『新・人間革命』第6巻 宝土の章 P19~
現地時間 1月29日の 午後過ぎ アラブ諸国の訪問の 最初の経由地、フィリピンのマニラに到着した伸一一行。
すぐに次のタイのバンコク、インドのカルカッタを経由し、イランの首都テヘランに到着したのは、現地時間1月30日 午前1時近くであった。
テヘランは、第二次世界大戦のその後の世界を決定づけるてテヘラン会談が行われた場所である。
以来、18年余り、その三国も2つの陣営に分かれ、世界は米ソを中心とした東西の冷戦という、新たな悲劇の渦中にあった。
あの三国の首脳が武力によって、世界史の流れを変えようとしたのに対して、今、伸一は、人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開こうと、このテヘランに、人知れず中東訪問の第一歩を印したのである。
それは、遠く、はるかな道程ではあるが、断じて進まねばならぬ、彼の使命の道であった。
テヘラン在住の学会員上野の案内でテヘランの街を視察した。イスラム教が、民衆の生活に深く根差していることを感じさせた。
上野の妻が精神的なことが原因で体調が思わしくないことを聞いた伸一は激励に家を訪ねた。
イランの生活になじめず一刻も早く日本に帰りたいという妻の頼子。
山本伸一は、上野頼子の心中を考えながら、懸命に励まし続けた。
「人間は、悲観的になると、心が暗雲に覆われ、喜びも、楽しさも、希望の光も自らさえぎってしまうことになる。 仏法というのは、最高の楽観主義なんです。苦しみに満ちた娑婆世界のなかに寂光土があると教え、どんな悪人や、不幸に泣く人でも、仏になると教えています。」
「あなたは日本での生活を理想とし、それと、このテヘランでの生活を比べ、落胆しているのではないでしょうか。しかし、実際には、日本にいた時でも、それなりに悩みも苦しみもあったのではないかと思います。」
「人間には、完璧な人はいないし、また、すべて満たされた理想的な生活環境というものもありません。しかし、あなたは、妻である自分はこうあらねばならない、姑はこうあるべきだ、あるいは生活環境はこうでなければならないと、自分の頭のなかに理想的な基準をつくってしまっているように思います。そして、その観念のモノサシに現実を合わせようとする。」
「ところが、現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。」
「むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。」
「多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。」
「あなたが基準とすべきは、日本での暮らしではなく、ここでの生活で素。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。」
「経文にも『如実知見』つまり『実の如く知見す』とあります。」
「自分が思い描いた観念的な基準にこだわり、縛られるのではなく、ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。」
上野頼子は「頭ではわかっても、こんな暮らしが続くのかと思うと、嫌気が先に立ってしまいます」と話す。
「だからこそ、信心が大事になるんです。行き詰ったら題目ですよ。お題目を唱えれば、自分のことも、環境も、ありのままに見つめることができるし、生命力がわいてくる。自分に負けない強さをつけることができます。」
「そして、何よりも、あなたが、このイランにやって来た使命を自覚することができます」
「使命のない仏子はいません。」
「あなたの周囲に、友情の苗をたくさん植え、大切に育てていけば、イランも必ず、緑したたる心のオアシスになっていきます。」
「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくりだしていくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが、信仰です。」
「日本を離れれば不幸になるのかー違います。日本にいても不幸を嘆いている人はいるし、海外で充実した日々を送っている人もいます。今いる場所で、幸福になる方法を知らないから不幸なんです。」
「信仰とは無限の希望であり、無限の活力です。自己の一念によって、どんな環境も最高の宝土となる。それが仏法です。だからあなたも、このテヘランにあって、幸福の女王になってほしいのです。」
と激励した。
「平成最後の日」の ブログ。
太字は 『新・人間革命』第6巻より抜粋
現地時間 1月29日の 午後過ぎ アラブ諸国の訪問の 最初の経由地、フィリピンのマニラに到着した伸一一行。
すぐに次のタイのバンコク、インドのカルカッタを経由し、イランの首都テヘランに到着したのは、現地時間1月30日 午前1時近くであった。
テヘランは、第二次世界大戦のその後の世界を決定づけるてテヘラン会談が行われた場所である。
以来、18年余り、その三国も2つの陣営に分かれ、世界は米ソを中心とした東西の冷戦という、新たな悲劇の渦中にあった。
あの三国の首脳が武力によって、世界史の流れを変えようとしたのに対して、今、伸一は、人間の精神の力によって、人類の融合と永遠の平和を開こうと、このテヘランに、人知れず中東訪問の第一歩を印したのである。
それは、遠く、はるかな道程ではあるが、断じて進まねばならぬ、彼の使命の道であった。
テヘラン在住の学会員上野の案内でテヘランの街を視察した。イスラム教が、民衆の生活に深く根差していることを感じさせた。
上野の妻が精神的なことが原因で体調が思わしくないことを聞いた伸一は激励に家を訪ねた。
イランの生活になじめず一刻も早く日本に帰りたいという妻の頼子。
山本伸一は、上野頼子の心中を考えながら、懸命に励まし続けた。
「人間は、悲観的になると、心が暗雲に覆われ、喜びも、楽しさも、希望の光も自らさえぎってしまうことになる。 仏法というのは、最高の楽観主義なんです。苦しみに満ちた娑婆世界のなかに寂光土があると教え、どんな悪人や、不幸に泣く人でも、仏になると教えています。」
「あなたは日本での生活を理想とし、それと、このテヘランでの生活を比べ、落胆しているのではないでしょうか。しかし、実際には、日本にいた時でも、それなりに悩みも苦しみもあったのではないかと思います。」
「人間には、完璧な人はいないし、また、すべて満たされた理想的な生活環境というものもありません。しかし、あなたは、妻である自分はこうあらねばならない、姑はこうあるべきだ、あるいは生活環境はこうでなければならないと、自分の頭のなかに理想的な基準をつくってしまっているように思います。そして、その観念のモノサシに現実を合わせようとする。」
「ところが、現実というものは、理想や観念の尺度に、きちんと合うことはありえない。すると、ここが悪い、あそこが悪いとなり、失望が重なって、不平や不満だらけになってしまう。」
「むしろ、こうでなくてはならないという、頭のなかでつくり上げた基準にこだわらず、もっと自由にものを見るべきです。」
「多かれ少なかれ、どこにいても、大変なことや、いやなことはあります。それは、どんな生活環境でも、どんな人間でも同じです。百パーセントすばらしい環境もなければ、そんな人間もいません。」
「あなたが基準とすべきは、日本での暮らしではなく、ここでの生活で素。それが現実なんですから、まず、そのまま受け入れ、ありのままに見つめてみようとすることです。」
「経文にも『如実知見』つまり『実の如く知見す』とあります。」
「自分が思い描いた観念的な基準にこだわり、縛られるのではなく、ありのままに現実を見つめて、なんらかのよい面を、楽しいことを発見し、それを生かしていこうとすることです。」
上野頼子は「頭ではわかっても、こんな暮らしが続くのかと思うと、嫌気が先に立ってしまいます」と話す。
「だからこそ、信心が大事になるんです。行き詰ったら題目ですよ。お題目を唱えれば、自分のことも、環境も、ありのままに見つめることができるし、生命力がわいてくる。自分に負けない強さをつけることができます。」
「そして、何よりも、あなたが、このイランにやって来た使命を自覚することができます」
「使命のない仏子はいません。」
「あなたの周囲に、友情の苗をたくさん植え、大切に育てていけば、イランも必ず、緑したたる心のオアシスになっていきます。」
「真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくりだしていくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが、信仰です。」
「日本を離れれば不幸になるのかー違います。日本にいても不幸を嘆いている人はいるし、海外で充実した日々を送っている人もいます。今いる場所で、幸福になる方法を知らないから不幸なんです。」
「信仰とは無限の希望であり、無限の活力です。自己の一念によって、どんな環境も最高の宝土となる。それが仏法です。だからあなたも、このテヘランにあって、幸福の女王になってほしいのです。」
と激励した。
「平成最後の日」の ブログ。