小説 新・人間革命に学ぶ

人生の 生きる 指針 「小説 新・人間革命」を 1巻から30巻まで、読了を目指し、指針を 残す

April 2019

使命の宝土

『新・人間革命』第6巻 宝土の章 P19~

現地時間 1月29日の 午後過ぎ アラブ諸国の訪問の 最初の経由地、フィリピンのマニラに到着した伸一一行。

すぐに次のタイのバンコク、インドのカルカッタを経由し、イランの首都テヘランに到着したのは、現地時間1月30日 午前1時近くであった。

テヘランは、第二次世界大戦のその後の世界を決定づけるてテヘラン会談が行われた場所である。
以来、18年余り、その三国も2つの陣営に分かれ、世界は米ソを中心とした東西の冷戦という、新たな悲劇の渦中にあった。

あの三国の首脳が武力によって、世界史の流れを変えようとしたのに対して、今、伸一は、人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開こうと、このテヘランに、人知れず中東訪問の第一歩を印したのである。

それは、遠く、はるかな道程ではあるが、断じて進まねばならぬ、彼の使命の道であった。

テヘラン在住の学会員上野の案内でテヘランの街を視察した。イスラム教が、民衆の生活に深く根差していることを感じさせた。

上野の妻が精神的なことが原因で体調が思わしくないことを聞いた伸一は激励に家を訪ねた。
イランの生活になじめず一刻も早く日本に帰りたいという妻の頼子。

山本伸一は、上野頼子の心中を考えながら、懸命に励まし続けた。
「人間は、悲観的になると、心が暗雲に覆われ、喜びも、楽しさも、希望の光も自らさえぎってしまうことになる。 仏法というのは、最高の楽観主義なんです。苦しみに満ちた娑婆世界のなかに寂光土があると教え、どんな悪人や、不幸に泣く人でも、仏になると教えています。」

「あなたは日本での生活を理想とし、それと、このテヘランでの生活を比べ、落胆しているのではないでしょうか。しかし、実際には、日本にいた時でも、それなりに悩みも苦しみもあったのではないかと思います。」

「人間には、完璧な人はいないし、また、すべて満たされた理想的な生活環境というものもありません。しかし、あなたは、妻である自分はこうあらねばならない、姑はこうあるべきだ、あるいは生活環境はこうでなければならないと、自分の頭のなかに理想的な基準をつくってしまっているように思います。そして、その観念のモノサシに現実を合わせようとする。」

「ところが、現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。」

「むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。」

「多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。」

「あなたが基準とすべきは、日本での暮らしではなく、ここでの生活で素。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。」

「経文にも『如実知見』つまり『実の如く知見す』とあります。」
「自分が思い描いた観念的な基準にこだわり、縛られるのではなく、ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。」

上野頼子は「頭ではわかっても、こんな暮らしが続くのかと思うと、嫌気が先に立ってしまいます」と話す。

「だからこそ、信心が大事になるんです。行き詰ったら題目ですよ。お題目を唱えれば、自分のことも、環境も、ありのままに見つめることができるし、生命力がわいてくる。自分に負けない強さをつけることができます。」

「そして、何よりも、あなたが、このイランにやって来た使命を自覚することができます」
「使命のない仏子はいません。」

「あなたの周囲に、友情の苗をたくさん植え、大切に育てていけば、イランも必ず、緑したたる心のオアシスになっていきます。」

「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくりだしていくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが、信仰です。」

「日本を離れれば不幸になるのかー違います。日本にいても不幸を嘆いている人はいるし、海外で充実した日々を送っている人もいます。今いる場所で、幸福になる方法を知らないから不幸なんです。」

「信仰とは無限の希望であり、無限の活力です。自己の一念によって、どんな環境も最高の宝土となる。それが仏法です。だからあなたも、このテヘランにあって、幸福の女王になってほしいのです。」

と激励した。

「平成最後の日」の ブログ。


太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

中東へ

『新・人間革命』第6巻 宝土の章 P7~

<第6巻 宝土の章 始まる>

第6巻が 「聖教新聞」に連載されたのは、1996年(平成8年)9月から翌年4月まで。
当時、創価学会には 卑劣なデマや中傷の嵐が吹き荒れていた。

新世紀の大舞台は、世界である。そこには、戦火にあえぐ友がいる。悲嘆に暮れる母がいる。
飢えに泣く子らもいる。

泉が砂漠をオアシスに変えるように、人間の生命からわき出る慈悲と英知の泉をもって、この地球を平和の楽園へ、永遠の宝土へと転じゆくヒューマニズムの勝利を、我らは広宣流布と呼ぶ。

1962年1月29日、山本伸一は中東へ出発した。
伸一の今回の正式な訪問国は、イラン、イラク、トルコ、ギリシャ、エジプト、パキスタン、そして、タイの7か国であり、イランの首都テヘランが第一の訪問地であった。
訪問の目的は、現地の会員の指導、宗教事情の視察等々である。

伸一のこの中東訪問を最も喜んでくれたのは、当時、東京外国語大学でアラビア語の教鞭を執り、後に日本で最初の『アラブ語辞典』を執筆・編集し、発刊する、河原崎寅造というアラブの研究者であった。


1年前、東洋学術研究所(後の東洋哲学研究所)の発足式が行われ、世界的な学術研究者を排出し、育成していこうとする伸一が、真っ先に育成に取り組んだ研究者であった。

河原崎は、外務省の留学生としてエジプトに渡り、カイロ大学のアラビア語科を卒業したあと、中東各地の日本公館に勤務し、アラブの文化への造形を深くしていった。

戦後、官僚生活を嫌って外務省を辞めると、経済苦との戦いが待っていた。しかも、妻と息子が結核に侵されていたのである。河原崎一家の苦境を見かねた親戚から、最初に、妻が仏法の話を聞き、信心を始め、その妻の勧めで、河原崎も翌年4月に入会した。

しかし、学会に関心があったわけではない。愛する妻の頼みなら、できることは、なんでもしようという思いからであった。


そのころ、アラブの石油資源が日本でも脚光を浴びてきていたが、日本の官僚も、政治家も、経済人もアラブを単に石油の取引の対象としてしか見ていなかったし、ほとんど理解していなかった。

伸一は、アラブを訪問する目的も、まず、人間の心と心を結び合うことから始まる。それには、文化の交流が大切になる。アラブと日本の間に、平和と文化の交流の道を開いておきたいと語った。

伸一の話を聞いて、河原崎は、「私は創価学会について、誤解をしていた。正直なところ、拝めば病気が治るなどといって、勧誘するだけの宗教ではないかという考えが、頭のどこかにありました。」

「しかし、不遜でした。自分で確かめもしないで、偏見をもって学会を見ていたのです。」と深々と頭を下げた。

「真実を知らなければ、誤解があるのも当然です」と言って、勤行もしたことがないという彼に、
「仏法は、すべての人間は、本来尊極なる『仏』であり、皆が平等に、幸福になる権利があることを教えています。つまり、人類の平等を説くヒューマニズムの思想であり、平和の哲学です」

「その『仏』の慈悲と智慧と生命の力を湧現していく道を教えているのが仏法なんです。」
「人間には、それぞれ理想もあれば、信念もある。皆、それに向かって、必死に努力しています。しかし、慈悲をもって人に接しようと思っても、その思いとは裏腹に、ともすれば、利己的な生き方に流されてしまうのが、人間ではないでしょうか」

「また、人生には、挫折もあれば行き詰まりもある。そうした時に、何ものにも負けない強さをもち、それを堂々と乗り越えていけるかどうかに、幸・不幸の鍵がある。そこに、仏法を求めざるをえない理由があります。」


河原崎は 行き詰まりを感じていると話す。

伸一は、「負けてはいけません。人間には行き詰まりがあっても、仏法に行き詰まりはないのです」
「人間は使命をもって生まれてきています。」「あなたにどこまで、その情熱があるかです。情熱は人間を触発し、伝播していくものです。自分と同じ心を持つ、人間の流れをつくることです。弱気なあなたの発言を聞いたら、奥さんが悲しみます。弱さは不誠実につながります」

「あなたの担うべき役割は大きい」
「人間の心にヒューマニズムを育み、平和の道、文化の橋を架けるーそれが仏法なんです。私も応援します。この限りある生涯を、ともに、人類の平和のために、未来のために捧げていこうではありませんか」
河原崎は、目を潤ませ、決意を語った。

家に帰ると直ちに仏壇の前に座り、題目を三唱した。そして、家族に宣言した。「今日から俺も、信心をするからな!」もともと一途な"アラブの快男児"はその日を契機に、一騎当千の"広布の快男児"となっていったのである。



太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋

無罪判決

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P336~

大阪事件の裁判の 判決公判が 1月25日開かれた。
もし、会長の山本伸一が有罪になれば、彼の人生の障害となるだけでなく、それによって、学会の広宣流布の前進にとって、大きな障害となることは明らかであった。

首脳幹部は じっとしていられなかったが、山本伸一だけは「絶対勝つから大丈夫。何も悪いことをしていない者が、有罪になる道理はない。」と心境をあかした。

「すべてのことは、大御本尊様がお見通しであると、私は信じています。戸田先生は、三類の強敵のなかにも、僣聖上慢が現れてきたと言われております。私も、さらに『大悪をこれば大善きたる』との、日蓮大聖人様の御金言を確信し、強盛な信心を奮い起こし、皆さまとともに、広宣流布に邁進する決心であります。最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、かならず勝つという信念でやろうではありませんか」との大勝利への伸一の宣言から既に、4年6か月が過ぎていた。

男子部幹部会では、
「私は、いかなる迫害も受けて立ちます。もし、有罪となり、再び投獄されたとしても、大聖人の大難を思えば、小さなことです。また、牧口先生、戸田先生の遺志を受け継ぐ私には、自分の命を惜しむ心などありません。」

「だが、善良なる市民を、真面目に人びとのために尽くしている民衆を苦しめるような権力とは、生涯、断固として戦い抜く決意であります。これは、私の宣言です。」

「仏法は勝負である。残酷な取り調べをした検事たちと、また、そうさせた権力と、私たちと、どちらが正しいか、永遠に見続けてまいりたいと思います。」と語った。

伸一は、この4年半の歳月を振り返っていた。あの不当逮捕から9か月後には、戸田先生は逝去された。
そして、その2年後に、自分は第3代会長に就任したが、それまで何度も、会長就任の要請を辞退せざるをえなかった最大の理由が、この裁判で被告人という立場にあることであった。

「山本伸一は無罪!」傍聴席にざわめきが起こり、皆の顔に歓喜の光が差した。審判は下った。
伸一の正義が証明された勝利の瞬間であった。

伸一が今、一番気がかりであったのが、罰金とはいえ有罪になった、これらの人たちのことであった。
彼は、そのメンバーと懇談の一時をもち、「罪は罪として償わなければならないが、人生の幸福は、最後まで信心をし抜いていけば、必ずつかむことができる。生涯、何があっても、一緒に広宣流布に生き抜こうよ」と激励した。

伸一は、大阪事件のもつ意味について語り始めた。
「この大阪事件の本質はなんであったか。」
「学会が飛躍的な発展を遂げているのを見て、権力は、このままでは、学会が自分たちの存在を脅かす一大民衆勢力になるであろうと、恐れをいだいた。そして、今のうちに学会を叩きつぶそうとしたのが、今回の事件です。」

「本来、権力というものは民衆を守るべきものであって、善良な民衆を苦しめるためのものでは断じてない。社会の主役、国家の主役は民衆です。その民衆を虐げ、苦しめ、人権を踏みにじる魔性の権力とは、断固戦わなければならない。それが学会の使命であると、私は宣言しておきます。」

「そして、学会が民衆の旗を掲げて戦う限り、権力や、それに迎合する勢力の弾圧は続くでしょう。この事件は迫害の終わりではない。むしろ、始まりです。」

「ある場合には、法解釈をねじ曲げ、学会を違法な団体に仕立て、断罪しようとするかもしれない。」
「さらには、学会とは関係のない犯罪や事件を、学会の仕業であると喧伝したり、ありとあらゆるスキャンダルを捏造し、流したりすることもあるでしょう。また、何者かを使って、学会に批判的な人たちに嫌がらせをし、それがあたかも学会の仕業であると思わせ、陥れようとする謀略もあるかもしれない。」

「ともかく、魔性の権力と、学会を憎むあらゆる勢力が手を組み、手段を選ばず、民衆と学会を、また、私と同志を離間させて、学会を壊滅に追い込もうとすることは間違いない」

「そうした弾圧というものは、競い起こる時には、一斉に、集中砲火のように起こるものです。しかし、私は何ものも恐れません。大聖人は大迫害のなか、『世間の失一分もなし』と断言なされたが、私も悪いことなど、何もしていないからです。だから権力は、謀略をめぐらし、無実の罪を着せようとする。」

「創価学会の歩みは、常に権力の魔性との闘争であり、それが初代会長牧口常三郎以来、学会を貫く大精神である。」

「それゆえ、学会には、常に弾圧の嵐が吹き荒れた。しかし、そこにこそ、人間のための真実の宗教の、創価学会の進むべき誉の大道がある。」


広宣流布とは 『獅子の道』である。何ものをも恐れぬ、「勇気の人」「正義の人」「信念の人」でなければ、広布の峰を登攀することはできない。そして、『獅子の道』はまた、師の心をわが心とする、弟子のみが走破し得る『師子の道』でもある。

<第5巻終了 獅子の章終了>

太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

王法と仏法

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P325~

宗門が、戒壇を「国立」とする根拠と考えていたのが、「三大秘法抄」の「勅宣並びに御教書を申し下して」の御文であった。

現代では、天皇は象徴となり、将軍も執権もいない。主権在民の時代であり、民衆こそが社会の主役である。

戸田は、「国立戒壇」を現代の社会で実現するならば、その御文をどうとらえればよいかに苦慮していた。

「国立」であるかどうかはともあれ、戒壇の建立は、広宣流布を象徴する一つの形式であり、遠い未来の問題である。

戸田は、戒壇建立の作業は、後に続く弟子たちに委ねようとしていた。その前に、「王仏冥合」をどのようにとらえ、いかに実現していくかを課題にし、全精力を注いでいった。

伸一に、「王仏冥合」をどう考えるかということが、これからの大事な課題になると話し、
「『王法』とは、政治だけに限定するわけにはいかず、むしろ、王の定めた法の及ぶ範囲、すなわち、世間法ととらえるべきだろう。政治だけでなく、経済も、教育も、学術も含め、社会の文化的な営みのすべてを『王法』と解釈すべきだ。
『王法』と『仏法』の『冥合』とは、いかなる姿を言うのかが、極めて重要になってくる」と語る。

「『王仏冥合』は、政治と仏法が制度的に、直接、一体化することでは決してない。」

「『王法』と『仏法』が、奥深くで合致することであり、人間の営みである、あらゆる文化の根底に、仏法の哲理、精神が、しっかりと定着するということだ。」

「『仏法王法に合して』とは、仏法の哲理、精神が、一人ひとりの生き方、行動を通して表れ、世間の法が、社会そのものが、仏法の在り方と合致していく姿だ。」

「仏法を一人ひとりの心に打ち立て、人格を陶冶していくことが、大聖人の示された社会建設の基本原理であり、その帰結が『王仏冥合』ということだ」

「要するに『王仏冥合』といっても、あるいは、『立正安国』といっても、具体的な一個の人間を離れてはありえない。それは、どこまでも、人間一人ひとりの一念を変え、生命を変革していく人間革命ということが、最大のポイントになるのだよ」


政治や教育が正しく人間の幸福のために寄与してこなかったし、科学の発展は、人類を滅ぼしかねない原水爆が生まれたことなどを述べ、
「問題は、ここなんだよ。それは、結局、人間が進むべき正しき道を教え政治、経済、科学、教育などをリードする、生命の哲学が確立されていないからだ。その不幸を転換するために大聖人がしめされた原理が『王仏冥合』なのだよ。」

「『王仏冥合』の姿とは、世界のすべての国が栄え、それぞれの国の社会の繁栄と個人の幸福とが一致することであると思っている。」

「そこに、これからの創価学会が果たしていかねばならぬ使命があり、仏法の社会的行動がある。」

「そして、この課題に本格的に取り組むことが、君の生涯の仕事となっていかざるをえないだろう。」


山本伸一も、この戸田の精神を継承し、民衆の幸福のための政治の実現をめざし、戸田亡きあとも、同志を政界に送り出すことに力を注いできた。

本門の戒壇をどうするかは、師の戸田から広宣流布の後事のいっさいを託された伸一の、避けることのできないテーマであった。


伸一は、総本山の日達法主に「国立戒壇」は、本来の大聖人の御精神とは異なることを様々な機会に語っていった。日達も伸一の意見に全面的に同意してくれた。

後年、正式に「国立戒壇」という名称は世間の疑惑を招くし、かえって布教の邪魔にもなるため、「今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします。」と本部総会の特別講演で述べている。

かつて、創価学会が「国立戒壇」という名称をしようしたのも 本宗の信徒であったためで、それを学会が使っていたことについて非難するにはあたらないと講演した。

伸一は今、「公明政治連盟」が発足したことによって、個人の幸福と社会の繁栄の一致という「王仏冥合」の実現に向かい、内海から大海に乗り出したことを実感していた。

彼は、未来に競い起こるであろう怒涛を予感していた。しかし、政治を民衆の手に取り戻し、人びとの幸福に真に寄与するものにするためには、あえて、その怒涛に向かって、突き進んでいくしかない。

それが、人間の凱歌の時代を開く、創価の誉れの使命であり、民衆を守りゆく獅子の道であるからだ。




太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋

国立戒壇

『新・人間革命』第5巻 獅子の章 P316~

「公明政治連盟」の基本要綱、基本政策を発表した後、記者団からの質問に答える関。


記者は「憲法のすべての条文を擁護するならば、『信教の自由』も 守り続けるのか。日蓮は他宗派を認めず、折伏を行ってきた。それは、憲法と矛盾するのではないか」と質問した。

「折伏とは自らの宗教的信念を語ることであり、対話による布教です。それは、一人ひとりの納得と共感のうえに成り立つものです。つまり、『信教の自由』『言論の自由』を大前提として、私たちは布教を行っているのです。」

「自分たちの信ずる宗教が最高であると言いきれないとするなら、それを布教することほど無責任なものはありません。キリスト教にしても、あるいはイスラム教にせよ、皆、自分たちの教えが最高であると主張しています。その確信こそ宗教の生命であり、そこに宗教者の誇りと良心があるんです。」

記者たちの質問には、宗教への誤解と偏見が潜んでいた。


ある記者が尋ねた。
「学会は『公明政治連盟』の力で、やがては日蓮正宗を国教にするという考えはあるのですか」

関久男は言下に答えた。「ありません」

本来、信仰とは、人間の最も内発的な営みである。政治権力など、他からの外圧的な力で、強制し、本当の信仰心を育てることなど絶対にできない。

もし、国教になどなれば、かえって信仰の堕落を招き、大聖人の仏法の精神は滅び、形骸化していくだけである。


別の記者が、皮肉な笑いを浮かべながら質問した。
「『公明選挙』をうたっていますが、折伏などといって、無理やり投票させるようなことが、公明選挙になるんでしょうかね」

関は憮然として言った。「君、創価学会がいつ、選挙を折伏だなどといって、無理やり投票させたことがありましたか!」  
「・・・・」
「調べもせずに、偏見と憶測で、ものを言うことは慎んでもらいたい」
学会への無認識をさらけ出す問いであった。


記者会見は間もなく終わったが、「公明政治連盟」の結成を取り上げた新聞はいたって少なかった。
1、2の新聞が 一段ほどで、報道しただけであった。

多くの記者たちは、創価学会は政治を支配し、日蓮正宗を国教にするために、個人の意思とは無関係に、会員を選挙に駆り立てていると、勝手に憶測しているようであった。


彼らが、その憶測の根拠としていたのが、かつて、戸田城聖が広宣流布の姿として、「国立戒壇」の建立という表現を、何度か使っていたことであった。

日蓮大聖人は、法華経の本門文底の教えである三大秘宝の戒壇の建立を、後世の弟子たちに託された。
「三大秘宝抄」に「戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一堂に本門の三秘密の法を持ちて・・・」と仰せである。

この「三大秘宝抄」の戒壇を、「国立戒壇」と言い出したのは、明治期に日蓮宗(身延派)から出て、立正安国会(のちの国柱会)をつくった田中智学であった。

彼の発想は、極めて国粋主義的、国家主義的であった。彼は大聖人の御書を、自らの“国体至上主義”を鼓吹するための道具とした。

"国体思想”に沿って、この御文を解釈していった。そのため、「王法」は即、"神国日本"という国家に直結し、すべては、そこに組み込まれていった。

彼は、法華経は世界を統一すべき教えであり、日本は世界を統一すべき国であると主張し、日本が世界を統一するためには、武力侵略をも、積極的にこうていしていったのである。

彼は、建立すべき地を、富士山とし、この"富士戒壇論"をめぐり、日蓮系各派で論議が わき起こり、その中で、本門の戒壇に安置すべき御本尊にも議論が及び、大石寺の大御本尊への批判があったことから、日蓮正宗も反論するに至った。

このやり取りの中で、相手が用いた「国立戒壇」という言葉を日蓮正宗側も使ったために、日蓮正宗も、戒壇は「国立」を前提としているかのような論の展開になっていった。

そして、軍国主義の流れのなかで、次第に宗門も国家主義的な考え方に傾斜していき、「国立戒壇」は当然であるかのような風潮がつくられていった。

さらに、戦後も、宗門では本門を、「国立戒壇」といっていたのである。

このため、信徒である戸田城聖も、本門の戒壇について語る際に「国立戒壇」という言葉を使用したことがあった。

しかし、戸田が念願としていたのは、単に、戒壇という建物を建立し、それを「国立」にするなどと言ったことではなかった。

彼は、日蓮大聖人の大願は民衆の幸福にあり、戒壇の建立といっても、そのための広宣流布の象徴であると考えていた。


戸田は会合で彼の考えを明確に語っている。
「ある僧侶が、『広宣流布の暁には、天皇陛下がお寺を建ててくださって、りっぱになるのだ』と話すのを聞いて 唖然とした。」

「仮に 広宣流布が現実に行われて、勅宣・御教書をたまわったとして、大御本尊のありがたさを、日本国じゅうの人に伝えるでしょう。すると、信心なき者がたくさん参詣にくる。そうして、この信心なき人々が、どれほど御本尊を粗末にすることでしょうか」

この言葉にも明らかなように、戸田は、仮に「国立戒壇」ができたとしても、人びとの信仰の確立がなければ、民衆の幸福も一国の繁栄もありえないことを痛感していた。むしろ、それによって、人びとの信仰が失われ、形骸化を招くことを恐れていたのである。



太字は 『新・人間革命』第5巻より抜粋
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