同志の励ましがあった。それは、悲しい過去を背負い、疑心暗鬼になり、孤立していた人びとの心と心を結び合い、新たな人間のネットワークをつくり上げていった。

ここには、体の不自由な人もいた。日本国籍のない人もいた。犯罪歴のある人もいれば、元刑事もいた。しかし、そんなことにとらわれ、差別するようなことのない、和気あいあいとした人間の信頼の絆が、メンバーを中心につくられ、"ドカン"地域全体を包もうとしていたのである。

こうした例は、この"ドカン"地域だけではなかった。全国各地に同じような地域があったが、そこでも、多くの民衆の蘇生のドラマを見ることができる。

これらの事実は、誰が本当の民衆の味方なのかを、明確に物語っている。


自ら社会運動を手がけ、創価学会の運動を見続けてきた、小説家で評論家の故・杉浦明平は、貧困や差別から 人々を解放しようと、さまざまな社会運動にも力を注いできた。

「学会の最大の業績は、社会の底辺にいる人達というか、庶民の力を引き出し、蘇生させたということです。じつは、それは私の大きな課題でもあったんです。」

「村に入って、援助したり、さまざまな運動をこころみました。しかし、だめなんです。
まわりでいくらお膳立てし、金を与えても、結局、本人が自立できない。ところが、創価学会がそれをやってしまった。」

杉浦はある革新政党の地方議会の議員を務めた人物でもある。彼は、学会が民衆の自立を可能にしたことに対して、「大変なことを始めたもんだ、学会にしてやられたっていう感じもしましたね。」と、率直な感想を述べている。

そして、創価学会の運動について、「苦悩に打ちひしがれていた人達が、人間としての生き方を自覚して、自身をもって生きていく。人間解放ですね」と称賛を惜しまない。

創価学会の歩みは、仏法というヒューマニズムの哲理を人間の心に打ち立て、民衆を蘇らせ、殺伐とした現代社会を、根底から変えようとしていた。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

ドカン地域からの再起

『新・人間革命』第6巻 加速の章 P154~

<加速の章 始まる>

1962年「勝利の年」が開幕して以来、布教の波は一段と加速していった。

そして、そのスクラムと自信に満ちた足跡は、全国津々浦々に広がり、人間のいるところ、そこには、必ず、広宣流布の旗が広がるようになっていった。

福岡市の博多港に突き出た埋立地の一角に トタンを打っただけの、粗末な掘っ立て小屋のような家が密集する“ドカン”と呼ばれる地域があった。


ここに、大きな土管が放置され、そこに人が住み着くようになった。土管のなかは、人が腰をかがめて、入れるぐらいの大きさであった。その両側にムシロをかけ、“わが家”としたのである。

”ドカン”地域の内部は、好き勝手に立てた“家”がひしめき合い、道は狭く、太陽の光も差さなかった。そこは、政治の光さえ差すことのない、日本の社会の日陰でもあった。

治安も悪く、窃盗、喧嘩は日常茶飯事で、流血事件も絶えなかった。真っ昼間から、あちこちでとばくも行われ、酒を密造している人もいた。アルコール中毒、ヒロポン中毒に侵され、その禁断症状に苦しむ人の姿も、よく見受けられた。手配中の容疑者も、ここに逃げ込めば捕まらないとまでいわれていた。


しかし、この無法地帯さながらの“ドカン”地域にも、布教の波は及び、“異変”が起こり始めていたのである。

ドカン地域の近くに住む、松本タツという女性が折伏に通い始めた。
しかし、住人の多くは、人生の辛酸をなめ尽し、希望もなくし、自暴自棄になっていた。皆、人に裏切られてきた過去の苦い経験から、人間不信にも陥っていたのである。

それだけに、信心をすれば必ず幸福になれるという彼女の話は、裏のある見え透いた”うまい話”にしか思えなかったのであろう。


しかし、彼女は諦めなかった。そして、遂に、一人、二人と、彼女の弘教が実り始めるのである。入会し、信心に励むようになった人たちは、暗かった表情も明るく変わり、生活のうえで、さまざまな功徳の体験が生まれた。

身近に信仰の実証を目の当たりにした”ドカン”の人びとは、仏法の話に素直に耳を傾けるようになっていった。

1962年(昭和37年)ごろには、400数十世帯にまで達していたのである。
地域柄、住民登録をしない人も多く、地域全体の世帯数は不明であるが居住していた会員の話では、“ドカン”地域の半数以上が信心をしたようである。


井村久幸も仏法によって人生を蘇生させた一人であった。彼は、喘息の持病が悪化し、会社を解雇され、子ども3人を含む一家5人は路頭に迷い、ドカン地域にすむことになる。いつ死ぬかわからない状況に 無気力になっていた時、信心の話を聞く。

「あんたも、この信心で、絶対に幸せになれるとです」
幸せー忘れっていた言葉であった。いや、考えることさえ辛い言葉といってよかった。

井村は、どうせ、これ以上は、悪くなりようがないのだから、この信心を試してみようと、半信半疑ではあったが、入会を決意した


無我夢中で、仕事と信心に取り組む中で、井村は二つの不思議なことに気づく。一つは、これまで散々、悩んできた喘息が、影をひそめたこと。もう一つは、競艇場の近く出始めた商売の売り上げがのび、数倍の売り上げになっていったことだった。

まるで、磁石に吸い寄せられるように、彼のところに客が集まって来たのだ。ミカン箱に戸板をのせていた店から、リヤカーを購入することができ、やがて、ドカン地域を離れ、店舗付き借家から遂に念願の店を持つ。

商売はさらに繁盛し、やがて、鮮魚店、割烹料理店も始め、新築の自宅を購入し、新居の地域で、彼は長年、町内会長を務め、地域にも大きく貢献していくことになるのである。

”ドカン”地域の同志には、信仰で開いた人生の大ドラマがあった。ほとんどのメンバーが、一度は絶望の淵をさまよい、そこから再起した人たちである。だから、メンバーの話には大きな説得力があった。



太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

遠路

『新・人間革命』第6巻 遠路の章 P154~

インドのデリーを経由し、タイのバンコクに到着した一行。
空港に出迎えてくれた15人ほどのメンバーとともに、ホテルに行き、そのまま座談会を開き、そこでバンコク支部の結成を発表した。

1年前に植えられた広布の種子は、今、支部となって芽吹いたのである。

支部という組織のかたちをつくることは、誰にでもできる。しかし、それだけでは、意味がない。大事なことは、それを契機に、中心となるメンバーをはじめ、全員が新しい決意に立って、発心の旅立ちができるかどうかである。

「組織という形式ではなく、メンバーの胸中に、広宣流布の建設の一念を打ち立てることが最大の眼目だ。そのためには、徹底して同志を励ますことです。命を削る思いで、触発の対話をすることです。」

伸一は、青年たちに、組織といっても、根本はどこまでも人間によって決まっていくことを、教えようとしていた。人間を見失い、機構の操作に奪われてしまうところから、官僚主義が始まるからである。

翌日は、香港経由で帰国の途についた。

1年前、香港に地区を結成した時には、メンバーは10数人にすぎなかった。それが今、空港にやって来たひとだけでも、40人ほどになるのである。

2年前に香港で入会した平田君江が支部婦人部長に任命されたが、学会の組織のことを よく知らなかった。就任のあいさつを促されたが、何を言えばよいのか、わからなかった。

伸一は「こういう時は、皆さんに『何もできませんが、一生懸命に頑張りますのでよろしくお願いします』と丁重に言うものですよ」と 微笑みながら言った。

彼女は、ホッとして、言われたとおりに話し、皆にお辞儀した。
伸一は「今の言葉を忘れず、この精神でやっていくんですよ。そうすれば、大丈夫です」と言った。

彼女は、その言葉を心のなかで、復唱してみた。
ー私は経験も乏しいし、本当に何もできない。でも、一生懸命に頑張ることはできる。常に、まず自分から一生懸命に動こう。そして、“よろしくお願いします”という心で、皆に接していけば、力のない私でも、支部婦人部長の大任が果たせると、山本先生は教えてくださったのだ。

この時、まだ入会2年の平田の心に、幹部としてのあるべき姿が、明確に、刻まれたのである。

やがて、機上の人となった伸一は、この香港をはじめ、今回、歴訪した国々の平和と友の幸福を祈りながら、自分に言い聞かせた。

ーー広宣流布の道は、遠路である。遠路なればこそ、一歩一歩の地道な歩みが大事だ。
遠路なればこそ、何ものにも挫けぬ、信念と勇気の火を燃やし続けることだ。


そして、遠路なればこそ、皆で肩を組みながら、朗らかな、楽しき行進を繰り広げていかなければならない。

<遠路の章 終了>


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

アレキサンダー大王の遠征

『新・人間革命』第6巻 遠路の章 P144~

2月11日、山本伸一は 戸田城聖の誕生日を パキスタンで迎えた。

伸一は、青年たちに かつて、同地に至った アレキサンダー大王の 遠征に 言及した。
彼は20歳で王位につくと ペルシャに戦いを挑み エジプトを解放、中央アジアを東に進むが、
故国を出発して、8年後彼の前進は突然止まっている。

彼が、ここで遠征をやめ、引き返さざるをえなかったのは、味方の将兵たちが前進することを拒絶したからである。将兵たちは アレキサンダー大王が 何をめざして戦っているのか、わからなかった。

大王は、欲望や利権には見向きもせずに、理想の実現のために戦おうとしていたが、将兵たちにとっての遠征は、マケドニアの支配を拡大し、自分たちが富を得るためのものであったから、これ以上危険を冒す必要がないと考えていたのだ。

保身は 人間を臆病にする。そして、ひとたび臆病になれば、戦いには勝てない。

信心の世界でも同じことがいえる。病苦や経済苦を克服してしまうと、活動に力が入らなくなる幹部がいた。もう功徳も受け、悩みも解決できたのだからあくせく信心に励む必要はないというわけだ。

そして、どこまでも広宣流布に生き抜こうとする戸田先生を批判するものさえいた。
先生の念願は、この地上から『悲惨』の二字をなくし、全人類を救済することであった。

しかし、悲しいかな、彼らは、その心が、本当にわかってはいなかったのだ。
「私は、戸田先生から、人類の幸福と平和の実現という、広宣流布の一切を託された。それは、はるかな遠路だ。また、終わりのない旅である。命ある限り、歩み続けなければならない間断なき闘争である。自分の安泰だけを願う保身の心では、広宣流布の遠路を踏破することなど絶対にできるものではない。」

「みんなが悩みを克服し、健康になり、生活が豊かになる。・・・それは、私の願いであるし、功徳といえば功徳だが、そんなものは、極めてちっぽけな功徳です。信心の目的の一つにすぎない。」

「私たちが最終的にめざすものは、個人に即していえば絶対的幸福だ。どんな逆境に立とうが、崩れることのない、生命の大宮殿を自身の胸中に築き上げていくことです。また、自他ともの幸福であり、広宣流布こそが、本当の目的だ。私たちは、それを成し遂げる使命をもって、この世に生まれてきた。」

「人間は、環境が整い、年をとるにつれて、次第に保身に陥り、臆病になってしまう。若い時や一時期は、必死になって頑張ることができても、生涯、それを持続し、貫いていく人は少ないものだ。」

「どんな偉大な指導者がいても、皆がその本当の心を知り、力を合わせなければ、偉業の成功はない。真の同志とは、また弟子とは、同じ”志”を、生涯持ち続ける人だ」

伸一は、戸田の念願を成就することが、弟子としての自分の生涯の使命であることを痛感していた。しかし、それがいかに重く大きな課題であり、はるかなる遠路であるかも、いやと言うほど感じていた。

伸一は、時として、気の遠くなるような思いをいだくこともあった。焦りを感じもした。しかし、そんな時には、彼は、いつも、敗戦の焼け野原に一人立った恩師が、75万世帯の友の幸福の城を築き、自身の生涯の使命を果たしたことを思い起こした。

すると、彼の胸には、暗雲を破って太陽が昇るかのように、常に勇気と力がこみあげてくるのだった。“その先生の弟子である私も、使命を果たせぬわけがない!”

勇気は希望となり、大いなる確信となっていった。そして、いつも心でこう叫んだ。
”先生、見ていてください!”
伸一は、師の戸田城聖を思い、勇気を奮い起こしながら、遠路を黙々と進んでいった。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

歴史の始まり

『新・人間革命』第6巻 遠路の章 P133~

山本伸一宛に 電報が届いていた。
大阪事件の第一審の大阪地裁で 無罪判決が出たが、それについて検察は 控訴しなかった。
これで、伸一の無罪が最終的に確定したのである。

伸一は、恩師に心で語りかけた。“これで、先生の命だった創価学会に、傷をつけずにすみました。なんの憂いもなく、後継の若獅子として、世界平和の大舞台に乱舞することができます。”

2月9日 カイロから パキスタンのカラチに 移動する。
飛行機が遅れ、即朝3時と言う未明に到着した。

カラチは、今日のイスラム教国パキスタンの源流であるといえよう。
伸一は思った。
”歴史とは、新しき一歩一歩の積み重ねといえる。はるかなる未来も、「今」という一瞬から始まる。ゆえに「今」が草創であり、旅立ちの一歩となる。永遠なる平和の歴史絵巻を織り成すには、「今」を勝つことだ。”

夜、メンバーや 学会員ではない商社の駐在員たちと食事会をもった。

「一家和楽の信心」が実現できていないというメンバーには、「自分の子どもだから、信心に理解を示すだろうと考えるのは、実は親の甘えです。」「成人していれば、子どもさんたちも、それぞれ自分の考えをもって生きているのだから、その考え方、生き方を尊重していくべきです。」

「そのうえで、本当に信心をさせたいのならば、あなた自身が、生活のうえでも、あるいは人格のうえでも、信心のすばらしさを示しきっていくことです。つまり、子どもたちが心から誇りに思い、尊敬する父親になることです」

「家族というのは、最も身近にいるだけに、ごまかしは通じません。一番厳しい批評家でもあります。
これは、婦人にありがちなケースですが、外では、一生懸命に学会活動をしていても、家では、愚痴をこぼし、同志を批判していれば、当然、子どもは、信心しようとは思いません。」

「ともかく、子どもさんたちの幸せを、本気になって祈り念じていくならば、その心は必ず通じ、いつか信心に目覚める時が来ます。」

「だから、決して焦る必要もありませんし、ましてや信心を無理強いする必要は全くありません」

食事会は、新来者を交えての座談会のようでもあった。メンバーではない商社の駐在員たちも、政治と宗教などについて、次々と伸一に質問をぶつけてきた。なかには、人生相談をもちかける人もいた。

伸一は、入会のいかんによって人間を区別することはなかったといってよい。皆、同じ人間であり、友人であると言うのが、彼の信念であった。それゆえに、出会った人が幸福になるように、元気になるよに、真心を込め、力の限り激励していったのである。

仏法が全人類を幸福にするための法である限り、その法を信奉する仏法者は、万人の幸福を願い、行動するひとでなければならない。



太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

カテゴリー


新・人間革命 第30巻 下 / 池田大作 イケダダイサク 【本】


→メルマガで届く 『小説 新・人間革命』に学ぶ
ブログでは 言えないこと

メルマガ『勝利の哲学 日蓮大聖人の御書に学ぶ』